小説の「書き出し」

明治〜昭和・平成の作家別書き出し

「檸檬(れもん)」 梶井基次郎

2012-05-13 04:44:46 | 作家カ、キ
 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとにふつかよいがあるように、酒を毎日飲んでいるとふつかよいに相当した時期がやって来る。それが来たのだ。
 これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
 以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二、三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私をいたたまらずさせるのだ。それで終始私は街を浮浪し続けていた。
 なぜだかそのころ私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いたりする裏通りが好きであった。
 雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるようなひまわりがあったりカンナが咲いていたりする。
 ときどき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へいま自分が来ているのだ――という錯覚が起こそうとと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰ひとり知らないような市へ行ってしまいたかった。
 第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳とのりのきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。ねがわくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様をもった花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのはひとつずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心をそそった。
 それからまた、びいどろという色ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほどかすかな涼しい味があるものか。私は幼いときによくそれを口に入れて父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ちぶれた私に蘇えってくるせいだろうか、まったくあの味にはかすかな爽やかななんとなく詩美と言った言うな味覚が漂って来る。

「競漕」 久米正雄

2012-05-12 16:09:56 | 作家ク−コ
 毎年春季に開かれる大学の競漕会がもう一月と差迫った時になって、文科の短艇(ボート)部選手に急に欠員が生じた。五番を漕いでゐた浅沼が他の選手と衝突して止めて了ったのである。艇長の責任がある窪田は困った。敵手n農科は殊にメンバアが揃ってゐて、一ケ月も前から法工医の三科をさへ凌ぐと云ふやうな勢である。翻(ひるがえ)って味方はと見れば折角揃へたクリュウが又欠けるといふ始末。併(しか)し窪田は落胆はしなかった。而(しか)して漕いだ経験は十分だが身体が無いので舵手になってゐた小林を説きつけて、やむを得ず五番に廻した。舵手の代りなら、少し頭脳さえよくて、短艇(ボート)の経験が鳥渡(ちょっと)あれば誰れにでも出来る。なあに漕法さえ確(しっか)り出来上ってゐれば舵は其日に誰れかを頼んだって間に合はぬ事もない。これが高等学校以来もう六年も隅田川で漕いで来た整調窪田の肚(はら)であった。それでもいくら舵だって相応な熟練は要る。一刻でも早く定まれば勝味が増す訳である。窪田は艇の経験ある学生を二三人心で教へて見た。そして熟考の揚句、津島といふ前の年に、二番を漕いだ男を勧誘する事に決めた。

「道化師の蝶」 円城 塔

2012-02-03 08:07:17 | 作家エ
   何よりもまず、名前があ行ではじまる人々に。
   それから、か行で、さ行で以下同文。
   そしてまた、名前が母音ではじまる人々に。
   それからbで、cで以下同文。
   諸々の規則によって仮に生じる、様々な区分へ順々に。
   網の交点が一体誰を指し示すのか、わたしに指定する術はもうないのだが、
   こうする以外にどんな方法があるというのだろうか。

