硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れずに暮らす「頑固なボス」の痛快辛口日記

誰かがやらなければならない社会貢献がある。利他主義を貫く信条を主張するボスの独り言!

聞きたくなかった…

2017-08-10 21:44:15 | 自叙伝

オヤジの葬儀での話は 聞きたくなかったが、親戚の姉さんも既に別れた母親に「良かれ」と思って真実を話してくれたと思う。

 

その子供の我々には 何とも辛い話だ。

 

オヤジが精神的に病んでいたと…それも俺たちが産まれる前から  これは辛い。

遺伝しないのか? とも思う。

 

北海道の中心部 富良野からさらに山間部に「山部…やまべ」という小さな集落がある。

母親の生地だ。


幼稚園の頃 一度母親と二人で行った事がある。

要は「おばあちゃん」にあたる方だ。

母親は10人兄弟の9番目で、10番目は「力造」リキゾウ という弟がいる。


覚えているのは、ヤマベという村へ行った時に リキゾウおじさんが裸馬に乗っていたことだ。

何ともワイルドな姿だった。


そのおばあちゃんは、左手の中指がない…昔 何かに刺されて中指が紫色に腫れたそうだ。

貧しい生活に 医師に診てもらう余裕などない。が、10人もの子供達を食わせるには夜なべでもしなければならない。

グローブのように腫れる左手を見て おばあちゃんは「まさかりで左手の中指を囲炉裏のふちで断ち切った」そうだ。

これもワイルドな話だ。


ただ、母親の10人兄弟は のちに樺太に渡ってから何人か亡くなる。

母親が樺太へ行ったのは 7歳の時だ。

終戦後も「女」ではなく「男」として生きなければ ロシア兵の餌食だったようだ。


終戦後 昭和23年に やっと北海道の興部(オコッペ)に帰る事ができた。

母親23歳の時だ。とにかく 仕事して仕事して仕事をしまくったらしい。


山部(やまべ)の近くに ペンケという地域があるが、日本名の地域名は知らない。

そのペンケに中野さんという おせっかい焼きのオヤジさんがいて、その中野さんの世話で母親とオヤジが所帯を持つようになったらしいのだ。


正直 得体の知れないオヤジさんだ。

何度か会ったこともあるし 自転車の後ろに乗せてもらっている写真もあるほどだ。

今さらながら この中野のオヤジさんのせいで、我が家は大変な思いをすることになるのだが…


おそらく中野さんは、オヤジの事を詳しく知っていたと思う。

歌志内の兄(オヤジの)と中野さんは 知っていたはずだ。


まぁ オヤジの性格や価値観を受け継いだのは 私の姉だと思っている。

とにかく性格が似ているのだ。


そのオヤジも さすがに晩年は姉のしつこい生命保険の勧誘に困惑していた。

葬儀の時には、オヤジの家に行き家内道具の整理をしていた時に 生命保険の証書を何通も見つけた。

当時持ち始めて間もない携帯電話で 保険会社へ連絡して確認して分かったのだが、全ての受取人が姉になっていた。


こいつは、自分の親に保険を何社も勧誘して保険金を受け取っている訳だ…しまいには 葬儀に遅れて来るという「まさに悪女」になっていた。

いずれ改めて書くが、母親からも多額な金をだまし取っている。


このような家庭に育つと 人生も荒んでくるのだろうか…


次回は しばらくぶりに 私の「マルイ」からの大きな転換をお知らせします。


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『国が黙殺した炭鉱(ヤマ)生活の実態』映画ですが、仮称として


『地の下マイルの男たち』 としました。


早速のご支援に感謝いたします。

ただ、N様からの「医療治療費」は 映画化資金として積み立てさせて頂きました。私は これを成就せずして死ぬわけにはいきません。

歴史に残る映画として必ず達成するのが活力です。


どうかわずかなご支援でもお願い致します。


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