テストです。
11月24日、ついにこの日が来た。
満員の客席、入場曲が鳴り響きハシケンのカウントからドラムがフィルインして、フルバンドの音が大きな波のように押し寄せる。
この日は自分にとっても特別な日だった。
ハシケンの音楽を知って10年。10年ひと昔と言うように、やはり10年は長い。
音楽があったからこそ色んな出会いがあったし別れもあった。
もう天国に行ってしまって今日この日を一緒にむかえられなかった仲間だっている(でも、きっといたんだろうな)。
自分の仕事も今年大きな岐路に立ち、だからこそこの日をこの10年の卒業式のように捉えていた。
新旧織り交ぜたメンバー、新しいメンバーがバンドに新鮮な彩りを入れる。
久しぶりに演奏を聴いた5年前からのメンバーの皆さん、最後にフルバンドを観た5年前よりどのメンバーも更なる前進をしていた事に純粋に感動した。
それは、宮田さんや松永さんや太田さんといった年上組にでも言える事で、5年前に既にベテランだった方々が更に前進していた。
誰もが衰え知らずだった事に大きな勇気をもらった。
なんだか、この日の事だけはうまく文章に書き表せられないので、このぐらいで。
ハシケンさん、ありがとう。
ハシケンさんの音楽があったからこそ俺はこの10年に意味を見い出せたと思います。
だからこそ、またここから始めたいと思います。
満員の客席、入場曲が鳴り響きハシケンのカウントからドラムがフィルインして、フルバンドの音が大きな波のように押し寄せる。
この日は自分にとっても特別な日だった。
ハシケンの音楽を知って10年。10年ひと昔と言うように、やはり10年は長い。
音楽があったからこそ色んな出会いがあったし別れもあった。
もう天国に行ってしまって今日この日を一緒にむかえられなかった仲間だっている(でも、きっといたんだろうな)。
自分の仕事も今年大きな岐路に立ち、だからこそこの日をこの10年の卒業式のように捉えていた。
新旧織り交ぜたメンバー、新しいメンバーがバンドに新鮮な彩りを入れる。
久しぶりに演奏を聴いた5年前からのメンバーの皆さん、最後にフルバンドを観た5年前よりどのメンバーも更なる前進をしていた事に純粋に感動した。
それは、宮田さんや松永さんや太田さんといった年上組にでも言える事で、5年前に既にベテランだった方々が更に前進していた。
誰もが衰え知らずだった事に大きな勇気をもらった。
なんだか、この日の事だけはうまく文章に書き表せられないので、このぐらいで。
ハシケンさん、ありがとう。
ハシケンさんの音楽があったからこそ俺はこの10年に意味を見い出せたと思います。
だからこそ、またここから始めたいと思います。
偉大なるシンガー・ハシケンの15周年記念ソロツアーが始まりました。
今回は、単なるツアーというわけではありません。
知ってる方もいらっしゃるかとは思いますが、ハシケンの来年以降の自主的なツアーは無期限で停止です。
次に進む為の準備期間と言いましょうか、詳しくはこちら参照http://hasiken.seesaa.net/article/154330794.html
ハシケンさんと知り合って丁度10年。
ハシケンさんは自分より10歳年上なので、僕もあの頃のハシケンさんの年齢になりました。
この10年色々とありました、ハシケンさんは幾つもの作品を世の中に送り出し、プライベートでは結婚し息子が生れました。
10年という歳月、やっぱりなんだかんだ長いです。
自分はツアーマネージャーとして一緒にツアーに帯同して色んな街で色んな人達に出会って来ました。
ハシケンさんと俺と二人だけでまわった旅、バンドでまわった旅、機材車のカギが無くなって夜中にみんなで大捜索した名古屋の夜。
書ききれないぐらい思い出は深いです。
一番に思い出すのは色んな人の、笑顔、笑顔、笑顔、笑顔、時々涙。
今回のツアー、京都・奈良・岐阜には自分も帯同します。
15年間お世話になった各地の皆さん、今回だけは特別なツアーです。
お時間許すようでしたら、是非是非お越し下さい。
宜しくお願いします。
10/15(金)京都・パーカーハウスロール
10/16(土)奈良県・ビバリーヒルズ
10/17(日)岐阜・高橋商店
10/23(土)名古屋市大須・モノコト
10/29(金)広島県福山市・福山ポレポレ
10/30(土)広島・オーティス!
10/31(日)松山・ブエナビスタ
11/13(土)沖縄県石垣市・すけあくろ
11/20(土)宮城県石巻市・cafe SADI
11/21(日)宮城県仙台市・SENDAI KOFFEE
詳細こちら
http://hasiken.com/live/index.html
今回は、単なるツアーというわけではありません。
知ってる方もいらっしゃるかとは思いますが、ハシケンの来年以降の自主的なツアーは無期限で停止です。
次に進む為の準備期間と言いましょうか、詳しくはこちら参照http://hasiken.seesaa.net/article/154330794.html
ハシケンさんと知り合って丁度10年。
ハシケンさんは自分より10歳年上なので、僕もあの頃のハシケンさんの年齢になりました。
この10年色々とありました、ハシケンさんは幾つもの作品を世の中に送り出し、プライベートでは結婚し息子が生れました。
10年という歳月、やっぱりなんだかんだ長いです。
自分はツアーマネージャーとして一緒にツアーに帯同して色んな街で色んな人達に出会って来ました。
ハシケンさんと俺と二人だけでまわった旅、バンドでまわった旅、機材車のカギが無くなって夜中にみんなで大捜索した名古屋の夜。
書ききれないぐらい思い出は深いです。
一番に思い出すのは色んな人の、笑顔、笑顔、笑顔、笑顔、時々涙。
今回のツアー、京都・奈良・岐阜には自分も帯同します。
15年間お世話になった各地の皆さん、今回だけは特別なツアーです。
お時間許すようでしたら、是非是非お越し下さい。
宜しくお願いします。
10/15(金)京都・パーカーハウスロール
10/16(土)奈良県・ビバリーヒルズ
10/17(日)岐阜・高橋商店
10/23(土)名古屋市大須・モノコト
10/29(金)広島県福山市・福山ポレポレ
10/30(土)広島・オーティス!
