硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れずに暮らす「頑固なボス」の痛快辛口日記

誰かがやらなければならない社会貢献がある。利他主義を貫く信条を主張するボスの独り言!

勤労高校生…⑦

2017-07-17 11:56:15 | 自叙伝

歴史愛好家…と言っても、例えば数百年前の大きな出来事に執着し できるだけ事実に近い事を突き詰めるだけではないのです。

 

この習慣は、今でも役立っているのですが人間の人生=歴史ととらえると 人間観察や洞察に予想以上に役立ちます。

若い頃は通勤電車の中で、「この人は何歳くらいだろうか…どこに住んでいるのかな?…出身は何処だろう?…趣味は何?…等々」勝手に想像することはいくらでもある。

あまりじーっと見ていると怪しまれるので、車窓を眺めながら時折観察することが習慣になっていた。

 

営業職や販売職だった事もあり、例えば名刺交換時に苗字や会話のイントネーションや若干ある名残りの方言などから 出身地を言い当てる事ができたせいで、他の営業マン・販売員より短時間で距離感を近づける「ワザ」へと発展していった。

当然人間同士の距離感は営業数値に反映する訳だ。

 

他に戦国史の知識があると、城郭にも精通する…時の城主や城の特徴などを会話に織り交ぜると、概ね自分の故郷名所名跡を称賛されて嫌な気分になる人はいない。

 

社会人になってからだが、「上杉」「毛利」「松平」「伊達」姓の友人や先輩ができた時は妙に嬉しかったものだ。

特に「松平性」には特徴があり、本家筋の呼び方は「まつだいら」の「ま」にアクセントを付ける。一般的に口から出る「まつだいら」は、「だ」にアクセントがあるが これは分家とのことだ。

これは勉強になった…

 

この松平先輩と酒を飲む度 アクセントに慣れずにぎこちない呼び方をして、いつも怒られていた…やっと自然に呼べるようになった頃 松平先輩は転勤していったのだ。

 

時として、自分の人生を歴史的観点から考察したことがある。

かなり時間がかかったが、戸籍を調べ尽くしながら「先祖」を追いかけた…

 

父方の先祖は、結果的に仙台市の「町人」であることがわかった…明治初頭の頃という事は、江戸の末期も仙台藩という事になろうか。

 

まさか どこぞのお偉いさん…という期待も無きにしも非ずだが、単なる町人風情で良かったのかも知れない。一族で一念発起し、遠く蝦夷地へ開拓に来た行動力と勇気には感謝したい。

 

北海道民のルーツは、ご存知の開拓屯田兵が主体を成しており 開墾後は農業開拓民が全国から集まってきたようなもので いわば方言の宝庫であり文化共和国と言える。

当然 人口の増加とともに経済が発展するとともに、商業・金融・物流関係も並行して人口流入が急激にあるはずだ。

 

内地から来た「お偉いさん」たちは、内地へ戻るだろうし出身地(入植前)が違う者同士が助け合いながら形成されたのが北海道だ。

新しく入植してきた者たちを阻害せず、誰にでもウエルカム精神で共有生活を営んできた歴史がある。

いきなり内地から来て、北海道の厳寒の冬は越せない訳だ…地元住民の知恵を借り 学び そしてまた伝えていく事が繰り返された。

 

だから、北海道の道民性は「屈託がなく世話好きが多い」のもうなずける話だ。

 

南国のような「大陸的思考」は持ち合わせていないが、長屋暮らしが基本なわけで流し(台所)の窓越しに「醤油・味噌…の貸し借り」は毎日のように頻繁に行われる。

加えて、漬物のおすそ分けだ…

秋になると それぞれの家の「猫の額ほどの畑」の作物で漬物を一斉につける光景が あちこちで見るようになる。

我が家も、5人家族の大所帯…「大根・白菜・茄子・キャベツ・ニシン漬け…」大樽(10斗樽)で6~7樽は漬ける。物置は、そのために必須になる。

 

雪深い山奥の生活の冬の朝は、「湧き水小屋」と向かいにある「漬物小屋」の雪かきから始まるのが日課だ…当然 子供の仕事だ。

漬物が数種 食卓に並ばない日は経験と記憶がない。どんなに貧しい生活であろうと、漬物は立派な料理であり保存食になる重要なメニューだからだ。


今思えば、長屋の軒先で一家総出で漬物を漬ける一大イベントが懐かしくてたまらない・・・


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小説
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