石ころ

もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

御手の中で

2014-09-28 18:48:53 | Weblog


 やわらかな秋の陽射しが射し込む中で、そよ風を受けて「ああ・・気持ちええ」って、大の字に寝ている主人。
「まるで、イエスさまの絵みたいね。」と私は言う。
十字架なしのイエスさまみたいだから・・。十字架はイエスさまのもの、恵みだけ頂いたんだね。

私は、イエスさまを覚えて安堵する。部屋の中に挿した金木犀の香りが感謝の余韻のよう・・

 お医者さんが言われた、
「なんでしんどくないのか、わしにはそれがわからん。普通の人でもあれだけ寝ていたらしんどいでしょう。」
看護婦さんも「我慢しないで言ってくださいね。」と繰り返し言われるけれど、主人は穏やかに「いいえ。大丈夫です。ありがとう」と言うばかり・・。

 もう、水も飲めなくなってきた。毎日の点滴だけ・・。それでもお手洗いには畳の上から立ち上がって行く男前。
イエスさまの力が支えてくださっているのだね。ずいぶん我が儘を聞いて頂いて居るね。
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永遠へと続く時を刻む

2014-09-23 15:49:25 | Weblog


 主人が、9月16日未明に下血による大出血を起こして、救急車により医大病院に運ばれる。その後も悪性リンパ腫からの出血が止まらず、緊急に血管をふさぐ手術を受ける。医師より「家族の方を呼んでください」と伝えられる。

後に、体の4分の3の出血があったこと、輸血により保っているが何時また出血するかわからない状態であると言われた。
横浜から駆けつけた息子にその夜は付き添ってもらって、翌日行くと主人の様子が様変わりしていた。

下血の後始末のために時間がかかっていたこともあって、病院に行くのが遅くなったことも主人には良くなかったと思うが・・
床上安静を求められるもトイレに行くときかず、幸い輸血は終わったばかりであったけれど、自分で点滴の管を抜き治療が困難な状態になる。

主人は、自分の言葉を無視されることをとても嫌う。言葉が通じないような苛立ちがあったのだろう・・。「動かないで・・」と押さえつける私に、「お前だけは信じていたのに、裏切るのか」という言葉はとても悲しくて、主人にとって今一番大切なことは何だろう・・と泣きながら考えた。

 医師は説明を繰り返してくださった。私の身も案じてくださったが、「主人はもう元に戻らないのでしょうか」と尋ねると「家に帰られたら戻ると思います」と言われたので「では帰ります」と言った。

帰ることがどれほど非常識なことであり、危険かを話してくださったけれど私の心は決まっていた。
縛って治療する方法も薬によって静かにさせることもあるが、この状態でそれをするとどうなるかもわからないとも聞いていたので、形相を変えて不安の中に居る主人にそんなことはできなかった。

病室ですべての管を抜かれた主人は、私を見ると「服を着せてくれ」「ズボンを履かせてくれ」と言ったのでその通りにする。さっさと出て行く後を財布だけ持って追った。

迎えに来てくれる息子を、「玄関で待つ」と言って階段をどんどん下りて行く。
途中で疲れたら戻ろうと思っていたけれど、7階から1階まで一気に下りてしまった。
誘うと玄関の椅子に掛けてやっと落ち着いたので「此処で待とうね」と何気ない会話をし、コーヒーショップに誘ったりして時間稼ぎをする。

もし、息子を待ちきれずに外に出て行くなら一緒に帰ろうとも思った。途中でどうなるかわからないけれど、離れることはできないから。
息子が医師の説明を受け、一晩の外泊許可を貰ってきてくれた。帰って様子をみるしかないということだった。

 タクシーの運転手さんが「長い間入院していたら、そら帰りとうなりますなぁ」と言ったので、「来たばかりなんです」と答え「そら、辛抱無いなぁ、普通2週間は辛抱しまっせ」と言ったとき誰もが笑った。
一体この非常識な明るさは何なんだろう・・と思いつつも、主人の解放感を一緒に味わっていたのだ。

