地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

風鈴雅楽演奏家と町家キルト作家のコラボの発表会を観て来た。

2015-03-28 02:04:42 | 友だち数珠つなぎ
3月27日、京都の大善院で行われた風鈴演奏家・日向真氏と町家キルト作家・林サヨコ氏のコラボする〜風鈴雅楽コンサートin京都・大善院が行われたので、観に行って来た。
林さんは、以前から「京の走り坊さん」を始めとしたぼくの童話作品を自分の町家キルト作品の前で朗読してくれている。
今回は、風鈴演奏家の日向氏とのコラボで、ぼくの童話作品「清水、鬼の恋」を朗読、演奏されるというので楽しみにして行って来た。
日向氏は日本で唯一の風鈴演奏家だという。そこに林さんの朗読とぼくの作品がどのような世界を創ってくれるのか、期隊して行ったのである。
大善院の薄暗い本堂が醸し出す空気感が彼ら二人にいい意味での緊張感を生み、面白い舞台になっていた。
林さんは、4月からNHKのカルチャー教室の講師を務められる。彼女の地道な仕事が花開こうとしているのが嬉しい、と思った演奏会でもあった。
コメント

北海道のトンペイに!

2015-03-23 04:40:31 | 友だち数珠つなぎ
元気か?
カケに北海道に帰ったこと聞いたよ。
なつかしいね!
よかったらコメントちょうだい、でーす。

通じたらいいな!
コメント

「コントラバスっておもろいやん!」と、題したコンサートに行ってきました。

2015-03-23 00:07:25 | 音楽の部屋
3月22日午後2時から、槙島のオリエンテーションルームで行われました。これは以前、エクスプレションというクラシックを普及するためのNPO法人をたちあげ(ぼくも理事として参加)活動されていた本田馨さんが、東北大震災に衝撃を受け、何か出来ることはないかと「チャリティコンサート響きプロジェクト」として、エールを送られているもので,今回は、その2回目です。
コンサートの前に万華鏡を作る企画があり、大人も子どもも熱中していました。
そして、今回のメーン、石井博和とアンサンブルバスフライトが出演、今回の会場はベースの専門店の東楽器のホールでだそうです。
20台以上のコントラバスの演奏は珍しくおもしろかったです。、
本田さん、ますますおきばりやす!です。

先ずは万華鏡作り。

バスフライトの演奏。

石井博和の演奏。

本田さんと記念撮影。

コメント

無事スローハンドのライブが終わりました。ありがとうみなさん。

2015-03-22 01:57:10 | 音楽の部屋
たくさんのお客さんに来ていただき、3月21日のスローハンドのライブ、無事終わりました!
今夜のレパートリーは、
.侫船チマン悲しみを我が手にアイシャルビーリリーストぅ潺好拭璽棔璽献礇鵐哀覘ゥ謄優掘璽錺襯牒Ε供ΕΕ┘ぅ鉢УГ雖┘ーティスレデイングに捧げル歌ブルースなんて大嫌いさスィートホームシカゴの10曲を歌わせていただき、アンコールも声がかかり、天国の扉、で終わりました。
ほんとにありがとうございました!
始まりました。

おきゃくさんも満員でとてもやりやすいです。




店にいるモンロー。

コメント

「風に立つライオン」を観て来た。

2015-03-19 05:45:44 | ひとりごとの部屋
この作品はさだまさしの同名の曲の映画化である。
小説にもなっているということは知らなかった。
主演の大沢たかおが曲に感銘して映画化を懇願したということである。
ぼくも曲を聴いたとき感動したのを覚えている。
最初からきっと泣ける、と期待を持って観られる映画もつらいだろうが、それなりの出来だと思った。
最初、東北大震災の画面から始まるのは曲と違うが、全編を観れば命の伝達というのがわかるようになっている。小説のほうはどうなっているのだろうか。
とりあえず期待通りウルウルしながら観られた。
大沢の映画を創りたいという情熱は伝わって来た。
ケニアの少年が内戦で9人を殺したことを告白すると、医者になって10人の命を救えと主人公の台詞に考えさせられた。
ただ惜しむらくは、アフリカのロケをやっているのだから、もっと自然の荘厳さや美しさを、自然の畏怖というものをカメラが見せてほしかった。それが残念である。
涙を流したいひとにはいい映画である。
コメント

