風の吹く 太陽と虹の大地で きみと

凸凹しながら生きてる毎日。
それってきっと最高に素敵な事なんだと思う。

猫カフェデビュー

2013-06-26 08:00:00 | ペット

7月に息子が宿泊研修に行く。

今からとっても楽しみにしているようだ。

 

「オレ、研修でやるの『ロッククライミング』にしたから。」

 

エッ?!その体格でロッククライミング?

息子は極度の偏食もあって、3年生から急に太り始めた。

2年生までは全く持って標準だったのに、今や学年で3本の指に入るくらいの大きさになってる。

おまけに、体の使い方がうまく出来ないのもあって、母としては『カヌー』とかにしてほしかった。

 

「だって、イモトがあんなに頑張ってるのを見たら、オレだって頑張らなきゃなって思ったんだ。」

 

えー?そこなんだ。

息子は『いってQ』が大好き、中でも好きなのがイモトさんと親方。

 

なので、日曜日にボルタリングの出来る所に行ってきた。

結果、小さな子でも登れる所も息子にとっては厳しいらしく、結構頑張ってたけど練習してなんとかというレベルじゃない感じ・・・・。

予定より早く帰ることにしたから、帰りに『猫カフェ』に行ってみることにした。

 

息子は生き物が大好き。

ただ、猫が好きと言ってたことはなかった。

 

予約が必要な店らしいけど、ダメもとで聞くとたまたま予約が入ってなかったからと入れてくれた。

ロシアンブルー、ミックス、スコティッシュホールド、ベンガル。

猫は昼寝時だったらしくゆったりと寝ていた。

オーナーの女性が猫についていろいろ教えてくれている間も、息子は幸せそうに猫に近づいてそっと見ていた。

 

30分はあっという間に過ぎて、帰る時。

 

「次いつ来る?今度の日曜日また来ようか。」

 

そう息子が言い出した。

 

「そんなに気に行ったの?」

「うん、すごく気にいった。」

 

特に抱っこが出来るわけでもないのに、猫と一緒に居て癒されたんだそう。

何だか意外。

動物好きなのは知ってたけど、ねこ好きだったんだ。

 

今は飼えないけど、将来は2.3匹飼おうね、猫。

 


不思議なシンクロ

2013-06-25 08:00:00 | 日記

私は山が好き。

海も良いけど、やっぱり山派。

 

きれいな山並みが見渡せるこの街に住む様になってから、そう思うようになった。

けど、数年前に山でも好きな山とそうでもない山がある事に気づいた。

私は、この街から見える山並みでも特に、〇〇山が好きだったようだ。

 

だから、〇〇山が美しく見えるH町街に家を建てるのが夢。

今住んでいる街から、30分程山寄りのその町は、以前はあまり人気のある町じゃなかったけど、ここ数年じわじわと人気が出てきて、おしゃれなお店がポツポツ建ってきた。

 

にも拘らず、何故か山が見渡せる飲食店がひとつもない。

道の駅に行って、『山がきれいに見える喫茶店はありますか?』と聞いて、教えてもらった所も行ってみたら、小さな窓からちょっと見えるくらいで、がっかり。

 

そんな話を、数日前職場のDさんにしていた。

 

すると、今日思い出したようにDさんが、

 

「そういえば、この間Yママと話してたんですよ。

Yママは、誰にも話したことがなかったそうなんですけど、いつか喫茶店を持ちたいって思ってるらしいんですよ。

それが、大阪に行った時にタロット占いをしてもらったら『あなたは喫茶店を将来やりたいんじゃないですか?やるとしたら山が見える所がいいです。』って言われたんですって。

Oさんが前に『H町は、せっかく〇〇山がきれいに見える所なのに山が見える喫茶店がない』って言ってた話をしたんですよ。

そしたら、Yママびっくりして、そのタロットの人に『喫茶店をやるのであれば〇〇山が見える所が良いですよ、そしてそれに関係する話を人づてに聞くことがあるでしょう』って言われたそうです。」

 

と、教えてくれた。

微妙に願い事がシンクロしてない?

 

「ねぇ!Yママいつ喫茶店出すの?

