金沢文庫蔵の真言立川流聖教の和訳紹介

皆さんは立川流に関する通説が全く間違っている事をご存知ですか?鎌倉時代の史料を使ってその事を明らかにします。柴田賢龍

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金沢文庫蔵の真言立川流聖教の和訳紹介(結語)

2008-03-13 16:18:24 | Weblog
(「金沢文庫蔵」とあるのは正確には「金沢文庫保管重文称名寺聖教」の事です)


20. No.6255「伝法灌頂阿闍梨位事」
伝法潅頂阿闍梨位事
昔、大日如来の金剛胎蔵両部界会を開き(中略)。小僧、数年の間、求法の誠を尽し、幸いに先師浄月上人随いて重々の印可を蒙り写瓶の誉れを得。後に頼賢阿闍梨の所に於いて重ねて具支潅頂の印璽を受く。今授くる所は是なり。爰に審海大法師には先に上人の密印許可等を授け、今伝法職位を授与して次後の阿闍梨と為す。後哲に示さんが為に記して之を授く。能く五塵の染を洗い、八葉の蓮を期すべし。是れ則ち三世の仏恩に酬い、一世の師徳に答う。吾が願は此の如し。余念すべからず。
  文永元年四月一日乙巳 大法師審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:建長六年八月から始めた潅頂法伝授の最後を締め括る印信(紹文)で付法状とも云える。印明の印信と血脈を欠く。意教上人頼賢のことは別篇(ブログ)で詳説する。
以上見てきた仁寛(蓮念)方印信の中、仁寛の時代すなわち白河院政期まで遡るものは多くないと考えられるが、何れにせよ仁寛をいかがわしい邪教の祖とする説こそいかがわしい事がほぼ明らかになったと思う。
金沢文庫には慈猛が審海に授けたもの以外にも多くの立川流(仁寛方)印信がある。それらには時代も下がりより自由な風を示すものも見られる。

21. No.6254「檀上灌頂心法心血脈」
無相極位至極檀上潅頂色心二法心法心血脈相承印信次第
夫れ即身成仏は是れ色心二法より心法心法を覚悟して法然の道理を証する覚位なり。心法心法を覚れるを如来と名く。如来とは即ち大覚を証せる位なり。色心二法を召入如来寂静智と名く。即ち大覚を証する位は即ち如来にして、如来は即ちアア(原梵字)等なり。アは即ち諸仏の父母なれば諸仏も亦た衆生なり。色心二法より虚空を生じ、周遍して法界を照らす。法界衆生より心法を生ず。心法体作は是れ諸仏の総体なり。諸仏の総体は亦た是れ衆生の総体なり。衆生の総体は即ち諸仏の総体なり。故に凡地の帰処の総体と云えり。凡地とは法界にして、法界とは心法心法なり。凡地より体を生じ形を作れるを色心二法と云うなり。亦た凡地とは一切総体の冥合して総体より総体を生ず。即ち心法心法なり。故に即身成仏とは毗廬舍那如来の肝心を顕し、金剛薩埵所修の道法とは龍女なり。龍猛とは龍女の子息なり。龍智は即ち彼の龍猛の舎弟にして釈迦末代の法命たり。次に龍女の色心色、心法心法を符属す。是の如き心法の符属とは、色心二法は内外の肝心、心法心法の口伝を龍女に授く。龍女と云うは即ち金剛薩埵なり。此の潅頂を檀上潅頂と名く。檀上とは、彼の龍女、卍字より龍猛を生ぜる処を檀上と名く〔云々〕。
  相承次第
大日如来  (中略)  成尊僧都  範俊僧正  勝覚僧正  蓮念阿闍梨  見蓮聖人  阿鑁阿闍梨  鑁吽阿闍梨  憲海
 此の如く師資相承は明鏡なり。末葉、之を記すのみ。
金剛界 智拳印〔加持四所〕 ア バン ウン タラク キリク アーク (原梵字)
胎蔵界 理拳印〔加持四所〕 バン ア アー アン アク アーク (原梵字)
理智冥合印 卒都婆〔加持四所〕 ア バン ラン カン ケン ウン (原梵字)
  弘長二年五月十八日
         授者仏子憲海
 阿闍梨伝燈大法師位鑁吽、之を示す

