地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

エクスプレッションの本田さんの講演を聞いてきました。

2014-04-15 18:55:37 | 友だち数珠つなぎ
4月15日午後から宇治のゆめりあうじに行って来ました。本田馨さんが講師です。
本田さんは地域に音楽を、ということでがんばって来られました。
コンサートはクラッシックがメーンでしたが、いろいろとお世話になりました。
これまでの来し方をユーモアもまじえ、おっとりした口調で話されました。
80人ほど入る会場は満員。
自分でもヴァイオリンをされていた彼女は裏方にまわり、企画をする側になり、NPO法人コンサート企画エクスプレッションを起ち上げられます。ぼくも理事として加えてもらっていました。
性格も手伝い損ばかりでしたが、それでも地域に音楽を、ということで20年がんばってこられました。
病気にもなられ、NPOは解散、最後にアンサンブル・サピーチの一員としても一度ヴァイオリンを手にし、CDを作成、それを持って被災地の東北へも訪問されます。
そんな本田さんの来し方を聞きました。
最後に、葦笛の井上真実さんの演奏で終わりました。
本田さんは、音楽から離れるのではなく、地域に音楽をひろめるため、今度は力を抜いても一度歩き始められました。がんばってください!

会場はいっぱいです。

パワーポイントが使えるとはおみそれしました。

記念撮影。

エクスプレッションの新聞。

葦笛 井上真実さん。
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忌野清志郎語録、(伊藤 継豊編)

2014-04-15 00:37:02 | 音楽の部屋
■忌野清志郎

もしもCDが売れて大スターになったなら、恋の歌だけじゃなくて「戦争はいけない事だ、戦争はやめよう」と歌ってみてもいいと思う。

それで人気が無くなるわけじゃないだろう?

ヒット曲にはならないだろうし、CMのタイアップもとれないかも知れないが、大スターになれたんだから少々の影響力はあるのさ。

みんなビートルズが大好きだったんだろ?

おいしいとこだけ取って、でっち上げのラブ・ソングじゃちょっと情けない。

金なんかもう充分あるじゃないか。

それとも大スターでいるためには政治家とつるんだりする事があるのかい?

(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/第91回/2005年)

■忌野清志郎

地震の後には戦争がやってくる
軍隊を持ちたい政治家がTVでデカいことを言い始めてる

国民をバカにして戦争にかり立てる
自分は安全なところで偉そうにしてるだけ

阪神大震災から五年、オレは大阪の水浸しになった部屋で目覚めるとTVをつけた
五ヶ所ほどから火の気がのぼっていた

これはすぐ消えると思ってまた眠った
六時間後に目覚めると、神戸の街は火の海と化していた

この国は何をやってるんだ?

復興資金は大手ゼネコンに流れ
神戸の土建屋は自己破産を申請する
これが日本だ
ワタシの国だ

とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って、返り咲いた政治家がいる

政治家はみんな、防衛庁が大好きらしい

人を助けるとか
世界を平和にするとか言って
実は軍隊を動かして世界を征服したい

俺はまるで共産党員みたいだな
普通にロックをやってきただけなんだけど…

そうだよ、売れない音楽をずっとやってきたんだ
何を学ぼうと思ったわけじゃない
好きな音楽をやっているだけだ
それを何かに利用しようなんて思わない

せこい奴らとはちがう
民衆をだまして、利用して何になりたいんだ?

予算はどーなってるんだ
予算をどう使うかっていうのはいったい誰がきめてるんだ?

