突然の大地震。皆さんご無事でしょうか。私と私の子供達は全員元気です。業爆3月の週末ということで、時間と競るように仕事をしていたところ、今まで感じたことのない小刻みに連続する縦揺れが始まり、やがてそれに横揺れが加わって、私の席はちょうどオフィスのほぼ真ん中で、上に照明器具もないため、ヘルメットだけかぶって様子を伺っていると、同僚は全員机の下に避難し、それと同時くらいに壁に設置してある背の高いキャビネットの中の軽いフォルダ類が飛び出してきました。排煙窓も衝撃で一つ開いて、給茶機の断水エラーの警告音がぴー!ぴー!ぴーっ!と不安な音を響かせはじめ・・・。
ネットの地震速報で震源地が東北ということだったので、仙台の営業所の同僚に電話。興奮した様子で外出で不在な人を除いて全員無事を確認。そのあとはもう、TVから信じられないような情報が次々ともたらされて、特に津波の画像は、何が起こっているのか始めは理解できないくらいの衝撃でした。被災者やなくなられた人の数の大きさ、津波で押し流される車や家々が画面に映るたびに、悲鳴ともため息ともつかない、唸り声をみな口々に漏らしていました。
同僚の安否確認、期日のある仕事は勧めながら、関係する皆さんの安否も心配で、そして子供達がそれぞれどうしているかも気にかかるのですが、携帯も固定電話もあっという間に不通になったため、IP電話とメールでできる限りの連絡をして、社内の災害対策本部の指示に従って、余震が減った頃から10km圏内在住者から集団帰宅。10km以上で交通機関が不通の人たちは事務所泊になったので、緊急用備蓄食料を出してきて待機。その頃にはほぼコンビニの食品は空になっていたようです。
夕方3時半過ぎくらいに隣の本社ビルの7階まで、階段室を登っていたところちょうど3階あたりから、壁がギシギシとなる音がして大きめの余震が起こると3.4.5階の階段室の壁が大きくしなるのが恐ろしくて、急いで駆け上って7階へ。書類を届けに行くと、みんなよほど驚いたのか、大笑い。こんなときに、仕事をしているのかとビックリしたらしいです。その後16時半頃に書類を受け取りに行ったときも、反射的に大笑いされて、ちょっと皆さんの緊張の緩和に役立ったようです。
私は事務所から家まで約16km。歩いて帰宅することはもちろん可能ですが、日も落ちて小雨もぱらつき始め、気温が下がってきたので明るくなるまで待機することにしました。長男は秋葉原の勤務先から千駄木のお友達の家に泊めてもらい、長女は秋葉原から歩いて、杉並区まで延々歩いて帰宅。次女は学校に待機と全員の生存確認もできたので、三重県の実家に報告。
宿泊組はTVで地震情報を確認しながら、仕事をしたり、安否確認したりして、深夜になって椅子を寄せ合って仮眠を取りましたが、緊急地震速報が流れるよりはやく、余震を感じると跳ね起きたり、横になって身体を休めはしましたが、不安な一夜を過ごしました。(いびきをかいて寝ている人もいましたが)
地下鉄や私鉄が復旧しては混雑による運転見合わせを繰り返し、夜明け前にはほぼ復旧が確定し、JRも7時〜8時ごろには運転再開と報じられたので、非常食で朝ごはんを食べ、方向が近い同僚と一緒に事務所をでて、朝のラッシュ時のような日比谷線で上野まで。上野はもう人が川のように溢れてすごい状態でした。みんな7時運転再開と思って殺到したのでしょう。ところが、エキュート開店に向け工事中のJRが入場規制したのか、運転再開が遅れたのか、日比谷線から大行列してきた人間の川は改札前でシャットアウト。アナウンスもまったく聴こえてこなくて、仕方なく地上へ移動。そこで、埼京線方面の同僚と別れて徒歩で帰宅することにしました。
上野公園側は、明るい朝の陽射しに土曜の7時過ぎにしては多い人たちが談笑して、動物園は開園とかいてあるし、テキヤさんはたこ焼き屋台の準備を始めていて、駅の喧騒が嘘のよう。寛永寺に向かって歩いていると普通にランニングスタイルの早そうな男性がジョギングしているし、犬の散歩をしているひとが何人も。心地よい早春の朝の風景の中に、帰宅難民チックな人たちがそれぞれの方向に歩いていました。
