石ころ

もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

賛美を織り込んで

2017-08-28 13:30:05 | Weblog



水の上に足跡はないから
そこに踏み出すときは心が揺れるのです。
揺れる心は乱れる横糸

「恐れるな。虫けらのヤコブ」
パタンと降りてくるみことばの縦糸

私はすかさず、「アーメン」とおさを打つ、
信仰のおさを強く打ち、揺れる心を定めます

霊の、唇の、心の賛美は金の糸、銀の糸
主への捧げものは、金襴で出来ているのです。
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霊と魂と体と

2017-08-26 23:24:56 | Weblog



霊の安息や喜びは一貫した縦糸で、それは初めから終わりまで変わらない。
でも、魂や体は風にさえ揺れるほどに頼りなくて、絶えず色を変える横糸のよう。

動じることのない信仰と、すぐに揺れ動く心、
喜んだり・・悲しんだり・・はしゃいだり・・沈んだり
生きた年々の分を織り込んでゆく

それらのすべてに居てくださる主
それらのすべてをご存じの主

霊も魂も体も、弱さも強さも、脆さも頑固さも
虹色の捧げものとなれ
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親友

2017-08-26 19:53:24 | Weblog


濃い藍色の空に、金色の鎌がぽかりと浮かんでいる
昨日とは打って変わって涼やかに 
ただ、虫の音さえなく・・

「秋は淋しいね」
あなたが毎年、毎年同じ言葉を繰り返すので
私はいつも「なんとベタな・・」と笑っていた

薄墨色の空気がヒヤリと心をすり抜けて
あなたは、残して逝った「秋は淋しいね」をまた繰り返した
もう二度とベタだと笑えないようにして・・
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誇り

2017-08-24 11:03:04 | Weblog



イエスさまだけがいのちの友であり、御側でしか安息できない者は、昼も夜も喜びと感謝の賛美の中に居ます。そう・・寝ている間もです。

昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。(詩編121:6)

良いときも悪いときも感謝しています。なぜなら、今生きていることの中に、生ける主が充満していてくださるからです。

だから、その人に取っては「生きることはキリスト」そのものであり、「死ぬことは益」と、顔と顔を合わせて見(まみ)える喜びの時なのです。

しかし・・その人が一時間長く生きることは、その分の賛美と感謝が増すことなので、どちらが良いのかわからないのです。

だから、いずれをも願うことを止めて、御旨のままにやすらかに居るのです。どちらも喜びであってどちらも幸せなことだからです。

パウロは働きのために、熱望する死を選べなかったのですが、主の時に彼の熱望を叶えてくださいました。晴れがましいゴールインとして!

イエス・キリストは死ののろいを歓喜に変え、世で生ける命をも共に在って祝福してくださっています。

誇る者は、ただこれを誇れ。悟りを得てわたしを知って居ることを。(エレミヤ9:24)
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うっかりミス

2017-08-23 16:57:06 | Weblog


 流し台のストレーナーの汚れが気になっていたので、今日こそはとボトル入りの薬剤を注いで、きつい匂いに直ぐストレーナーの蓋をした。
薬を仕舞うために洗面所の棚に置こうとして、ふっとどれくらいの時間置けばよいのかと注意書きに目をやると、「初めに電源を入れて・・」と読めた。

「電源??そんなもの無い」そこで初めてボトルのラベルを見直すと、洗濯機クリーナーと大書されていた。
「ちがうだろ~」という耳に覚えのあるフレーズを叫んで、急いで台所に戻って蓋を取ると強烈な塩素臭。
慌てて水を流しているとピカピカのストレーナーが現れた。ブラシで擦る間もなく一瞬にして隅々までピカピカに光っていた。

「洗濯機用の方が強いの?」と不思議に思ったけれど、落ち着いて考えると洗濯機の方は薄めて用いるのであり、パイプクリーナーは原液を用いるのだから、洗濯機用の原液が強いことは当たり前なのだ。危ない。危ない。

