こんにちは! 湯冷めと申します。
2016年もあと1時間ほどで終わってしまいますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今回は、なぜこのタイミング? という疑問は敢えて抜きにして「電磁戦隊メガレンジャー」の総括をしたいと思います。私自身、大好きな作品であり、ついこの間4度目の観賞を終え、まとめてみたいという思いが強くなり、年末年始のハッピーニューイヤー寸前に全く関係のない記事を上げることに驚いています。文章は固くなってしまいましたが、どうか最後までお読みいただければと思います。
日本が誇る国民的特撮ヒーローシリーズの1つ、スーパー戦隊。その21作目に当たるのが「電磁戦隊メガレンジャー」である。電磁などと聞き慣れないタイトルを冠しているが、その実態は当時急速に発展したIT技術をモチーフとしており、そこに宇宙という舞台や学園物という設定を組み込んだ意欲作であった。メガという名前はおそらくメガバイトに由来するのだろうが、主人公の5人が高校生であるという設定を踏まえると、主題歌にもあるように「100万倍の好奇心」、つまりは若さゆえの無限に広がる可能性を示唆しているとも捉えられる。メガレンジャーが戦うのは邪電帝国ネジレジア。地球を混乱に陥れようと異次元からやってきた侵略者である。今回は、この作品が持つ魅力について語っていきたい。
はじめに、メガレンジャーの基本設定や登場人物を抑えておこう。メガレンジャーの5人はそれぞれ、伊達健太がレッドに、遠藤耕一郎がブラックに、並木瞬がブルーに、城ケ崎千里がイエローに、今村みくがピンクに変身する。当初はINETが試験的に設置したゲーム筐体で優秀な成績を修めていた健太のみがメガレンジャーの候補であったが、INETがネジレジアに襲撃された際、偶然その場にいた他の4人も成り行き上メガレンジャーとなった。5人の正体はネジレジアは勿論、親しい人物にも基本的には秘密であり、変身後は本名でなくメガレッド、メガブラック、というように、変身後の姿で呼び合うことを徹底している。また、上記の理由から、人前で変身することが極端に少ないのもこの作品の特徴である。5人がピンチに陥った際に現れた6人目のメガレンジャーが、早川裕作が変身するメガシルバーである。元々は実験用のプロトタイプであったメガスーツを自ら改良し、ネジレジアの怪人を1人で撃破するほどの能力を持っている。裕作はINETの職員であるが、どこか目立ちたがり屋なため、初回の変身の時点でネジレジアに正体がばれている。そのため、ネジレジアに狙われたこともあった。この6人を統率しているのがINETの久保田である。過去に親友の鮫島を失った過去を持ち、ネジレジアを撃破するという確固たる信念を持つ。以上が、メガレンジャー側の主要登場人物である。次に、ネジレジアサイドの登場人物。指揮官のDr.ヒネラーを筆頭に、彼が作ったアンドロイドである人間の女性の姿をしたシボレナ、同じくアンドロイドのユガンデ、ある意味マスコット的存在であり怪人の巨大化に欠かせないビビデビ、ネジレジアのトップに君臨するジャビウス1世、地球侵略が遅々として進まないことに腹を立てたジャビウスがヒネラーの元へ寄越した卑劣な部下、ギレール。以上がネジレジア側の主な構成員である。
メガレンジャーの物語はINETとネジレジアの攻防戦を軸に進んでいくが、その芯には久保田と鮫島、二人の科学者の意見の相違がある。
もともと、久保田と鮫島は宇宙開発技術を導く科学者で、親友同士であった。しかし、鮫島がネジレジアに魅せられる以前から、二人の間には決定的な溝が存在した。人間に特殊スーツを着用させて強化することで宇宙開発を進めようとした久保田に対し、鮫島は人間自身をパワーアップしようと研究を進めていたのである。この溝は決して埋まることがなかったが、鮫島の娘が実験中に事故死するという悲劇的な結末で二人の友情は幕を下ろす。結果、鮫島は世界中からマッドサイエンティストと糾弾され、正式に採用されたのは久保田の開発した強化スーツ(これがメガスーツの原型となる)であった。そのことで、久保田だけでなく世間への復讐心に火が付いた鮫島は、ネジレジアの存在を知り、彼らの仲間入りを果たす。そして、久保田はそれを強く後悔する。