早くあの町に、山の見える喫茶店つくってほしい!!」

 

私の願いがかなう日も近いかも。


大切なものは『勇気』

2013-06-24 00:49:13 | 日記

「女の人生は50歳から。」

 

70代半ばの母が、この間里帰りした時に言っていた言葉。

 

「子育てがひと段落して自分の事をゆっくり考えたり、好きなことを出来るようになるのが50歳くらいからなの。

だから、50から女の人生が始まるのよ。」

 

母は今となっては姑と一緒に家に居るのが嫌だったんだろうなと思うけど、私が幼い頃から仕事を常に持っていた。

器用で多才だから、たいていの職場で1番になっていた。

私が中学生の時には司会の仕事を始めて、それは今でも頼まれればやっている。

 

そんな母が、仕事ではなく趣味として三味線を始めたのは50歳に近い頃だった。

三味線は、母にとってライフワークになったのか、どんどん上達して師範にまでなった。

今は三味線の他に太鼓や踊りも始めて、司会をしながら舞台に立っている。

 

そんな母から出た言葉だから、本当にそうなのかもしれないと思わせてくれる。

 

知り合いと話していた時。

 

「私の職場に、耳が聞こえない人がいるの。

いつも筆談で会話をするんだけど、手話が出来ると良いなって思って密かに通い始めたんだ。

将来は、手話通訳が出来るようになりたいって思ってる。

今更この歳で何かをやるのって、どうかなって思ったりしたんだけど、どう思う?」

 

「歳は関係ないんじゃない?

『私趣味ないです。興味あるものもないんです。』って言うより、『手話を習ってます』とか、『手話が出来ます。』って言う方が絶対いいと思う。

それに、何かを始めるって、自分に目標が出来るし、そこから何が派生してくるか分からないから、歳だから今更って考え方はしなくていいんじゃないかな?」

 

母が言っていた通り、私もアロマインストラクターを取ったり、お花を習いに行ったりしてるけど、それを始めてから、自分の人生の展望が開けてきたような気がする。

人生には、始めるのが遅いことはない。

勇気を持って一歩進むことが大切。

きっと、人生に大切なことって『勇気』なんじゃないかな。

 

 

 


親の願望は迷惑らしい

2013-06-23 00:30:44 | 育児

家に帰ると、夫から携帯を渡された。

 

「Yだよ、話したいって。」

 

Yちゃんは、夫の後輩。

彼女の大学時代は、今のご主人ともめてる時やバイトでトラブルがあった時とか、夫と二人で良くお世話をしたものだ。

 

彼女は結局『別れるー!!』と、いつももめてた彼と結婚して今は東京に住んでる。

10年間育児の傍ら、ベーカリーに勤めてパン作りを習得して、今は自宅でパン教室をしてる。

 

「しばらくだねー。みんな元気でやってるの?」

「みんな元気ですよー!Kくんは元気ですか?

うちのSはもう小6ですよ。」

 

そんな話を10分くらいして、夫に電話を替わった。

彼女の息子も、うちの息子と同じ特長を持ってる。

ある意味、うちの子よりスケールが大きいと言うか、わが道を行ってる。

 

「あいつも、子供の事で周りからいろいろ言われたって言ってたけど、今は落ち着いてるみたいだな。」

「そうだね。将来は息子さんと一緒にパン屋さんでもやろうと思って頑張ってるのかもね。」

「あぁ!その手があったな。」

 

まぁ、親が息子の将来を気にするのは当たり前の事だけど、子供にとってはなんで今から?位に思うんだろうな。

 

一度、夫が息子に、

 

「勉強しないでいると、将来仕事につけなくなるぞ。

そしたら、父ちゃんと一緒に仕事することになるんだからな。」

 

と、言ったことがある。

それに対して息子は、

 

「俺の将来の事を、親が勝手に決めるな!」

 

と、答えた。

 

実際、自分に置き換えたら親に進路を決められるのって、やっぱり嫌だ。

それに、いい高校に行って、いい大学に行って、いい企業に就職したら幸せになるなんて保証もない。

人生何が良くて、何が悪いのか先の事は分からない。

 

Yちゃんも、大学を卒業しても結局アルバイトの期間が長かった。

パン屋さんで働き始めたのは結婚して、子供が出来てからだ。

大学に行っていたのは、けしてマイナスにはなってないけど、全く畑違いの仕事を今はしている。

 

やりたいことを見つけて、スキルを身につけることと目的意識を持つことが大事。

息子に、それだけは伝えておこう。

 

