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2009-10-17 | 文化のこと
モードの帝王「太った母さんたち」を敵に回す、やせすぎモデルの是非で物議――ひまだね英語
2009年10月16日 


■本日の言葉「object to」(文句を言う、反対する)■
肩の力を抜いたゆるい「暇ダネ」の英語をご紹介するこの金曜コラム、今週は女性美の基準という、いわば永遠のテーマについてです。適度に丸い方がいいのか、すっきりスリムな方がいいのか。「パリ・モードの帝王」がこのほど「丸い女など見たくない」と前者をバッサリ切って捨てる発言をしたことから、またしても物議が。(gooニュース 加藤祐子)

○トップモデルさえ着られない細い服

映画「ココ・アヴァン・シャネル」を先日観たせいもあって目についたニュースです。複数報道によると「シャネル」のデザインを手がけるカール・ラガーフェルドが「ファッションは夢と幻想の世界だ。丸い女なんて誰も見たくない」「ポテトチップの袋を抱えてテレビの前にどーんと座ってる、太ったお母さんたちが、やせたモデルは醜いと文句を言ってるんだ」と発言。12日付英ガーディアン紙の見出しは「Karl Lagerfeld says only 'fat mummies' object to thin models(カール・ラガーフェルド、痩せたモデルに文句を言うのは太った母さんたちだけだと)」と。
これはドイツのファッション誌「ブリギッテ」が今後は、やせすぎたプロのモデルではなく「普通の、現実の」女性たちだけを誌面で起用すると発表したことに対して、ラガーフェルドが「ばかげてる」と反発してのこと。「フォーカス」というドイツ誌への発言です。
ドイツ誌「ブリギッテ」がやせすぎモデルはもう使わないと宣言したのは、編集長いわく「やせすぎモデルで撮った写真を、普通の女性らしく見せるためにいちいち修正しなくてはならないのが、もう面倒だった」「もう何年も前から、モデルの胸や太ももをフォトショップでふっくらさせていた」のだと。そうだったんですか。
ではなぜ雑誌が、そんなやせすぎのモデルばかり撮影に使うかというと、好きでそうしているわけではなく、デザイナー側がそうさせるのだと。ガーディアン紙の別記事によると今年6月には英国版「ヴォーグ」のアレクサンドラ・シュルマン編集長が、シャネルやプラダなどの主立ったブランドに対して「そちらから送られてくるコレクション・サンプルのサイズがどんどん小さく細くなっていて、やせているモデルを使わないと撮影ができない」「胸もヒップもない、骨張ったモデルを仕方がなく使い、後から写真を修整している」「トップモデルでさえすんなり着られないような、小さいサイズのサンプルばかり送らないでほしい」と苦情の手紙を送ったとして、話題になっていました。英タイムズ紙のこちらの記事によると、あのケイト・モスでさえ、デザイナーたちが送ってくるサンプルが入らないのだと。

…………。かつて「emaciated(ガリガリ)」とか「waif-like(浮浪児のよう)」とまで言われてやせ過ぎモデルの代名詞だったケイト・モスでさえ着られないような服に(いかに30代になってお母さんになったとは言え)、いったいどんな市場価値があるというのでしょう。
にもかかわらず強気なラガーフェルド帝王。3年前には、やせ過ぎのモデルがいるのは業界の圧力のせいではなく、本人たちの個人的問題だと言い切って大批判されています。その上で今回のように「丸い女なんて誰も見たくない」なんてことを言えばさらに反発必至なのは、帝王も分かってるはずだと思うのですが。それでもどうしても言いたかったんでしょうか。ガーディアン記事についている読者コメントで、「そりゃあんたは、丸みのある女らしい女は嫌いかもしれないけどさ」というコメントが次々とついているのが笑えます。

(それからちょっと英語ウンチクですが、上記したガーディアン記事の見出しにある「fat mummies」。これを最初に見たとき「太ったミイラ?」と一瞬、頭の中が「???」だらけになったのですが、記事を読んでつい苦笑。正しくは前述の通り「太った母さんたち」という意味。帝王が母国語のドイツ語で発言したのを、イギリス人記者が訳してこうなったのですね。というのも「mummy」には「ミイラ」という意味と、イギリス語の「ママ」という両方の意味があるので。発音も同じです。まぎらわしいです。アメリカ語の「mommy」と同じ。こちらは発音がちょっと違います。短縮型はイギリス語では「mum」ですが、アメリカでは「mom」です。)

