弱音を言いたくなるときというのは
多分、誰かに甘えたいんだと思う
まあ、大したことではなけれど
つまり、何事をするためにも
泣き言を言うんじゃなくて
上を向いてやってみようということ
でも、サイト運営についてちょっと、文章が書けそうなので
書いておくことにしようっと
メビウスリングをやっていて
良いと思うことは、人が出逢って
心が通じ合ったり、繋がりが持てたりすることだと思う
その反対に、別れがあったり
傷ついてしまうこともあるだろうけれど。
例えば、
詩投稿城に荒らしが来たりして
詩を綴る場所だから、すっごく皆、ナイーブなところがあって
荒らしにはすごく、過剰反応してしまうんだよね
それで、必死に抵抗したり、叫んだりするんだけど
荒らしにはそんな声は届かない
その反動で、汚い言葉も生まれてしまったりするんだけど
それで、そのあとの皆の文章を見ていると
「何でこんなことするんだろう・・」「絶対に許せない」
とかいう書き込みが多いような気がする
でもその反面、プラスの方向を向いて行こう、っていう文章もあったかな
僕は管理者だけど、当事者じゃないので
その人たちの傷ついた気持とか、嫌だったりした気持は、体験していない
だから、荒らしに対しては、ただ単調に反応するだけで
「また来たか、じゃあ、削除して・・」っていう反応、僕は。
荒らしにも二種類あって
「よし、荒らしてやろう!」っていう荒らしと
普通の人が感情のこじれで、荒らしになってしまう
つまり、暴言を言ってしまったりすることがあるけど
もう、真性の荒らし、荒らし目的の荒らしは
それを重大に捕らえたりせずに
軽く流して見ることが良いと思うな
「大切な場所が踏みにじられた」って気持ちがしてしまうんだろうね
でも、それでも、気持ちとしては受け流すしかない
「何だ、また来たのかよ」みたいな、そういう軽い反応も大事、そういうときは。
うん、何が言いたいんだろうな?僕は
それで、色々、記事を見ていると
たまに「管理者は何をしてるんだ!」とか
「このサイトはどうなってるんだ!」とか、そういう書き込みもあって
「おいおい、それは方向が違うだろう」って思うこともある
その反対に「管理人さんも・・」って励ますような文章もあって
それは嬉しく思うし
たとえ焦点がずれていたとしても、嬉しいと思う
でも、それは管理者(城主)の僕の視点であって
僕自身の視点だけから、メビウスリングを見て
一喜一憂するのも、それは面白いけれど
何と言うか、そういう視点が邪魔になることもある
本当はすごく優しくなりたい
何と言うか、僕だけの視点で一喜一憂して
そういう気持ちに執着しすぎじゃないか、と思ってみる
何と言うか、それはとても小さな気持ちじゃないかと
こう、言葉にしてみると、大事な気持ちであるような気もするのだけど。
つまりね、管理者としての自分の観方に執着せずに
もっと広く、皆の気持ちを考えられるようになればな、と思った
ひとつひとつの出来事があって、それを愛浦として嬉しがったり、残念がったりするんじゃなくて
もっと心を開いて、広い視点で事柄を見てみたい
話はずれるけど
最近、人を批難するということをあまりしていない
少なくとも、前より減ったと思う
相手をせめても、そこから物事が発展することは
限りなく少ないということが分かったから。
だから、なるべく言葉には気をつけている
暴言は言っていないような気がするし
誰かに嫌なことを言われても、受け流せるようになったと思う
例えば「この言葉は、相手にとってマイナスの言葉かもしれない」と思ったら
心の中で言葉を変えるし
つまり、言葉をプラスの方向に変えてゆくということ
言葉の使い方ひとつでも、発想の仕方を発明出来るんだと気づいた
で、やっぱり心の中で
「何で分かってくれないんだ」とか
誰かを責める気持ちとか、そういうことが起こることもあるけど
それも減らして行きたいと思っている
例えば、自分や自分のやり方を
100%の人が受け入れるわけではない
という事実を受け入れなければ
いつまでもそこに執着してしまうことになる
自分は、誰かに受け入れられたいとか
誰かを責めたい、っていう気持ちが強かったと思うので
だからこそ、人を責めないこと
人に受け入れられなくても、すねたりしないこと
それを課題にしてみたい
だから、ウェブサイトひとつでも
人間って成長できるもんですね
という、何だかそんな感じで。
実際に、メビウスリングを通じて、少しでも人間的に成長できたり
癒されたり、強くなれたり
そんな人の例を見てきたし
だからつまり、ここで言いたいのは
人間の成長に役立つメビウスリング
社会勉強や、世界に出る学習も出来るよ
何だかそんな人類に優しい感じのメビウスリングです
メビウスリングを、どうぞ今後もよろしくお願いします
みたいなことが言いたかったわけだ
色々語ってもセンチメンタルにならない
人から奪うのではなく与えてみよう
ということで
なんだかよく分からないけど、おやすみなさい。