ここからは本編では特に語られていないが、鮫島のその後、ヒネラーが誕生する前のネジレジアについて考察していきたい。まず、Dr.ヒネラーがジャビウス1世から地球侵略という責任重大な任務の指揮官を任せられていたことから、ヒネラーの地位はネジレジアの中でもかなり高位に位置していたと考えられる。これはなぜなのか。私は、Dr.ヒネラーの頭脳や研究がネジレジアを大いに発展させたという説を提唱したい。そもそも奇妙なのが「ジャビウス1世」という呼称である。2世は登場どころか言及すらされていない。それに、ジャビウス1世の正体は単なるエネルギー体であり、子孫を残せるかどうかも不明である。また、ジャビウスはヒネラーの策略によって亡き者にされるが、王がそんな事態に陥ってもネジレジアの誰一人としてヒネラーに牙を向くことはなかった。これらより導き出される結論は、ジャビウス1世はただ世界征服を掲げて調子に乗っていただけの幼稚な存在だったのではないか、ということである。上記のように、彼の正体はエネルギー体である。つまり、何者かによって作られたという可能性も否定できない。その何者かとは、地球でもネジレ次元でもない別の次元に暮らす存在かもしれない。彼らが生み出し、何らかの理由で異なる次元へと放ったエネルギー体に、突如として自我が芽生えた、それこそがジャビウス1世の正体なのではないだろうか。ギレールはおそらく、鮫島より以前からネジレジアの存在を知り、ネジレ次元へと飛び込んできた存在であろう。卑劣な存在ではあるが、科学に対しては鮫島に劣るため、ヒネラーよりも下の地位に就けられたと考えられる。それほどまでに、ジャビウス1世にとって、ヒネラーは欠かせない存在なのだ。鮫島はネジレジアが掲げる世界侵略の野望に共感し、親友を捨て単身ネジレジアへと身をやつしたが、蓋を開けてみればガキがくだらない夢を見ていただけであった。失望した鮫島は、自らの手でネジレジアをより強力な、人々に畏怖される部隊へと導いていこうと画策する。そして、その目論見は見事に成功し、革新的な技術を用いてネジレジアの発展に貢献した鮫島は、Dr.ヒネラーとして地球侵略を任されるのである。ヒネラーにとってジャビウス1世なんぞに命令されるのはさぞ屈辱であっただろうが、彼の実力を認めていたのか、利用するつもりだっただけなのか、はたまた地球人に復讐できればなんでもよかったのかは分からないが、とにかくヒネラーは地球への侵攻を開始し、メガレンジャーと熾烈な争いを繰り広げることになる。
最後に、メガレンジャーの魅力に言及したい。言うまでもなく、電磁戦隊メガレンジャーの物語的な魅力は、5人の”学生生活と戦いの両立”にある。彼らは戦士でないどころか、高校生としてのプライベートを持っているのである。夢に部活に恋に勉強に、青春と名の付く人生の大事な時期に周りに正体を隠しながら命懸けの戦いを強いられているという、スーパー戦隊の中でもかなり特異な5人なのである。そして、5人を支えるINETの職員たちも、5人をメガレンジャーに選んでしまったことに責任を感じており、彼らのために自らの人事を尽くそうと懸命に走る。そうした正義の姿に視聴者は自らを重ねたり、共感したりしながらメガレンジャーの物語は進んでいくのである。最終的に誰一人欠けることなく、クラスメイトからも祝われて無事に卒業証書を手にした彼らの姿には涙を禁じ得ない。確かに、青春の側面に焦点を当てたことで、メガレンジャーとネジレジアという対立の軸は影を潜めてしまったように感じる。しかし、この戦いはあくまで、鮫島と久保田という二人の科学者の対立に終始していたように思うのだ。そして、その個人的な対立に若き5人を巻き込んでしまったことを久保田は激しく後悔し、精一杯の援護を行っていこうと決意する。「こうありたかった」と思わせる青春の物語と、「こうありたい」と思わせる大人たちの生き様こそがメガレンジャーの魅力の正体なのではないだろうか。全51話、非常に密度の濃い作品であった。
