地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

久しぶりにライブでしたよ!

2016-09-25 08:04:42 | 音楽の部屋
9月24日(土)、宇治市小倉のパスタイムでライブ。パスタイムはしばらくぶりの出演で、今夜は、みやこもり、オールドタイムランブラーズなども一緒。特にオールドタイムの箕岡理ちゃんことミノさんとの無駄話が楽しみであった。が、ミノさん、もうすでに出来上がっておりベロンベロン、それでもいっぱいおもしろい話ができた。めずらしく褒めてもらった。ミノさん酒はほどほどに!
さて、ぼくらのバンド、ブルージーパパは今回リードギターの上野くんが急病で、急遽3人での演奏となった。やはりいつもとは違い落ち着かなかったが、なんとかもなせた。この齢になるといろんな病気が出てくる。気をつけねば、と思わずにいられないライブだった。

ブルージーパパです。

森さんがベースで助っ人、ありがとう。

オールドタイムランブラーズ

箕岡さん。

今日は3人で!
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没後50年河井寛次郎展(2016・9・15~10・23)が開催!

2016-09-15 23:51:03 | 文学
河井寛次郎といえば、土と炎の詩人として知られている。ぼくは彼の作品に魅かれ、1996年8月に雑文を書いた。
河井は多くの陶芸作品を遺したが、彼の属した民芸という雑誌の7号で、精華町の植田村のことを圧倒的に美しい村として書いている。その関係で、孫さんの鷺珠江さんや益子陶芸美術館の横堀聡さんなどを植田村に案内した。それらが掲載されているThe Real Kawai kanjiro(河合の真実)と、いう目録にぼくの名前も入れてもらい、平静21年に高島屋で河井寛次郎展が開かれたが、京都ではあれ以来の展覧会が勢丹7階の美術館「えき」で開催になる。
寛次郎のまだ見ぬ作品にも出合えそうで楽しみである。
ぼくの好きな寛次郎の詩を最後に紹介しておこう。
「此の世は自分をさがしに来たところ 此の世は自分を見に来たところ」
この機会に河井寛次郎ワールドに触れられてはいかがだろう。





以前にぼくが書いた文、

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山城古道おはなし探訪に講師として参加

2016-09-11 00:28:14 | 文学
9月10日、井手町まちづくりセンター椿坂で山城古道おはなし探訪という催しがあり、「拙著小説山城国一揆の裏話」としてお話をさせていただきました。大勢の熱心な参加者の皆さんに圧倒されながらも無事、終えることが出来ました。中津川敬朗先生、中島さんありがとうございました。
その後、久しぶりに大阪芸大の河野正孝先生から会おうということで、京田辺のキンコヤで会うことになった。10年ほど前に先生のブラスバンドと一般の子どもたちを巻き込み楽しみでもある。音楽劇をつくりやまなみホールで上演した。また、なにかおもしろいことをしたいね、ということで意見が一致した。どうなることやら!

講義始まりです。




河野先生と久しぶりに!
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京都新聞随想山城9月9日「読書の秋、南山城の物語、と、題し書きました

2016-09-09 08:44:02 | 文学
京都新聞随想山城9月9日「読書の秋、南山城の物語、と、題し書きました。興味のある方はどうぞ。
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「同じ刻を生きる作家‣展」を観てきた。

2016-08-30 22:29:20 | ひとりごとの部屋
30日、京都木屋町にある元立誠小学校で行われている「同じ刻を生きる作家・展」を観てきた。
これはFB友だちで書道家の Ýayoi Inagakiさんが出展されているのでのぞいたものです。廃校になった元立誠小学校で行われているこの展覧会は書く教室を利用したいい雰囲気のゆっくりと鑑賞できる作品展だった。
今回は父上の好きな言葉を書かれたということで、教室に人が少なかったせいもあり、以前の大丸のときよりゆったりゆっくりとみせてもらえた。字のうまいひとはすてきだ。ぼくは自分が悪筆なのでいつもそう思う。
台風とも重なり、8月にしては涼しい、さらに彼女の作品の一陣の風にふれたような涼やかな刻を過ごさせてもらった。それにしても字がうまくなりたいものである。








