石ころ

もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

引っ越しのご挨拶

2012-08-09 21:03:38 | Weblog

いつも当ブログを尋ねてくださいましてありがとうございます。
このたび「石ころ」は引っ越しをいたしました。

この六年間、
時にはIP数によっても声なき声を聞きました。
時にリアルなお交わりも楽しませていただきました。
また、声やメールのお交わりによって多くのことも教わりました。

移りましたが、ブログは書き続けますので、
これからも、御交わりを宜しくお願いいたします。

過去ログはまだどのようにするか決めかねています。
ただ、前を向いて進むことになると思います。

ただ、イエスさまが育ててくださった過程を記してきたものであり、
そういう意味ではいくらかの躊躇もありますが・・
すべてを主にお委ねして・・

引っ越し先です

http://bachan-no1.sblo.jp/

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

エリフの間違い

2012-08-02 15:54:53 | Weblog


主がヨブの名を知っておられるのだから、ヨブは主に直接話すことができる関係を持っている。たとえヨブが霊的に高ぶっていたとしても、直接主に叱責を受け教えられる権利を持っている。ヨブは主だけを礼拝し、主にすべて差し出して、主にのみ依存しているのだから。

主は罪ある者をその罪の故に関わらないとは言われない。もし、そうなら誰も主を礼拝することができなくなる。すべてをご存じの主は、むしろ罪あるままで来るようにと待っていてくださる。御子の血潮を用意して・・。


エリフはどうして主とヨブの間に立つことが出来るのか・・。彼は自分の罪をどのようにあがなったのか・・、エリフが主とヨブの間に正しい言葉を持って立っても、それは彼の罪のシミのあるものである。それは主とヨブの邪魔でしかない。

義なる言葉は主が話されヨブは直接聴くことが出来るのだ。また、人と神の間に立つ仲裁者はただおひとり、あがないのために聖なる血を流されたイエスだけである。


キリスト者は、自分の口で自分の言葉で主に祈り、自分でみことばを直接探り求め、神の厳しさと甘さを、今のこの現実の中で日ごとに味わうことができる。それこそが真の礼拝である。

今日の主との交わりは永遠までも続くものであって、移り変わることのないいのち。それこそが新しく生まれた私たちの持っているものであって、造り主と私の間には、救い主イエス以外は誰も入れない。


あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・その教えは真理であって偽りではありません。・・また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。(ヨハネ2:27)

わざわざ「その教えは真理であって偽りではない」と書かれているのは、私たちがいかに騙されやすくて、心細い者であるかということを現していると思うのだけれど、この権利を横取りされないように、主の前に自分の足でしっかり立ち、よく耐えてみことばに聴き、イエスさまがいのちに代えて与えてくださったものを、自分のものとして行きたいと思う。


そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(ヘブル10:22~23)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

主は与え、主は取られる、主の御名はほむべきかな

2012-08-01 23:47:37 | Weblog


このブログもそろそろお仕舞いかな・・
今日は驚いた。私には受け入れがたい広告が挟み込まれていたから・・。
以前、幾らかの収入になるという誘いがあったときは、躊躇することなく断ったのだけれど・・。あのときはその自由があったから。

しかし、今回はその自由がなさそうだ。
なんだか・・じわりと締め付けるものを予感していたので、いつまでも続けられるものではないと思っていたのだけれど・・今日まで気づかなかったのでショックだった。
ある人にはたいしたことではないことが、私には耐え難いこともある。

気短な私がカッとしたとき、主が「何を怒っているのか・・お前のものではない。わたしのものなのに・・。」と言われたように思った。
「そうだ。」と私が守ろうとするべきではなかったのだと、その時は思い直すことが出来て、主人と楽しく買い物に行ったのだけれど・・。

今日まで無料で使わせてもらったのだから、怒るのは筋違いかも知れない。
ただ、やはり身の振り方を考えるべきなのだと思えて・・。何事にも時がある。

幸い息子たちが夏期休暇をとって帰郷して来る。ゆっくりと相談することにしよう。始めるときも彼に相談して、お膳立てしてもらったブログなのだから・・。このタイミングであったことはありがたいことだ。

ただ私は、「石ころ」を通して主に沢山のことを教わったし、何よりも主に聖書を問うコツを学ぶことが出来たと思っている。それはとっても大きな大きなこと。
ブログを書こうと書くまいと、その喜びは変わることがないだろう・・。

しかし文字の向こうに、目には見えなくても霊においてひとつの交わりを感じていた事実があるのだけれど・・。この文を書いている間も、ちょっと取り乱しているのかも知れない・・。

イエス。キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。(ヘブル13:8)
アーメン。アーメン
コメント
この記事をはてなブックマークに追加