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石ころ

「静まれ」「アーメン」

土曜日に、「月曜日からお隣の屋根の葺き替え工事が始まりますからよろしく」と、建築会社の方から一本のタオルを渡された。いつもお話をしているお隣さんからは聞いてはいなかったし、なぜこんなに突然にこの猛暑の中でするのかと私は混乱し、やがて腹が立ってきた。

この会社には、お隣さんの5年前の建て替え時にひどい埃りと振動や騒音で、とても痛い目にあったことがある。
そのことが思い出されて、私はパニックのようになってしまった。この暑さの中で家を閉め切って、一週間も暮らすことなど出来ようか・・と。

月曜日から始まる工事に、今からキッチンにエアコンを付けるなんてとても間に合いそうにもないし、そんなドタバタでやりたくもない。
私だって自分たちを守る権利はあるのではないかと・・心の中からあれやこれやと良い?考えや言い分があふれ出てくる。そしてなぜ一言、直接挨拶をしてくれないのかとお隣への不満も口をついて出る。そんなふうに土曜日をいらだちと不満と混乱の中で過ごしていた。


その夜は、ウトウトとしてもすぐに目覚め、ついに疲れ果ててしまって強情な私も降参。
床に起き上がって主の御前に出る。
訴える間もなく「静まりて、我の神たるを知れ」と、一撃された。こんな時私は主が何よりも恐い。
「安息日を覚えて、聖なる日とせよ」「アーメン。黙ります。」そう、もう日曜日だった。

確かに、あの工事の時にはひび割れる被害も受けたけれど、庭木が取り払われ、シロアリで痛んだすべてが取り払われ、地面深く掘り起す基礎工事によって、その巣も取り除かれたのだろう。
我が家の冬の日当たりが良くなり、今では我が家にとって最善の結果となっていたのだった。

翌日には知恵も与えられ、どうせ早朝に起きるのだからと、早くにその日の料理の下ごしらえを全部すませてしまうこと。作りたてにはこだわらずに作り置きすることにした。

家を締め切る必要に迫られたときには、唯一エアコンのある息子の部屋でお昼寝をなどをして遊ぶこと。まあ、お昼寝は苦手なので難しそうだけれど、本を読むには差し支えない。範囲限定で息子のPCを使う許可も得た。


 しかし、私は知っている。
すべての問題は私と主との間のことであり、それが、たとえどれほど誰、彼が原因のように見えても、主が私に問われた問題であること。「さあ、あなたはこの問題を誰によって解決をしようとするのか」と・・
でも、でも、それは分かっているのだけれど、いざ問題にぶつかったときには、肉の思いを抑えることは、弱い私にでも簡単ではなく、主の助けがなければ無理。

一番の問題点は、私にも出来る事があると言うこと。もし、何も出来ないほど完全に弱いのなら、何の間違いも起こりはしないのだけれど・・。
本当に「わたしの力は弱さの中に完全に働く」主であり、主の力を完全に用いるには、私が完全に弱く、完全に愚かであるべきなのだ。いや、自分の本当の弱さ、愚かさに気づいているべきなのだ。
時には、主に屈服するために自分の肉と戦って七転八倒、そんな中でみことばに勝利していただいて導かれての、拙くも危うい一日一日。


 火曜日は屋根から瓦が下ろされる騒音と、瓦を割って車に放り込む作業。家中を締めきってエアコンの部屋に籠もり、のどの異常を感じつつ、マスクをして縫い物などをして過ごした。
そもそも私は閉所恐怖症かと思うほど締め切ることが嫌いで、夏など家中を開けっ放しにしているのだ。

しかし、なんということ3時頃になって雨がザーッと降り出した。部屋を飛び出して家中の窓を開け放ち、埃っぽくムッと澱んだ空気を入れ換える。
扇風機を回すとヒヤリとした空気が部屋に流れ込んできた。埃っぽさがさっぱり消えても雨音は続いていた。

