石ころ

夢の中まで




 昨日こんな話しもしていた。
夫婦って・・時には呉越同舟のようなもので、その長い年月を互いに忍耐も積み重ね、目を瞑っては許し合っているうちに、いつしか掛け替えのない人になるのねと・・。
彼女は、自分の苦労を細々話すことなど無いけれど、ご主人には忍耐が要ったろうことは容易に想像できる方であった。

昨夜夢の中で、主人と角砂糖一個のことで目が覚めるほどの喧嘩をしたことを話すと、死んでなを「夢にまで出て来て喧嘩をする相手となる」と爆笑した。

「キリスト教ではなんと・・」チラッと彼女に問われた。夫婦の信仰のことかな・・と思ったので教会へ行き初めた時、
「信仰の無い主人に対してどう接したらよいのですか」と青い眼の女性宣教師さんに質問したことを話した。

「『妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻も無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。』(ペテロ3:1)
はい。帰ったらこのみことばの通りにしてください。」

一言で教えられた時、私が思い込んでいたキリスト教とはずいぶん違うことに驚いたけれど、それからは主人の意志と思える言葉には、私の賢いと思う判断を捨てても従い、いつの間にかみことば通りに、イエスさまのものとされて天国に帰って行ったことなどを話していた。

人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。
草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。(Ⅰペテロ1:24~25)


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