10万円のために人を殺す奴もいれば
10兆円とか100兆円とかを動かしている奴もいるんだ

いったいこの国は何なんだ?
俺が生まれて育ったこの国のことだ

君が生まれて育ったこの国のことだよ。

■忌野清志郎

銃を持ったら撃ちたくなる。

刀を持ったら斬りたくなる。

軍隊を持ったら戦いたくなる。

核を持ったら核爆弾を作りたくなる。

そして平和憲法を忘れてしまう。

「永久に戦争を放棄する。人間は平等である。世界の平和のために国として貢献する」。

日本の憲法第9条はまるでジョン・レノンと同じ ことをうたっているのです。

政治家のみなさん、アメリカに言ってください。

「もう戦争はやめましょう。人を殺したり傷つけるために武器を作るのは、もうやめましょう。そんな何千億円単位のお金があるのなら、平和のために使いましょう。人類は進歩すべきです。今でも世界では戦争が行われていて人々が死んでいます。アメリカさん、僕達と手をつないでいっしょに戦争がなくなるように努力しましょう」、と日本の総理大臣や外務省はアメリカをはじめ世界中に発信するべきだ。

だって僕達はいつまでも自分の国を信じられないでいるんですよ。

(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/第33回/2002年)

■忌野清志郎

昔戦争にかり出された兵隊さんはこんなもんじゃなかっただろう。

死ぬまで命令されて、こき使われたんだからな。

偉い奴らはうまい物食って、女と遊んでたくせに、多くの人々は明日も信じれず死んでいった。

生き残った僕たちは二度と戦争をしてはいけない。

(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/2005年2月5日号)

■忌野清志郎

なにがいまさら反戦だ、みたいな声も聞かれますがですねぇ、気にせずやってます。

まぁー単純にこのー、牛乳飲みたいなぁーみたいな。

昔みたいにね、何も考えずにね、飲みたいなーと。

払った税金、一体なんに使ってるのかなーあいつらは、みたいな。

素朴なんで、そんな危険な、なんですか!?

発電所ですか!?

原子力…そういったもの作るんだったら返してもらってですねぇ、好きな車でも買った方が俺は全然嬉しいなーみたいな。

たとえ人非人、売国奴と言われてもですね…かまいません。

(TVK『Live TOMATO』収録/1988年5月)  

■忌野清志郎

日本の国民は、だんだん、 じわじわ何も考えないように させられてるんじゃないでしょうか?

(フジテレビ『僕らの音楽 対談集4』鳥越俊太郎/2005年2月28日収録/ソニー・マガジンズ/2005年8月発行)

■忌野清志郎

ジョンが歌っていたよな。

「国なんかないと想像してごらん。むずかしい事じゃないさ。今日のために行きている人々よ、想像してごらんよ。」

つまり、それは国連の考え方なんだ。

国はそれぞれの地方都市だ。

それがひとつになって、この世界全体、地球という星があるんだ、という考え方だ。

■忌野清志郎

国って何だよ? 

国が無くなったら、生きていけないのかい? 

国って何ですか? 

国が無くても生きていけるんじゃないの? 

本当はどーでもEことなんじゃないの? 

国が無くなっても自由に生きられるよ。

国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。

(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/2003年5月24日号)

■忌野清志郎

どーだろう…この国の憲法第9条はまるでジョンレノンの考え方みたいじゃないか?

戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ

俺達はジョンレノンみたいじゃないか
 
戦争はやめよう
平和に生きよう
そしてみんな平等に暮らそう

きっと幸せになれるよ。

(瀕死の双六問屋/没原稿そのニ)

■忌野清志郎

この国の憲法を見直す必然性がどこにあるのでしょう?

イマジンのように簡単でわかりやすいこの考え方を世界中の人々にもっと知らしめるべきではないでしょうか。

広島や長崎を忘れないように。
人類の歴史上はじめて原子爆弾がこの国に落ちたという事を忘れないでください。

「永久に戦争を放棄する。人間は平等である。 世界の平和のために国として貢献する」。

日本の憲法第9条はまるでジョン・レノンの イマジンと同じことをうたっているのです。

(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/TVBros/第33回/2002年8月31日号)

