硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れずに暮らす「頑固なボス」の痛快辛口日記

誰かがやらなければならない社会貢献がある。利他主義を貫く信条を主張するボスの独り言!

旭小学校…②

2017-07-01 09:52:45 | 自叙伝

誰にでも「故郷自慢」があるものだ。

生活環境だったり、食べ物だったりする。私の場合は少し異質で、旭台…という集落全体を語ることが多い。

 

文武両道とでも言おうか、とにかく貧しい生活の中で親も学校も「旭」という名に大きなプライドがあったことは間違いない。

 

そりゃあ 炭鉱を主業とする暮らしは 「アナから出てきて お天道さんを見て、生きた心地がする」という過酷さは付いて回るが、戦争から帰ってきたオトコたちからすると戦地よりは炭鉱の中の方が居心地が良いのだろう。

非番の日は 朝から大酒飲みもいれば、わずかな娯楽に興じるものもいる。

 

生きているという証の一つに、採炭産出量という指標が毎月出され 一喜一憂するオヤジ達…

要は、炭鉱の最前線では「採炭チーム」が編成され 「班」の構成の元に各班で採炭量を競っている訳だ。毎月結果が出ると、班のどこかの家に集まっては酒盛りが始まる。

 

また、炭鉱には「先山 中山 後山」という特殊なヒエラルキーが存在する。

先山とは、そのヤマ=炭鉱に先に入坑した者を言う。いわば職場の先輩になり…年齢は全く関係ない。エライのだ…

従って、後山=どこかの炭鉱町から転居してきた者は扱われ方が粗末になるのも当然だ。

 

炭鉱マンのストレスは、このヒエラルキーに対するものがほとんどだ。酒を飲むたびに、「あの先山は仕事ができない」「あの先山は信用できない」…などが頻繁に口から出る。

技術の有るなしも必要だが、会社から支給される道具は何一つなく ノコ数種やノミなどは自分で手当てし、目立て(手入れ)も自分がやる。これは、坑内において材木を切り坑口の支柱に使うために採炭では必須アイテムになる。

 

古くなった鉄道のレール(H型)をU字型に曲げて坑内を支える際の「仮止め」のようなもので、とりあえず木材を使う…考えただけでも粗悪な状態が想像できる。

 

そんなオヤジ達にも才能を持ったオヤジ達も存在する。

以前音楽をやっていた加藤さん…狭い家の中に管楽器や小さなオルガン・ギターなどがあり、子供は小さかったが羨ましかったのを覚えている。

今流行りの将棋は、休日や非番の時の「唯一の娯楽」だった。女の子は、ゴム飛びやケンケンパ…ビー玉 綾取りなどだ。男の子は、パッチ(めんこの事)が主流。

 

家の前で粗末なベンチ風な椅子で将棋を そこらじゅうでやっており、長屋の人たちが自然と集まってくる光景は平和そのものだ。

 

話を我が家に戻そう…

オヤジがたいそう大事にしていたモノに、軍服がある。それも裏地が熊の毛で覆われた軍服コートだ。

ストーブの横に毛の方を上にしてゴロンと横になり、子供らに足を揉ませる…これが毎日のルーティーン。我々子供はたまったもんじゃない。

TVを見ながら3人で「ふくらはぎやもも」を交互に足で踏みながら揉むわけだ。延々と続く…こちらから「もういい?」なんてことは決して言えないからだ。

 

さして会話がある訳でもなく、むっつりオヤジとの食事や寝ているときの静寂の維持…おやじがいないと自然と家の中が明るくなった。何せコミュニケーションができない人だった。

子供の教育? 全く関心が無い。

私は3人の中で末っ子…姉と兄がいる。私と兄は成績が良かったが、真ん中の姉はサイテーレベルだったが 親父は可愛くてしようがないようだった。デキの悪い子が可愛がられるとは こういう事か?と幼い頃から思った。

 

同じ炭鉱でも「なぜ 我が家だけが貧しいのか?」 いつも感じていたことだ。

服なんてものは、裁縫が得意だったおふくろが 近所からもらってきた服を加工して着せられた。私なんかはスカートの真ん中を縫った「ズボン」を何本も持っていた。


同級生や近所を見ても ここまで貧しくないのに…それには理由があったのだ。


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小説
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