孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ  次期国王は“奇行の人”ワチラロンコン皇太子 今後の国民との関係は?

2016-10-14 23:22:58 | 東南アジア

(左からタイの故プミポン国王、シリキット王妃、ワチラロンコン皇太子=2007年12月、バンコク、王室事務局提供 【10月13日 時事】)

国民から敬愛されたプミポン国王
かねてより体調がおもわしくなく入退院を繰り返していたタイのプミポン国王が亡くなり、多くのタイ国民が涙しながらその死を悲しんでいる様子がTVで報じられています。

****タイ国王の遺体王宮に 沿道には追悼の市民数万人****
13日、バンコクの病院で亡くなったプミポン国王の遺体を乗せた車の列は、現地時間の午後5時ごろ(日本時間の午後7時ごろ)、ワチラロンコン皇太子に伴われて病院からバンコク中心部にある王宮に到着しました。王宮に向かう道路や、王宮の付近には、炎天下のなか黒い服に身を包んだ数万人の市民が詰めかけ、手を合わせて車の列を見送りました。

王宮の前に来ていた49歳の公務員の男性は、「悲しくてたまりません。プミポン国王は仕事をする上でもいつもお手本でした」と泣きながら話していました。(後略)【10月14日 NHK】
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日本では天皇陛下の生前退位が議論されていますが、多くの国民が陛下のそうしたお考えに理解を示している一方で、天皇は公務をするしないにかかわらず、その存在自体が重要・特別であるという立場から、公務を十分に行えなくなったから生前退位するという考え方に否定的な声もあるようです。

そうした考えの方々にとっては、ここ数年公務から殆ど離れていたプミポン国王が、国民から圧倒的に慕われている様子は、ある種、王室と国民の理想の関係のように見えるかもしれません。

また、そうした考えの方々にとっては、天皇の存在は日本そのものとも位置付けられるのでしょうが、私個人としては、そうした考え方には距離を感じます。

日本であろうがなかろうが、社会の基本は国民主権に基づく民主主義、法の下の平等にあり、そこに天皇という存在をどのように位置づけるのか・・・若い頃には違和感みたいなものも感じました。昭和天皇の頃には“戦争責任”という問題もありましたので。

ただ、公務に専心される陛下のお姿をTV等で長年拝見していくうちに、そうした違和感も融解していったように感じています。

そうした個人的な思いからしても、国民と皇室をつなぐ絆としての公務は重要なものに思われます。
特に、価値観が多様化した現代において、国民と皇室をつなぐ絆を維持していくためには、教育等で徹底的に刷り込むか、今のように公務に専心される形で国民のこころに触れるか・・・の、どちらかではないでしょうが。

前者は、戦前のいびつな天皇制度、そこから生まれたもろもろの弊害にもつながるもので、同意しかねます。
そうなると、やはり公務をとおして国民と交わっていくというのが、今後とも重要であろうと考えています。

王室と国民の関係は国によって様々ですが、タイの場合は映画館で上映前に国王賛歌が流れ、全員が起立するというお国柄で、更に、街中でも毎朝8時と夕方6時に賛歌が流れ、何をしていても立ち止まって国王に敬意を表すという、日本とは全く異なる社会環境にあります。(もっとも、タイは5~6回旅行していますが、この毎朝8時と夕方6時の国王賛歌というのは、一度も気づきませんでした???)

街中では、あちことに国王を描いた大きな看板が見られます。
また、不敬罪が厳格に(特に、現在の軍事政権にあっては体制維持の政治手段としてこれまでになく厳しく)適用されており、国王に関する話題を口にすることや、ネットなどで表明することは厳しく制約されています。

プミポン国王に対する国民の敬愛は、ひとつにはそうした社会で醸し出されたものではありますが、それだけではなく、国王自身の資質や、精力的に地方視察を繰り返し「開かれた王室」を実践したきたこと、また、政治的危機を乗り切る調停役をはたしてきたことなど、長年国民とともに生きてこられた年月が培ってきたものでもあるでしょう。

従って、次の国王と国民の間で、プミポン国王と同様の深い敬愛が生まれるかどうかは・・・・やや疑問でもあります。

皇太子に即位を要請
次の国王には、国会にあたる国民立法議会は、憲法規定に沿ってワチラロンコン皇太子(64)に即位を要請することを決めていますが、皇太子は「今は国民と悲しみをともにしたい」と即位の法的手続きを「適切な時期」まで待つよう、プラユット暫定首相に伝えたと報じられています。