3月21日(土)ぼくらのバンド、ブルージィー・パパ4か月ぶりのライブです。

2015-03-12 02:42:02 | 音楽の部屋
3月21日(土)ブルージィー・パパ4か月ぶりのライブです。
京都南部の4人組、久々に京都市内の烏丸丸太町東南角にあるライブハウス「SLOW HAND]で
ライブをさせていただきます。
当日は7時オープン、7時半スタート。
チャージ1500円、ドリンク別。
共演はリトーマ、栗本英明。
田舎者4人、久々の京都市内のライブ大丈夫でしょうか!お暇な方もお忙しいご仁も、ぜひのぞいてやってください。
コメント

こんなん創ってもらいました!

2015-02-26 00:08:31 | 友だち数珠つなぎ
こんなの創ってもらいました第1弾、第2弾。
アナログのぼくには信じられませ〜ん。
素敵でしょう!
近々、第3弾もお見せします。

美術館

ぼくのラフ
コメント (1)

ブルースまみれの夜、京都スローハンド。

2015-02-22 01:47:56 | 音楽の部屋
2月22日、京都丸太町のライブハウス、スローハンドに行って来た。
出演はMRTとハードラックボーイズ&マジックシャフルの対バン。
今夜は大谷朝子とちがいゆみこさん。
大勢の知り合いも来ていた。河村さん、宮崎さん、そして、昔、ねこいらーずというバンドをやっていたfb友だちでもある梅ちゃん。
たっちゃんのボーカルにブルースを堪能した夜だった。

ハードラックボーイズ

たっちゃんがシャウトしとります

うめちゃんとぼくとたっちゃん

テフテフのマスターと宮崎さん

訳アリうめちゃん

タコバーの外国人

コメント

京都のIVYの元祖といってもよい店

2015-02-21 00:20:42 | ひとりごとの部屋
2月19日、MOVIX京都で映画を観たが、帰りに「イノハナ」に寄ろうと思っていた。
イノハナは京都新京極の三条下がるにある紳士服の店である。
が、あいにく店のシャッターは下りていた。
たまたま着て行ったKEÑTのダッフルコートは今から47年ほど前にイノハナで買った
ものである。
休みなら仕方がないと思い、フッ、と見ると、閉まったシャッターに入居者募集の意味合いの込められた張り紙が・・・。気になって向かいの店のおばさんに店は止められたのか、と訊いてみた。去年の12月ごろから閉まっているということで、新聞にも出ていたということだった。
ぼくらはVANやJUNといった服を追い求めた。それは一種の社会現象にもなっていた。特にVANはアメリカのアイビーリーグの大学生が着ていた服をモデルにし、石津謙介が操業した。そのVANの製品を京都で最初に扱ったのがイノハナであった。
創業1888年の看板が今も残っていた。丁度、服飾を題材にした「繕い裁つ人」を観てきたところだったので感傷的な気分になった。
京都のトラッド、IVYのメッカ、イノハナがなくなる。寂しいことである。

シャッターの閉められたイノハナの店。


創業1888と書かれた看板。


イノハナで今から45年以上前に買ったKENNTのダッフルコート。
コメント

「繕い裁つ人」を観てきた。

2015-02-19 22:51:56 | ひとりごとの部屋
2月19日、京都市内のⅯoVIx京都で観てきた。
そんなに期待してはいなかったが、全体に静かな流れで、観たあと、心が癒された気になった。
主演は中谷美紀、頑固さがいい感じでオーバーでもなくよかった。舞台が神戸ということで、坂道が象徴的に使われる。三島有紀監督の腕だろうか。