鶯谷の駅前を通り、電車が一本も通らない常磐線をくぐり、明治通りを越え、都電町屋駅前を通過して、尾竹橋通りをひたすら北へ北へと歩きました。途中、屋根瓦が落ちたり、タイル張りの壁面が剥離した古い戸建がいくつかと、舗道の境目のコンクリートがひび割れたり、といった個所が複数ありましたが、普通にゴミ収集車が作業をし、デイケアサービスの車両がお年寄りをお迎えに街を回ったり、和菓子屋さんもクリーニング屋さんも通常営業されていて、ほんの数時間前の地震が夢のよう。
かと思えば、地震で釜が壊れたので営業を中止したうどん屋さんや、品物がほとんどなくて臨時閉店したファミリーマートなどもあって、日常と非日常の混在に悪い夢を見ているような心もちがしました。
尾竹橋通りはいつもの土曜にしては交通量が多いようでしたが、渋滞というほどでもなく路線バスも走っていました。徒歩帰宅者と思われる男性数名をうしろに、さくさく歩いて隅田川にかかる橋をわたり、荒川を越える橋に差し掛かると、富士山がきれいで川面も特に異常なくきらきらと朝の光を反射して、川岸の広場ではゴルフをする人も!そして驚いたのは橋の欄干から海のほうに向かって、ザックを背負った若い男性が、横笛(フルートではなく竜笛)を取り出して、おもむろに奏じはじめたではありませんか!一体一体これはなに???と思いながら家路を急ぎ、途中家の近くのヨークマートで食品を買って、11時前に帰宅。
小娘も学校の先生と一緒に電車とバスと徒歩を組み合わせて帰ってきていて、ほっと安心。昨年の9月に転居したときに、練馬区より軟弱地盤なので、家具の下にゴムを敷いたり、食器棚を耐震ラッチ付に買い換えていたためか、家の中は意外なほどきれいで、ベッド下収納の引き出しがひとつ飛び出していたのと、ゴムを敷いていなかったCDラックの上に置いていた観葉植物の鉢と、冷蔵庫の上の猫の餌が落ちただけで、特に被害はなく、猫も元気で無事でした。
こうして今もTVで惨状をみていると、暖かい部屋でお風呂に入れて、夕食がとれることが奇跡のような幸運なんだと、いつ自分にこの災害が降りかかってもおかしくないと思うと、今飛んでいってなにかをしてあげる力はなにもないけれど、なにかなにか、するとしたら、自分の本分をしっかりやるしかないのだなぁ・・と、なんとも表現しようのない気持ちになるのです。
ネットの地震速報で震源地が東北ということだったので、仙台の営業所の同僚に電話。興奮した様子で外出で不在な人を除いて全員無事を確認。そのあとはもう、TVから信じられないような情報が次々ともたらされて、特に津波の画像は、何が起こっているのか始めは理解できないくらいの衝撃でした。被災者やなくなられた人の数の大きさ、津波で押し流される車や家々が画面に映るたびに、悲鳴ともため息ともつかない、唸り声をみな口々に漏らしていました。
同僚の安否確認、期日のある仕事は勧めながら、関係する皆さんの安否も心配で、そして子供達がそれぞれどうしているかも気にかかるのですが、携帯も固定電話もあっという間に不通になったため、IP電話とメールでできる限りの連絡をして、社内の災害対策本部の指示に従って、余震が減った頃から10km圏内在住者から集団帰宅。10km以上で交通機関が不通の人たちは事務所泊になったので、緊急用備蓄食料を出してきて待機。その頃にはほぼコンビニの食品は空になっていたようです。
夕方3時半過ぎくらいに隣の本社ビルの7階まで、階段室を登っていたところちょうど3階あたりから、壁がギシギシとなる音がして大きめの余震が起こると3.4.5階の階段室の壁が大きくしなるのが恐ろしくて、急いで駆け上って7階へ。書類を届けに行くと、みんなよほど驚いたのか、大笑い。こんなときに、仕事をしているのかとビックリしたらしいです。その後16時半頃に書類を受け取りに行ったときも、反射的に大笑いされて、ちょっと皆さんの緊張の緩和に役立ったようです。
私は事務所から家まで約16km。歩いて帰宅することはもちろん可能ですが、日も落ちて小雨もぱらつき始め、気温が下がってきたので明るくなるまで待機することにしました。長男は秋葉原の勤務先から千駄木のお友達の家に泊めてもらい、長女は秋葉原から歩いて、杉並区まで延々歩いて帰宅。次女は学校に待機と全員の生存確認もできたので、三重県の実家に報告。
宿泊組はTVで地震情報を確認しながら、仕事をしたり、安否確認したりして、深夜になって椅子を寄せ合って仮眠を取りましたが、緊急地震速報が流れるよりはやく、余震を感じると跳ね起きたり、横になって身体を休めはしましたが、不安な一夜を過ごしました。(いびきをかいて寝ている人もいましたが)