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「後妻業の女」を観てきた。

2016-08-30 01:02:19 | ひとりごとの部屋
9月29日、台風の影響で雨が降るなか、気になっていた映画「後妻業の女」を観てきた。友人たちも封切りと同時に観に行っているので、なんかせっつかれる気がしていた。
そうそうたる俳優陣、大竹しのぶ、豊川悦治、永瀬正敏、余貴美子、柄本明などが並ぶ。この作品のノリは大阪だろう。おかしくてやがて哀しき人間喜劇である。大阪を舞台にするからこそリアルになるのだろう。大竹しのぶの操る大阪弁はさすがだ。
死に行く老人たちに夢を見させてやる後妻業のどこが悪いのか、と聞かれると直ぐには答えられないだろう。金を持っては死ねない、というよく聞く言葉も妙に納得する。
とにかく自分が同じような世代のためか無茶苦茶おもしろかった。ただ笑福亭鶴瓶が最近、あちこちの映画で観るためかリアルさがなかった。やはり、俳優ではないのだろう。
最後のシーンで大竹しのぶがスーツケースに入れられるのは、以前に明石家さんまと付き合っていたころマスコミの目をごまかすのにスーツケースに入って、マンションに通っていたというのを思い出しおかしかった。
映画音楽としてドウー・ユー・ワナ・ダンスが使われていたがあれは誰が歌っているのだろう。アレンジが哀しみを湛えていた。


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日赤に行って来た

2016-08-24 23:33:50 | ひとりごとの部屋
8月24日、朝から東福寺の日赤病院に行って来た。これは8月9日に受けた大腸検診の結果の説明を受けるためである。連れ合いも心配して付いて来てくれた。
結果は4個のポリープを切除し、ひとつはかなり大きかったそうだが、いずれも良性とのこと。ただポリープが出来やすいようで、2年後にも一度検査とのこと。とりあえず結果オーライであった。お地蔵さんが護ってくれてはるんや、と思えた次第。大勢のひとに心配していただきありがとうございました。
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地蔵盆のころ。

2016-08-24 00:10:30 | ひとりごとの部屋
8月23日、京都のぼくらの地域では地蔵盆が行われる。ぼくの実家にはお地蔵さんがおられるので、毎年、お祀りをする。午後5時ごろからお飾りをして、お地蔵さんをきれいに洗い、拭いてあげ、年に一度、新しく作った涎かけをしてもらい、7時ごろには坊さんにお参りしてもらう。三々五々村の人たちもお参りしてもらう。
これでうちの長男、二男は今年もお地蔵さんに無事護ってもらえるのだ。



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淡路島へ行ってきた

2016-08-18 08:20:55 | 文学
8月16日、17日と淡路島へ行ってきた。このところ検診などで体調などがもうひとつだったので、温泉にでも、と考えていたが、直前のため空いてる宿がなく、空いていても宿泊代がすごく高いので諦めかけていたが、昔からの知り合い一貫田達也くんが淡路島パルシェでゼネラルマネージャーをしていることを思い出し、無理をいって予約を取った。ハモ鍋ということで、ハモは京都と思っていたぼくは淡路島が本場と知り自分の無知に反省した次第。
淡路島といえば、淡路人形座と司馬遼太郎の菜の花の沖でお馴染みの高田屋嘉兵衛歴史文化資料館はぜひのぞいてみたいと思っていたので息子に運転を任せて行ってきた。
淡路人形座では「戎舞」と「八百屋お七・火の見櫓の段」を観たが、お七の火の見櫓に人形がのぼっていくシーンにはあまりにリアルな動きに驚かされた。次は高田屋嘉兵衛歴史資料館に行ったが彼が淡路島出身で江戸時代後期の廻船業者であり、驚いたことに函館を開き、やがてロシアの人質になるが、彼の人となりからゴローニンが「日本にはあらゆる意味で人間とゆう崇高な名で呼ぶに相応しい人物がいる」と、いわしめた。今の政治家に聞いてもらいたいものだと思った。菜の花の沖で司馬遼太郎が彼を取りあげたのがよく判る気がした。
淡路人形座も高田屋嘉兵衛記念館もどちらも感動があった。息子の運転、ありがたかった。温泉もハモ鍋も、体と精神を癒してくれた。




