石ころ

「いつもいっしょに」




すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。(マルコ14:6~7)


香油を捧げたマリヤをとりなして、弟子にイエスさまは言われた「わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。」
このみ言葉に今にある幸いをつくづく思う・・、十字架によって救いのすべてを完了してくださった恵みの日に・・。

「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(Ⅱコリント6:2)
いつも共に居てくださる主の心強さ、揺るがぬ平安の恵み。

悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。(Ⅱコリント6:10)
自分が何者なのか、どなたと居るのか、何を頂いているのか・・、そのことを絶えず覚えていたい。そうでないと、十字架の恵みを無駄にしてしまうから・・。

私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。(Ⅱコリント6:1)
共に居てくださるイエスさまに私たちは何ができるのだろう。
そのことを知るために祈り、みことばを味わい、昼も夜も思いの中に置く。

イエスさまの時を知ったマリヤは、一人で決断し石膏の壺を割って、イエスの頭に油を注いだ。なんと大胆な行動、どれほどの勇気が必要だっただろう。

主を知らなければ時は分からず、決断もできず、あやふやな行いは的を外すだろう。弟子たちの批判のように・・。
今の私たちは、内におられる聖霊の細やかな導きを聴くことができる。

あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。(イザヤ30:21)

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コメント一覧

ムベ
油菜さん御交わりありがとうございます
「だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。」(1ヨハネ4:15)
三位一体の神が内に居られる神殿です。このどうしようもない私が・・。
でも、キリストにあって、このみことばを受け入れて安息しています。
ふふふ・・また、「在って」と保険をかける言い方をしましたが・・、神の愛はすべて、ただたまわる謙遜ですね。

私たちは、すでに十字架で完了してくださった聖さにありますから、ある意味マリヤ以上に美しいと思うのです。これも信仰によることですが・・。

失敗が無ければペテロじゃないし・・、失敗がなければ主のお赦しを、自分の身に深く味わうこともないのじゃないでしょうか・・。
赦される度に、深く浸透して行く神の愛。
「恐れるな虫けらのヤコブ」このみことば好きです。

恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。・・主の御告げ。・・あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。(イザヤ41:14)


今、地域の新年会から戻ってきたところです。おしゃべりどご馳走と楽しんできました。
油菜
愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。(ヨハネⅠ4-18)
マリアは他の誰でもない主の愛の内にとどまっていたので、主もマリアの内にとどまってくださっていたと思うのです。
マリアの全き愛の行動ががこの場所に現れたのだと。
マリアの霊性はとっても美しいですね。

とはいえ自分自身、主への愛を主張しながらすぐに失敗してしまうペテロのようだなあと恥ずかしくなりました。
主の愛と憐れみと導きがいつも共にあります様に。
ムベ
油菜さん、コメントありがとうございます
だって、あの場の空気を読むと・・すごく勇気が要ると思いますよ~、
マリヤの行為を受け入れる空気は皆無!
まして、主の頭に油を注ぐのですよ~、自分の身に置き換えてびびったのです。
蚤の心臓ですから・・。

「イエスさましか眼中にないからできたこと・・」
とても良く分かります。でも、実際ちょっと・・かなり・・恐い。
霊の満ちる所では勇敢ですが、そうでない所では逃げ腰・・。
ただ、導かれたときにはとんでもないことをやってしまうとは思います。
油菜
神の恵みをむだに受けないようにしてください。(Ⅱコリント6:1)

「神は、キリストにおいて、天にあるあらゆる霊的祝福をもって祝福してくださいました。」(エペソ1:3)
イエス様に私たちは何もしてあげることは出来ません。
「あらゆる」霊的祝福を受けている現実を見ること、
自分の立場や価値などの霊的事実を正しく知ること、
その為に主が私たちに仕えてくださるのです。まことに感謝です。

また、
香油を注いだマリアの行動を私たちに重ねてみると、
確かに大胆な行動ではあるけれど、勇気など要らなかったと思いませんか?
マリアにはイエス様しか眼中にないのですから・・。
マリアの心はイエス様でいっぱいなのですから・・。
まるで私たちのようですね。(笑)

高価な香油など主と比べるに値しなかったのだと思います。
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