石ころ

もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

暑中お見舞いもうしあげます

2017-07-31 22:26:22 | Weblog


 日曜日は花火を見た。
いつものようにド~ンを聞くまで動かなかったけれど、やはり音に誘われてぶらりと出掛けた。
むっとした部屋を出ると外は幾らかの夜風が心地よく、橋の下から吹き上げる風は体の芯に籠もった熱までさらっていった。
ド~ンと広がる火の華を・・パラパラと散る火の粉をぼ~っと眺めた。

 今日は涼しい部屋に閉じこもって食べたいものを食べ、ゴロゴロと好きなことをしていた。
少しのみことばと、大量の飲み物と、甘くて冷たい食べ物。またyoutubeで聞きたいメッセージを聴いた。
「主に在って・・」という上等なものではなく、今私は「主に寄生している」みたいだと感じた。

血圧は低いがもうそろそろ慣れて平気だと思っていたけれど・・、時々ふらっとして頭痛がするので、「これはひょっとすると熱中症かも・・」と思ったのだ。
「老人は感覚が鈍いから・・」とテレビで聞いた時、「そんなことないやろう」と思っていたのだけれど・・そんなことがあったのかも。

今夜は半月が金色に輝いている。
明日も暑くなりそうだ・・。

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絞りの布団

2017-07-26 23:53:38 | Weblog



 私が祖父母に引き取られたのは、母を亡くした中学二年生の終わり頃だった。
祖母はまず私に自分の布団作らせた。布と染料を買って来て、絞り染めを教えてくれた。

大仕事だったように覚えているが染め上げて糸を解き、初めて見た絞りの藍と白の大きな花や小さな鹿の子に、とても感動したことを今も覚えて居る。
彼女は、その大きな布を布団に仕立てさせ、綿を入れて綴じることまですべてを私にさせた。手を貸してはくれたけれど・・。

 私は藍色のその布団に眠むるとき、小さな自信のようなものを感じていた。それはどれほどにか・・慰めであったと思う。
祖母は、体を動かして生きるという力をを与えようとしたのだろう。それは楽しいことだ自信を持って生きよと。

彼女は、そう長くは面倒を見られないことを、感じてのことだったのだろうと思う。私が中学校を卒業するなり亡くなったから・・。
病がちの祖母には、教えることはしんどかっただろうと今は察することができる。

 結婚して私は家族の布団は小まめに作り直した。綿を打ち直し洗濯をして作り替え、また着物を解いて布団に仕立てることもあった。
綿の入れ方だけは、打ち直し綿を持って来てくださった布団屋さんに直接習った。それからはぐんと美しく仕立てることができるようになった。

今では羽毛になり、敷き布団も家で作り直すこともない物になった。
それでも、時々祖母に教えられた青い布団が懐かしくなる。世界で一つの私の布団が・・
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スマホと私

2017-07-23 22:32:35 | Weblog


 息子からスマホが支給されている。でも・・世間狭い私には大した使い道もない。
もっとも、まだ使い慣れていないということもあるのだけれど・・、長年使って来たpcだって決まり切ったことをするだけだから。

嘆いているわけでもないけれど、ラインを覚えても使う相手も家族止まり・・、彼が渡してくれたのは緊急時のためだということで、そのありがたみは何時か経験するのかも知れないけれど・・。
ただ、トラブルに対して写真付きで説明したり、記録も残るので、やりとりの中で教わることが楽になった。


 イエスさまにはスマホもラインも要らない。心の中でふっと思うだけ・・そっと「イエスさま」と囁くだけで通じてしまう。
このような自分自身を目の当たりにして、心の貧しい者とは私のことらしい・・と改めて認識した。

私にとって一番辛いことは霊的な圧迫を受ける事。それが何よりも辛くて、イエスさまとひとりで居ることは楽なのだ。
今までは、辛いことをずいぶん平気な振りをして耐えて来たけれど、今は「我が儘させてもらっているなぁ・・」と感謝しつつ・・もう無理はしたくない。せっかくイエスさまに逃げ込んだのだから・・。