         1

 旅の間にしか読めない本があるとよい。
 旅の間にも読める本ではつまらない。なにごとにも適した時と場所があるはずであり、どこでも通用するものなどは結局中途半端な紛い物であるにすぎない。
 そいつは屹度(きっと)、『逆立ちする二分間に読み切る本』のような形をしており、これは正に逆立ちして読む用に作られている。逆立ちしている間でなければきちんと意味は掴めない。平時に開いて字を追うことはできるのだが、実際に逆立ちして終えた場合の読後感とは比べものにもなりはしない。頭にのぼる血流を巧みに利用したお話なのだ。これを応用することにより、『怒りの只中で開かれる啓示』などが容易に作れる。
 それは東京−シアトル間を結ぶ飛行中の出来事で、わたしの膝にはキオスクで買った『腕が三本ある人への打ち明け話』が載っている。ぱらぱらとめくるくらいはしてみたものの、例によって内容が頭に入ってこない。飛行の速度のせいなのか、文字が紙面にわずかに遅れ、慌てて追いついてくる気配がある。そちらの動きに気をとられ、一体なのが書かれているのか印刷ばかりが目についてきて、注意はどうしても散漫となる。
 そうしたことになる以上、無駄な抵抗はやめてしまって、文字の動きを利用した本について考えはじめる。旅に出るたびいつもこんな羽目に陥る。鞄の中に二三冊の本を詰めるが、旅先で目につく本を買い足したりもするのだが、不思議と読み進められたためしがない。
 商才とは、こうしたとりとめもない感覚を言葉ではなく金に置き換える才覚だろう。
 A・A・エイブラムス氏が巨万とまではいかなくとも、それなりの資産を築きえたのは、こんなわたしの思いつきを真面目に取り上げたのがきっかけである。
 それは東京−シアトル間の飛行中に起こる出来事だ。
 エイプラムス氏は、年中旅客機で飛び回っている男であって、どこへという目的地はない。ただ飛んでいるのを事業としており、できうる限り飛行機に乗り、やむをえぬ場合に限って空港近くのホテルに宿泊している。フライトアテンダントとか機長とかいう人ではなくて、特にあてなき乗客である。
 肥満した体をエコノミークラスの座席に無理やり押し込み、脂肪がゆっくり馴染むのを待つ。高空(たかそら)へ至り、飛行と脂肪の配置が安定し、ワインの瓶を赤白一本ずつ頼んだあたりで、胸の内ポケットからおもむろに一つ道具を取り出す。
 それは銀色の糸で編まれた小さな袋で、脂の染みて黒光りするボールペンほどの軸に巻きついている。極太ソーセージじみた脂を器用に動かし、小さな袋を棒からほどき、人形の髪を整えるようなみだりがましい手つきでもって、袋の口をやさしく開く。

「共喰い」 田中慎弥

2012-01-28 16:51:43 | 作家タ、チ
 昭和六十三年の七月、十七歳の誕生日を迎えた篠垣遠馬(しのがきとおま)はその日の授業が終ってから、自宅に戻らず、一つ年上の別の高校に通う会田千種(あいだちぐさ)の家に直行した。といっても二人とも、川辺(かわべ)と呼ばれる同じ地域に住んでいて、家は歩いて三分も離れていない。
 国道でバスを降り、古い家屋や雑居ビルに挟まれた細い道を抜けると、幅が十メートルほどの川にぶつかる。流れに沿って歩いてゆく。潮が引いている。浅い水を透かして黄土色の川底が見える。形も大きさもまちまちの石、もし乗れたとしても永久に右へ曲がることしか出来そうにない壊れた自転車、折れた骨を檣(ほばしら)のように水面から突き出している黒い傘、錆びてほとんど形がなくなっているのに朱色の持ち手だけは鮮やかなままのブリキのバケツ、板塀の切り端、砂を呑み込んで膨らんだビニール袋、などが川を埋めている。鯔(ぼら)の子が塊になって泳いでいる。岸の泥には大きな蜘蛛の群れのように鳥の足跡が散らばり、嘴(くちばし)で餌を探したらしい部分には黒いへどろが見える。川に沈んでいるごみや岸辺には、緑色の藻がへばりついている。淡水のものではなく、潮の証拠だった。川の中にあるあらゆるものは、満ちてくる海と混じり合い、引き潮に運ばれずに残ったものだけが川を形作り、またやってくる海が待っている。
 においが来る。このあたりはまだ下水道の整備が完全でなく、家々の便器は一応水洗式だったが、汚水そのものは川へ流れ込むようになっている。家の排水管を下水の本管へつなぐ費用のいくらかは個人負担にした上で、来年の春頃までには工事が行われることになっているから、夏場の激しいにおいも今年が最後だ。
 こんなにおいで、しかもあんな父のいる家なのに、このにおいを嗅ぐと遠馬はいつも、帰ってきたという気になる。嬉しいのでも苦しいのでもない、川を川だと改めて思うことも、橋を橋だと思うこともないのと同じ、いつもの感覚だ。ただ、いつもの感じだな、と思ったのは今日が初めてのような気がした。
 淀んでいるにおいを掻き分けながらでないと歩けない。満潮に向う時なら海のにおいが加わった空気が揺れ動きながら、しかも粘つく筈だ。道に面した古い倉庫の雨樋(あまどい)につながれている赤くて痩せた犬が、鎖の長さ分だけ走ってきて吠える。蚊柱の横を通り過ぎる。
 魚屋の前で立ち止まる。客はいない。魚をおろしていた。黒い前かけ姿の母親の仁子(じんこ)さんと目が合う。
「いま帰りかね。」
「うん。」

