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自衛隊の映画協力

2016-10-06 | 戦争
リアルな戦闘シーンが話題になった映画「シン・ゴジラ」など、自衛隊が登場する映画の制作に、防衛省が協力を続けている。自衛隊の活動を国民に理解してもらうのが目的だ。シナリオに口を出すことはないというが、映画の中で描かれる自衛隊は、「模範的な姿」に近づいてきたとの指摘もある。
 多摩川の河川敷を走り、ゴジラに砲撃を加える最新鋭の10式戦車、市街地上空を飛び、精密誘導弾で爆撃するF2戦闘機……。シン・ゴジラでは、自衛隊が実際に使っている装備を駆使し、ゴジラを攻撃する。映画を見たある自衛隊幹部は、無線のやりとりなど細部の描写がリアルなあまり、ドキュメンタリーを見ているような錯覚に陥ったという。「自衛隊の戦闘シーンが観客の拒否反応を引き起こさず、娯楽として受け入れられる時代になったんだなと感じた」と話す。
 
 シン・ゴジラのパンフレットなどによると、防衛省は施設や装備の撮影許可のほか、対ゴジラ作戦で考えられる部隊編成や装備の配置などについて協力した。脚本の精度を上げるため、庵野秀明総監督が自ら同省に取材に行ったこともあったという。防衛省広報課は協力理由を「国民の生命、財産を守るために自衛隊が立ち上がる姿を描いており、自衛隊の信頼向上につながるありがたいシナリオだった」と説明する。
 同省によると、記録のある1989年からこれまでに制作に協力した映画は47本。協力は無償だ。協力の可否は、内容の健全性や妥当性、国防の大切さの理解促進につながるかといった観点から検討され、最終的に防衛相が承認する。広報課の担当者は「こちらからシナリオに口出しはしないが、やりとりをするなかで、協力を得たい制作者側が自発的にシナリオを変更することはありえる」と話す。
 
 自衛隊と映画の関係を研究してきた筑紫女学園大学の須藤遙子(のりこ)准教授(メディア論)の著作「自衛隊協力映画」などによると、防衛省の制作協力は東西冷戦が終わった89年から本格化した。阪神大震災や地下鉄サリン事件で自衛隊の活動が注目を集めた95年には、防衛庁(当時)が協力した4作品が相次いで公開された。その一つ、「ガメラ 大怪獣空中決戦」では、それまでは敵に倒される脇役が多かった自衛隊が怪獣を撃退する場面があり、特徴的だという。翌96年の「ガメラ2 レギオン襲来」では自衛官が主役となり、自衛隊が政治の統制を受ける場面が頻繁に描かれる。須藤さんは「ガメラ2は、その後の自衛隊協力映画の原型。この時期から自衛隊が現実に即して描かれるようになった」と指摘する。
 
 自衛隊は2001年の同時多発テロ後は、インド洋やイラクにも派遣され、存在感を増した。東アジア情勢の緊迫で03~04年には有事法制の整備も進んだ。その後に公開された「亡国のイージス」(05年)や「ミッドナイトイーグル」(07年)には、北朝鮮を連想させる国や元工作員のテロリストも出てくる。この前後から、「自衛隊協力」は映画の宣伝材料になり始めた。また、日本の防衛政策へのいらだちを表すセリフも登場するように。「亡国のイージス」には、反乱を起こした自衛隊の幹部が「撃たれる前に撃つ。それが戦いの鉄則です。それができない自衛隊に国を守る資格はなく、それを認められない日本に国家を名乗る資格はない」と言い放ち、専守防衛を批判する場面がある。
 そして、11年の東日本大震災と福島第一原発事故を意識して作られたシン・ゴジラ。危険を承知で作戦に赴き、震災後の日米の「トモダチ作戦」を連想させる米軍との共同作戦でゴジラに挑む姿が描かれている。内閣府の世論調査では、自衛隊に良い印象を持っている人の割合は、自衛隊が映画制作協力を本格化させて間もない91年は67・5%。だが、15年には過去最高の92・2%を記録している。
 
 須藤さんは「防衛省が協力した映画では、自衛隊は善玉として描かれるのが前提。強くて優しく、法律を守るという模範的なイメージに少しずつ近づいてきた。シン・ゴジラはその路線の集大成」と話す。度重なる北朝鮮の核実験やミサイル発射、中国の海洋進出などを背景に、英雄的に描かれる自衛隊を許容する風潮は強まるとみる。「メディアリテラシー(メディアの特性を理解して情報を見極める力)を持って楽しむ必要がある」-朝日新聞
 