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元フォーチュンの大森、リュウジ各氏のライブを観てきた

2016-08-07 08:51:33 | 音楽の部屋
8月6日、友人の風呂本寛さんに誘われてライブを観に行ってきた。彼はグループサウンズ、ザ・スケルトンズのリードボーカルであった。彼はプロにならず学校の先生になった。当時、祇園のニューデルタなどで対バンをはっていた大森くんがバンドをしておりライブをするので一緒に行こうと誘いを受けたのである。フォーチュンといえばフイッリピンバンドでクンチョーがメンバーだったことで知られているが、タイコの大森くんやリュウジがベースで入っていた。その大森くんの奥さんがボーカルでベースにはリュウジが入っているとのこと。
ぼくと風呂ちゃんは田舎もんのため、下りる駅を間違ったり方位方向を間違ったり、あたふたしながら烏丸五条のパーカ9ハウスロールに到着、バンドは昭和歌謡ロックとでもいうか、ボーカルの声が内藤やすこのようなハスキーボイスで聴きやすかった。それにしても五条通りで喧嘩っぱやいぼくは歩道を我が物顔で走るおっさんと喧嘩を始めたり、年寄りの冷や水道中でした。大変たいへん。風呂ちゃん、しっかりしてや~!

大森くんの奥さん

リュージ

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音楽仲間がくつわ池自然公園でキャンプ

2016-08-04 09:19:38 | 音楽の部屋
8月3日、4日と宇治田原町にあるくつわ池自然公園に音楽仲間が集結、ワイワイ騒ぎ、呑み、食った夏の一日。
ぼくは3日だけ参加させてもらった。
先ずは旨い肉のバーベキュー。次に海鮮と続き、腹がいっぱいになったころから順に演奏と歌が始まった。これまではベースの片山さんの実家の和知で行われていたが、亡くなったため、場所を変えてくつわ池になった。
ぼくらブルージーパパが最初に演奏したが、今日は楽しみにしていた京都のブルースギタリストでは有名な河原田充ちゃんも加わってくれ、楽しかった。橋本のたっちゃんがルート66を横断した祝いの意味もあり、急遽ルート66もやった。スローハンドでお馴染みのフジタスミトさん、マスターの佐野さん、山本裕久さんも特設の舞台に登場。山の中で誰に気兼ねもなく騒げいい感じ!河さんがこれから恒例にするといってました。夜の部のメンバーがそろそろ集まり出し、ドンチャン騒ぎはさらに続きまーす。用意してくれた皆さんありがとうね!

河さんが助太刀!