■忌野清志郎

社会的なメッセージを歌っているのは僕にとってはごくふつうのことなんですよね。

いろいろなことを偏らずに歌わないと。

妙なラヴソングばかりだと変じゃないですか、いい大人が(笑)。

世間のこととか政治的なこととか、ふつうに歌っていけばいいんですよ。

(週刊プレイボーイ/2004年5月24日号)

■忌野清志郎

全国で売れるためにはもっと腐った音楽じゃないとダメなのさ。

(瀕死の双六問屋/第一回/TV Bros/1998年11月21日号)

■忌野清志郎

経済が破綻した状態が長く続くと、どうしても国というのは戦争をやりたがるもんでね。

戦争はさぞかしうまく行けば儲かるのかなと思うんですけれど。

世界的にも殺伐とした時代になってきている気がするんですけども、世間的にも、そういったことが影響してか、陰惨な嫌な事件が大変増えているんですが、 2004年はなんとか、それ(殺伐とした時代)を打破して。

こうー、もっとみんなが愛しあってね。

んー、こうあったかい気持ちで、暮らせるように、なればいいなと思います。

(新春放談 忌野清志郎さんを迎えて/SSTV『FUZZ』/2004年1月)

■忌野清志郎

Oh Yeahー! そういえば今日は参議院選挙の日だベイベー。

行かないよな、あんなのな。

だいたいあの、小泉政権になってから、自民党の人気がぶり返してきて、甚だ腹立たしい今日この頃です。

だいたいあの小泉という男はねぇ、いい加減なやつです、あいつは。音楽的センスがまったくありません。

X JAPANが好きってなにそれ!?

なにそれ!?(場内爆笑) 

そんな奴にこの国を任せておいていいのか!? 

ふざけんな。

だいたい靖国神社に行くくらいだったら、フジロック観に来いっつーんだよ。

(フジロック・フェ
ス/2001年7月30日)

■忌野清志郎

世の中が悪くなっているのに、みんな社会や政治のこととか関心ないでしょ。

僕もあんまりないんですが(笑)、でも昔と比べたら、今の若者は家畜みたいになってる。

家畜のように飼いならされているのに、それが自由な社会だと思い違いをしている。

(ダ・カーポ/1999年11月3日号)

■忌野清志郎

本当に10年後とかに戦争が起こったら、オレの息子なんて年齢的にもたまったもんじゃないわけよ。

今の若いヤツらだって同じだと思うよ。

思想的なことは含まれちゃいないよ。

右寄りでも左寄りでも、そんなことはどっちでもいい。

(週刊プレイボーイ/1999年10月19日号)

■忌野清志郎

オイ、誰かよー、マリファナ持ってねーか? 

放射能浴びてなぁ、死にたくねぇぜ。 

麻薬中毒で死にてぇなー。

オレはそう思うなー。

(広島平和コンサート/1988年8月6日)

■忌野清志郎

仮想敵国が無く、日米安保が実質機能しないと、日本も軍隊を持って出て行かないと、世界的に認められないんだみたいな感じの考え方が、ちょっと出て来てるんじゃないですか?

その辺が甚だ心配です 。

(季刊プリンツ21/2001年5月刊)

■忌野清志郎

僕は戦争が大好き。

アメリカの言うことは何でもきくぜ。

戦争 すべて正しい。

戦争 バカの集まり。

うかれてんじゃねえぞ。

内閣総理大臣ちゃん 金持ちのバカ息子。

かわいい顔した人殺し。

ライオンハート。

お前が死ねよ。

いやー、まあそう言うなよ

(Tシャツ原画/2004年)

■忌野清志郎

アメリカ人なんかには理解できないだろ。

九条を削除していくのは、なんかつまんないよね。

俺なんかが言っても説得力はないかもしれないけど、やっぱり『右寄りの政治家』にはモノ申したい。

安倍晋三とかあのへんの輩ですよ。

たいして俺と歳も変わらないのにね。

(FLASH/2005年11月29日号)

■忌野清志郎

アイドルくんになりたがる子供は多いらしいが、よっぽど何か自信があるんだろうか? 