あなたは弱っている者の砦
貧しい者の悩みのときの砦
嵐の時の避け所
暑さを避ける陰となられたからです。(イザヤ25:4)
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ミミズが三匹

2017-07-22 17:36:56 | Weblog


 レタスを植えていた植木鉢の土を、黒いビニル袋に詰めて再生しようと鉢をひっくり返したら・・わっ!ミミズが三匹・・いや、もっと出て来た。
かなり・・気持ち悪い。でも「ミミズは土再生の味方なのだ」と自身を説得する。だからどうしよう・・とおろおろ。計画が完全に狂った。

引けた腰でスコップを握り、そっとミミズごと掬い取ってミニミニ畑に入れた。この土の再生は諦めた。ミミズがふえるほど良い土なのだろう・・たぶん。

 昨日の作業で、古土と水を入れたビニル袋をさわってみたら、焼けどするほと熱くなっていた。これで病原菌も害虫も全滅だろう。再生用土を足して再び使える。何を植えようかな・・。プランターもスタンバイしている。

 朝顔が蕾をつけない。
調べたら夜間明るいことが原因らしかった。昨夜外に出て見ると、確かに二基の外灯に照らされていた。今年は気合いを入れて絞り咲きや色も揃えたのだけれど・・仕方ない。
防犯としては、家の前が明るいことは有り難いことなのだから・・。
もう少し様子を見てみよう。あるいはなんとかやり繰りして少しは咲いてくれるかも・・。

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逢魔時

2017-07-21 10:43:14 | Weblog



 ふっと不安になることがある。
キリスト者にとっては、キリストではなく人に従っている場合に不安になって当然だと思うのだが、みことばのみを頼りに生きていて「お前は間違っている」と言うささやきを聞く瞬間がある。

私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。(ダニエル3:17~18)


私はこの啖呵が大好きだ。この告白から力を得ることが出来る。そう、たとえ間違っていても、それを許されたのが主であるなら「上等だ!」ってこと。

実に問題はいつも大仰にやってくるけれど、主に在ってはただのこけおどし。
だから脅す声を聞いたら、みことばのホームポジションに駆け戻り、主の砦に飛び込む。

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブル13:8)新共同訳

決して心変わりなされないお方に、何時でも逃げ込める者の幸いである。
私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。(Ⅱテモテ2:13)新改訳

 私の悩みも結局は火の粉一つ浴びることはなく、覚悟したものが傷つくことはなかった。
そう、捧げものイサクは傷付けられることなど無かったのだ。捧げられて主のものとなったものは主が守られるのだ。

火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。(ダニエル3:27)新改訳

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花のいのち

2017-07-20 11:37:00 | Weblog


花のいのちは、
灼熱のうちに燃え尽きて

ハレルヤ、ハレルヤと色あせてゆく
美しや

もう充分
私はとても満足です。
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世の悩み

2017-07-18 15:15:59 | Weblog


キリスト者も世に生きているかぎり、世で発生した問題の火の粉を浴びることになる。
今そのことに直面している。

「思い煩うな。駆け引きするな。権利をすべて主に委任せよ。
そうして、それを主への捧げものとせよ。」と教えられた。

聖霊が導いてくださった平安の根拠は、「問題は捧げものとして昇華させることができる。」ということであった。

世に生きる世の悩みは、キリスト者には祈りによって神様への捧げものとなる。
世に尽きる事のない悩みがあることは、神様への捧げものが尽きないことでもあり、それはすばらしいことであった。
捧げものに事欠くようでは、神のための祭司も何もできないのだから・・。

蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。(Ⅱコリント9:10)
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贅沢

2017-07-11 21:15:04 | Weblog


 我慢強く待っていたグラジオラスが咲いた。純白や黄緑、濃淡のピンクのフリルも可愛く、ビロードのような深紅の大輪・・色とりどりに咲いてくれた。
鉢植えなのに背がドンドン伸びて、倒れないようにって付きっきりで世話をした。

今日、夕立の後ばっさりと切って花瓶に入れた。わ~お豪華!
カメラマン不在のため写真は無い。目で見た限りの贅沢・・ふふふ
部屋に居ながらにして美しいものを見ている。長い間待った花の短いいのちの贅沢。