○内臓はどこに…日本向けポスターのありえない体型

かくして、テレビの前でポテトチップスを食べてる太った母さんたちを一気に敵に回したラガーフェルドですが、帝王がなぜそんなことを言ったのかはともかくとして、ファッション業界が世界中の女性たちに喧伝する(もしくは押し付ける)「美」のイメージについては、かねてから「ありえない幻想を押し付けるな」派と「誰だって綺麗なものが好きなんだから、いいじゃないか」派の対立が侃々諤々続いています。
「やせすぎモデル」がらみで最近批判されたのはラガーフェルドだけでなく、ラルフ・ローレンも。問題になったのは何でも日本で使われたポスターだそうで、こちらの英タイムズ紙の記事で見られるモデル写真が、すごく批判されたのです。一目瞭然ですが、あまりにあからさまな修正のし過ぎ(記事を開いて写真の二枚目を観ると、このモデルさんの本来の姿が。十分にきれいじゃないですか)。修正し過ぎた写真ばかり集める「Photoshop Disasters」というブログに取り上げられ、その記事が強制削除されたことから、他のサイトにも取り上げられ、ネットで騒ぎが大きくなり、ついに一般マスコミも取り上げたという典型的なネット対応ミス。いや、ネット対応もひどいですが、そもそもこの修正はひどい。だって頭の幅が腰骨より大きいじゃないですか。
英タイムズのこちらによると、ラルフ・ローレンは騒ぎになったこのポスターのモデルを「契約上の義務が履行できない」ことを理由に解雇したのだとか。このコラムの筆者は「つまり、雇用主の途方もないマーケティング幻想を満足させるために主な内臓を手術で取り除くよりは、いや内臓はあった方がいいと、この気の毒なモデルは判断したのだろう」と。
(全くの憶測ですが日本人としてちょっと気になったのは、これが日本のデパートで使われた宣伝スチルだったこと。日本市場にあふれている一部のアニメやマンガのイメージが影響してないか、と。人類としてあり得ない骨格の絵が日本には溢れていますからね。だから日本で売るには、一部のアニメやマンガのあのファンタジックな体型にした方がいいと、そういう判断だったらイヤですね…)
ファッション・モデルに要求される体型がどんどん細くなっていることに関する議論を、いわゆる「size zero」論争と言います。つまりアメリカの婦人服サイズ「size zero (0号)」が入らないとトップモデルになれないのはおかしいのではないか、という論争です。アメリカの0号は日本の5~7号(しかも、おばさんサイズの7号ではなく、トップブランドの7号です)。それを身長175センチ以上で着るというのですから、いやはや凄い。
タイムズ紙によると、ラルフ・ローレンにアニメ体型に修正されてしまったモデルのフィリパ・ハミルトンは身長179センチで体重54キロ(すごい)。アメリカのサイズ4号なのだとか。にもかかわらず「太り過ぎだと解雇された」のだと。そういえば映画「プラダを着た悪魔」では、最初はサイズ6号で「でぶ」扱いされていた主人公が、どんどん洗練されていってサイズ2号になっていました。つまり日本の11号くらいから、7~9号くらいに。主役を演じたアン・ハサウェイは公称173センチのようですから、そりゃスリムだわ。

○食べずに死んでいくモデルたち

そして、この「やせている(やせすぎている?)=美」というイメージをファッション業界が喧伝している(あるいは押し付けている)ことについて、欧米ではここ数年、批判が盛り上がっては立ち消えて元に戻り、そしてまたこうやって物議をかもして話題になるというサイクルを繰り返しています。
ひとつの大きなきっかけは、ブラジル出身モデルの急死でした。21歳だったアナ・カロリナ・レストンは2006年11月、拒食症(anorexia)がもとで死亡。身長172センチに対して、体重は40キロ。トップモデルになるため、トマトとリンゴだけのダイエットを続けていたのだとか。同じ年の夏にはウルグアイの22歳モデルがやはり拒食症で、ショーの最中に急死。その半年後には同じくモデルをしていた18歳の妹までが、栄養失調によるとされる心臓発作で急死しているのです。
こうしたことから2006年のミラノ・コレクションやマドリード・コレクションは、BMI18以上のモデルしか出演させないと決定(WHO基準では18.5未満が低体重)。アナ・カロリナの死亡時のBMIは13.4でした(WHO基準ではBMI16未満は「重度の痩せ過ぎ」)。そして2007年9月のミラノ・ファッションウィークでは、イタリアのデザイナー「ノリータ」が、拒食症に長年苦しんできて31キロもないという27歳フランス人女性のヌード写真を「No Anorexia (拒食症にNo)」という衝撃的なポスターにして発表し、ものすごく話題になりました。
けれどもロンドン・ファッションウィークはモデルのBMIを制限せず。そしてラガーフェルドが君臨するシャネルを筆頭に、やせたモデルが美しく着こなすスリムなファッションはまだまだ続き。「size zero」論争も続き(日本では、少女雑誌のモデルたちに憧れる小学生の女の子たちが早くもダイエットを始めるとか、整形するとか、あろうことか母親がそれを勧めるとか、ときどきニュース番組などで話題になっています)。