2016年もあと1時間ほどで終わってしまいますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今回は、なぜこのタイミング? という疑問は敢えて抜きにして「電磁戦隊メガレンジャー」の総括をしたいと思います。私自身、大好きな作品であり、ついこの間4度目の観賞を終え、まとめてみたいという思いが強くなり、年末年始のハッピーニューイヤー寸前に全く関係のない記事を上げることに驚いています。文章は固くなってしまいましたが、どうか最後までお読みいただければと思います。
日本が誇る国民的特撮ヒーローシリーズの1つ、スーパー戦隊。その21作目に当たるのが「電磁戦隊メガレンジャー」である。電磁などと聞き慣れないタイトルを冠しているが、その実態は当時急速に発展したIT技術をモチーフとしており、そこに宇宙という舞台や学園物という設定を組み込んだ意欲作であった。メガという名前はおそらくメガバイトに由来するのだろうが、主人公の5人が高校生であるという設定を踏まえると、主題歌にもあるように「100万倍の好奇心」、つまりは若さゆえの無限に広がる可能性を示唆しているとも捉えられる。メガレンジャーが戦うのは邪電帝国ネジレジア。地球を混乱に陥れようと異次元からやってきた侵略者である。今回は、この作品が持つ魅力について語っていきたい。
はじめに、メガレンジャーの基本設定や登場人物を抑えておこう。メガレンジャーの5人はそれぞれ、伊達健太がレッドに、遠藤耕一郎がブラックに、並木瞬がブルーに、城ケ崎千里がイエローに、今村みくがピンクに変身する。当初はINETが試験的に設置したゲーム筐体で優秀な成績を修めていた健太のみがメガレンジャーの候補であったが、INETがネジレジアに襲撃された際、偶然その場にいた他の4人も成り行き上メガレンジャーとなった。5人の正体はネジレジアは勿論、親しい人物にも基本的には秘密であり、変身後は本名でなくメガレッド、メガブラック、というように、変身後の姿で呼び合うことを徹底している。また、上記の理由から、人前で変身することが極端に少ないのもこの作品の特徴である。5人がピンチに陥った際に現れた6人目のメガレンジャーが、早川裕作が変身するメガシルバーである。元々は実験用のプロトタイプであったメガスーツを自ら改良し、ネジレジアの怪人を1人で撃破するほどの能力を持っている。裕作はINETの職員であるが、どこか目立ちたがり屋なため、初回の変身の時点でネジレジアに正体がばれている。そのため、ネジレジアに狙われたこともあった。この6人を統率しているのがINETの久保田である。過去に親友の鮫島を失った過去を持ち、ネジレジアを撃破するという確固たる信念を持つ。以上が、メガレンジャー側の主要登場人物である。次に、ネジレジアサイドの登場人物。指揮官のDr.ヒネラーを筆頭に、彼が作ったアンドロイドである人間の女性の姿をしたシボレナ、同じくアンドロイドのユガンデ、ある意味マスコット的存在であり怪人の巨大化に欠かせないビビデビ、ネジレジアのトップに君臨するジャビウス1世、地球侵略が遅々として進まないことに腹を立てたジャビウスがヒネラーの元へ寄越した卑劣な部下、ギレール。以上がネジレジア側の主な構成員である。
メガレンジャーの物語はINETとネジレジアの攻防戦を軸に進んでいくが、その芯には久保田と鮫島、二人の科学者の意見の相違がある。
もともと、久保田と鮫島は宇宙開発技術を導く科学者で、親友同士であった。しかし、鮫島がネジレジアに魅せられる以前から、二人の間には決定的な溝が存在した。人間に特殊スーツを着用させて強化することで宇宙開発を進めようとした久保田に対し、鮫島は人間自身をパワーアップしようと研究を進めていたのである。この溝は決して埋まることがなかったが、鮫島の娘が実験中に事故死するという悲劇的な結末で二人の友情は幕を下ろす。結果、鮫島は世界中からマッドサイエンティストと糾弾され、正式に採用されたのは久保田の開発した強化スーツ(これがメガスーツの原型となる)であった。そのことで、久保田だけでなく世間への復讐心に火が付いた鮫島は、ネジレジアの存在を知り、彼らの仲間入りを果たす。そして、久保田はそれを強く後悔する。