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ジュリー4年振りの京都会館

2016-07-29 00:29:20 | 音楽の部屋
2016年7月28日、楽しみにしていた沢田研二のコンサート、「沢田研二LIVE2016」を観てきた。
昔の京都会館がロームシアター京都という名前に変わったのである。この会社、どうしてロームと名前を出したがるのか、センスのないことはなはだしい。ジュリーもチョコットいってたがぼくもそう思う。そのうち京都じゅうにロームという名前が溢れるのだろうか。京都会館が懐かしい。沢田研二はファニーズのとき京都会館でアマチュアバンドコンサートで優勝したということだ。小学2年のころ初めて京都会館に来たし、また、京都会館の屋上から3人娘を観に友人たちともぐりこんだことなど懐かしそうに話していた。
僕は1985年ぐらいから沢田研二を追っかけている。ちょうど阪神が優勝した年で、ジュリーが気になるようで、歌の合間に試合の経過の中継をしていたのを覚えている。あれ以来、ジュリーはぼくを裏切らない。舞台を駆け回るパワー、ロッケンローラーとしての反骨心、すべてが嬉しい。情けない骨抜きのフォークシンガーの追随を許さない沢田研二である。最近はますますメッセージ性を強くしているがあくまでも自然体である。今夜は昔のヒット曲も聴かせてくれ「恋はストリッパー」がなぜだかいい感じだった。
そして、今回はジュリーグッズのジュリーティシャツもゲット。
沢田研二は沢田研二を健気なくらい演じてくれている。力をもらったライブ、ありがとう、サンキュー、ありがとね!ジュリー。




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ぼくの好きなギタリスト、萩原信義

2016-07-27 00:54:58 | 音楽の部屋
フェースブックをやっていると思わぬ恩恵を受けるものだ。2,3日前、ぼくのフェースブックに「いいね」をくれた人たちのなかに、萩原信義という名前を見つけた。まさかあの萩原信義だろうか、と半信半疑のまま確かめると本人であった。
萩原信義といえば今から50年ほど前、浅川マキのバックでギターを弾いていた。
浅川マキが書いた「青春遊泳ノート」のなかの「あの娘のくれたブルース」のなかに準主役として登場する。当時、今田勝トリオと一緒にツアーをしていたが、ジャズメンたちと一食即発の雰囲気だったが、ある日、列車のなかで二人は音楽的なことで衝突する。「今田さん、ぼくはイモですか」と、萩原がいうと、「イモだよ」と、今田。すると、「今田さん、最初はこんなふうに、そう、それからこんなに回って会場を、みんなを巻き込むんです。今田さんたちのジャズはなんなのですか」と萩原。あの伝説のシーンが繰り広げられたのである。ミュージシャンたちの真剣さが伝わり、ぼくは鳥肌が立った。そんなに速弾きでもない、萩原を山下洋介は天才といっていた。浅川マキが亡くなり、萩原のギターも聴けなくなったと思っていたら、ひょっとしたら近々、京都で演奏するかも、ということである。
50年ほど経ち、マキもなくなり、今ごろになって会うことになるとはフェースブックのおかげである。会ったら固く抱き合い抱擁しようと約束している。

最近の萩原信義

「青春遊泳ノート」

神父新譜ジャーナルアサカワマキの世界

レコード

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吉田よしこの温故知新に参加

2016-07-20 03:10:18 | 音楽の部屋
7月19日、京都河合塾講師の佐々木米市さんが主催した企画が「温故知新」と、題して京都の、河合塾であり、参加してきた。
よしだよしこさんの60年代から70年代の音楽シーンが佐々木さんとの対談形式で語られました。歌も、①サークルゲーム②戦争は知らない③道端でおぼえた歌④魂のありかが歌われた。
終わってから打ち上げや「ガウチョ」にも一緒させてもらいすっげー辛いハバネロのかかったスパゲティもマスターが作ってくれたが結局、食べられず。楽しい夜だった。佐々木さん、ありがとう。そして、吉田よしこさんすてきでした。

教壇でギターを持つ

ダルシマー



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田島征彦の「火の笛」の原画作品

2016-07-15 16:43:49 | 文学の部屋
西口克己が「祇園祭」と、いう小説を書き中村金之助が映画化し、三船敏郎、美空ひばり、岩下志麻などの出演により映画化にもなった。それを原作として田島征彦が「火の笛」と、いう童話に仕上げた。画は布に染められている。西口克己が亡くなり、この画はぼくのもとに来た。今までぼくの部屋に飾っていたが、今年は祇園祭の期間、玄関に飾ってみることにした。

「火の笛」原画

火の笛の童話
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