****<タイ国王死去>王位継承、固唾をのんで見守る****
タイは14日、プミポン国王(88)の死去を受け1年間の服喪期間に入った。長男のワチラロンコン皇太子(64)に王位が継承される方針が速やかに示され、国内に混乱は起きていない。

だが、皇太子が国王としてどのような治世を行うかは不透明で、人々は王位継承をめぐる動きを固唾(かたず)をのんで見守っている。
 
プラユット暫定首相は13日夜、テレビ演説で皇太子が即位すると明らかにした。2014年のクーデター後に制定された暫定憲法によると、内閣の通知を受けた暫定議会議長が議会を招集し、皇太子に即位を要請。その後、国民に公示する手順になっている。
 
現軍政は、皇太子への王位継承をにらんだとみられる動きを進めてきた。皇太子は昨年、国王とシリキット王妃(84)の誕生日を祝う2度のサイクリングのイベントを実施することで、国民に対し存在感をアピール、プラユット氏らも参加して協力した。
 
ただ、プラユット氏は皇太子に拝謁後、記者団に皇太子が「国民と共に哀悼する時間を持ちたい」と、即位を遅らせるよう求めたと述べた。チュラロンコン大のチャイワット・カムチュー教授は「悲しみに暮れる国民の感情に反することになるので、王位継承を急がず、時間を置くのはよい判断だ」と話す。
 
しかし、王位継承をめぐっては国民に人気の高い次女のシリントン王女(61)を推す声もあったとされる。軍、政府内部は一枚岩とは言えず、別の政治学者は「『シリントン派』を警戒する皇太子周辺にとって王位継承まで空白期間が生じるのは得策ではないはずで、意図が読めない」と言う。

憲法では、即位要請などがなされていない間は枢密院議長が暫定摂政を務めることになっているが、今のところこうした手続きは進んでいないようだ。
 
ワチラロンコン皇太子は1952年にバンコクで生まれた。英国の高校、豪州の陸軍大学を卒業し、75年に陸軍情報局の軍人として公職に就いた。90年11月に天皇陛下の即位の礼が行われた際に来日したこともある。

ただ、海外に滞在することが多く、王室関係の行事ではシリントン王女の方が存在感を示してきた。皇太子は3度離婚し、女性スキャンダルが伝えられたこともある。
 
タイ政治に詳しい浅見靖仁・法政大教授は「王位継承をめぐり水面下で何が行われているのかが見えづらく、皇太子が国王としてどう振る舞うかも未知数だ。王室をよりどころにした『国体』が揺らげば、現軍政が不安定化したり、経済に悪影響が及んだりする恐れもある」と指摘する。【10月14日 毎日】
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奇行の人
ワチラロンコン皇太子がとかく噂のある方で、公務に励まれる国民的人気が高いシリントン王女を推す声もあること(王位継承にあっては、人格的要件なども定められ、必ずしも順位1位の者が王位を継ぐとはかぎらない仕組みのようです)、また、ワチラロンコン皇太子が軍事政権が目の敵にするタクシン派と関係が深いと見られていたこと、そうは言っても現実問題としては順位1位のワチラロンコン皇太子を差し置いてシリントン王女を・・・というのも難しく、軍事政権と皇太子の間で何らかの合意がなされたのか、皇太子の王位継承に向けて着々と準備が進み始めていることなどは、2015年12月11日ブログ“タイ 王室権威に依った秩序維持に努める軍事政権 高齢国王のもとで現実問題となる王位継承”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20151211でも取り上げました。

ワチラロンコン皇太子に関しては、タイ国内でいろいろ言うと不敬罪で逮捕されますが、以下のようにも紹介されています。

****ペット犬の名は「空軍大将」、タイ次期国王の奇行の数々****
<タイのプミポン国王の死去に伴い、ワチラロンコン皇太子の国王即位の手続きが進んでいるが、多くのタイ国民は祝福する気になれない。皇太子の常軌を逸した行動の数々に、不安を感じている>

2001年、タイのワチラロンコン皇太子の皇太子妃(当時)スリラスミは、王族のメンバーを集めて30歳の誕生日を祝うヌードパーティーを開催した。スリラスミの隣に鎮座するのは、誕生ケーキと「空軍大将フーフー」という名の白いミニチュアプードル。なぜタイ空軍から大将の称号を得たかは謎だ。

