すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

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メールの長い人。

2015-01-20 17:00:00 | ひとりごと
年末だったと思うのだけれど、明石家さんまの「ホンマでっかTV」で、専門家のどなたかが、「メールの長い人は病んでいる人が多い。相手の都合が考えられない。自分の気持ちを押し付ける傾向が強い」みたいなことを力説していた。

へー、なるほどー。お笑い番組向けの極論ではあるけれど、全くの暴論ではないかも。

とっさに、頭に何人かは浮かぶ、長文メールの友人知人たち。病んでいる人たちとは思わないけれど、でも、ある種の共通する傾向を持っている、愛すべき人たち。

その1
わかってほしいことがいっぱいある人

(つまり、わかってもらえない体験をたくさんしているから、メールでもいっぱい書かないとわかってもらえないと思っている)


そして

その2
ものすごく気をつかう人

(だから、気を使わない人が嫌い。相手への配慮はもちろん、なんらかの言い訳も混じっていて前置きが長く、返信するのも早い)


相手の都合を全く考えないどころか過剰に考えるんだけど、自分の気持ちは抑えきれない。抑えているつもりだけれど、ダダモレ。

だからメールで読むには長すぎるという点が不躾なんだけど、言葉遣いは限りなく丁寧で、時候の挨拶や相手を気遣う言葉もふんだんにいれる。

そんなちょっとアンバランスなことになっちゃてて、メールを読む方からすると、「どっちやねん」という感じで少々モヤモヤしちゃうことも。

とはいえ私は自分を攻撃するものでなければ、長いメールをもらうのも嫌いじゃない。というのも頻度は少ないけれど、私のメールも書きはじめると長くなりがちで、油断すると前置きなんかもまどろこしい。

長文メールタイプの人の2つの傾向を少なからず満たしているという自覚あり、なのだ。

一方、いわゆる脱力系の人とも付き合いが増えてきたんだけど、彼女たちのメール見ているとやっぱり性格が出てるなーって思う。

基本、文章が短い。時候の挨拶もかなりシンプル。結論から入ることが多くて、しかも用件が一つか二つに絞られている。改行も頻繁にあって見た目のスッキリ感が違う。ついでに、連絡メールでない限り、こちらの返信を期待している印象が薄い。

やや素っ気ない感じではあるけれど、なんというか、すごくラクーな感じ。密かに、「かっこいいなー」と憧れてしまう。

今はこうした人たちの所作が新鮮で、自分にもそのエッセンスを少々インストール中。なるべく短く、結論を早めにいうメールを心がけているけれど、「返信不要です」とか書きながら、返信来るかな、来ないかな、なんて気にしちゃう自分の往生際の悪さが笑える。

ちなみに、短くシンプルなメールに憧れてはいるものの、長いメールの湿度の高い文章の良さも知っているし、それに救われることがあるのも事実。まあ、生来はこっち派だから。

さらに言えば、長文メールはおおむね疲れている時に読むと少々気が滅入るけれど、疲れない長文メールというのもあるのだ。

それはずばり、自分の送るメールが長文であることと、そんな自分の傾向を自覚してる人のメール。「悪いけど今日は長くなるから聞いて!」という前置きがあったり、「いつも長いメールになってごめんね。」みたいな締めがあると、長いメールでも、あー、わかって書いているのねー、いいよ、大丈夫よー、とこちらの気もすむ。

まあ、なんというか、メールが長くても短くても、自分という人間を知っていて、さらにそれをごまかさない人、というのは魅力的な人ってことなんだ。




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