10/31(日)松山・ブエナビスタ
11/13(土)沖縄県石垣市・すけあくろ
11/20(土)宮城県石巻市・cafe SADI
11/21(日)宮城県仙台市・SENDAI KOFFEE
詳細こちら
http://hasiken.com/live/index.html
人は、必要か不必要かに関係無くあたかも新しい記憶と古い記憶を対価交換するかのように自己を形成していく。
その記憶の積み重ねで出来上がった自己を、言うなれば内包する嘘さえもリアルに表現したのが、nowhereのニューアルバム『memory bazaar』なのか。
作詞、作曲、演奏、録音、全てに至ってこのアルバムにはその記憶のリアリティが表現されている。
こと、録音に関しても普通は消してしまうファットな音域が多々残ったままになっている。
録音技術的には簡単に消せる筈なのに、どう考えても作為的に残してある。
だけれども、それも実はリアリティなのだ、それがリアリティあるバンドの音なのだ。
それを表現する事は決して恥ずかしいものではなく、必ずしもデジタル処理で全てを整列させる事が正しい事ではない、ましてやロックの歴史はいつだって平均化される事を拒んできたじゃないか。
私達は、日々の生活の中でリアリティを羞恥心という盾でうやむやにしてしまいがちだ。
例えば、インターネットの世界でひたすら自分の顔を隠したがる人を私はとても不可思議に思っている。
確かに、悪用されるかもしれないという危惧は分からないでもないが、毎日街を歩いて世間様に晒している自分の顔じゃないか、機械にメモリーされるか人間の脳にメモリーされるかだけの違いなのに、なぜそれを拒否してしまうのだろう。
それは、言うなればリアリティの拒絶、言い換えれば自己の拒絶の一端ではないのだろうか?
「俺達はここまで晒してやったぜ、さぁお前はどうだ?」
『memory bazaar』は私にそんな問題定義をしてくれた。
もしかすると、この世界は全てが嘘かもしれないけれど、そこに立つ自分は確実にそこに在る。
なぜなら、それは私達が記憶を積み重ねてきたから。
もしもその記憶が全部嘘だっていい、嘘でも私はここに在るのだから。
凸凹な世界、凸凹な自分、もしあなたがその全てのリアリティを愛したいと思っているなら、私はこの『memory bazaar』をあなたに届けたいと思う。
ノーウェアサードアルバム「メモリーバザール」 2010.6.23 発売
発売元:Office Stone/BounDEE.Inc 販売元:バウンディ株式会社
nowhere公式サイト
http://officestone.net/nowhere/
my space ダイジェスト視聴
http://www.myspace.com/nowheremyspace
その記憶の積み重ねで出来上がった自己を、言うなれば内包する嘘さえもリアルに表現したのが、nowhereのニューアルバム『memory bazaar』なのか。
作詞、作曲、演奏、録音、全てに至ってこのアルバムにはその記憶のリアリティが表現されている。
こと、録音に関しても普通は消してしまうファットな音域が多々残ったままになっている。
録音技術的には簡単に消せる筈なのに、どう考えても作為的に残してある。
だけれども、それも実はリアリティなのだ、それがリアリティあるバンドの音なのだ。
それを表現する事は決して恥ずかしいものではなく、必ずしもデジタル処理で全てを整列させる事が正しい事ではない、ましてやロックの歴史はいつだって平均化される事を拒んできたじゃないか。
私達は、日々の生活の中でリアリティを羞恥心という盾でうやむやにしてしまいがちだ。
例えば、インターネットの世界でひたすら自分の顔を隠したがる人を私はとても不可思議に思っている。
確かに、悪用されるかもしれないという危惧は分からないでもないが、毎日街を歩いて世間様に晒している自分の顔じゃないか、機械にメモリーされるか人間の脳にメモリーされるかだけの違いなのに、なぜそれを拒否してしまうのだろう。
それは、言うなればリアリティの拒絶、言い換えれば自己の拒絶の一端ではないのだろうか?
「俺達はここまで晒してやったぜ、さぁお前はどうだ?」
『memory bazaar』は私にそんな問題定義をしてくれた。
もしかすると、この世界は全てが嘘かもしれないけれど、そこに立つ自分は確実にそこに在る。
なぜなら、それは私達が記憶を積み重ねてきたから。
もしもその記憶が全部嘘だっていい、嘘でも私はここに在るのだから。
凸凹な世界、凸凹な自分、もしあなたがその全てのリアリティを愛したいと思っているなら、私はこの『memory bazaar』をあなたに届けたいと思う。
ノーウェアサードアルバム「メモリーバザール」 2010.6.23 発売
発売元:Office Stone/BounDEE.Inc 販売元:バウンディ株式会社
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