翌日、医大に息子が行って退院手続きをしてくれた。そのとき「本当は家庭で看取ってあげるのが一番良いのです。」と言ってくださり、「何かあったら電話をするように」と言ってくださったという・・、非常識な行動に対して寛大でいてくださったことは有り難かった。

近くのお医者さんに紹介書も書いてくださったので依頼に行く、「往診による点滴を毎日と書かれていますが、毎日はできません。」と無理な依頼に困惑される先生に伏してお願いをする。
それでも引き受けてくださって、駄目と言われていた土曜日も祝日も来てくださっている。

 主人は家に帰るなり、すっかり落ち着いてまったく普段に戻っている。まるで病院のことが嘘のように、協力的で私を気遣ってくれる。トイレにも自分で行くので特に手がかかるわけでもなく、嫁さんが連れて帰ってくれた孫達を嬉しそうに眺めている。

息子も一週間以上仕事をやり繰りして一緒にいてくれ、不安がないように訪問看護の手続きなどもしておいてくれた。嫁さんは「何時でも困ったことがあったら、すぐに来るから電話をしてね。」と言ってくれた。
彼らはぎりぎりまで爺ちゃんと話し、笑わせて「また、来るね。」を繰り返しながら帰って行った。

 今、淡々とした時間が流れている。これがどんなに大切な時間なのか・・少しは分かっているけれど、実際は一ヶ月前と同じであり一年前と同じように話している。いや、少しは優しくなっているかな・・、互いに相手がどれほど大切であるかが、かってなく身に染みているから・・。
食事は出来ない主人、その命が何で保っているのか・・イエス様のくださる力なのだと知って居る。

イエス・キリストを信じる者のいのちは永遠に生きる。体は塵に戻っても霊は完全な新しい体を得て、主と共に永遠を生きる。
死のことは主人が元気なときに話した。だから今は生きようとする力を応援している・・、といっても何ができるわけではないけれど・・。

この世に生きることも、御国に行くことも結局キリスト者には同じ事、どこででも主により生きるのだから・・。それは今の続なのだ・・、
それでも、胸を締め付けられるときがある。それは父なる神さまも味わってくださったことであった。

どうぞ、みこころがなりますように。主人を御国への望みに満たしてくださいますようにという祈りを抱きつつ・・。
しかし、実は今はそれほど祈っても居ない。すべてを支配しておられる主に、主人ぐるみで安息しているから・・。
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病の鎖

2014-09-13 13:16:21 | Weblog



 昨日は、夕食前から主人の容体が急変し「しんどい」と食事もお風呂も駄目になっていまった。
深夜には熱も38度以上になったけれど、解熱剤はなるべく使いたくないので様子を見ることにして「あ~ちゃんのだよ」と、孫の熱さまシートを貼ると「冷とうて、気持ちええ~」と少しホッとして・・
明け方には少し熱も下がり「ちょっと楽になった。」と言った。具合が悪い時は、「今、あの抗がん剤が必死に戦っているんだろうね。」と言って二人で納得することにしている。

状態があまりにコロコロ変わるので私はお手上げだけれど、雀の一羽さえも主に知られずに落ちる命はないのだから、信頼するイエス様におまかせしよう・・それも、オタオタしながらだけれど。

 回覧板を回すために外に出たら、カラッとさわやかな秋空だった。
先ほど、半熟卵と野菜スープ粥を少々食べて、「ええ、天気やなあ・・」「秋は色が違うね、秋色だよ。」って話したけれど・・。そのひとときは病気も「タイム」


 霊の賛美をしていたら、獄屋のペテロの賛美が浮かんできた。主人の病の手かせ足かせを解いてくださるようにと、閉じ込められている病からの解放を思い描いていた。「ああ、肉を責める鎖がパラリと解かれますように・・」と・・。

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リツキサン療法を受ける

2014-09-12 16:58:25 | Weblog




 治療前日に38度以上の熱が出た。どうなることかと・・あれこれと心配をしている内に、私には何も出来ないことを知った。
「どうすればよいのか私にはもうわかりません。明日のことはすべてよろしくお願いします」
イエス様にまる投げのお祈りの後眠ってしまった。
朝には37度程度まで下がっていて、主人が「運転は大丈夫、治療してくれるかどうか分からんけど行こう」ということで出掛けることができた。