総理大臣の最も重要な責務は、国民の命、平和な暮らしを守ることだと考えています。自衛隊の皆さんが24時間、365日、厳しい環境のもとで黙々とこの責務を果たしていることに敬意を表したい。私はこの半月ほどで政府専用機で地球2周分の距離を動きました。行く先々で自衛隊のグローバルな活躍を再確認し、世界の平和と安定のため汗を流している皆さんを大変誇らしく思いました。
 このような現実の世界のみならず、今話題の映画「シン・ゴジラ」でも自衛隊が大活躍していると聞いています。私と官房長官は、短期間のうちに死亡するそうです。官房副長官は生き残っています。統合幕僚長以下、自衛隊員の皆さん、格好良く描かれているとうかがっています。このような人気もまた、自衛隊に対する国民の揺るぎない支持が背景にあるのだと思います。(安倍首相 自衛隊幹部との懇親会で)
 
 
人間は至近距離で人を殺せるようには生まれついていない。そして、幼いころから、命を奪うことは恐ろしいことだと教わって育つ。
第2次大戦中、日本やドイツで接近戦を体験した米兵に『いつ』『何を』撃ったのかと聞いて回った。驚いたことに、わざと当て損なったり、敵のいない方角に撃ったりした兵士が大勢いて、姿の見える敵に発砲していた小銃手は、わずか15~20%だったという。
「発砲率の低さは軍にとって衝撃的で、訓練を見直す転機となりました。まず射撃で狙う標的を、従来の丸型から人型のリアルなものに換えた。それが目の前に飛び出し、弾が当たれば倒れる。成績がいいと休暇が3日もらえたりする。条件付けです。刺激―反応、刺激―反応と何百回も射撃を繰り返すうちに、意識的な思考を伴わずに撃てるようになる。発砲率は朝鮮戦争で50~55%、ベトナム戦争で95%前後に上がりました」
 そして、ドローンを飛ばし、遠隔操作で攻撃するテレビゲーム型の戦闘が戦争の性格を変えた。人は敵との間に距離があり、機械が介在するとき、殺人への抵抗感が著しく低下する。
 
 国家は未経験の若者を訓練し、心理的に操作して戦場に送り出してきた。しかし、ベトナム戦争で大失敗をした。徴兵制によって戦場に送り込まれた若者たちは帰国後、PTSDを発症した。
第2次大戦中、カナダは国内には徴兵した兵士を展開し、海外には志願兵を送った。成熟した志願兵なら、たとえ戦場体験が衝撃的なものであったとしても、帰還後に社会から称賛されたりすれば、さほど心の負担にはならない。21世紀はテロリストとの戦争で、国と国が戦った20世紀とは違う。いま国を守るとは、自国に要塞(ようさい)を築き、攻撃を受けて初めて反撃することではない。こちらから敵の拠点をたたき、打ち負かす必要がある。
「我々もベトナム戦争で学んだことがあります。世論が支持しない戦争には兵士を送らないという原則です。国防長官の名から、ワインバーガー・ドクトリンと呼ばれている。国家が国民に戦えと命じるとき、その戦争について世論が大きく分裂していないこと。もしも兵を送るなら彼らを全力で支援すること。これが最低限の条件だといえるでしょう」
 
 「戦闘は進化しています。火砲の攻撃力は以前とは比較にならないほど強く、精密度も上がり、兵士はかつてなかったほど躊躇(ちゅうちょ)なく殺人を行える。志願兵が十分に訓練され、絆を深めた部隊単位で戦っている限り、PTSDの発症率も5~8%に抑えられます」
 
米国では、戦場の現実をリアルな視点からとらえる軍事心理学や軍事精神医学が盛んで、いかに兵士を効率的に戦わせるかという研究が進んでいる。
 グロスマン氏は米陸軍退役中佐で、陸軍士官学校・心理学教授、アーカンソー州立大学・軍事学教授をへて、98年から殺人学研究所所長である。著書に「戦争における『人殺し』の心理学」などがある。
 
 
 一方、日本では兵士の恐怖心など恥として問題にもしなかった。戦後、米軍の研究に接した日本の元軍医は、兵士が恐怖心を表に出すのを米軍が重視していたことに驚いたと言う。
 トラウマやPTSDという言葉が人々の関心を集め始めたのは1995年の阪神・淡路大震災がきっかけだ。激戦だった沖縄戦や被爆地について、心の傷という観点から研究が広がったのもそれ以降。
 
 安保関連法制定により、自衛隊はますます「戦える」組織へと変貌しつつある。殺し殺される関係に陥ったとき、人の心にどんな影響がもたらされるのか、きちんと把握しておいた方がよい。
 日本が泥沼の「テロとの戦い」に引き込まれる可能性が高い今、アニメや映画の世界での理解で若者を戦場に送り出してはならない。一生残る心の傷を、若者たちに負わせるリスクが高い任務を金をばらまくように簡単に決定してはならない・・・・・・。

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