コメント:弘長二年(1262)に鑁吽が憲海に授けた新案の潅頂印信。当時の真言界に於ける思潮の一端を示して興味深い。 

22. No.6330「舎利灌頂印信」 (端裏書)
舎利秘法〔深秘潅頂〕 一印一真言〔弁備の次第は常の如し〕
此の法は潅頂なり。
 印は無所不至印なり。但し二火(中指)を交えて内に入れよ。即ち印を成ず。明に曰く、
  アーンク バーンク (原梵字)
口伝に云く、風(人差し指)は五輪塔、二火(大の誤写)は廓、二地・ニ水(小指と薬指)は光、二火は釈迦の舎利なり〔云々〕。又た云く、二火は浄飯王と摩耶夫人の和合せる赤白二諦()の身骨なり。是を釈迦の身骨と云うなり。此の尺迦の身骨は即ち自性身の身骨なり〔云々〕。之を以て意を得よ。
(中略)
 是れ即ち秘々中、深々秘中の秘法なり。
 弟子一人の外は之を伝受せず。穴賢々々。
  建治元年七月廿七日 弟子女仏
伝燈大法師位 了印、之を示す

コメント:No.6315~6331の十七通も亦た仁寛(蓮念)方の印信であるが、慈猛が審海に授けた分と大に異なるものがある。此の事は鎌倉中後期に阿闍梨の意楽によって新案の印信が多数作られた事を如実に示している。その中でも上の建治元年(1275)に了印が女仏に授けた印信は特に珍奇なものである。口伝に性的表現が見られるけれども、此の様な観想と実際に性的儀礼を行なう事とは全く別の問題である。


<結語>
冒頭に記した心定作『受法用心集』は、
問う。近来世間に内の三部経となづけて目出たき経ひろまれり。此の経、昔は東寺の長者、天台の座主より外に伝えざりけるを、近比流布して京にも田舎にも人ごとにもてあそべり。此経の文には女犯は真言一宗の肝心、即身成仏の至極なり。
という書き出しで始まる。(本書は守山聖真著『立川邪教とその社会的背景の研究』附篇に載せる)
心定は「立川の一流秘書」を皆伝していたが、建長二年(1250)に越前国赤坂の新善光寺に於いて「立川の折紙ども」の中に「内三部経菊蘭の口伝七八巻」が交っているのを見て不審に思った。注意すべきは『受法用心集』の中で「立川」流なる語が出るのは此の二箇所だけである。
翌年上洛した時に計らずも「彼の法の行者に遇いて経書をうつし、秘伝を書きとる」事ができた。その後心定は空観上人如実の弟子と成り、此の内三部経について尋ねた所、名前も聞いたことが無いという返答であった。思案の結果、心定は此の内三部経の法門を批判する為に本書を著したのである。
心定によれば此の「三経一論の相承血脈」は、
大師  観賢  淳祐  寛空  寛朝  雅慶  済信  深覚  仁海  成尊  信覚  範俊  覚法々親王  寛助  寛信  聖恵法親王  厳信
なる奇妙なものであった。長くなるので説明は省くけれども、醍醐の勝覚・仁寛(蓮念)が記されていない事に最も留意すべきである。即ち此の事から「内三部経流」と立川流(仁寛方)とは関係無い事が分かる。
次に宥快の『宝鏡鈔』で問題となるのは、
一説に云く、醍醐三宝院権僧正(勝覚)の弟子〔僧正の舎弟〕に仁寛阿闍梨〔後に蓮念〕と云う人あり。罪過の子細あるに依って伊豆国に流され、彼の国に於いて為渡世具妻俗人肉食汚穢人等授真言為弟子
なる一説の漢文で残した部分である。是は、
渡世の為に具妻の俗人、肉食汚穢の人等に真言を授けて弟子と為し
と和訳すべきであろうが、仁寛が「渡世の為に妻を具し」等と解するのが定説になっているらしい。是も再考を求めたい。
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