だってアイドルって顔がよくなくちゃダメなんだろ? 

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。

どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

(瀕死の双六問屋/十三話/1999年)

■忌野清志郎

今はほら、どいつもこいつもロックとか言ってさ、髪の毛ブッ立ててさ、“この街から出て行こう!”とかさ、言ってるわけじゃんよ、未だにさ。

恥ずかしいよな、あいつら。

そんな奴ばっかだからさ、ここでやっぱり政治的なことをうたったりすんのはですね、カッコいいと思いましたね、僕は。

僕はほんと、戦争はいけないと思います。

ほんとに悪いと思います。

で、やっぱり、昔の反戦歌ブームとかあったけどさ、途中で萎えて消えてっちゃったじゃん。

でも全然、戦争とかはなくなってないわけでさ、その辺がだから、やっぱり昔の奴らは軟弱だったんだなと思いますよ、僕なんか。

やっぱり。

いくら言ってもわかんない奴らですから、大衆というのはね。

ま、歌としてしか聴かないような、コミック・ソングみたいにとっちゃう奴も多いんじゃないでしょうかね。

まあコンセプトだからね、反戦であろうと反核であろうとね。

例えば原子力発電所が1個ぐらい爆発してですね、みんな汚染されたとしてもですね、

何て言うかな、首脳部って言うの、偉い奴だけそれからまぬがれてさ、庶民だけって言うか…自分がほら、放射能とか浴びて歯茎からどぼどぼ血が出てさ、手がぶよ〜っとかこんなんなってさ、死んでくってヤじゃん、やっぱり。

それが言いたかったんですけどね。

【君はLOVE ME TENDERをきいたか?/RC サクセション】(フルコーラス・バージョン)

君はLOVEMETENDERをきいたかい 僕が日本語で歌ってる奴さ

あの歌は反原発の歌だって みんな言うけど

違う違う それは違うよ あれは反核の歌じゃないか

よくきいておくれよ 核は要らないって歌ったんだ

それとも原子力発電と核兵器は おんなじ物なのかい

発電所では 核兵器も作ることができるのかな

まさかまさか そんなひどいことしてるわけじゃないよね

灰色のベールのその中で またそんなコトしてるのかな



君は「LOVE ME TENDER」をきいたかい 僕のうたれた替え歌さ

あんなに小さな声で歌ったのに みんなに聞こえちゃったみたい

誤解誤解しないで 彼女へのLOVESONGなのに

反原発ロックなんて そんな音楽があるとは知らなかった

ただのロックじゃないか なんか変だな

レコード会社も、新聞もテレビも雑誌もFMも 馬鹿みたい

何を騒いでたの

■忌野清志郎

もしもCDが売れて大スターになったなら、恋の歌だけじゃなくて「戦争はいけない事だ、戦争はやめよう」と歌ってみてもいいと思う。

それで人気が無くなるわけじゃないだろう?
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4月13日、夜、嵐山のライブハウス音やに出掛けた

2014-04-15 00:11:53 | 音楽の部屋
4月13日、夜、時間が空いたので嵐山のライブハウス音やに出掛けた。
ポコアポコ、ワンチ、細川氏が出るということでのぞきに行った。
ポコアポコの野村知ちゃんが「よび桜」と、いうオリジナルを歌ってくれた。ちょうど、京都新聞の随想やましろに「親父の桜」を掲載したところだったので知ちゃんが気を利かせて歌ってくれたのだ。なかなかいい感じで、心に沁みました。感動でした。ありがとう。
ワンチの味のある下ネタソングや細川氏のサイモンとガーファンクル、楽しめた夜でした。

ポコアポコのステージ

ともちゃんとナルナル

記念撮影

ワンチ登場

細川氏はサイモンとガーファンクルのナンバー
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京都新聞連載の「随想やましろ」4月分が掲載になりました。

2014-04-11 13:48:26 | 文学の部屋
京都新聞連載の「随想やましろ」4月分が掲載になりました。今回は時節柄、桜について書いてみました。興味のある方は読んでください。
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ジュリーが歌ってる。新曲で原発問題を!

