石ころ

もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

「神が私たちを通して懇願しておられる」神の和解を受け入れなさい(2)

2017-02-22 10:55:28 | Weblog



身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(Ⅰペテロ5:8)

外からは責め言葉として、また内からは誘惑となって「十字架の愚かな言葉から出て来い。」と言われ、「現実を見て自分で考えろ」と、みことばの砦から出て来るように誘われます。
でも、私は弱さと愚かさの中で主に拠り頼みます。聖霊の導きに拠ってエバと同じ誘惑は通用しません。

肉の目で見るものは一時的ですから、主に在って霊の目で希望を見つめています。現実に事を成すのは主です。実現する永遠の約束はみことばです。
聖書をそっくりそのまま信じて、今日まで様々な主の御わざを見てきました。主が語られたことばが、その通りに成ることを何度もこの目で見たのです。

みことばを現実の下に置くなら、人を滅びに引き込む敵の喜びとなります。私がみことばの砦から出て戦うことはしません。戦われるのは主です。
エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。(Ⅱ列王記6:17)

 聖書は神から人への良き知らせです。裁くためではなく救うための言葉です。だから割り引かずにお言葉通りに伝えなければなりません。
キリストの十字架以外に救いは無く、キリストの救いを受けない者は永遠の滅びに至ると聖書にはっきりと書かれて居ます。

神のキリストが命を捨ててまで、人の救いのために備えてくださった愛のことばですから、人の気に入らない言葉であっても、愚かだと罵られてもそのままに伝えることが、キリストから賜った隣人愛です。
永遠のいのちを頂くことができる時間は、誰にとっても今しかないからです。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。(Ⅰコリント1:21)

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