雲の上のあしあと

蓮の葉は空を向く
  花に羨望しているのだ
蓮の葉は底を向く
  土に懐郷しているのだ
~創作小説蒐~

歩む者

2008年11月12日 | インにヨウに、
 水音が聞こえる。すぐ傍なのに、とても遠くに思える。深いところを求めてゆっくりと、徐々に足を前に踏み出す。段々と下がった体温は、水中のほうが温かいと感じさせた。
 ――其処で、停止するつもりだった。感覚の鈍った身体は、その意志を助けてくれる。
 これで良かったのだと思う。僕にはもう、何の望みも無いのだから。
 でもそれとは裏腹に、浸れば浸る程、背筋が粟立つ。まるで誰かにそっと撫でられているようだ。いや、違う。背中から手を無理矢理に体内に突っ込まれて、掻き出されているような、そんな気がした。勿論、実際にはそうじゃない。ただ、そうとしか思えないような感覚があった。
 言い様の無い気味の悪さに、足が竦む。暗い湖の底から、手が生えて、僕の足を掴んで放さないようだ。
 しかし闇の中というのはどうして、こうも視線を感じるのだろう。
 誰も居ないことは確認した。その筈なのに、すぐ後に、誰かが立っているような錯覚を覚える。本当に誰かが居るのではないか。でも、それなら水音が立つ筈だ。居る訳が無いじゃないか。居るとすれば――
「はは……」
 乾いた笑いが零れる。その結論に怯える自分を嘲り笑った。どうして恐れる必要があるんだ? 僕は幽霊になるつもりで、此処に居ると言うのに。
「何で、こんなに怖いんだろう……?」
 不思議だ。誘われているならそれに乗るべきだ。なのに僕の足は止まり、それ以上進もうとしない。下を見れば、足は闇の中。水面にはただ、情けなく立ち竦み、今にも泣き出しそうな、そんな顔が映っていた。
 だから視界の隅、かなり遠くでも、車の灯りが見えた時、僕は安心したのかも知れない。そこで僕の意識は途切れた。



 安らかな寝顔だった。色白な彼のことだから、もっと蒼白なものを予想していた。純白な布団よりなお、白い肌。
 やつれた頬に手を添える。冷え切っていたけれど、どうにか温かくなっていた。彼の中に命を注がれたようで、自然と頬が緩む。
「良かったですね……」
 もう無事だろう。安堵の吐息が零れる。
 しかし微かに、重苦しい空気が流れていた。想いに圧迫される。煮え切らない思いもあったのだ。私にも、そして勿論、彼にも。
 小さな子供が、自殺を図るなんて。華奢な体付きは決して元からではないことを、私は知っていた。なのに、止められなかった。後悔するには遅すぎるけど、悔しい。
「ハッちゃん、ごめんね。助けるのが遅くて……」
 すると、彼は優しく微笑んだ。涙が出る。許して欲しくないというのは、我が儘だろうか。
 と――そんな時に、病室の扉が開いた。入ってきたのは、スーツ姿の男。厳しい顔をして、ツカツカと私の前にやって来て、頭を下げた。
「伯斗(はくと)を助けて頂いて、有難う御座いました」
 素っ気無くそれだけ言うと、頭を上げ、自分の息子を見下ろした。心配している風でもなく、見下していた。彼が気にしているのはハッちゃんの無事でも何でもなく、ただ世間体だ。
 この人は、と思う。手が震える。気付けば噴出していた。
「あなた、それでも親ですか!?」
 ハッちゃんのお父さん――とは呼びたくないけれど――は、一瞬驚いた表情をしたものの、すぐに厳しい顔に戻り、時計を見、次いで私を見た。その意味は分かる。この人……全くハッちゃんのことを見ていない。腸が煮え繰り返る思いだった。
「すみませんが、人様の家庭に口を出さないで貰いたい」
 それで怯むと思ったのだろう、余裕の顔だ。だけど、こっちにも手がある。
「いえ、私は他人でも無いんですよ」
 男は妙なことを、と眉を顰めた。
「何を仰っているんですか。貴女の性は三上さんでしょう。三上柊香(しゅうか)。親戚にその名の者は居ません」
「確かに血は繋がっていません。しかし魂を繋ぐことは出来ます」
「一体何の話を……」
 男の眉間のシワが深くなる。それは単に、奇異に感じているだけだ。私は続ける。
「そもそも、どうして私が気付けたと思います?」
 すると男はあからさまに呆れ返った素振りを見せ、ため息を吐き、かぶりを振った。嫌らしい人だ。
「超常現象は信じておりません。信じられないから、超常なのでしょう」
「そうですね、私は異常です。ですが――だからこそ、こんなことが出来るんですよ」
 ずっと佇んでいた彼を見やる。彼は何をするか分かって、重々しく頷いた。
 男の前に歩み出る。そして無様に混乱しているその顔を、強く、打つように、掴んだ。
 すると男は目を見開き、体を強張らせた。そして――崩れ落ちた。