2014-03-28 01:20:18 | 音楽の部屋
我が青春のジュリーこと沢田研二健在。

最近、南なんちゃらとかいう自称フォーク歌手が安倍総理大臣と恥ずかし気もなくいっしょにデュエットしていたが、そんな輩にはフォークシンガーを名乗って欲しくはない。
その点、ジュリーは正真正銘のロッケンローラーだ。

そのジュリーが歌う「一握り人の罪」。胸に響く。

一握り人の罪
         沢田研二

東電も信じた 受け入れ側も信じた
安全神話鵜呑みに 一握り人の罪

海が命の漁師は 海が死ぬのを怖れた
村はいびつに裂かれた 一握り人の罪
嗚呼無情

いつか原発廃炉に 除染は何年先
東電は未来型エネルギーに無関心か

国もただこまぬくだけ 被災地に 僕たちに
復興延々と進まず 国は荒むよ

僕らに還して国を
原発に乞われた町
神話を流したのは誰 一握り人の罪

原発に怯える町 原発に狂った未来
繰り返すまい明日に 一握り人の罪
嗚呼無情

ブレないジュリー。
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エバンスのお別れ会に参加。

2014-03-24 09:16:19 | 友だち数珠つなぎ
3月23日夜、友人のメナジュ・エバンスのお別れ会がタコバーで行われたので参加して来た。
エバンスはケニアのナイロビの近くの出身で、京都大学の農学部でバイオテクノロジーを6年間学び博士号を取得し、今回めでたく卒業、帰国することになった。
ぼくらのライブにも顔を見せてくれたりしていたエバンスのお別れパーティーということで大勢の仲間が集まった。
一度、帰国してから6月ごろにもう一度日本に来て、母国と日本の輸出入の仕事がしたいというエバンス。きみの明日に乾杯!

エバンスと。


友人がいっぱい。


たくさん集まりました。
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青谷梅林へあおくまの紙芝居を観に行って来ました。

2014-03-23 00:37:42 | 文学の部屋
青谷梅林の季節

3月22日、青谷梅林へ行った。「青谷梅祭り」が開催されているからである。
昨日は雨が降り寒かったが、今日は少しまし。駐車場から歩いていると春の陽射しを感じ寒くはなかった。
今日は梅を観るのも楽しみだったが、もう一つの楽しみがあった。
それは小笠原優さん(あおくま)によってぼくの作った紙芝居「青谷、鬼の恋からが上演されるためだ。
午後2時ごろから紙芝居は始まった。子どもたちや大人のおきゃくさんたち、大勢の観客に演者の小笠原さんはやりにくい状況だったろうが、なかなかの熱演でますます会場の雰囲気ももりあがっていい感じ。
ただ作者としてはちょっとだけ気恥ずかしい気もして大変。
それにしても梅の花満開の中で春を感じながらの一日はいいものだった。
小笠原さん熱演ありがとう!

青谷梅林 梅祭り。

熱演です。

小笠原さんと。

昔なつかしい紙芝居。
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林サヨコ「町家キルト工房 教室作品展」を観てきました。