 外来科学療法室は、同じ病院とは思えないほど雰囲気が違っていた。
クラシック音楽が静かに流れて、明るく広々としており、パリッと真っ白なシーツの快適なベット。
今まで見たこともないほど行き届いた目配り気配り・・、お医者さんの丁寧さ・・、何重にも安全に配慮された手順・・。
パンフレットによって見学歓迎が病院の中にもある事を知って驚いた。

初回は副作用が出ることもあると言うことで、特に細やかに面倒をみてくださっていた。点滴はゆっくりと始まり順調に進んでいたので1~2時間ほど主人の様子を見た後、「上手く行きそうだ・・」と気を緩めて席を外して戻ると、主人のベットの周りが忙しそうだった。

看護師さんがすぐに説明してくださって、「ご主人が寒いと言われていて、副作用の可能性がありますからちょっと中断しています。様子を見て続けるかどうかを決めます」とのこと。主人の指先が震えているのを見て事態の異常さを知った。

結局、中断の後ゆっくりと治療は続けられ、4時間の予定が5時間で初回の治療は完了した。昨夜はずいぶん汗をかいて、二度も着替えたけれど今朝は元気。

 今日はかかりつけ医のところへ点滴を受けるために出掛けて行ったので、私は久しぶりに霊の賛美と異言の祈り・・詩編を読むひとときをもつことが出来た。
入院していればこのような時はないだろうし、何よりも主人自身が、今のペースを保つことが出来るかどうかわからない。

歳を取ると運転も続けていないと出来なくなる可能性があるし、不自由な家の中であれこれと面倒なことをしているほうが、機能を維持することができると私は思っている。
医大に通い出して主人の運転は上手くなった。それは良いことだと思っている。同じ道を往復しているだけだけれど、以前は狭い駐車場に入れることを恐れていたが、今では慣れて上手くできるようになった。片道40分の旅だけれど続けられることは感謝だ。

今日は舌の感覚も戻ってきているようで、昼食のお好み焼きを、「美味しい」と半分も食べてくれた。抗がん剤治療が2週間のお休みがあって良かった。主人もそうだけれど、私のほうがいっぱい一杯だったから・・。

畑を見に行って、あきらめていた茄子やミニゴーヤ、葱などをとってきてくれた。ありがたいことに獣から守られていたという・・。
「ちょっとしんどくなって休んでいた」というけれど顔色は良くなった。動けるなら動いた方が食事も進むし筋肉の衰えも取り戻せるのだから。

 祈祷会で祈って居て下さる方、ブログのご縁で祈って下さる方々・・、多くの祈りに支えられて私たちはとても幸せ者だと主に深く感謝するばかり・・。
明日は息子も帰ってくるので何かごちそうしよう。


御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。
主にほめ歌を歌え、シオンに住まうその方に。国々の民にみわざを告げ知らせよ。(詩編9:10~11)
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月にむら雲

2014-09-10 15:19:59 | Weblog



 眠れなくて・・そっと窓を開けて空を見る。むら雲に月は覆われて・・にじむような月明かり、満月なのになぁ・・。
「大丈夫?」って言われたとき、「何もしていないから・・」って何時もいつも答えて、自分でもそう思い込もうとしていた・・。

 今日は医大での診察日、2週間の抗がん剤投与を済ませて、明日より2週間のお休み。
主人はそれを期待していたから、その言葉を受けて元気を回復した。
肝臓の数値が悪くなるなど気がかりなこともある。ろくに食べられなかったし・・弱っていることは事実だから色々出てくる。

 診察後「食事をして帰ろう」と言った主人は、食堂では「おいしい」を連発して食べる。量は少ないけれど、私はその言葉がほんとうに嬉しかった。
しかし、夕食に薄切り肉をサッと焼いて大根下ろしとゆずぽんを掛けて出した所、ほとんど手をつけてくれなかった・・。

