金魚が毎日死んでいった。一匹頑張っていたボスも死んでしまった。
「いのちは神様のもの、私にはどうしょうもない。」そんなふうに自分に言って、普段しない庭の草引きをしたり、忙しくして気を紛らわしていたけれど、主人が帰ってきて「今度もっと元気なの。買こうたるわ。」と言われたとき、「いのちのことだよ・・」なんて言ってすねる気持ちにはなれなかった・・。素直に「気遣ってくれているんやな・・」と心に染みた。
金魚鉢を掃除したとき底にヒルが這っていた。なぜ入ったのだろうと考えたけれど、どうやらホテイ草を買って入れたときに付いてきたのだろうと思える。「余計なことをしてごめんね。」どんなに後悔してもいのちはもどらない。いのちは儚い、もろいものだから愛おしい。そして、いのちを扱うことはおおざっぱな私には・・・もう無理。
ヒルは、今までいなかったところにも増えていると主人が言っていた。今、仕事に行っている山にも、昔は居なかったヒルやアブやハエが多いという。「ここ数年、山が気持ちの悪いところになってしまった。」と嘆いていた。
鹿が増えて木が食い荒らされ、いたるところに鹿の糞が落ちると、そこにハエやアブが増え鹿がヒルを運んで広げる。これは主人の解説。でも、昔から山仕事をしている主人の言葉は笑い過ごせない。自然が変化していることは小さなことから現れており、そこにいる人にはよくわかる。
ブログに金魚を住まわせた。これはいいね、死なないから・・・。
本当は、すぐにブログにかけなかったほどカナシイ・・・
でも、金魚の死を悲しむ資格は私には本当はない。身近な人たちの死をどれほど悲しんだのだろう・・・永遠のいのちを知らずに死んだ人たちのことを・・。
「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」(ローマ8:22)
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