2014-03-17 00:16:56 | 友だち数珠つなぎ
3月16日、京都祇園のギャラリー西利で開かれている、林サヨコ「町家キルト工房 教室作品展」を観てきました。
林サヨコさんは自分のキルト作品の前でぼくの童話を読んでくれていて、その縁でながい付き合いをさせてもらっている。
今回は彼女が開いている教室の生徒さんたちとの作品展で、友人のジョージ風呂本の誘いも受け、行ってきました。
ジョージ風呂本と彼女は、以前、これもKCN京都というケーブルテレビで、「童話屋でござる」と、いうぼくの童話作品を放映していたが、彼が司会役をしてくれていて、その番組に林サヨコさんもゲストで登場してくれて以来の知り合いでしたが、彼は彼女の作品を観たことが無く、一度観たいと思っていたようで、一緒に行くことになりました。
作品展の会場に着くと、彼女の作品の圧倒的な存在感にとらえられ見入ってしまっていました。彼女のもがき苦しんでいたときの作品や京の町家の大作、ぼくの好きな八幡の桜、そして、ジョージ風呂本が気に入った伏見稲荷の鳥居など、林サヨコがそのままそこに作品としてあるようでした。なんでも、彼女の作品としては50作品ほどになるとのことで、着実に創り続けていることに、逆に勇気をもらった次第です。
100作品を目指して欲しいと心から思いました。
ジョージ風呂本も痛く感動したようで「すごい、すごい」の連発でした。
会場を出てから彼が以前歌っていたディスコ、ニューデルタ時代に下宿していたという建仁寺の近くを散策し、変わってしまった街の様子に驚き、ぼくも書かなければ、と後押しされた一日でした。

林さんの内面を描いた作品の前で。

林さんの大作の前で風呂ちゃんと。

桜並木の前で3人。
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デルタ荘を訪ねて、中書島を歩く。

2014-03-13 22:05:05 | 文学の部屋
平成26年3月13日、朝から雨が降る寒い日、ぼくはジョージ風呂本と京都市伏見区の中書島を歩いた。
中書島はその昔、三十石船が大阪まで出ていたところで、坂本龍馬で知られる寺田屋があり、また、文学作品にもよく登場している。たとえば西口克己の「廓」や織田作之助の「蛍」の舞台になっていることでも知られている。
そんな中書島に今から47年ほど前にデルタ荘というアパートがあった。
そのデルタ荘は祇園にあったディスコ、ニューデルタの社員寮だったのである。
その所在地をジョージ風呂本に案内してもらい探したのである。辺りは当時と随分に変わっていてあちこち歩いたが、或る程度のことが判って勝ちある一日だった。
久しぶりに興味の湧いた題材に巡り合い、本当に書けそうな気がしている。
あのころの音楽に夢中になった青春群像を!

京阪中書島駅。

デルタ荘のあった辺り。

ジョージと探して歩く。

風呂屋。

毎日くぐったトンネル。

相変わらずの看板。
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ほんやら洞の主、甲斐扶佐義写真展「マラーノ学者随行記」のこと。

2014-03-05 15:36:19 | 友だち数珠つなぎ
ほんやら洞の甲斐さんが、扶佐義写真展「マラーノ学者随行記」と、題した写真展を2014年3月4日から9日まで、河原町通りのマロニエで開催するという。
甲斐さんは写真家としては高名なのだが、ぼくはまだ作品をじっくりと観たことがない。
おもしろいのは、ぼくが以前に出版した「アイ・ラヴ・フレンズ」の映画版の中で、主人公の女流カメラマンの写真たちが甲斐さんの作品であったのだ。偶然そのことを知り、彼の作品を観てみたくなった。
そもそも甲斐さんとぼくが知り合いになれたのは中川五郎さんのおかげでもある。最近、ゴローちゃんの歌が気になり追いかけていたらほんやら洞で甲斐さんとも知り合った。
ゴローちゃんと甲斐さんが八文字屋で呑んでるから出ておいで、といってもらったのだが、その夜はあいにく行けず不義理をした。
そんなこともあって、今回はどうしてもとの思いで出かけたのだが、あいにく時間がぼくの認識と違い、マロニエはも閉まっていた。仕方ないので、友人のMoritoshiで食事をしてから、オープニングパーティーの会場の八文字屋へと向かった。
扉を開けてビックリ。いつもは客が数えるほどの店に人が溢れていた。
甲斐さんも、こんなに人が集まってくれるのは20年前のようだ、それに、八文字屋には美女が集まってくるという伝説も復活だ、とすこぶるご機嫌でいい調子。
知ってる顔も知らない顔も入り乱れて、木屋町の夜は更けて行った。
ところで、ぼくはまだ甲斐さんの写真展を観ていない。
なんとかのぞきに行くつもりでいる。

