石ころ

看取り





 10月6日主人の脈は触れないほど弱々しくなり、血圧も40にまで下がり訪問看護師さんも、お医者さんも「もう・・」と首を振って、「長くは保たない」そのように言われた。
それでも私はまだ終わりが近いとは信じなかった。それは意識がはっきりしており、力はなくても話すこともできたから・・。

しかし、時々お腹の痛みを訴えていたのでさすり続け、冷たくなってゆく足や手を、熱いタオルで包むと「気持ちいい」と喜んでくれた。
主人はずっと「暑い」と言い続けて、手も足も布団から放り出していたから、そっとタオルを掛けたりして、なんとかして冷えて行くのを防ごうとしていたけれど、それはもう氷のように冷たくて私はそれが心細かった。

夜になって、強い腹痛を訴えるようになったので私は狼狽えた。今まで看てこられたのは痛みや苦痛が無かったからで、それはもっとも恐れていたことだから・・。
「医大へ行く?救急車を呼ぼうか」と尋ねると弱々しく首をふった。
お医者さんや看護師さんも電話をした。「なんとか痛みを取ることができませんか」と・・。

看護師さんもお医者さんも来てくださったけれど、結局もう何もできなかった。幸い主人の痛みは間欠的でさすりながら祈り続けた。
医大では受け入れてくださるという返事をいただいたけれど、お医者さんが断ってくださった。私はそれで良かったと思っている。そうでないと主人の最期の時に、側にいることはできなかっただろうから・・。

 お医者さんが帰られて看護師さんにも午後10頃頃に帰っていただいた。主人が落ち着いていたし、私はイエス様に依り頼みつつ受け止めようとの覚悟を決めることができたから・・。
12時頃まで時々痛んだ。私は主人の脈打つように動く腸をなでつつ、私も一緒に痛むから・・と祈り続けた。

そんな中でも「トイレに行く」と言う。「大丈夫よ。私がちゃんと奇麗にしてあげるから・・」というと安心したようにうなずく。そんなことを数回繰り返した。下血が続きそのための痛みのようだった。
汚れを取り替えてあげるには主人の体を大きく動かさねばならず、それはしんどいことだろうととても辛かった。私が下手だから、余計に負担がかかっているように思えて情けなかった。

 汚れたおしめを詰め込んだ袋を部屋に散らしつつ、その内汚れがわかってもすぐには取り替えることができなくなってしまった。呼吸が苦しそうになっていたから・・。
後になって、主人がずっとトイレに行ってくれたので、私は下の世話をしていなかったけれど最期にその分をさせてもらったことに気付いた。

主人はもう声が出ないのに、聴覚障害の次男に使うキュードスピーチで「もう、いい」「ありがとう」と言ってくれた。
日が変わって主人の痛みは落ち着いて来たけれど、息が荒くなって胸が大きく波打ち苦しそうで見ていられなくなった。

 しかし午前4時頃その呼吸は静かになり、大きく口を開けてスーゥとした細い息が続くようになった。静かに楽そうになって意識も無く、ただとても静かな平和な時が続いた。
私は何とか生きている証拠を見つけたくて、体温計で計ると35.3分、温かみのある体にほっとした。
しかし、次に計るとエラーが出てもう体温を計ることができなくなってしまった。手を体に差し込むと少し温かかった。しかし、どんどん奥の方、体の下に差し込まないと温かさを感じなくなって行った。

朝になってお医者さんと看護師さんに連絡をして、主人を渡した。
此処で主人の体は私の手を離れて、多くの人の手によって葬りの準備が整えられていった。
私は棺の主人の髪の毛を引っ張ってみた。抗がん剤を用いてからは抜け続けていたから・・、何時もそうしていたように引っ張ってみた。でも、冷たい冷たい感触だけで残った毛はもう抜けなかった。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事