「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

小野田寛郎さんの死と旧日本帝国陸海軍

2014-01-18 07:37:24 | Weblog
フィリッピン.ルバング島のジャングルの中で戦後30年近く経ってから発見された小野田寛郎さんが91歳で亡くなられた。小野田さんが旧日本軍の戦闘帽をかぶり直立不動敬礼姿で捜索隊の前に現れた、あの時の写真は”平和ボケ”していた当時の日本人を驚かせた。思うと、あの時(昭和49年)からでも40年の歳月が流れている。戦争の時代は、いよいよ遠い遠い過去になってきた。

昭和49年は第一次石油危機があった年で、ちょうど小野田さんが発見された頃、巷では主婦たちがトイレット.ペーパー漁りをしていた。しかし、時代は平和そのもので、過去の戦争など忘れ去られていた。ところが、この年の暮、今度はインドネシアのモロタイ島で旧日本の軍属、台湾高砂義勇軍の中村輝夫さんが発見され帰国している。モロタイ島はモロッカ諸島の小島だが、戦争末期再上陸してきた米軍との間で激戦があったところだ。昭和31年にも旧日本軍関係者6人が発見され帰還している。

南方総軍の占領地はフィリピン、インドネシアなど島嶼地域が多い。戦後10万人を超す軍関係者を無事日本に帰還させる復員計画は一大事であった。しかし、昭和23年までにはほぼ無事終了している。が、戦後も自分の意思で現地に残留した日本兵も多かった。詳しい数は不明だが、戦後インドネシアに残留した軍人、軍属の会「福祉友の会}の資料によると835人とある。(内訳はジャワ333人、スマトラ478人、その他地域24人)このうちジャワ、スマトラは「福祉友の会」が直接調査したものだが、その他地域は旧厚生省時代に調べたもので、「福祉友の会」には資料はない。

戦時中海軍の軍政下であったセレベス、カリマンタン地域での戦後の残留者の記録はバリ島以外はない。しかし、カリマンタンには数人の旧軍関係者の足跡は確実にある。しかし、今となってはそれを調べるエネルギーも80老の僕にはなくなった