組母が始めた仕立て屋『南洋裁店』を継いだ市江(中谷美紀)は、古びたミシンをカタカタ言わせて一生ものとなるような服を一着一着丁寧に作っている。昔ながらの職人スタイルを取っているため量産はできず、百貨店の営業・藤井(三浦貴大)からの再三にわたるブランド化の提案も断り続けている。祖母が作った服の仕立て直しやサイズ直しをし、祖母のデザインを流用した新作を作る日々に、市江は十分満足していた。しかし、自分がデザインしたドレスを作りたいはずという藤井の言葉が、市江の心を動かす……。と、いうストーリーである。
「とっておきの服は誰かひとりのために」「おしゃれは自分のために」「いい服は体にそってくる」すてきな言葉が語られる。
ただ、少し不思議に感じたのは、主人公が紳士服を直すシーンだ。婦人服のデザイナーが紳士服を直すのかと、少々違和感を覚えた。
藤井の演者は百恵ちゃんの子息だそうである。

コメント

京都新聞に連載している「随想やましろ」2月分が掲載になりました。

2015-02-13 15:15:43 | 文学の部屋
京都新聞に連載している「随想やましろ」2月分が13日に掲載になりました。
今回は「風信子」について書いてみました。興味のある方は読んでみてください。


風信子
                       東  義  久 
去年の暮に父が亡くなり、今年は年賀状も初詣もない静かな正月であった。そんな折り、文学仲間の猪飼丈士氏から寒中見舞いが届いた。見舞い状には、「風信子 父の碁盤に 端座せり」と、一句添えられていた。その句を読み、ぼくは十七文字に心あたためられていた。
風信子と書いてヒヤシンスと読む。春の季語である。日本語ってなんて美しいのだろう。その季語がぼくの若いころの記憶を呼び起こした。
ぼくの住む大久保もずいぶん変わった。その筆頭はといえば大久保駅である。電鉄会社も近鉄ではなく、奈良電気鉄道株式会社、通称奈良電と呼ばれていた。それまでは、今の場所から五百メートルばかり南にあって、今のように高架ではなく下の路面を走っていた。改札口は自衛隊の南側、今の不二家の辺りにあり、そこにはタクシー会社もあった。
そのころの大久保駅は確か東側が石積みになっており、そばにはくりくま映画館があった。駅より東側に住む人たちは踏切りを超えて改札口に行かなければならなかった。ぼくのように旧大久保に住むものは、
するため、改札口まで行かず大谷川の鉄橋を渡りホームの端をよじ上ったりもしたものである。今なら考えられぬほど危険な行為であったがおおらかなものであった。
ホームの端には蔓薔薇が一本、その棘で通せんぼをするように時折り一輪の小さな赤い花をつけていたのを、猪飼氏の寒中見舞いの句からフッ、と思い出したのである。
改札口でないところから入るその行為に後ろめたさを感じていたのか、その薔薇を踏みつぶさぬように避けて上ったのを覚えている。
そのシーンを俳句に詠みたいと、句心のない若いぼくが思ったのだったが、結局はできなかった。ぼくの裡のあの薔薇は冬でしか無かった。白い息をはいて飛び乗った電車は冬であった。当時、薔薇の季語を調べると夏だということだった。それではぼくの俳句は完結しない。僕は白い息をはいて電車に乗らなければならないのに、夏ではぼくの拙い句は成立しない。それでぼくの句は結局完成しなかった。それから暫くして、薔薇の季語のことを知る。薔薇は夏咲きと四季咲きがあり、本来は初夏の季語だということだが、品種改良などもあってか冬にも薔薇が咲くのである。そのために、冬薔薇(ふゆそうび)という季語がある、ということであった。
散文を書いているぼくがたった十七文字の俳句に嫉妬した、そんなことを思い出させてくれた寒中見舞いであった。