 

 

 

 


ハッピーウェデイング

2013-06-17 22:38:22 | 職場

去年の暮に退社したBさんの結婚式には、私とAさんそして、同じ事務所からも数人出席してくれた。

Cさんは、出産の為、残念ながら欠席。

 

Aさんは皆に反対されたデニムの切り替えのワンピースを着ていくと言い張っていたけど、よくよく考えたのか、グレーのシフォンのワンピースにしたようで一安心。

Bさんに、

「Aさん、結婚式とびきりのおしゃれして来てくださいね」

って言われてたから、髪も『あやめちゃん』仕様でかなりいい感じに決まってる。

 

今回の結婚式は、Bさんとご主人が1年かけて考えた趣向を凝らした素敵な式だった。

長々とした挨拶もなく、様々なサプライズがちりばめられて出席者に対する二人の思いが伝わってくる。

 

席には、一人一人に手書きのメッセージがおかれ、泣き上戸の友人の席には名前入りのカバーのかかった箱ティッシュまであった。

新郎が、ビールサーバーをしょって、みんなにサーブしたり、挙式をした海外のお菓子を配り、お色直しのエスコートをしてくれたお父さんには、『父の日』のプレゼントをサプライズで渡したりと二人でフル回転。

 

そんな、楽しいパーティの中、新郎と新婦がAさんの前に。

 

突然の事で訳が分からないAさんに、新婦のBさんが、

 

「私の大好きなAさん。私は、いつでもAさんの味方ですからね。」

 

そう言って真っ白なバラのブーケを渡した。

 

サプライズでブーケをもらったAさんは、

「なんだか、この数年間の事をいろいろ思い出したら、なけてきました・・・。」

そう言って、その後ずっと泣き続けた。

私も、もらい泣き

 

結びの挨拶を頼まれて、あらかじめ考えていた内容を言うつもりでいたけど、この時の感じたことを言わせてもらい結びとさせてもらった。

その位、いろいろ感動した結婚式だった。

 

家に帰って少し経った時、Aさんからメールが来た。

 

『今日は本当に素敵な結婚式に出席できてよかったです。

今のセクションに配属になって、私はもともと人と関わるのが苦手だし、自信もなかったので正直なところ葛藤もありましたが、今日また本当に、人と関わっているのがうれしいって、Bさんに改めて思わせてもらえました。

こういう家族みたいな気持ちでつながっていけるセクションで働けて本当にうれしいです。

ありがとうございました。』

 

Aさんが、配属で来た時に1番イライラしていたのはBさんだった。

何を考えているのかわからない、要領は悪い、すぐ体調をくずす。

 

「正直、毎日なんでこうなんだろうってAさんの事思ってました。」

 

そうBさんは後日談で話していた。

 

AさんはAさんで新しい環境、新しい仲間や仕事の内容の違いに大いに戸惑っていた。

最初の1年間は、私もどうやってAさんの心を開かせることが出来るのか考えていた。

今のAさんが言う『家族みたいな気持ち』に、AさんとBさんがなるまでには、色々なことがあった。

そんな、時期を過ごして理解しあえたからこそ、今日のBさんのブーケトスとAさんのメールになったんだと思う。

 

「Aさんが、こんなメールをくれたよ。」

 

そうBさんに知らせた時、

 

『Aさんがそんなふうに思ってくれたんですね。

でも、そう思ってるのはAさんだけじゃないですよねみんなが同じ思いだからこそ築かれたメンバーですよね。

離れているから、今までみたいにいかないですが、昨日も言ったように私はずっとAさんの味方なので何かあった時には話を聞いてあげられる関係でいたいと思ってます。』

 

そう返信が来た。

 

遠くに離れてしまったけど、みんなの心はつながってるね。

いままでもこれからも。

 

でも、ひとつ困ったことがある。

Aさんより10才も年下なのに、やってくれていたAさんを叱る役、Bさんほどみんなうまく出来ないんだよね。

本人もBさんがいなくなってから、しっかりしなくちゃってテンパって空回りしてる事も多々あり・・・

けど、新しく配属になったDさんが仕事早くてAさんのフォローしてくれてるから、これはこれでまた新生チームになっていくことでしょう。

さぁ、どんなチームになるかを楽しもうか