主人は「ほら、これでゴミも埃も全部流れたよ。」と慰めるように言った。
工事も止んで静かになった部屋で、冷えたビールをコップに一杯ずつ・・秋の使者のようなコオロギの音を聞きながら、二人でゆっくりと夕食を取った。

すべての事態と戦って下さるのは何時も主。夕立も嬉しいことだけれど、主が顧みて下さることほどに嬉しいことはない。


「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」(詩編46:10)

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コメント一覧

石ころ
ららさん コメントありがとうございます
本当にお久しぶりです!
お名前を足あとに見つけて、嬉しかったのです。
お出会いした頃から、お隣の庭の管理に悩まされておられましたね。
本当に何とかして欲しいですね・・お気持ちとてもよくわかります。

私は犬の鳴き声に悩んでいました。飼い主がいない間鳴き続けるので、参ってしまいます。
最近ちょっとましになりました・・。

所詮この世では、悩みの種は尽きません。
そのひとつ一つを主に祈りつつ、あるときは忍耐を練られ、あるときは主を賛美する材料となり、イエスさまとともに生きて行きます。
何があっても主が共にいて下さいますから、実はこれでよいのでしょうね。
らら
おひさしぶりです
お元気ですか?
本当に近所づきあいというのは難しいですね。
でも、主は全てをご存知で神様の娘である石ころさんがその工事のためにあまり長く悩まされないように計らってくださったように思います。ハレルヤ!

私のお隣のジャングルのような庭の木はますます大きくなって、しかもカイガラムシをたくさん養って私の庭の果物の木に薬を散布してもどんどん虫が移動して困ったものです。引っ越したくなってきました。(笑)
石ころ
私たちの主
すべての出来事とその結末を通して、主の愛や、憐れみを感じることこそ何よりの喜びですね。

詩編の作者は自由に感情を現しています。そんな真実な祈りでありたいと思います。
本当に罪も、弱さも、愚かさも、唯一隠す必要の無い、いや隠すことの出来ないお方が、私たちの主ですものね。
ハレルヤ!
シナモンロール
私たちの主
石ころさんの思いを主に伝えなければ無ければ雨もそして予定より早く終わることは無かったかも知れません。
と思いました。

時に人は主の前でもいい子になったり強がりしちゃいますが、
主の前では怒り、悲しみ、苦しみ、喜び、そのままの思いを聞いていただくことの大切さを思わされます。

そうですね主の忍耐、本当に感謝です。
「恵みの夕立は日々降り注いで、工事の埃も塵も、私の心の中の埃も塵も洗い流して頂きました。」

主はすばらしいです。
主の証を
ありがとうございました

石ころ
シナモンロールさん ありがとうございます。
主は、待っていて下さったのだと思います。「早く来い!」って・・
信仰はあるつもりでも、スッとは行きません・・
肉なるものが疲れ果ててから、やっと主の声を聴くことができるようになるのです。
主の忍耐にいつも感謝です。

恵みの夕立は日々降り注いで、工事の埃も塵も、私の心の中の埃も塵も洗い流して頂きました。

聞かされてた予定よりもずっと早く、工事が先ほど終わりました。
本当に恥ずかしいことです。
どうして私は、神を知らない者のように騒ぎ立てたのでしょう・・。
シナモンロール

主に思いのまま伝えて
その後の主の応答は
「静まりて、我の神たるを知れ」
そして雨
恵の雨でしたね
「夕立も嬉しいことだけれど、主が顧みて下さることほどに嬉しいことはない。」
アーメンです
石ころ
?さんへ
「達した」のではなく、知っただけです。
私を追い込んでそのことを行わせなさるのは主です。
Unknown
しかし、私は知っている。
すべての問題は私と主との間のことであり、それが、たとえどれほど誰、彼が原因のように見えても、主が私に問われた問題であること。「さあ、あなたはこの問題を誰によって解決をしようとするのか」と・・

この境地はすばらしいです。
自分もクリスチャンですがここまでは
達せられません。
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