甲斐さん。

立すいの余地もない。

知ってる顔も。

甲斐さんと記念写真。

ほんやら洞の美女たち。
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スパニシュ・ハーレム・ナイトのさとうのぶひこさんのこと。

2014-03-02 23:08:35 | 音楽の部屋
この前、机の奥をゴソゴソしていたら1970年ごろのコンサートチケットが出てきた。
そのころ、京都でひときわうまいバンドがあった。
そのバンドはスパニッシュ・ハーレム・ナイトといい、ぼくはひそかに憧れていた。
それがひょんなことで昨年、スパニシュのギター奏者さとうのぶひこに氏に会った。
彼はイザムなどタレントのプロデュースをし、おもて舞台から裏舞台にまわっていたが、最近、横浜などで月一のライブを始めていて、表舞台に戻って来た。CD「タワー」も出しているし、これがまたなかなかご機嫌だ。
それが、今回出てきたチケットがぼくらのバンドと共演していたことを証明してくれたのだった。
ぼくが1970年ごろに所属していた西洋乞食とひっつき虫というバンドがあるのだが、そのバンドトスパニッシュが同じ舞台に立っていたのだ。。
それは京都芸館ホールのことである。ぼくが覚えているのは、スパニッシュのリーダーの入江くんが、ぼくがその日、急遽ベースを弾くことになり、「雨を見たかい」と、いうCCRの曲を弾いたのだが舞台袖でじっと見ていた彼が「コピーはええなぁ」と、ほめてくれたのだった。そのことを今でもはっきり覚えている。
そして、ぼくの抜けたあとに入った中村光一くんがさとうのぶひこのギターテクに「かっこいい!」と、いつも感嘆していたものだった。スパニッシュは西部講堂などに出たり、外タレが京都に来ると前座をしたり、なかでもさとうのぶひこは後に柳ジョージとレイニーウッドに加わったりもした。
この前、クンチョウを聴きに行ったときバックをしていたギターの田中春之氏とベースの山田春三氏も昔、いっしょにやっていたということで驚かされたが、それなりに齢を重ね円熟味を増してきたノブは目が離せない存在である。

さとうのぶひこのCD

ノブ

出て来たチケット

スパニッシュと西洋乞食とジュンとネネの名前も見えます。

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FBで再会、古時計の西田くん。

2014-03-02 22:08:17 | 音楽の部屋
 古時計というバンドがあったのを覚えていますか。
 大場と西田のヂュオで、とても素敵なハーモニーを聴かせてくれていました。
 二人とも、京都産業大学の学生で、当時、ぼくらともよく一緒にコンサートに出ていました。大場氏は石川県の出身、西田氏は岡山県の出身だったように覚えています。いわゆる、ルックスもよくて人気もあり、レコードデビューをしました。
 「ロードショー」という歌は、今もカラオケなどに入っていて、歌われているひともいると思います。
 大場氏の高音で震わせる、いわゆるビブラートのかかった歌い方は聴いていて気持ちがよかったものです。
 池内じゅんこさんのテレビドラマの主題歌も歌っていたように覚えています。
 大場と西田が解散してから大場と小坂、そして大場の弟が組んで古時計としてやっていたように記憶していますが、それもいつか解散してしまいました。
 それが2005年7月24日、中村光一(当時、彼は古時計のバックでギターを弾いていた。バックはほかにも小坂、伊東、佐々木らもいた)から連絡が入り、西田氏がソニーから古時計のリメーク版のCDを出したので、京都に来るから、みんなで「ザン」に集まろうとの連絡が入ったのでした。
 西田氏は定番の「ロードショー」を歌ってくれ、盛り上がったのですが、たまたま元「村八分」の松田ミッキーが来ていたので、彼も伴奏に加わり、ブルース版「ロードショー」でした。
 アマチュアのころ、ぼくらのバンド西洋古事記とひっつき虫のコンサートにも当時は古時計の前身「影法師」としてよく出てくれました。
 その西田氏と最近、FBで知り合い、懐かしくて「いいね」の押し合いをしています。それにしても、みんな確実に年老いて行きます。

