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ぼんくら工学部生は、立派な研究者になれるや否や。徒然なる苦闘と雑記

   

そうか、私の死は無意味なのか

「ご冥福をお祈りします」とは実に使い勝手のよい言葉である。何しろ角が立たない。事故や災害を話題にした時、最後につけると便利。
 しかし、本当に残念に思っているのかしら。個人的な知己でもいるのならともかく、おそらくは全く知らない人だろう。それなのに、祈りまで捧げるとは、理解できない。あなたの生活に何の影響があったというのだろう。どうせ3日そいつの顔が出なければ忘れるだろうに。
 そう考えるに、人の死の意味は「それはどれだけ多くの人にとって、どれだけ痛切にその人の不在が「欠落」として感知されるか」(by内田樹)ということになるのだろう。それなら私の死の意味はゼロだ。死んだところで対した影響はあるまい。
 
 だからどうした。生きる理由など必要ない。悲しんで欲しいとも思わない。

そもそも人一人の命なんて大したことないよ。セカイ系の作品に出てくる、誰かの犠牲で救われる世界などあり得ない。
自分自身が死んだあとの世界も、今日と同じくらい下らないだろう。
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