 暫くすると、ハッちゃんが目を覚ました。するとハッちゃんはそのまま、驚いたようにパチクリと瞬かせた。
「もう、体は大丈夫?」
 訊ねたけれど、ハッちゃんは唖然としていて、応えなかった。
「良かった。本当に……」
 そう言って彼の身体を抱き寄せ、涙を流しているのが、父親だということが信じられないのだろう。
「悪かった……許してくれ。これは言い訳だが、妻が亡くなって、私は何もかも嫌になっていたんだ。仕事でしか自分の価値が見出せなかったんだ……すまない」
 お父さんは嗚咽までして、ハッちゃんに謝り続けた。するとハッちゃんはようやく状況が分かって、そっとその背に手を回した。全く……どっちが親なんだか。
 私がハッちゃんに微笑を寄越すと、ハッちゃんははにかんだ。年頃の男の子には恥かしいのだろう。
 私は出来るだけ静かに部屋を出ようとした。するとハッちゃんが後から声を掛けてきた。
「しゅうちゃん、助けてくれたのって、もしかして……」
「ハッちゃんのお爺さんが教えてくれたんだよ」
 そう答えると、ハッちゃんは泣き笑いを浮かべた。もう、心配は要らないみたいだ。
 そうして私は、部屋を出た。

「どうもありがとうございました」
 誰も居ない病院の屋上で、頭を下げる。彼は微笑んでいた。声にせずとも、感謝の気持ちが心に直接伝わってくる。
「本当に好かれていたんですね。あなたがハッちゃんの守護霊になってくれていて助かりました。お陰でお父さんにハッちゃんの気持ちも伝わったし……助かりました。もっと早くやっていれば良かったかな」
 彼――言うまでも無くハッちゃんのお爺さんは、満足気に笑った。この人は正しく仏なのだな、と思わされた。
 今回のことで、この親子は無事にやっていけるだろう。そういう意味では、不謹慎ではあるけど、ハッちゃんの自殺未遂が良い機会にはなった。
 やっぱり、ポジティブに考えるのが一番だ。だって何時でも大事なのは、これから、だから。
 そんな私の思考が伝わったのか、お爺さんは少し悲しそうな顔をした。私は苦笑した。
「あなたも含めて、これから、なんですよ。何たって守護霊さんですからね。しっかり働きかけてあげて下さい」
 するとお爺さんは嬉しそうに笑うと、頷き、消えた。ハッちゃん達の許へ行ったようだ。
 フェンスから外を見下ろすと、ちょうど病院から出たところの、仲睦まじく手を繋いで歩く親子の姿があった。


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巽さん、何だかこんなのになっちまいましたよ←

やべっ、書いてたらこんな時間になってた(汗
「見られぬ者」の三上さん、再登場w
実はこの人、オヌノナに通じてます。。
というより、名前が思い浮かばなくて持って来ただk(ry

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2 コメント

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こんばんは♪ ()
2008-11-14 00:14:26
おお! リクエストに応えて頂いて有難うございます^^
ハッちゃん、幼いのに……寂しかったんだね:;
三上さんも何だか色々ありそうで、楽しみな人ですね♪
こんにちは! (らすねる)
2008-11-14 15:26:59
いやぁ中々お題で書くのも楽しいものですね!^^
ハッちゃん、名前を伯斗にしちゃいましたが、はくと=白兎・・・って、兎じゃん!やってしまった。。
何だか理由が少なすぎた気がします。。
お父さんしか親族が残って居ないというのは何となく想像が付くとは思いますが・・・そういうのをしっかり書かないとなぁ^^;
何というか、詰めが甘い話でした。。