地下鉄や私鉄が復旧しては混雑による運転見合わせを繰り返し、夜明け前にはほぼ復旧が確定し、JRも7時〜8時ごろには運転再開と報じられたので、非常食で朝ごはんを食べ、方向が近い同僚と一緒に事務所をでて、朝のラッシュ時のような日比谷線で上野まで。上野はもう人が川のように溢れてすごい状態でした。みんな7時運転再開と思って殺到したのでしょう。ところが、エキュート開店に向け工事中のJRが入場規制したのか、運転再開が遅れたのか、日比谷線から大行列してきた人間の川は改札前でシャットアウト。アナウンスもまったく聴こえてこなくて、仕方なく地上へ移動。そこで、埼京線方面の同僚と別れて徒歩で帰宅することにしました。
上野公園側は、明るい朝の陽射しに土曜の7時過ぎにしては多い人たちが談笑して、動物園は開園とかいてあるし、テキヤさんはたこ焼き屋台の準備を始めていて、駅の喧騒が嘘のよう。寛永寺に向かって歩いていると普通にランニングスタイルの早そうな男性がジョギングしているし、犬の散歩をしているひとが何人も。心地よい早春の朝の風景の中に、帰宅難民チックな人たちがそれぞれの方向に歩いていました。
鶯谷の駅前を通り、電車が一本も通らない常磐線をくぐり、明治通りを越え、都電町屋駅前を通過して、尾竹橋通りをひたすら北へ北へと歩きました。途中、屋根瓦が落ちたり、タイル張りの壁面が剥離した古い戸建がいくつかと、舗道の境目のコンクリートがひび割れたり、といった個所が複数ありましたが、普通にゴミ収集車が作業をし、デイケアサービスの車両がお年寄りをお迎えに街を回ったり、和菓子屋さんもクリーニング屋さんも通常営業されていて、ほんの数時間前の地震が夢のよう。
かと思えば、地震で釜が壊れたので営業を中止したうどん屋さんや、品物がほとんどなくて臨時閉店したファミリーマートなどもあって、日常と非日常の混在に悪い夢を見ているような心もちがしました。
尾竹橋通りはいつもの土曜にしては交通量が多いようでしたが、渋滞というほどでもなく路線バスも走っていました。徒歩帰宅者と思われる男性数名をうしろに、さくさく歩いて隅田川にかかる橋をわたり、荒川を越える橋に差し掛かると、富士山がきれいで川面も特に異常なくきらきらと朝の光を反射して、川岸の広場ではゴルフをする人も!そして驚いたのは橋の欄干から海のほうに向かって、ザックを背負った若い男性が、横笛(フルートではなく竜笛)を取り出して、おもむろに奏じはじめたではありませんか!一体一体これはなに???と思いながら家路を急ぎ、途中家の近くのヨークマートで食品を買って、11時前に帰宅。
小娘も学校の先生と一緒に電車とバスと徒歩を組み合わせて帰ってきていて、ほっと安心。昨年の9月に転居したときに、練馬区より軟弱地盤なので、家具の下にゴムを敷いたり、食器棚を耐震ラッチ付に買い換えていたためか、家の中は意外なほどきれいで、ベッド下収納の引き出しがひとつ飛び出していたのと、ゴムを敷いていなかったCDラックの上に置いていた観葉植物の鉢と、冷蔵庫の上の猫の餌が落ちただけで、特に被害はなく、猫も元気で無事でした。
こうして今もTVで惨状をみていると、暖かい部屋でお風呂に入れて、夕食がとれることが奇跡のような幸運なんだと、いつ自分にこの災害が降りかかってもおかしくないと思うと、今飛んでいってなにかをしてあげる力はなにもないけれど、なにかなにか、するとしたら、自分の本分をしっかりやるしかないのだなぁ・・と、なんとも表現しようのない気持ちになるのです。













出産以来運動不足の妻も、3時間歩いて帰ってきました。
娘は保育園に叔母が来てくれて、従姉と遊べて楽しかったみたいです。
大変なのはこれからですよね。
店先からいろいろな物が消えてますから・・・。
もっとも、在宅勤務になってしまった妻が出荷手続きの指示を出しているのを見ていると、「別に物流がダウンしているわけではなさそうだから、数日で食料関係は落ち着くのかなあ」と思うのですが。
(援助物資や生活必需品ではないものを運ぶ余裕はあるみたいなので)
ご家族皆さん無事でなによりでした。
物流関連のグループ会社では「トラックが集まらない」「燃料がない」で大変だったようで、被災地の拠点に救援物資を運び込むのに、赤帽さんをお願いしたそうです。