棚には色々なボトルが並んでいる。年を取って不必要に焦るようになって、勘違いもうっかりも多いのだから「最低ラベルを見ろ!」と自分自身に言い聞かせた。ちゃんと換気もしたから大丈夫だったけれど・・。
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ツクツクボウシ鳴く

2017-08-22 19:33:16 | Weblog


 久しぶりのウォーキングは、「曇っているから・・」と甘く見て家を出たけれど、風はそよともなく、まとわりつくような蒸し暑さだった。
それでも坂道には、葉っぱの付いたドングリが落ちていたり、青いイガ栗が転がっていて秋の始まりを思わせた。

トンボとツバメは命懸けのスピードを競い合って、高く低く飛び交っている。
早生の稲穂は黄緑色に波打って、その辺りには懐かしいような香ばしさが漂っていた。

 戻ってスマホの歩数や、撮ってきた青柿、ヨウシュヤマゴボウの実、ドングリの映り具合を見ていると、どっと汗が噴き出して来て・・冷たい炭酸水でほ~っと一息。
遠くでツクツクボウシが鳴いている・・。
どんなに暑くてももうすぐ夏は過ぎ去って行く。人生でただ一度の2017年の夏が・・。
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メダカと晩夏

2017-08-21 20:28:54 | Weblog



 メダカの水槽に貝が異常繁殖していたので、陽が傾いた頃を見計らって水を取り替え貝を一掃した。
でもきっとまた復活するだろう。彼らは水草に卵を産み付けていると思うが、水草は残したいのだ。メダカの卵もあるはずだけれど・・老眼にはよくわからない。

水槽を持ち上げる前に、イエスさまに手を貸してくださいとお祈りをした。
私はイエスさまに拠ってのみ何でも出来る者なので、大小どんなことでも、イエスさまの臨在を求めずには行動できない。
もしイエスさま抜きのことがあれば、それは失敗しなければならないと思っている。それは主の栄光とはならないし、私にも災いでしかないだろうから・・。

 キリスト者が世の状況だけで前進するのを見た時、イエスさまが居られないことに気付いて「あの~」と言ったけれど、祈りのための時間が取られることはなく、結局長年かけて間違いが露わになり、主の栄光を損ねる結果と成ってしまった。
人の勢いの中では、主に示された間違いを伝えても無力なのだ。

うっかり勝手に走り出した失敗に気づいた時は、私は即座に主にひれ伏す。その時、手遅れになることは決してない。主は教えてくださるのだ。
けれども、気付かないままなら主の栄光を損ねることとなり、それはとても悲しい結果となる。

 澄んだ水にメダカはゆったりと気持ちよさそうである。
夏季休暇中の飯炊き婆さんから解放されたら、陽射しは障子にも畳にも深くなっていて、暮色の迫りくる中には、幾らかの涼しさと淋しさを感じた。

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。(ピリピ1:21)
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フィナーレ

2017-08-20 20:19:51 | Weblog


 玄関前に植えた朝顔が枯れてきて、伸び放題の荒れ果てた様子が嫌で「片付けたいから手伝ってほしい」と息子に話した。
彼は「いや、ちょっと待て。まだ沢山の蕾がついているから・・」と言う。

私は「せっかく綺麗に咲いたのに、最期をあんな状態にしておくことは無残なんだよ」
「それは自然なことだろう・・」と聞き入れて貰えなかった。
しかし少しして「でも、おかあさんが植えたものだから、おかあさんに権利があるね。手伝うよ。」と言ってくれた。

 pcのマウスの調子が悪いとすぐに買って来て取り替えてくれたし、ソファカバーの取り替えついでの大掃除を手伝ったり、エアコンの掃除も気軽にしてくれた。
いつも彼の休みは私の日頃の願いをかなえるために多くの時間が割かれる。今は10日間もあったのでずいぶん助けてもらった。

