日本の宇宙飛行士、野口聡一さんが昨日ロシアのバイコヌール基地から打ち上げれ
た宇宙船ソユーズに乗って宇宙飛行に出発した。野口さんは國際ステーション(ISS)
に5か月間も滞在して日本の実験棟「きぼう」で無重力実験に挑戦し施設の維持管
理の仕事もするそうだ。
このニュースを聞いて僕は48年前、1961年4月、ソ連(当時)がヴォストーク宇宙船で
人類初の宇宙飛行を行った当時を想い出した。あの時は僅か1時間50分の宇宙飛行
だったが、ガガーリン飛行士が無事地球に帰還でき”地球は青かった”と言った言葉
に感激したものだった。僕は新聞社で外電を翻訳する仕事をしていたが、当時の同僚
の一人は、この快挙の直後生まれた長男に「宇平」君(宇宙平和)と命名した。
ソ連が初の人工衛星スプートニクを打ち上げたのは1957年10月である。ガガーリンの
宇宙飛行はそれから4年後。あの当時は冷戦下米国とソ連が競いあって宇宙開発をし
ていた。あれから約半世紀の歳月を経て、今回のソユーズにはロシア人の空軍大佐が
宇宙船を操縦し、米国の陸軍大佐と日本の野口副操縦士が同乗している。とても半世
紀前には考えられなかったことだ。それよりも宇宙へ単に行く時代から今は宇宙で生活
しこれを利用する時代に変わってきた。同僚が宇宙平和を願って「宇平」君と命名した通
りの時代がやってきている。感無量だ。
た宇宙船ソユーズに乗って宇宙飛行に出発した。野口さんは國際ステーション(ISS)
に5か月間も滞在して日本の実験棟「きぼう」で無重力実験に挑戦し施設の維持管
理の仕事もするそうだ。
このニュースを聞いて僕は48年前、1961年4月、ソ連(当時)がヴォストーク宇宙船で
人類初の宇宙飛行を行った当時を想い出した。あの時は僅か1時間50分の宇宙飛行
だったが、ガガーリン飛行士が無事地球に帰還でき”地球は青かった”と言った言葉
に感激したものだった。僕は新聞社で外電を翻訳する仕事をしていたが、当時の同僚
の一人は、この快挙の直後生まれた長男に「宇平」君(宇宙平和)と命名した。
ソ連が初の人工衛星スプートニクを打ち上げたのは1957年10月である。ガガーリンの
宇宙飛行はそれから4年後。あの当時は冷戦下米国とソ連が競いあって宇宙開発をし
ていた。あれから約半世紀の歳月を経て、今回のソユーズにはロシア人の空軍大佐が
宇宙船を操縦し、米国の陸軍大佐と日本の野口副操縦士が同乗している。とても半世
紀前には考えられなかったことだ。それよりも宇宙へ単に行く時代から今は宇宙で生活
しこれを利用する時代に変わってきた。同僚が宇宙平和を願って「宇平」君と命名した通
りの時代がやってきている。感無量だ。