田んぼの脇に鎮座まします巨木。
数え7年に1度の沙田神社御柱祭の四之柱として、遥々波田の山林からここまで曳きつけられた柱でございます。
この柱が波田を出発したのは今年・酉年の4月23日のことでありました。
”里曳祭”の前に、春の”山出祭”を(その2)(その3)までのダイジェストで振り返ってみようかと・・・(汗)。
「この木こそ御柱となるべし」と、見立てられた柱を氏子衆が迎えにいって
この柱を無事に地元まで曳いて行けるよう、曳航の音頭を取る青年会長を皮きりに、木遣師さんたちが祈りと景気づけの木遣を次々に上げていきます。
1200年続いている(そろそろ四捨五入すると1300年ってことになるんじゃないかと思わないでもないですが・・・)沙田神社の御柱祭の将来を担う子供たちも木遣を上げて
四之柱が動き出しました。
と、サラッと言ってしまいますが・・・。
四之柱の曳航を仕切る背年会長は、この祭りを支えてきた大先輩たちと後に続く若い氏子衆をリードする役目を背負っているんだなぁと改めて思いつつ、(その2)(その3)と、里曳祭の本番に続きます・・・(大汗)。
数え7年に1度の沙田神社御柱祭の四之柱として、遥々波田の山林からここまで曳きつけられた柱でございます。
この柱が波田を出発したのは今年・酉年の4月23日のことでありました。
”里曳祭”の前に、春の”山出祭”を(その2)(その3)までのダイジェストで振り返ってみようかと・・・(汗)。
「この木こそ御柱となるべし」と、見立てられた柱を氏子衆が迎えにいって
この柱を無事に地元まで曳いて行けるよう、曳航の音頭を取る青年会長を皮きりに、木遣師さんたちが祈りと景気づけの木遣を次々に上げていきます。
1200年続いている(そろそろ四捨五入すると1300年ってことになるんじゃないかと思わないでもないですが・・・)沙田神社の御柱祭の将来を担う子供たちも木遣を上げて
四之柱が動き出しました。
と、サラッと言ってしまいますが・・・。
四之柱の曳航を仕切る背年会長は、この祭りを支えてきた大先輩たちと後に続く若い氏子衆をリードする役目を背負っているんだなぁと改めて思いつつ、(その2)(その3)と、里曳祭の本番に続きます・・・(大汗)。
ワタシは教えてもらうまで、ちゃんと読めませんでした・・・。