○商品としての美は常に特権の象徴なのか

なぜトップブランドのデザイナーたちはそこまで、不健康なまでにやせたモデルたちを「美」の象徴として喧伝したがるのか。英タイムズ紙のこのコラムによると、もしかしたら現代の欧米社会では「やせていること=富」だからではないかと。「肥満が貧困と結びついている今の過剰な欧米社会では、痩せていることこそ究極の特権、エリートの象徴なのではないだろうか」と。
なるほど、と思いました。一部の特権階級以外は誰もが肉体労働をして、そしてなかなかお腹いっぱい食べられないことが社会のデフォルトだった時代や社会においては、「ふっくらふくよか」「豊満」であることが美徳でした。豊満であることは、肉体労働をしなくていい限られた富裕層に与えられた特権だったから。ひるがえって今のアメリカやイギリスでは得てして「低価格でおなかがふくれる食事=油まみれ、添加物まみれの加工食品」で、ゆえに「肥満している=安くて質の悪い大量加工食品ばかり食べて、フィットネスにお金をかけられない貧困層」という図式が定着しています。
ファッションとはそもそも特権的なものです。金持ちファッションだったら金持ちゆえの特権。貧乏学生のパンキッシュなストリートファッションだったら、それは若さゆえの特権(安くて誰にでも似合う服がファッショナブルでもあるというのは、実は大変珍しい画期的な現象なのだと思います)。そしてそもそも若者の貧乏ゆえの工夫から出発したものだったとしても、それが「商品としての美」として流通システムに乗るようになった時点から、「そのために金を出せる人」のための特権的なものに様変わりしてしまうのが、ファッション・ビジネスの皮肉です。ラガーフェルドの言う「ファッションとは夢と幻想」という言葉は「ファッションとは経済特権」にも置き換えられると思います。「金で買える夢と幻想」なのだと。
「商品としての美=経済特権が生み出すもの」なのだとしたら、その美しさの定義は社会の金持ちが求めるもの。社会の既得権益の仕組みにびったり寄り添うものなわけです。つまり、金持ちほど良質な食事をしてフィットネスに時間と金をかけられるので痩せていて、貧乏人ほど劣悪な油まみれの食事をしていて不健康に太っているという、欧米社会のこの構図が変わらない限り、「やせすぎモデルはよくない」といくらファッション誌が頑張ったところで、そうは簡単に変わらないのかもしれません。ラガーフェルドの個人的な好みはともかくとして。
(ちなみにこういう話を書くと、お前はどうなんだと言われそうなので、ちょっと書きますと、私はモデルでも女優でもないので、健康を維持しつつも、ビールと餃子と焼き鳥を楽しむ生活を大事にしています)

◇本日の言葉いろいろ

・object to = 文句を言う、反対する
・ mummy = ママ、ミイラ
・anorexia = 拒食症

◇筆者について…加藤祐子 東京生まれ。シブがき隊と同い年。8歳からニューヨーク英語を話すも、「ビートルズ」と「モンティ・パイソン」の洗礼を受け、イギリス英語も体得。怪しい関西弁も少しできる。オックスフォード大学、全国紙社会部と経済部、国際機関本部を経て、CNN日本語版サイトで米大統領選の日本語報道を担当。2006年2月よりgooニュース編集者。米大統領選コラム、「オバマのアメリカ」コラム、フィナンシャル・タイムズ翻訳も担当。英語屋のニュース屋。
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日本では、こういう流れにはなりませんね。

なにしろ日本には欧米のようにクジラみたいな女性は、あまりいっらしゃいませんから。

細い女性といえば私の職場の新卒2年目の女性は、小柄でなおかつ細く、こっそり内緒で聞いたところによると、ウェスト54cm!

顔も小顔で、かのファイブスターストーリーズのファティマみたいです。

所謂、小股の切れ上がった好い女ってのも、そんなイメージみたいですね。

歌麿の女じゃなくて鳥居清長の女でしょうか?

まぁ、彼女に限らず、小柄で細く、それでいてエネルギッシュな若い女性は見て心地よいものです。

その上に賢ければ申し分ありませんけれど。

まぁ、欧米の女性もアガサ・クリスティーやアーシュラ・K・ル・グィンの聡明を以って生きて欲しいモノです。

何しろオトコ連中がアレですからねぇ。


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