「蜩ノ記」(ひぐらしのき) 葉室麟

2012-01-24 04:13:59 | 作家ハ、ヒ
 山々に春霞が薄く棚引き、満開の山桜がはらはらと花びらを舞い散らせている。昨日まで降り続いた雨のせいか、道から見下ろす谷川の水量が多い。流れは早く、ところどころで白い飛沫(しぶき)があがっている。
 昼下がりの陽光にくっきりと照らされた川辺の木々は瑞々(みずみず)しい葉を茂らせていた。その枝は、川面を覆うように伸び、深緑の影を水面に映し出している。
 背に葛籠(つづら)を負った男の檀野庄三郎は谷川に下りると、丸石がごろごろと転がる川岸にかがみ込んで手をひたし、両手で水をすくい口に含んだ。眉が濃く鼻筋が通った庄三郎の顔が水面に映った。
 木漏れ日が川面をまだらに照らし、光の粒のようにきらめいた。突然、青いものが横を過(よぎ)った。驚いて目を遣ると、川縁(かわべり)の枝に止まって餌を探すのか、雀より少し大きい鳥が長い嘴(くちばし)を傾けてじっと川面を見つめている。羽の上面(うえづら)は緑色で、背にかけて美しい空色をしたカワセミだった。
 枝が風に揺れたと思ったその時、カワセミは「チー」という鳴き声とともに一直線に水中へ飛び込んだ。透明な水の中で青い色がきらめいたと見た瞬間、カワセミは魚をくわえ、羽ばたいて飛んでいった。
 緑の梢を揺らして吹き抜けていく風がさわやかだった。
 庄三郎は、手拭で額の汗をふくと、腰に吊っていた竹筒に水を汲んだ。目当ての向山村(むこうやまむら)まで、あとどれほどの道のりだろうか、と思いながら竹筒を腰に戻した。
 その時、傍から水飛沫があがった。カワセミだろうかと思って川面に目を向けると、また、飛沫があがった。
 川面をかすめて小さな物が二、三飛び跳ねていった。
 ――石か
 庄三郎はあたりを見回した。上流の丸木橋の上に前髪の少年が立っている。
 木綿の着物に色褪(いろあ)せてはいるものの袴(はかま)をつけているところをみると、侍の子だろうか。
「こら、危ないではないか」
 庄三郎が声をかけると、真っ黒に日焼けいた少年は、にこりと人懐(なつ)こい笑顔になった。丸顔で目が黒々としている。

「坑夫」 宮嶋資夫(すけお)

2012-01-17 12:12:39 | 作家マ、ミ
 涯しない蒼空から流れてくる春の日は、常陸(ひたち)の奥に連る山々をも、同じやうに温め照らしてゐた。物憂(ものう)く長い冬の眠りから覚めた木々の葉は、赤子の手のやうなふくよかな身体を、空に向けた勢よく伸してゐた。いたづらな春風が時折そっとその柔い肌をこそぐって通ると、若葉はキラキラと音をたてずに笑った。谷間には鶯や時鳥(ほととぎす)の狂はしく鳴き渡る声が充ちてゐた。
 池井鉱山二号飯場づきの坑夫石井金次は、その日いつものやうに闇黒な坑内で働いてゐた。皮をむけて、あざれた骨のやうになった松の木で囲った抗口が、凡(すべ)ての熱も光も吸い取って了ってゐるので、山の肉を割(さ)き骨を刳(えぐ)って切り込んだ洞の奥には、永久に動かない黒い冷たい闇が一杯にこもってゐた。岩の裂目にかけたカンテラの赤ずんだ弱い光が、生々しく破られた岩肌や、汚れた仕事衣を着て立ってゐる石井の姿を僅かに照らし出してゐる許(ばか)りであった。
 カンテラは絶え間なく石油臭い油煙をたてゝゐた。行き詰った、風通しの悪い洞窟の奥には、むせるやうなダイナマイトの煙が、黒い油煙に交って、人の血を乱す荒々しい匂が濛々とこもってゐる。

