山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

お盆を迎える

2017-08-13 14:41:25 | つぶやき

 今日から明後日までの三日間盂蘭盆会である。ご先祖様に此岸の祭壇にお戻りいただき、あの世のご苦労を癒して頂くとともに、この世の自分たち家族のことをお守り頂くようお願いをするというような意味合いの仏教の供養行事なのであろう。

 育った家を出て、新しい家庭をつくって以降もう50年以上過ぎているのだが、実は今まで自分の家で一度もお盆の供養をしたことがなかった。両親は健在だったし、その両親がこの世を去った後も、盆供養は家を継いだ弟に任せておけばよいと考えていた。それに自分的には未だ墓もつくっていないし、元々お盆や彼岸会などの行事にはあまり関心がなく、いい加減に過ごして来たのである。

 それがここに来て、自分もいつお迎えが来てもおかしくない真老世代に入り、今年は家内の母の新盆ということもあり、新山本家としての盆供養を行うことにしたのである。同じ屋根の下に暮らす孫たちも物心がつくようになって来ているので、この日本的行事をしっかり知らしめておく必要もある。等々と考えて今年から正式に盂蘭盆会の供養をすることにした。

とはいっても坊さんを呼んでということではなく、あくまでも略式で、ということである。盆棚の各用品を始め提灯や灯篭などを買入れて用意し、小さな祭壇をつくっただけである。とにかく狭いので、物入れの上に臨時に作った盆棚なのだが、飾りつけをすると一応はそれらしくなったので、まあご先祖様も我慢してくれるのではないかと勝手に思っている。

自分は無宗教的な生き方をしてきた人間なのだが、一応仏教に対しては信心とは別の見方で、幾つかのお経を読み、それらが人間の本性に迫るものであることをある程度は承知しているつもりでいる。だから、特別の供養や祭りなどを大げさにしなくても、ご先祖様のことは蔑(ないがし)ろにしているという反省は無い。父母や義父母についても、常に自分の身近な所にあって生き続けていると思っているので、お盆や彼岸の時だけ思い出すというものではないという信念がある。

にもかかわらず今回特に盆供養をと思ったのは、やはり自分だけが心の中で思っていただけでは、他人には解らず、ましてや小さな孫たちには祖先を祀るという形式の体験無しでは、やはり身勝手で自分勝手な人間になってしまうのではないかという心配を抱いたからなのである。盂蘭盆会や彼岸会の行事がいつ頃から始まったのかは知らないけど、祖先を大事にするという気持を確認するためには、このような行事は必要なのであろう。

今の世は個が尊重されるというけど、よく考えれば人間としての個、即ち個人というのは、最初から個人として生まれ育ったのではなく、先祖の力があってこの世に生まれ出て来たものなのだ。自分が今あるのは、初めに親の力があり、その親があるのも又その親の力があったからこそなのである。これは真理であり、本来宗教などとは無縁のものであろう。

仏教の盂蘭盆会や彼岸会の供養儀式はこの真理に基づいているゆえに、日本に生まれ育った者としてはやはり無視はできない。真老世代に突入して初めてその形式の必要性を少しだけ理解したつもりになっている。

今日は迎えの日、明日は共に休養をしながら思い合う日、そして去っては送りの日である。その意味をかみしめながら我が家初めてのお盆を味わいたいと思っている。それにしても墓がないというのは気になることではある。そろそろ最後の住み家のことを考えなければならないなとも思っている。

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