コメント

映画「深夜食堂」を観て来た。

2015-02-02 05:29:05 | ひとりごとの部屋
2月1日、京都イオンで映画「深夜食堂」を観て来た。公私とも慌ただしくて映画を観る時間が取れなかったが、行くことにした。が、日曜日とも重なり、満員で次の上映まで待たされた。「深夜食堂」のフアンの多さに驚かされた。
漫画「深夜食堂」が原作とされるこの作品、テレビで観てからのフアンである。あがた森魚の「バターライス」を偶然に深夜のテレビで観てはまってしまった。松重豊のヤクザのりゅうちゃんとおかまのすずさんの「たこウインナー」など秀作は幾つもあるが、映画では余貴美子がマスター小林薫の訳アリ恋人のような出演の仕方をしているのが、今後テレビでも観られるのか気になる。
好きなテーマソングはテレビと同様、鈴木常吉の「思ひで」。
テレビではオダギリジョーが人生に迷い、熊野詣でに出る設定であったが、新宿に戻り交番の巡査になっていたり、最後に田中裕子が貫禄で出演、さすがジュリーの奥さん(これは関係ないか?けど、我が青春のジュリーやからお許しを!)。
映画は映画でそれなりに拡がりを見せていて楽しめた。

お馴染み小林薫のマスター。

いらっしゃい。

りゅうちゃん、すずさん。お馴染みのメンバー。

貫禄の田中裕子。
コメント

ほんやら洞の甲斐さんの火事見舞い!

2015-01-27 01:35:08 | 友だち数珠つなぎ
1月26日、現在進んでいるぼくの童話集のことで、澪標という出版社の松村さんと会った。
話が終わってから、ぼくは気になっていた甲斐さんの火事見舞いに行こうと決めていた。
そして、甲斐さんと松村さんを会わせようと。
ほんやら洞は今年の1月16日午前4時ごろ火事で全焼した。テレビや新聞などのニュースを観て驚いたものだ。松村さんにいうと一緒に行く、ということで、雨のなか、八文字屋へと向かった。
甲斐さんは意外に元気だったが、松村さんとほんやら洞の本を出そうと盛り上がっていた。二人を会わせてよかったと笑顔で喋る甲斐さんを見て思った。
とりあえず、甲斐さん、元気でした。

エスパスのかおりちゃんと松村さん。

甲斐さん。

ぼくと甲斐さん。

甲斐さんと松村さん。

ありし日のほんやら洞と甲斐さん。

ほんやら洞で中川五郎さんと。
コメント

むかし話をひとつ

2015-01-26 02:22:04 | 友だち数珠つなぎ
この前、友人の家にいくとおもしろいものがある、といって押入れから、ポスターを出してきた。
それは今から40年以上も前のポスターである。
エンジョイフォークというアマチュアコンサートがあって、そのコンサートの告知のポスターである。
ぼくらのバンドは「西洋乞食とひっつき虫」と、いい毎回出ていたので、名前が掲載されているのは当然なのであるが、その回の特別ゲストにやしきたかじんが出ている。
僕の友人のk先生とたかじんが親しかったので、よく祇園にのみに連れてくれた。確か祇園の末吉町にあった松湯ビルの「中嶋」と、いうバーでたかじんは歌っていた。この店はYのおっさんというぼくらより7歳ほど年上の人物がタカジンハウスがなくなり淋しいのでつくった店であった。アクアマリンのkちゃんがバーテンダーとして入っていたように覚えている。
そこで今なら考えられないがたかじんが少ない客にマイウエイを必死で歌ったのである。クラッシックギター一本の弾き語りをしたのをなぜか不思議に覚えている。
今、世間ではたかじんの小説「殉愛」なるものが売れているという。小説家のなんたらという人が書いたということだ。小説家というより商売人のように思えてならない。それに未だにたかじんの〇〇とかとの冠をかぶせて番組を作っているテレビ局。いつまでたかじんをもてあそぶのだろう。もうそろそろ解放してあげればいいのにとも思う。
あの5、6人しかいない祇園の中嶋で、それでも必死で歌っていたたかじんをフッ、と思い出した一枚のポスターである。

当時のエンジョイフォークのポスター。

やしきたかじんの名前と西洋乞食とひっつき虫の名前。
コメント

こんなことができるんだ!

2015-01-18 02:19:53 | 友だち数珠つなぎ
ぼくのお友だちのAKさんがこんな素敵な画像をつくってくれた。かなり恰好よくなっているので少し照れるがアップする。この画像はまだ第2弾、3弾があるので順次紹介したい。
AKさん、本当にありがとう!
コメント