言の葉のいろ

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瞑想3回目~使命って

2017-04-23 20:00:47 | 瞑想
今日、4月初めに朝活で出会った岩井伸太郎さんhttp://notice.x0.com/wp/%E9%81%8B%E5%96%B6%E8%80%85%EF%BC%88%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85%EF%BC%89/の瞑想3回目を受けた。

この若い男の人とのやり取りの中で私のなかには、何が生まれていくのだろう?

彼の言葉は、24歳の若い感性で、私が人生の中で受けた苦難にあった難しいものでなくて、いろんなことをもっと単純にクリアーになっていく感じを受ける。
彼が好きだという小説家の喜多川泰さんの作品を思い出した。喜多川泰さんの作品は、中高生、大学生を登場人物にしていて、大人の世界の複雑な事柄でなくて、もっと学校生活の中だったり、そういう中での人間対人間のやり取りをもっと単純に説明してる感じがある。

彼の言葉や説明は、その年にしてはすごいなと思う。だが、彼自身がその24歳の経験や感性で説明されていくと、もっと身近でわかりやすくなって、私はもっともっと初心にかえってくる気がした。

今日は様々なやり取りのなかで、彼は
「使命」という言葉を最後の方で出してきた。

私はある友人のことがふっと浮かんだ。
「梅ちゃんが表現の世界にきてうれしい。私はずっと、梅ちゃんは報道とかっていうよりは、芸術の世界の人だと思っていた。
梅ちゃんは苦しみの中で生まれたことを表現していける人だと思う。」

私が小説を書くきっかけとなった別の女の子の友人は、私との電話の中で
「梅さんの言っていること、堂々巡りしていますよ。
もう、(話はやめよう、ということを暗に含んで)その苦しい思いを文章にして、私に送ってください。」

そういえば、私別の男の子の友達にも、
「さっきから同じこと言っているみたいだね」と言われたこともあった。
自分の中で、何とかできない思いがぐるぐるしていくみたいだ。

それを表現していけたら、人から迷惑がられず(笑)、やっていけそうかも。

そうか、もしかすると、それも私の使命なのかも。

あのきれいな女性の友人も思い浮かんだ。
「文章力ありますよね」

文章力は全然ないのだが、とにかく何か言葉にしたい、というつらい思い。

私は怒りや悲しみ、苦しみ、そういったものが時に自分でも強すぎるんじゃないかと思う。


4月第2週に起きた苦しみ、私はある人から言われたことから受けたつらさから、持っていた携帯電話を地面に投げた。
とにかく苦しい、私はもう、ここにはいられない。
なぜ私がこういうことを言われなきゃいけないのだろう。
携帯は落ちて画面がバリバリになったというのに、壊れず、今でも使っている。

わたしの知人たちは、それを見て、みな何か感じ取った。
「すごいですね、ようそれでもってますね」
「手ここに触って大丈夫ですか?」

昨日、編集長が言った。
「ファンキーやの。梅ちゃんパンク!」
先週、Oさんが、落書き教室で言った。
「何この携帯、アートやね」

あぁそっか。そういうことか、と私は今日運転しながら、それらの言葉を思い出しながら思った。
人と共有しえない、孤独な苦しみも、すべてアートになる。

私はこれから表現していく人になろう、と思った。
いいものをつくろうというよりかは、まず表現の連続に自分を置こう。

文章を書くことは中学生のころから好きだった。文章力をつけたいと思ったのか、新聞社に入った。
しかし、力をつけるというのは、技術をつけたというよりかは、毎日毎日、締め切りの緊張感と集中力で書き続けることだった。

しかし、新聞社での日々は、ストレスからか心身を壊して、4年で終えた。

結局、いったん文章を書いて仕事をすることは置いておいて、子どものころからの夢だった考古学の世界に入ることにした。

しかし、こうして
私は、離れられずにいて、必要としている。

でも、私は考古学の世界にあこがれのままでいずによかったなと思っている。

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