地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

⑦我が青春のジュリー(京都音楽事情)

2007-02-24 02:20:11 | 音楽の部屋
 ぼくはミーハーなところがあって、ジュリー、つまり沢田研二が大好きだ。
 タイガーズではなくジュリーが好きだ。
 こんなことを声高にいう自分が恥ずかしい気もするが、あえて告白する。
 未だにジュリーのコンサートを観に行くが、その度に観客の老齢化を意識する。 客は総立ちになるが、周りの連中はぼくと同じで体力がついていけず坐り込んでしまう。そんな自分がちょっと淋しい。
 化粧をし、きらびやかな衣装を着け、派手な振りをしても違和感のないジュリーは、最高のパフォーマーである。多分、それは着倒れや阿国歌舞伎のルーツが存在する京都の空気を持ったジュリーだから出来たことだろう。
今から30年以上前、ぼくはジュリーの生を見たことがあった。
 それは、三条蹴上げにあった都ホテルのプールでのこと。
 あのジュリーが泳いでいたのである。
 ぼくは思わず見惚れていた。
 プールサイドには、そのころ京都では有名だったオカマさんのバー「たかし」のおっしょさん(マスターがそう呼ばれていた)が着流しに和傘をさして立っていた。もちろん、たかしのおっしょさんはジュリーのお付きさんである。
 まるで都ホテルのプールが舞台のように、そのなかでジュリーが中心にいる主役のように、ぼくには見えた。まさにジュリーは千両役者そのものだった。
 京都のカントトリーウェスタンのバンド「テネシーファイブ」の永富研二が、その舞台のトークのつかみとして「京都の三大ケンジ、沢田研二、愛田けんじ、そして、永富けんじでございます」と、いって客に大いに受けるのも、言わずもがなジュリーの大きさゆえであろう。
 いっとき「河原町のジュリー」という人物がマスコミを賑わし、それに対抗して「寺町のショーケン」なるものも現れた。
 ジュリーというのは一種社会現象となっていたのである。
 当時に比べてジュリーは太った、とよくいわれる。若いひとたちにジュリーが好きだといっても、当時の熱気はどうも理解してもらえない。
 が、ぼくにはジュリーが太ろうと歳をとろうと、ジュリーはジュリーなのである。
 我が青春のジュリーなのである。
 
 
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