助けてくれる者があるから、老人でも安心して一人暮らしが出来るのだと思った。ブログも助けなしにはできないのだ。
気になったことや不都合なことがあっても、ちょっと待てばなんとかしてもらえる。その安心感があるから・・。

 朝顔の支柱を倒してネットごと始末しようとしたとき、「待て」と彼が蕾の付いた蔓を丁寧に切り取って「これは明日咲くよ」と言うから、蕾の付いた蔓を花瓶に挿した。
鉢はひっくり返して底石を取り除き、スコップでビニル袋に入れるまでを手伝ってくれた。これはありがたいのだ、結構力仕事だから・・。
その場所にコスモスのプランターを並べて、汗にまみれて終わった。

私が洗面所に落していた一個の蕾を、彼は小さな瓶に挿していた。
今朝、それらの花が開いてフィナーレを飾った。一個の蕾もきれいな紫色に開いていた。
みんな「ありがとう」と言っているようだった。私も心の中で「ありがとう」が言えた。
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証しするもの

2017-08-17 10:31:13 | Weblog


彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫び続けた。(使徒16:17)

占いの霊につかれた女が証しすることに、パウロ達は困り果てたとある。彼女は真実を語っているが、その言葉の出所は占いの霊からであった。占いは偶像礼拝の罪とあり悪霊に拠るのである。

イエスさまも悪霊がご自身を証しすることはお許しにならなかった。キリスト者を証しするのは聖霊である。

私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ8:16)

キリスト者はほめられることも、そしられることをも通して神を証しする者である。ほめられることによって神をあかしするのではない。
イエスさまは、ありもしないことで責められ、悪口雑言を言われ無実の罪で十字架刑に処せられた。

ほめことばはパウロと同じように私たちの自由を奪う。それに心を奪われると聖霊による言葉を真っ直ぐに語れなくなる。
サタンはほめて持ち上げ時を得てたたき落とす。彼の手に乗ってはならない。大切な事は、ほめられようとそしられようとその言葉の出所である。

ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。(Ⅱコリント6:8)

人の評価やほめ言葉ははげみになるし力にもなることがある。ただ、その言葉を即座に主への捧げものとし、自分の中に形を残さないようにするなら自由でいられる。


朝顔はこんなに元気に咲いてくれました。なぜか天高く・・



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一目惚れ

2017-08-12 23:31:14 | Weblog


 会席料理を頂いて、青のシンフォニーに乗るという小さな旅に息子が誘ってくれた。フグの薄造りや茶碗蒸しなどを、小さな部屋でゆったりと頂くことができた。

でも、慣れないデパートの中を歩く内に疲れて「もう帰りたいだけ」になった時、洋陶器の陳列に孫に良いと思うマグカップがあり、それを手にしてレジに向かった。その時、視線の先のマグカップに引き寄せられた。
「なんて楽しげなものだろ」と・・。

一度はその場を離れ、孫のカップを包装して貰って支払いを終えた。でも・・立ち去れなくて、棚に戻ってカップを手にしてしまった。ビビットなデザインに惹かれたのだけれど、手に添う感触に完全にダウン。

近付いてこられた店員さんに「これください。」と差し出したとき、「これは素敵ですよね。」と同意してくださって嬉しかった。
衝動的に買い物をするなんて人生初なのだ。でも、この時疲れはすっとんでいた。

 帰宅後、それがシリーズ物だとわかって息子に話すと「色々並んでいたじゃないか。見なかったのか。」と言われたけれど、私には他のものは一切目に入らなかったのだ。
それは図らずも「ラブストーリー、ボート」私の心の中には、小舟に疲れて休んでおられるイエスさまのお側で、シンと静まっている絵があるのだ。

今、就寝前のミルクをゆっくり飲んだ。四角くて丸いマグカップは手に馴染んでずっと心楽しい。

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