古時計のCD。

74年ころのチケット、影法師、古時計の名が見える。

当時の古時計の写真。
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京都新聞連載の「随想やましろ」2月分が掲載になりました。

2014-02-15 21:32:12 | 文学の部屋
2014年2月14日、京都新聞連載の「随想やましろ」が掲載になりました。今回は、南山城のライヴハウス状況について書いてみました。よかったら読んでください。
←ここをクリックすれば大きくなります。
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平成26年2月14日(土)宇治児童文学サークル2月例会に出席して来ました。

2014-02-14 22:23:58 | 文学の部屋
平成26年2月14日(土)午前10時から宇治児童文学サークル2月例会に出席して来ました。
朝から記録的な大雪が日本列島を襲ったなか、家まで迎えに来てもらい、会場である小倉公民館に到着。
この雪の中、出席する人がいるのかとの心配も無用のようで、メンバー全員が出席していただいた。
この会は故中川正文さんの流れをくむ会だそうで、ぼくも先生にはいろいろお世話になったので、話をしていると懐かしかったです。
今日は、拙作「春咲き川」を題材に、「作者を囲んで」と、いう例会でしたが、出席者のなかには自身で書いておられる人もいたので、ぼくの経験からの書くことへの注意や助言なども交えて話させてもらいました。
熱い思いが感じられ、アッ、という間に時間が経って行きました。
久しぶりに文学への皆さんの情熱に触発された時間でした。
さて、ぼくの話がどこまでお役にたてたでしょうか。

司会の河北典子さんと。

出席者全員で記念撮影。

わざわざつくっていただいた表題。ご苦労さん。
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天王寺のロック食堂にゴローちゃんと朝子ちゃんのライブを聴きに行ってきた。

2014-02-12 22:40:37 | 音楽の部屋
2月11日(火)、大阪の天王寺のロック食堂に、中川五郎と大谷朝子のライブを聴きに行ってきました。
大阪はあまり詳しくないので、無事辿り着くことが出来るかかなり不安でしたが、京橋から環状線に乗りつぎ天王寺までなんとか。それからが右も左も判らず、さんざん迷い、体力も限界だと思われたころ、歩いている人に道をきくと、ちょうど、ロック食堂に行くとのことで連れて行ってもらいました。
息を整えるのに時間をついやしていると、横の席の政所さんという方に、サンドイッチをもらいました。よっぽどしんどそうで哀れに見えたのでしょう。
さあ、これからというときにいつものカメラのバッテリーが切れていることにきずきました。
慣れぬ携帯で撮ったので、トホホな写真ばっかりでした。
でも、朝子ちゃんとゴローちゃん、なかなかいい感じで楽しいライブでした。
ミスター ボウ ジャングルやミー アンド ボビー マギーも初めて聴けたし、最近、ブルースピアノの新鋭と目されている朝子ちゃんと、それをうまく包む百戦錬磨、幾多の修羅場をくぐってきたゴローちゃんのライブ、遠くて田舎者には辛かったけど、楽しめて良かったですよ。

朝子嬢とゴローちゃんとぼく。

始まりました。カメラの調子が悪いです。
 
ゴローちゃんと朝ちゃん。

写りが悪くて。
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