「鳩飼ふ娘」 有島生馬

2012-01-04 01:04:44 | 作家ア
 三度目に妻が遁(に)げ出した時、もう無駄だと思った。幾歳(いくつ)になってもあの癖は直らない、私は直接男に手紙をやって、今度はもう帰って来られないやうに埒(らち)を作った。
 私は名論卓説に耳を傾けるのが嫌になった。役所で其(その)向(むき)の議論が湧いて面倒になる事があっても、黙ってゝ済む事なら、打捨て置いた。さうすると大概は夫(そ)れで片付いて終(しま)った。殊に問題が人生観などといふ雑談に移ると席に堪へられなくなった。皆んな蜃気楼だ、私には唯(た)ださうとしか響かなくなった。好きだった専門以外の書物も閉ぢた、同じ人間を神様のやうな崇めるのも興がなくなった。
 女の居ない家の中は火が消えたも同じだった。がらりと内の容子が変った。壁でも窓でも愛玩してゐた古画でも、申合せて今が今まで自分を詐(たばか)ってゐたやうに、急に素気(そっけ)なく冷かな態度に変った。トラス・テヴェレの借屋は私一人には広過ぎもしたし、明るい近代風の建築にも厭(あき)が来た。どっちにしても永く其家に住まってゐる気はなくなった。
 羅馬(ローマ)の公使館は其頃Mといふ町にあった。帰途は電車にも乗らないで役所から極く近いヴィラ・ボルゲェゼ公園を一周し、ピアッツァ・デル・ポポロの門から再び市内に這入(はい)ってデヴェレ河を渡り、歩いて自家(うち)へ帰るのを日課にしてゐた。その役所から公園に行く近道にS町といふ東西の短い通があった。朝夕僅か日光が射す許りで、霜解けなどは却々(なかなか)乾かなかった。

「雲雀」 藤森成吉

2012-01-03 14:47:49 | 作家フ
 初秋の或る際だって美しい朝、私は今朝着いた註文のはがきを調べて店へ持って行った。暖簾(のれん)を挙げると、街には午前八時頃の日光が黄ろくさしてゐた、私の家の蔭が、街の半分を黒く滲(にじ)ませてゐた、きれいに掃除された店は静にしんとしてゐて、店先きに新吉が唯一人、火鉢にしがみついてゐるようにして坐ってゐた、私が店へおりて行っても、彼は心づかない様子でゐた。私が帳場へ行って坐ると、その気はひに初めて彼はふりむいて、その、私を認めた彼の二個(ふたつ)の眼の中には、明かな狼狽(ろうばい)の光がさした、彼は、急いで何かを火鉢の中からつかみ出して袂(たもと)へ投げ入れた。
「何をしてゐたのだい。」その様子を見咎(みとが)めて私がかう云つてきくと、
「いえ、なに。」と新吉は吃(ども)って、きまりわるさうに云った。
「この註文を造って出しておくれ。」と私は、はがきを銭箱の上にのせた。
「へえ。」と云って新吉は立って来て、そのはがきを見かへしながら、土間の下駄をつっかけて裏の蔵の方へ行った。彼のあたってゐた火鉢には、火がかんかんと赤く見えた。ふと私は、粉炭(こなずみ)のほのかな匂ひの中に、魚の焼ける匂ひを嗅ぎつけた。

「恩人」 豊島興志雄

2011-11-24 16:41:01 | 作家ツ−ト
 年毎に彼の身体に悪影響を伝へる初春の季節が過ぎ去った後、彼はまた静かなる書斎の生活をはじめた、去ってゆく時の足跡とぢっと見守ってゐるやうな心地をし乍(なが)ら。木蓮(もくれん)の花が散って、燕が飛び廻るのを見守っては、只悠久なるものヽ影をのみ追った。然(しか)しその影の淡々(あはあは)しいのを彼の心が見た。
 前日からの風が夜のうちに止んで、朗らかな朝日の影が次第に移っていった。その時女中が一封の信書を彼の書斎に届けた。裏を返すと彼の心は一瞬の間緊縮された。手紙は京都の若い叔父からであった。彼は暫く眼を空間に定めて、それから封を切ってみた。断片的な簡短なる文句が続いてゐる。
  一度御地の旧物(きゅうぶつ)を訪はんと存候(ぞんじそうろう)へど、閑暇――閑暇はあり乍ら心臆して未だその期を得ざるまゝに日を暮し候。その後出京の念漸く成りて本夕出発、明日は多分御面接を得ることヽ存候。御新棲の有様も伺ひたくと存候へば……
それから又こんな文句もあった。
  但し此度は微行(びこう)に候、微行とは誇言なれど、此度の出京は君等の外誰も知る者なしとの意に候。然しそは特別の用件あるが故には候はず。たゞ一泊の訪問なるを予め御報申さんが為に候……