落胆で捨てる手がつい荒っぽくなってしまった。主人にもどうしようもないことはよくよくわかっているだけに、なんともやりきれなかったのだ。
病院の食堂でたいして美味しくもなかったものを「美味しい」といったのは何なんだって心の奥に愚痴があふれる。

朝早くに起きて準備したものも全滅だった。
それには主人の緊張が感じられ、私の「食べてほしい」という気持ちが圧迫となっているのかな・・。夫婦って何も言わなくても感じてしまうという不自由さがあるから・・。
水茄子を見て「美味しそうだ」と言っても一口だけだった。


 今日は、地域のかかりつけ医の所へ付いて行って、今までの報告をして点滴をしてもらう。これからは、肝臓のための点滴に隔日に通うことになる。
明日は医大で、点滴による抗がん治療だから朝早くに出掛けることになる。
家でいつものように生活することができるのは幸せなことだけれど、それはそれで本当に知恵がいると思った。良いリズムが出来上がってほしい。

プロはいつでも自分にできるかぎりのものを提供する。その結果が完食であっても、手をつけてもらえなくても、そのことに一喜一憂することはないだろう。
一々喜んだり悲しんだりするよりも、常に最善を尽くすことが仕事だから、ドラマででもなければ感情なんか持ち込まないだろう。
私もそのように切り替えることができたら、主人も気が楽なるのかもしれない。


主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。(詩編5:12)

正しい者とはイエス様以外にない。
イエス様のあがないによって正しいとされた私たちを、主は、大盾で囲むようにして、愛で囲んでくださっている。
私がどのように感じる時であっても、私の目が閉じていて映らないとしても、主の愛に囲まれているという事実が此処に書いてある。
ハレルヤ!!
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夕焼け

2014-09-07 18:47:34 | Weblog


空はため息が出るほどの茜色
お父さんの車も茜色 主が染めてくださったからそれは高級車

夕暮れの花嫁衣装 ふわりと掛けられた甘い色
私も主に似せられて 高価で貴いのです

ひとときの色は暮れ落ちて・・
いつしか集く虫の音

永久に嫁ぐ日を 待ち焦がれます
我が内に居ます主よ 主の内にある私 
ああ・・今もひとつでした

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抗がん剤投与11日目

2014-09-06 23:54:45 | Weblog




 長男より電話あり・・、主人の介護など気がかりなことを話しただけでなんとなくホッとする。
「大丈夫か」と言われて「私は大丈夫。別に何もしていないから・・ただ、初めての経験だから、どうして良いのかわからないときがある。」
「それは、誰でも初めての経験やろう。」と言われ笑ってしまった。確かに・・誰でも初めははじめての事だね。

次男がブログの不始末を修理してくれた。さくらブログを安易に終了してしまって、そこから取り込んでいたgooブログの写真が消えて居たことに気付いた時、後悔でとても悲しくなったから・・ホッ。ありがとう。

実はさくらブログを終了するとき彼と口げんかをしていた・・、それはちょっとしたコミュニケーションの行き違いだったけれど・・。
私が意志を押し通した結果、時間を潰させてしまうことになって申し訳ないことをしたと思っている。私は修復できることも知らなかったのだけれど・・。強がっていても、みんなに助けられているのだ・・。

 主人のために何かしているように思うときもあるけれど、じつは何も出来ない。主人は自分で何でも出来るし、ただ食事を作ることだけは私のすることだけれど、これがなかなか思うようには行かないから・・。

抗がん剤の副作用で味覚異常に悩んでいる主人に、満足のできるようなものを作ることはできない。美味しいものを作ることができないのだ。
好きだった甘い物は気持ち悪いというほど受け付けなくなった。異常に味に敏感であったり、飲み物すべて水さえも不味いという・・。

美味しそうだと言って箸を付けても、一口で顔をしかめて終わりになる。悲しそうに「なんで・・」って言いつつも、申し訳なさそうにするから、
「仕様がないよ。薬の副作用なんだから。一口でも食べられて良かったよ。」と、惜しむことなく捨てることにしている。置いておくと主人の負担となり、私の未練になるから・・、この魚高かったのに・・なんてね。