 食べ歩きに興味はない。もう、最近は何でも残してしまうので無駄だ。
買い物も欲しい物は無い・・。
「この老いぼれに何の楽しみがありましょう」みたいだけれど、ハラハラと自分で育てた分の美しい報酬を楽しんでいる。

もうすぐ、色とりどりに朝顔が咲くだろう・・それは夏休みの花。
今はチョコレートコスモスの苗を、夕立にハラハラしながら見守っている。
ヒグラシが鳴いていた。
炎熱の陽が落ちて、ひんやりとした風は部屋にクチナシの香りを連れて来た。
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神の選びによって

2017-07-05 15:45:58 | Weblog


 人が初めて聖書に出会って祈るようになった時には、神様はその祈りを通して誰にでも、平等にご自身を現してくださる。
このことは、イエスさまを伝えた時に経験したことである。祈りは聞き入れられて悩みは取り去られ祝福されるのを見た来た。

ただ、人はその願いが叶った事に満足すると、神頼みの必要が無くなってしまうのである。その人々の神とは、目の前の悩みを解決するためにだけ必要だったのだ。

イエスさまに願って十人の病人が癒されても、感謝をするために戻って来たのは一人であった。しかし、癒された事だけで終わったら、何百回癒されても死という滅びが待っている。
それは、その人の内に癒し主なる神さまに繋ぐ、キリストの信仰が備えられていないからである。

 しかし神のわざを通して、イエスさまのお言葉が真実であることに気付いた者は、叶えられた出来事よりも、願いを叶えてくださった方、また生きて働くみことばに対して目が開かれて行くようになる。
それは内におられる聖霊の導によることである。

その人は、良い事も悪い事もすべてを通して主を見上げるようになり、すべてのことに置いてみことばの保証を求めるようになる。
つまり神様とのコミュニケーションを求めるようになるのだ。

神様に選ばれた者は目の付けどころが違うのである。故もなく賜る祝福に驚き、感謝をもって主を見上げるようになり、すべてを内に居られる三位一体の神様との交わりとするようになる。

それによって、平安が持ち去られることのない神の神殿として堅く建てられて行くのだ。
最上のたまわりものは平安である。証しするものは世には無い平安である。

 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなた方を任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなた方の実が残るためであり、また、あなた方がわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなた方にお与えになるためです。(ヨハネ15:16)
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日本人なんだなぁ・・

2017-07-03 15:10:45 | Weblog



 昨日は、二階座敷での尺八と三味線の風流な時間を楽しませて頂いた。
閉じこもりの私は、申し込み期限の直前までためらった末に、勇気をふるって申し込んだのだ。バイクで行ける距離は願ってもないチャンスだったから・・。

初めて生で聞く尺八は、知っていると思っていたものとはまったく違った。
それは飄々と心の中を通り抜けてゆくような心地よい音色で、思わず目を閉じてゆったりと受け入れて、ああ・・私はこの音をずっと昔に聞いていた・・と思っていた。

三味線はなんと強い楽器なのだろうと感じた。その音色は情感が豊かで、人の苦悩や喜びが宿っているように思えた。
それは、猫や犬の皮がつかわれていることと繋がっているのではないか・・と後で気付いた。

アダムが罪を犯してエデンを追放されるときに、神様が着せてくださった毛皮の衣を思い出させる。命という代価を支払われなければならないものは、木や竹で作られているものとは確かに違っているのだと・・。

でも、なんとも魅力的な音であった。きっと大きなホールで聴くと違ってしまうだろう・・、これはとても贅沢だけれど、お座敷で近しく強い響きを聴くものなのだろう。

 トルコのめずらしい楽器や歌も聴かせてくださった。たぶん・・その家のご夫婦と思うけれど忙しくもてなしつつ、ふっと楽器を持ってきて豊かに歌い奏でておられた。その自然体が感じ良くて・・、心に鍬がいれらてちょっとやわらかくされたみたいだ。
ふふふ・・勇気を出して出掛けて良かった!
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