この奇妙でハレンチなヌードパーティーは、2007年にビデオ動画が流出して暴露された。皇太子の将来の王位継承を阻もうとする抵抗勢力が動画をリークした。

ウィキリークスが公開した外交公電によると、駐タイのアメリカ大使ラルフ・ボイスは、パーティーのビデオが流出した数カ月後、大使公邸で開催したパーティーに皇太子夫妻を招待したが、その時も2人はフーフーを連れてきた。

「フーフーは、イブニング用のフォーマルウェアを着て、4本の足にソックスを履いてパーティーに参加した」と、ボイスは書いている。「バンドが2曲目を演奏している間、フーフーはテーブルの上座に飛び乗り、ゲストに出したグラスの水をペロペロとなめ始めた。私のグラスもなめた」

4人目の妻はタイ航空の元CA
フーフーは昨年2月に17歳で亡くなり、伝統的な仏教式の葬儀の後に火葬された。しかしこの時には、スリラスミは王室から消えていた。

皇太子は14年にスリラスミと離婚し、王室は彼女の所持品を持ち出し禁止にした。スリラスミの親族には汚職の容疑がかかっていた。そして皇太子は、既にタイ航空の客室乗務員を4人目の皇太子妃に迎えるつもりでいた。

いまとなってはフーフーの流出動画も3度の離婚も、皇太子の数々のスキャンダルの一握りでしかない。今週のプミポン国王の死去に伴い、皇太子の国王即位の手続きが進んでいるが、多くのタイ国民は祝福できずにいる。

18歳の即位から88歳で亡くなるまで国王の座にあったプミポンは、国民からの尊敬されていた。タイの映画館では、国王への敬礼と国歌斉唱がなければ映画は始まらない。

プミポンは1946年に兄王が銃殺されたことを受けて即位。以降は静かな芸術家肌の人柄と、社会改革を志向してタイ都市部の発展と中間層の形成を促した功績で知られている。また必要以上に政治に介入しない方針も貫いた。

タイ国民の多くは、皇太子の妹のシリントーン王女の即位を望んでいる。遊び人の皇太子と違って王女は未婚を通し、プミポン国王の様々な事業を支援しながら、王女もまた政治とは距離を置いた。

国民が恐れているのは、皇太子がプミポン国王の遺産、特に政治に介入しなかった方針を継承する気がなさそうなことだ。タイでは14年の軍事クーデター以降、軍政が続いている。皇太子が常軌を逸した行動で、軍政ともめ事を起こすのではないかと懸念されている。

例えば2001年、皇太子は当時のタクシン首相から豪華なスポーツカーを贈られた。今年7月には、ドイツ・ミュンヘンの空港に、ヘソ出しシャツにタイトジーンズを穿いて、上半身にはタトゥー風のペインティングを施して飛行機から降り立った。カメラマンがシャッターを切る間、人々に挨拶していたが、その余りに異様な姿で周囲を唖然とさせた。

それが今や次期国王だ。皇太子は、喪に服すためにしばらく即位を延期するよう求めている。皇太子の国王即位に反対する人々にとっては、国王が不在の今の方がまだましなのかもしれない。【10月14日 Newsweek】
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なお、7月ミュンヘンの“ヘソ出しタトゥー”写真は、ドイツ大衆紙ビルトに掲載された、元ロイター通信記者でタイ王室に批判的な著作で知られる英国人アンドルー・マクレガー・マーシャル氏によるものですが、タイ警察は、写真が「改ざんされていた」と主張、首都バンコクの実家にいたタイ人妻を連行しました。その後、妻は無関係と判断し数時間後に釈放されています。【7月22日 時事より】

強烈な写真ですが、どこがどう「改ざん」されたのかは知りません。

何度も言うように、タイ国内ではこうした王室に関する話を公言すると不敬罪で逮捕されます。
したがって、軍事政権が「次はワチラロンコン皇太子が」と決めたなら、そうなるのでしょう。
ただ、プミポン国王時代のような王室と国民の関係が維持されるのかどうかは、不透明です。

なお、これもタイ国内では公言できない話ですが、プミポン国王が即位することになった、1946年の兄・ラーマ8世の死については、“深い謎”があるとされています。関心のある方はウィキペディアなどでご覧ください。

32年前に初めてタイを観光した際に、現地ガイド男性が「あまり大きな声では言えないけれど・・・」と話してくれたことが印象に残っています。
過去を振り返ると、タイ王室の継承は必ずしも順調ではなかったようです。
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