 しかし今夜は、サンマの焼きたてに目の前でジュンと大根おろしを添えたら飛びついて、サンマ半身をほとんど食べた。ヤッタね。
わざわざ買いに行った甲斐があったというものだ。
まあ、その食事のタイミングも少しじらして用意したのだけれど・・。知恵をくださいと祈りつつ祈りつつしたこと。

痛みは全くないのだから、体のだるいことや少々の不快感は我慢してよ・・と思ってしまうこともある。
しかし、私には何もわかってはいないのだろう・・。
体調は猫の目のようにかわる。

今日お向かいのご主人とちょっと立ち話していた。彼は胃癌の手術をしておられ、「その痛みは経験した者でないとわからん」と言われたそうだ。
経験しなくて済んでいることに心から主に感謝をした。一時ちょっと痛みがあったけれど、それはまるで「すぐに治療をしなさい。」と時を急かせるしるしのようで終わったから・・。

先のことは何もわからないけれど、イエス様と共に居ることという確信があるから・・。主が背負って運んでくださっているのだから、これほど確かなことはない。


あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(Ⅰコリント10:13)

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お知らせ

2014-09-06 11:47:19 | Weblog



過去の記事のうち、さくらブログより取り込んでいた写真が消去されてしまいました。
8月31日にさくらブログを解約したのですが、それ以前に移しておかなかったことによる私の手落ちです。

よく考えなかったことの失敗です。
お詫びいたします。

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息子から
只今、元の画像ファイル名から再構築中
2014年度分、ほぼ修復完了
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抗がん剤投与一週間目

2014-09-03 14:00:22 | Weblog



 医大では、血液検査の結果が出るのをしばらく待って呼ばれた。
「腎臓の結果も悪くないので、このまま続けて薬を飲んでください。痛みがなくなったのはそれだけ小さくなったことなので良かったです。ぎりぎり間に合いましたね。」と今まで見たこともない医師の笑顔で言われた。

主人はその笑顔で一変に元気になった。人の顔色がとても気になる人だから、今までのぶっきらぼうな感じが不安だったらしい・・。その夜は豚しゃぶを5枚も食べた。
しかし・・私は再々言われる、ぎりぎりという言葉が引っかかるのだけれど・・。

お風呂から出た主人は「それでは休ませて頂きます。今日はありがとう。」なんてふざけながら言う・・それも毎日。その時たいがい私もふざけるのだけれど、主人にそのような余裕があることが本当に感謝なのだ。
そうして万事に大雑把な私は教えられる。いくら親しくてもきちんと伝えることの大切さを・・。

 でも、昨夜は失敗をした。牛乳を飲んだ直後だったのに、大丈夫だろうと下剤を勧めてしまった。忘れては困ると思ったこともあったのだけれど、夜中にお腹が痛くなって眠れなかったという。朝もかなり憔悴していた。原因が下剤とわかった少し安心していたけれど・・。

数日前から、日々の介護の詳細を記録するようにしているが、本当に細やかに基本に忠実でなければ・・と今朝は反省しきり。そのせいで主人は朝食はあまり食べられなかった。
頑張らなくても良いけれど細やかであることは重要なこと、それは私の一番苦手なことだけれど・・。

 妹が昨夜の電話で「ひとりで負わないで、助けが要るときは何でも言ってね。」と言ってくれた。「まあ、それほど負ってはいないから大丈夫だよ。あんたこそ健康に気をつけてね、支え棒の心配まで増えたら困るから・・」なんて憎まれ口を叩いたけれど、何となく今まであった隙間が一気に縮まったようで、「ふ~ん、そういうことか・・」って、ちらっとイエス様のご計画を垣間見たような気がした。
彼女もイエス様の救いを必要としている。しかも年が年だからそれほど時間がないのだ。

人は苦しみの中で産まれ来て、それぞれの死を味わうことが決められている。誰も逃れられない事実なのだ。神さまはそのようには造られなかったのだけれど、それはアダム以来の罪の報いであるから・・。

