息子達が来ると、一週間近く家族いっしょにリビングで過ごす。何処かに遊びに行くわけでもなく、とにかく一緒に生活をして私たちはたっぷり孫の成長を味わう。嫁さんととりとめのないことを話し、一緒に買い物に行き、ふざたり・・私は「おかあちゃん」と呼んでくれる娘を味わう。
息子達はテレビをあまり見たがらないのだが、ちょっとニュースを見たいからと私がつけてしまったことがで、「お母さんが子どもを殺した。」そんなニュースを6歳の孫が見て「かあちゃんが?」と聞き返した。
「しまった」と思ったけれどもう後の祭り。彼女は親の愛を信じ切っており、繊細で優しく妹を細やかに可愛がる子だから、こんなひどいニュースにはどれほどのショックを与えてしまったか分からないと私は狼狽した。
なぜ彼らがテレビのニュースからあえて遠くに居たいのか分かった。息子夫婦は、後でそのニュースをパソコンのインターネットで見ながら、頭を寄せるようにして何かを話し合っていた。子どもの前では話せないことが多すぎる。けれども隠せば済むことでもない、子どもが人を信じることがとても危険な時代。
アダム以来の罪の血筋をもって、不完全になった人が生きていくことは傷だらけになることでもある。傷つけられたり傷つけたり。どんなに優しい人でも誰かを傷つけたことのない人などはいない。時には人の優しさにさえ傷つくこともあるから。
なんだか絶望的にも思えるけれど、しかし以外に子どもは強い。そんなにやわじゃない。きっと神様がそのように造ってくださったのだろう。何でもない普段の家族の交わりの中で、そのような傷は癒され優しい心は守られる。じいちゃんの畑で、力一杯引っ張って堀上げた大きなさつまいもを、得意げに見せている写真を見ていてそう思った。
大人は「傷つけられた」というけれど、子どもは「傷つけられた」とは言わない。なんだかそのことが子どもの強さのような気がする。
親がみんな何時も強いわけではないから、時には、小さな子どもにかばわれることも子育て中に経験すること。このニュースのお母さんには、私はそんな意味で深い悲しみを感じた。
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