ここからは本編では特に語られていないが、鮫島のその後、ヒネラーが誕生する前のネジレジアについて考察していきたい。まず、Dr.ヒネラーがジャビウス1世から地球侵略という責任重大な任務の指揮官を任せられていたことから、ヒネラーの地位はネジレジアの中でもかなり高位に位置していたと考えられる。これはなぜなのか。私は、Dr.ヒネラーの頭脳や研究がネジレジアを大いに発展させたという説を提唱したい。そもそも奇妙なのが「ジャビウス1世」という呼称である。2世は登場どころか言及すらされていない。それに、ジャビウス1世の正体は単なるエネルギー体であり、子孫を残せるかどうかも不明である。また、ジャビウスはヒネラーの策略によって亡き者にされるが、王がそんな事態に陥ってもネジレジアの誰一人としてヒネラーに牙を向くことはなかった。これらより導き出される結論は、ジャビウス1世はただ世界征服を掲げて調子に乗っていただけの幼稚な存在だったのではないか、ということである。上記のように、彼の正体はエネルギー体である。つまり、何者かによって作られたという可能性も否定できない。その何者かとは、地球でもネジレ次元でもない別の次元に暮らす存在かもしれない。彼らが生み出し、何らかの理由で異なる次元へと放ったエネルギー体に、突如として自我が芽生えた、それこそがジャビウス1世の正体なのではないだろうか。ギレールはおそらく、鮫島より以前からネジレジアの存在を知り、ネジレ次元へと飛び込んできた存在であろう。卑劣な存在ではあるが、科学に対しては鮫島に劣るため、ヒネラーよりも下の地位に就けられたと考えられる。それほどまでに、ジャビウス1世にとって、ヒネラーは欠かせない存在なのだ。鮫島はネジレジアが掲げる世界侵略の野望に共感し、親友を捨て単身ネジレジアへと身をやつしたが、蓋を開けてみればガキがくだらない夢を見ていただけであった。失望した鮫島は、自らの手でネジレジアをより強力な、人々に畏怖される部隊へと導いていこうと画策する。そして、その目論見は見事に成功し、革新的な技術を用いてネジレジアの発展に貢献した鮫島は、Dr.ヒネラーとして地球侵略を任されるのである。ヒネラーにとってジャビウス1世なんぞに命令されるのはさぞ屈辱であっただろうが、彼の実力を認めていたのか、利用するつもりだっただけなのか、はたまた地球人に復讐できればなんでもよかったのかは分からないが、とにかくヒネラーは地球への侵攻を開始し、メガレンジャーと熾烈な争いを繰り広げることになる。
最後に、メガレンジャーの魅力に言及したい。言うまでもなく、電磁戦隊メガレンジャーの物語的な魅力は、5人の”学生生活と戦いの両立”にある。彼らは戦士でないどころか、高校生としてのプライベートを持っているのである。夢に部活に恋に勉強に、青春と名の付く人生の大事な時期に周りに正体を隠しながら命懸けの戦いを強いられているという、スーパー戦隊の中でもかなり特異な5人なのである。そして、5人を支えるINETの職員たちも、5人をメガレンジャーに選んでしまったことに責任を感じており、彼らのために自らの人事を尽くそうと懸命に走る。そうした正義の姿に視聴者は自らを重ねたり、共感したりしながらメガレンジャーの物語は進んでいくのである。最終的に誰一人欠けることなく、クラスメイトからも祝われて無事に卒業証書を手にした彼らの姿には涙を禁じ得ない。確かに、青春の側面に焦点を当てたことで、メガレンジャーとネジレジアという対立の軸は影を潜めてしまったように感じる。しかし、この戦いはあくまで、鮫島と久保田という二人の科学者の対立に終始していたように思うのだ。そして、その個人的な対立に若き5人を巻き込んでしまったことを久保田は激しく後悔し、精一杯の援護を行っていこうと決意する。「こうありたかった」と思わせる青春の物語と、「こうありたい」と思わせる大人たちの生き様こそがメガレンジャーの魅力の正体なのではないだろうか。全51話、非常に密度の濃い作品であった。