キリストがもう一度来てくださって天に引き上げてくださる約束の、再臨にはその苦しみはないだろう・・
けれど今は、心から「主よ。早く来てください」と祈れずにいる。「もう少し待ってください。」としか祈れない。「私の大切な者が、信仰に目覚めるまで待って居てください」と言う切ない祈りになってしまう。

エリヤだけは死ぬことなく天にのぼって行ったけれど・・ 、イエス様は人の罪の報いである死を極限まで味わってくださった。その主を思い出すとき、安らかに過ぎることができるのかもしれない・・。
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抗がん剤投与六日目

2014-09-01 11:28:52 | Weblog


 天地の創造主なる神さまがご自身を語ってくださる。それは、ヨブに試練がなければ無かったことだろう。たとえ叱責のようであっても、神さまがひとりの人のために多くの言葉をもって来てくださる。これほどの光栄はない。

人の一番の悲劇は無視されることである。神さまの沈黙は恐ろしい。家族の関係で一番の悲劇も無視されることである。たとえ議論であろうとも、互いの関わりに多くの時を費やすのは愛の現れであるから・・。
ヨブは腹の中のすべてをぶちまけた後だった。まあ、もともと言おうが言うまいが神さまはすべてを知っておられるのだけれど・・。

ヨブの友人も、神さまの憐れみを賜ったのだから幸いである。心に掛けていただいたのだ。
また、ヨブが彼らのために執りなしの祈りをした時から、二倍のものが返されたとある。このことはセットになっていた。

神さまがヨブの願いに応えて語ってくださった言葉は、天地創造の神としてご自身の権威について話された。
そう、私たちは自分の身に起こる一つひとつのことに対して答えを求めるけれど、神を神とすることにすべての答えはある。すべての最善なのだ。

事の初めから終わりまで知ることのない私たちに、その途上の事柄に対しての答えはあまり意味がないから・・。
ただ、神さまの権威の下に信頼して身を避け、その愛を受けるだけの者である。今はヨブの時代よりもそれは易しい。御子イエスさまによって、歴史の上に目に見える愛を現し、永遠の救いを備えてくださったことを知って居るのだから・・。


さあ、河馬を見よ。これはあなたと並べてわたしが造ったもの、牛のように草を食らう。
見よ。その力は腰にあり、その強さは腹の筋にある。
尾は杉の木のように垂れ、ももの筋はからみ合っている。
骨は青銅の管、肋骨は鉄の棒のようだ。・・・
これは神が造られた第一の獣、これを造られた方が、ご自分の剣でこれに近づく。(ヨブ記40:15~19)


 第一の獣。神無き人は獣のようだ。それは非常に強いから・・、誰も自身を制御出来ない。
神を知ってからも、人の中には獣が住んで居る。すべてを完全に制御出来る人なんていない。その力は非常に強くて・・、信仰にさえも力を振るうことがある。

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。(ローマ7:18~19)


 主はそのような者に近付いてくださった。みことばの剣を持って・・。
そう、人から近付くことなど出来ないとご存じだから来てくださった。その人を御して導くみことばをもって・・。

山々は、これのために産物をもたらし、野の獣もみな、そこで戯れる。
彼ははすの下、あるいは、葦の茂みや沼に横たわる。
はすはその陰で、これをおおい、川の柳はこれを囲む。
たとい川があふれても、それはあわてない。その口にヨルダン川が注ぎ込んでも、動じない。
だれがその目をつかんでこれを捕ええようか。だれがわなにかけて、その鼻を突き通すことができようか。(ヨブ記40:20~24)


しかし、その強さがみことばに制御されるとき平安が来る。神の創造の中に憩い、安らかに住まう。
その平和を破るものは何も無い。ハレルヤ!!


 今日の主人はずいぶん楽そうである。昨夜は少しだけれど鰻も食べられた。「薄紙を剥ぐように・・だね」って言っているけれど、抗がん剤を使っていても吐き気もなく、口内炎もなく、髪の毛も今のところ大丈夫。お風呂も毎日気持ちよさそうに入っている。
先ほどたこ焼きを「美味しい」って3個食べられた!お昼のさんまも美味しく食べられると良いね。
明日は医大へ行く。
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