「犯罪小説家」 雫井脩介(しずくいしゅうすけ)

2011-11-20 13:59:13 | 作家サ、シ
「ちょっと今回は時間がかかってるみたいですね」
 テーブルの向かいに座る三宅が腕時計に目を落として言う。口調は穏やかだが、先ほどから何度も腕時計を気にしている様子を見れば、焦れている気持ちが手に取るように分かる。
 待居涼司(まちいりょうじ)も担当編集者に釣られ、手首にタンクディヴァンに目をやった。もう七時半に近い。選考会は五時過ぎに始まっているという。例年なら七時過ぎには受賞作が決まるらしいが、まだ待居の携帯電話には何の知らせも届いてはいない。
「今回から選考委員が何人か代わってますからね。それでちょっと時間がかかってるかもしれませんね」
 本日選考会が行われている日本クライム文学賞の主催元、文格社(ぶんかくしゃ)の編集者、増田が皿に残った唐揚げを口に放り込みながら言った。
 六時頃から、待居たちは新橋の駅近くにあるダイニングバーの小さな個室に入って、賞の待機をしていた。参加したそうな編集者はほかにもいたが、受賞を逃したときのことを考えるとあまり賑やかにしてしまうのも気まずいだろう気がして、何人かには受賞が決まったときには合流してもらうことにしてあった。待居と一緒に料理をつまみながら選考会場からの連絡を待っているのは、候補作「凍て鶴」の担当編集者である風友社(ふうゆうしゃ)の三宅と、文格社の増田の二人だ。
 ビールで乾杯してから最初のうちは、出された料理をつつきながら、今日は何でもない日であるかのようにたわいもない話で時間を潰していたが、連絡の来る時間と見られていた七時を過ぎた頃から三人そろって口数が少なくなってきた。

「恭三の父」 加能作次郎

2011-09-19 14:19:34 | 作家カ、キ
    手 紙
 恭三は夕飯後例の如く村を一周して帰って来た。
 帰省してから一ヵ月余になった。昼はもとより夜も暑いのと蚊が多いのとで、予(かね)て計画して居た勉強などは少しも出来ない。話相手になる友達は一人もなし毎日々々単調無味な生活に苦しんで居た。仕事といへば昼寝と日に一度海に入るのと、夫々(それぞれ)故郷へ帰って居る友達へ手紙を書くのと、かうして夕飯後に村を一周して来ることであった。彼は以上の事を殆(ほとん)ど毎日欠かさなかった。中にも手紙を書くのと散歩とは欠かさなかった。方々に居る友達へ順繰(じゅんくり)に書いた。大方端書(はがき)であった。彼は誰にも彼にも田舎生活の淋しい単調なことを訴えた。そして日々の出来事をどんなつまらぬ事でも書いた。隣家の竹垣に蝸牛(かたつむり)が幾つ居たといふことでも彼の手紙の材料となった。何にも書くことがなくなると、端書に二字か三字の熟語の様なものを書いて送ることもあった。斯(こ)んなことをするのは一つは淋しい平凡な生活をまぎらすためでもあるが、どちらかと言へば友達からも毎日返事を貰ひたかったからである。友達からも殆ど毎日消息があったが時には三日も五日も続いて来ないこともあった。そんな時には彼は堪らぬ程淋しがった。郵便は一日に一度午後の八時頃に配達して来るので彼は散歩から帰って来ると来てゐるのが常であった。

「湖畔」 結城信一

2011-09-19 08:52:54 | 作家ヤ行
 檜林のあいだの舗装された細い道が、ゆるやかな傾斜をみせながら、湖にむかって走っている。人影もないが、紙屑ひとつ落ちてもいない道で、歩いてゆくと靴の音が樹間に吸われ、近くの山肌に静かに鳴ってゆく。
 この細い道が舗装されているのは、片側にテニスコオトがあって、奥まった山の中腹に小さなホテルがあるためらしいが、コオトで遊ぶ人たちはもういなくなっている。……数日前まで、鮮かな黄金と朱色に染っていた紅葉が、短いあいだに散りはじめ、そしてまばらになり、今は山の地肌が淡い太陽のなかで穏かに息づいている。
《……いつ死んでもいいな》
 黒木はステッキの上に両手をかさぬ、雲のない空を仰いだ。
 近くにロープウェイがあって、濃いオレンジ色の胴を持った。マッチ箱のようなゴンドラが、何台もゆっくりと上下している。
 客を乗せているのもあるが、無人のものもある。絶えず視界の何処かにはあるので、台数はかなりあるらしい。上りは大涌谷(おおわくだに)の山あいに消えてゆくが、下りは終着駅の桃源台に降りてゆく。

