言の葉のいろ

ことばのいろをかなでる

自己対話2

2017-04-25 23:19:10 | 瞑想
私にとって、これまで男の人との出会いが新たな世界に連れてきてくれた。
ここ数年は特に。

恋愛ということに限らず、友人、知人、仲間としての彼らとの付き合いが、思いもよらなかったこと、あるいは思っていたこと(夢や目標)に運んできてくれた。

彼らと面白いというその感覚は、やっぱり女性と話している時とは違うもので、私はそれをあえて意識することはしなかったし、
自分が女性だからということを、恋愛以外で持ってくるのは何か嫌だなと思ってきたけど、

きっとやっぱり相手も、私が女性だからこそ、楽しんでくれたんじゃないかと思った。

というのも、決して変な意味じゃなく、私は男性と仕事をしていることが楽しい、この合致しているという感覚が面白いということが、2カ月前にあって、そういえば、彼らとの何気なく楽しんでいた会話が、いろんな社会的な面白いことにつながっていたから。

私に仕事を振ってくれたその男性は、以前、私に「遊ぼう」と言ってきた。

年が一回り上のその男性は、どういう意味で、私にそういうことを言ってきてくれているのかよくわからなかった。
恋愛的な意味を含むのか、あるいは友人というつもりなのか。
でも、正直、そのどちらもめんどうくさくて、私はスルーしていた。むしろ、私にとってそのころ、困っていた男性の一人だった。

彼は、たぶん、そのどちらでもなくて、たぶん、私に何かアンテナを送りたいだけだったのだと思う。
でもそれが何でなのかきっとわからない。
だから、感性で生きる彼のような人は、ひとまず、やってみる。
理屈で生きていた私は、そこに乗っかれなかった。

私が物書きとしても生きていこう、と思い始めたとき、彼は仕事の相談という形で私に話をしてきた。
そのタイミングで、私たちは、やっと絡むことができた。
こういう、下地のない1から作り上げていこう、ということは久しぶりだったし、この手の仕事は初めてだった。
結局は、私はこの仕事にちゃんと協力はできなかったが、彼から相談を受け、やり取りをしている時、

わたしのなかにふと一つの言葉が浮かんだ。

あ、わかってもらう必要なんかないんだな、私たちはお互いを捕捉しあって、合致していけばいいんだ

私はこれまで、男の人にわかってもらおうとか思っていた節があった。今もそういうところはあると思う。
けど、彼とのやり取りは、わかるとかわからないとかそれ以上の、合致していく合致して作り上げていく楽しさがあった。

もちろん、彼に対して、恋愛感情は一切ない。
恋愛というのは、見た目が好きとかいうより、近くに来た時のにおいとか言葉では説明できない、お互いがお互いを求めている遺伝的な生物的なセクシュアルなものがちゃんとベースにあって、そこに情動が足されていくのだと思う。そのうえに、また人間的な物語をお互いに積み上げていくというような。
私は、彼の近くにいってにおいをかぎたいわけでないけど、近くに座って説明しているのは別に嫌じゃなかった。
でも、まぁ仕事が成り立たなかった理由は、お互いに無理していた、疲れていた、ということがあったのだと思う。
私は、その仕事にコンディションを調えていくことができなかった。
でも、その男性とのやり取りがとても楽しかった。

私は1月~3月まで、心身はいつもよくないものを引きずっていた。

でも、そのなかで、何回か今、ここに集中できる、嫌なことを忘れさせてくれる出来事がいくつかあった。

そのどれもが、この男性とのことも含めた、すべて男性とのやり取りだった。


1月、私が小説を書くきっかけとなった男性4人との飲み会は、気が付いたら下ネタばかりをしゃべっていた。
私は30を過ぎてから、いろんなことが恥ずかしくなくなっていて、男の人は特に下ネタを喜んでくれて、そこで一緒に楽しめるということを何度か経験してた。
基本はくだらないことばかりしゃべっていたけど、彼らは私の考えていたことを別に狙っていたわけでもなく、偶然に話し、そこに私たちそれぞれの感性を積み重ねて、お互いに今後楽しいことができるんじゃないかという夢を、その場につくっていった楽しい飲みの場だった。

私たちは、森が好き、という感性でつながっていた。

私たちが不満に思ってきたこと、それは単に私たちがこれから社会を作り上げていく課題なのだということを共有しあった。

2月、私はこれまで思ってきた深いことをある男性に話すことができた。
彼とは久しぶりに会っていた。彼のおかげで、私は考古学の世界に入って、その苦しさも楽しさも味わえた。論文を出せたのは、彼が糸を引いてくれたおかげ。
でも、私は彼と考古学以外の人間的な何か共有点というか、そういう部分が実は一番面白かった。

3月、和歌山に行ったとき、
それも男性陣4人だった。
それまで、ややもしたら泣きそうなものを抱えていた私が、あれ、楽しい、と思った瞬間だった。
どうして、私、こんなこと考えていたんだろう、と思えた会だった。

4月、久々に朝活の瞑想を体験した時も
全員男性だった。

私は、ここに入れなかった男性も含めて、自分を動かしてくれた男性への手紙として、
自分の今後を考えていこうとした。

でも、それは語り言葉にはならなかった。

まだ、世に出していくには何かあるということだった。


彼らへの手紙、というとらえ方では、
たぶん、私は彼ら(心の中の私自身がつくった彼ら)に引っ張られているだけ。

じゃあ、私が手紙を書いていく(つまり、それを実行していく)には
私なりの感性で返していく必要がある、そうじゃないと引っ張られて私が私自身の仕事をたのしめない。

私なりの感性は

私がこれをやって楽しいと思うこと、
私がたぶん、得意かもしれないこと。


彼らへの手紙とは別に、少しずつ毎日、毎日見えてきた。

・私は苦しみを言葉に表現していける
・言葉、文章にしたものは、私を嫌いな人とも付き合える。

・私は人を突き放すことなく、寄り添っていける、というかそうしていきたい

日々、いろんなことが見えてくる。


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