育児といろいろ

父親から見た育児。長女は産院、二女・三女は自宅出産。四女は助産院。それぞれの違いがよくわかりました。子育て頑張ってます。

中條高徳さんのお話

2011年03月31日 23時59分30秒 | 本、生き方
アサヒビール復活の立役者であるスーパードライ生みの親である中條高徳さんの講演を聴きました。

中條さんは84歳で、前年に心筋梗塞を患い奇跡的に生還しました。陸軍士官学校に在学中に終戦を迎え、その後朝日麦酒(現:アサヒビール)に就職。その方のビジネスに対する思いや考え方を拝聴し、その内容を要約しまとめました。

つまらない人間は縁に気付かない=小成
縁に気付くけど、活かすことができない=中成
商売は気づきが勝負。

営業マンは門前払いされる。それはなぜか?営業マンは自社の製品のPRしかしない。お客様にとって、プラスにならない情報であれば、聞かない。プラスになる情報なら関心を持つ。自分の都合だけでしゃべっているのはおろかである。

戦時中は、愛するが故に離婚した。今はどうだろう。伴侶や子供を考えているだろうか。自分の都合ではないだろうか。私のためでなく、公のために、学習や仕事を果たしてしているのだろうか?

戦争で日本が負けた際、陸軍士官学校の生徒は非難された。眼差しが180度変わった。東大よりも難しいとされた学校であり、入学は家門の誉れ、故郷の錦と言われたのが、戦犯扱いで罵られた。自決した先輩も多く、僕たち若い後輩には貴様らは死んだつもりで日本のために尽くせ。と言葉を残した。千葉の四街道で腹を切った先輩もいた。腹を切っても人間すぐには死なない。8時間程度は苦しみながら死ぬ。だから普通の人は介錯してもらう。一度死んだような男なので、私には開き直りがある。

500年前、アメリカ大陸はまだ知られてなかった。1453年にコロンブスによって発見された。大航海時代、スペインやポルトガルが金やバナナが見つけ、自国に持ち帰り、植民地化していった。当時、アジアで白人国家の植民地でなかったのは、シャム(タイ)と日本だけであった。そして、白人国家に勝ったのは日本が世界で初めてだった。

極東の日本がどこまで伸びるか欧米諸国にとっては脅威であった。三国干渉で遼東半島を返せと言われた。戦艦の数も規制された。

アメリカは占領政策で、個の権利を出張するようにした。それを間違えて捉えている。個の権利とは義務を果たさず権利を主張している人がいる。

占領政策では、325社が分割された。市町村合併には組織の効率化を図るために合併しているが、まったく逆の政策をして日本の国力の衰退を試みた。分割のエネルギーはすさまじい。アサヒビールの前身である大日本麦酒も国家が負けたがゆえに分割された。
<分割前の麦酒会社のシェア>
大日本麦酒 75%
麒麟麦酒 25%
当時大日本麦酒の社長の山本民三郎は、キリンは分割しないで欲しいと交渉。その甲斐あってキリンは分割を回避し、物流網はそのまま利用できた。大日本麦酒は、東日本をサッポロビール、西日本をアサヒビールに分割された。

<昭和24年9月のシェア>
西 アサヒビール 36.1% 飲料 三ツ矢サイダーを傘下に
東 サッポロビール 飲料 リボンシトローを傘下に
<昭和56年のシェア>
アサヒビール 9.1%に転落

当時は夕日ビールとか、敗れた海軍が日章旗だとか平家の御旗印と言われ、落ちぶれる一方であった。

そして、キリンビールはシェアを6割に伸ばす。ハーバード大にはアサヒはキリンに勝てない。と言われた。死の体験をしたので、開き直った。挫折は人生に必要。ピンチはチャンス。命を否定。素直はいざ鎌倉の時には弱い。左手にそろばん、右手に論語。みなさんに挫折をしろとは言わない。読書をすることで挫折を疑似体験する。ハーバード大で教えていることは人間が作り上げた価値の積み重ねであって、絶対という表現は存在しない。

企業をリードするに当たって一番大切なのは、夢を掲げ、それに全従業員のベクトルを合わせることである。1人でもベクトルが違っているとダメ。水が漏れてしまう。

社長が立派だったら、何もしなくてよい。力でなく、徳で指揮をする。部下をして仰いで富岳のごとき。命を落とす。長靴。一人慎む=慎独。晩年を汚す人は慎独が足りない。明るい質素なき者は指揮官の座を去れ。社長は決断のためにいる。人のせいにする。弱音を吐くような指揮官は失格。ピンチをチャンスに置き換える。

出身は長野県であるが、大日本麦酒が分割された時、山本為三郎という人物に惚れ、西日本を拠点とするアサヒに就職。惻隠の情、忖度。恕。爽やかな文化。相手を立てれば蔵が建つ。プロダクトインではなくて、マーケットイン。マーケットインはお客様志向が大切。

37歳、自身が主任の時、山本社長の訓示の時に、涙がボロボロ出た。後で今日の涙は何だと聞かれる。みんなアサヒの凋落を悲痛に感じているのに、社長はそんな顔をひとつも見せないで平然としていられる様子を見て涙が出た。しからば、来年の支店長会議があるから、それまでにアサヒを立ち直らせる抜本策を示せ。と言われる。

そこで、ビールはどんな姿で飲むのが一番うまいか、当時は無鉄砲にもキリンやサッポロの研究者も含め17人に聞いた。全員が生で飲むのが一番と。なぜ、ラガーにするかと言うと痛み易く、取り扱いが難しいといった生産側の問題であって、消費者にはラガーで飲むのが一番うまいとだまして販売していた。アメリカのパスツールでもラガーが正しい飲み方と吹聴していた。
今は、買うお客様のほうがレベルは高いかもしれない。アサヒの研究者は農学博士など日本一だが、飲む人がうまいと思わないとダメ。

昔は冷蔵庫も木の冷蔵庫で、アサヒビールは酒屋さんに無料で提供していた。初めはアサヒのビールが冷蔵庫に並べられていたが、3ヶ月と日が経つにつれ、キリンに切り替わっていた無念さを味わう。
兵法の教えにあるように、アサヒはキリンと同じ土俵で戦うのはきわめて不利。生で勝負しようと涙の建白書を提出。これにはNHKの会長を務めた福地氏の印も押されている。トップの信念の強さがないと成功しない。そして、アサヒは昭和37年にアサヒスタイニーというブランドの生ビールで息を吹き返した。
しかし、昭和41年に山本社長が急死し、アサヒはラガー路線に逆戻りしてしまった。そこから苦悩が始まった。

講演時間を過ぎてしまい、消化不足となり、以下はご自身が言い残したところを話されました。

不作為の罪。なさざる罪。逐次投入の罪。チョビチョビ戦力を投入してもダメ。ガダルカナルの戦いがいい例。墨田区のうんこビルと言われているが、あの琥珀色を出すがために12億円も投資した。それほど、意識とビールに掛ける思いをCIとして打ち出したかった。今では、スカイツリーがよく見え、最高のロケーションになっている。これも運。運も味方につけることも必要。
ジャンル:
ビジネス実用
キーワード
アサヒビール 大日本麦酒 陸軍士官学校 ハーバード大 山本為三郎 パスツール スカイツリー ガダルカナル キリンビール 三ツ矢サイダー
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コメント

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ビール王 (村石太ネオ&キョウヘイ 愛知県発)
2011-12-09 22:04:55
終戦前は 格差が 大きいのかナァ

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