一見不思議に思える事も、広角的に観察すると事実が異なる。
行水をして天を見上げたら天上からの神光が降り注いで来て、
武術の開眼を得た。。という話も聞くが、要はまつげに付いた
水滴が太陽に反射して虹色の神光に思えた事かもしれないのだ。
又、「安部一族」にある細川の殿様が死んで火葬時、飼ってきた二羽の鷹が
自らその火中に飛び込んだとする忠義心を讃えた逸話も、
要は巻上がる煙の二酸化炭素に麻痺して火中に落下したとも言える。
自宅の簡易焼却器の傍にカラスが死んでいた時、そう思った。
とは言うものの自分でも解明できない体験もある。
20代の頃、米軍キャンプの従業員として夜は映画館に勤め
昼間は外で会社員をしていた頃、寮で金縛りにあった。
今考えれば睡眠不足や過労による症状だと思える。
これは一笑にふせる現象だが、世の中が急にパッと
明るく感じた時があったのは未だに疑問。
人間関係を「点と線」の関係で一時夢中になって考えていた時期
があり、点は線につながり、線は遠心的な渦巻き状の線と交差しながら
拡大している。。これは世の中を投射した図になる。と推論していた。
この仕様もない哲理を考えていると、頭の中がぐるぐる回る頭痛が起きた。
翌朝、眼が醒めたら、何か変。
視界が馬鹿に明るい。天気が良いからか。。と
思っていたが、先が読めるような奇妙な感覚で、涙も出そうな感動があった。
その昼頃、
寮の二階に1週間前に入居していた、まだ名前も知らない同年輩の
男性が部屋のドアを叩いて来た。
「何かな・」と自分。「すみません。ひとつお尋ねしたいが、自分は今迷って
います。あなたは何か摑んでいるように思えます。教えてもらえませんか?」と
いきなりの質問。
何でこの俺に?と思いながらも、口では
「何、当たり前の事を当たり前にやれば良いのです」
なんて賢者みたいなことをしゃべっていた。
なんだか自分がお釈迦様の化身みたいな錯覚を感じていた。
その感覚は2、3日したら曇天になるかのように薄れて行った。
その後、この感覚は一体何なのか。。疑問を抱きながら今日まで来ている。
ふと、思うに水晶玉を「点」と考え「線」を人間関係と仮定すれば
「世の迷える人や病魔に冒される人あらば水晶の価値を教えてやれよ」
みたいな使命を下された暗示じゃないのかと。。
自分勝手ながら解釈している次第(笑)。
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