「山陰」 木山捷平(しょうへい)

2011-09-17 20:53:45 | 作家カ、キ
 パーティー式の宴会ではそうは行かないが、日本式のお膳に出た御馳走のうち、自分の一等好きなおかずを一番初めに食べる子供と、一番終りに食べる子供があるものである。このたびの山陰旅行で私が三朝(みささ)を一番最後にしたのは、あれと同じような気持が、体のどこかにひそんでいたのかも知れなかった。
 予定らしい予定はなかったが、下関から逆行して川棚、湯本、玉造、皆生と行き当りばったりにそれぞれ一泊したあと、私は米子(よなご)駅の旅行案内所で三朝行きの交通をきいて、山陰線アゲイ行きの切符を買った。買ってどんな字を書くのかと切符を見ると、「上井」と書いてあった。先に案内書などで下調べをしておくと、上井を勝手にウエイと読んだりカミイと読んだりして、一生まごつくところかも知れなかった。
 米子から上井までは急行に乗った。わずか一時間ほどの所を急行券を買うのはバカらしかったが、山陰線には列車の回数が少ないので止むを得なかった。次の普通列車を待って待てないことはなかったが、人間は還暦ともなれば時間を惜しむ気持が強くなるもののようである。

「薔薇いろの霧」 丸岡明

2011-09-16 08:29:36 | 作家マ、ミ
 高原陽子は、やはり沢木修一の彼女だった。そんなことが、今になって、漸(ようや)く明白な事実となった。
 沢木自身が云っていたように、生ま身の人間の存在などは曖昧模糊としたもので、死なねば、なにごとも、たしかにならぬと云うことなのだろうか。

 陽子を連れた沢木修一に、私が初めて逢ったのは、一昨年の九月の中頃だった。陽子は裾に、白く蘆(あし)を染め抜いた単衣(ひとえ)の着物を着ていた。
 暮近くになると、江戸前のハゼを釣りにゆく船宿から、橋ひとつ越した柳橋の今風に階下が椅子席になった。小料理屋で、その沢木たちに逢ったのである。場所柄もあって、最初は陽子を芸者か何かかと思った。親方になった相撲取りなども飲みに来る店のせいでもあった。
 沢木は高原陽子を、友人の未亡人だと云って紹介し、私のことは、
「裸ばかり描いている画描きさんです」
 と陽子に云った。
 私は好んで裸婦を描いているわけではないが、裸婦の線には自信があった。沢木は突嗟にそのことを思出し、私をそう紹介することによって、陽子に対する私の無用な好奇心に煙幕を張った。

「賭金」 藤原審爾(ふじわらしんじ)

2011-09-15 13:57:16 | 作家フ
 わたしは、これから、ある一人の、不幸な男の話をしょう。不幸な、ということばは、わたしたちに同情や好奇心や、共感する用意や公正にたいする感度をよびさます不思議な力があるが、広いごく漠然として意味のものである。その男は、細君もなく、二人の子供を抱えて、病気にかかっているが、そういうふうな不幸だといえば、広い漠然とした不幸という感じが、急速に薄らいできて、別の言葉が必要になる。わたしがその男を不幸なというのは、広い漠然とした感じが、実にぴったりしているからなのである。どうして不幸なのか、どういうふうに不幸なのか。そういうことがいえないような不幸な感じの不幸な男であり、いえないほど彼は不幸なのである。彼には彼の親達が勝手につけた池田勇人という強そうな名前があるが、彼は名前などないほうがよほど相応(ふさ)わしいような、ありふれた、貧相な、そして世の中の片隅の暗がりで、ひっそり生きている男である。
 彼は、今、間代四千円の裏町の木造の古いアパートの、二階のどんづまりにある便所の隣りの、陽の当らない、風通しのわるい、六畳の部屋で、病気に苦しみながら、半月ばかりも寝ている。食べ残しの腐った匂や垢(あか)と脂と汗の匂やごみとほこりの匂と、隣りの便所の匂などが、部屋の空気をあおみどろ色にするほど籠った中で、彼は薄い夜具にくるまり、独りひっそりと寝ている。