
金髪碧眼の遊牧民・アーリア人が侵攻したインド亜大陸には、穏健な先住民がいた。鉄器をもって先住民を虐げ、支配下に置いたアーリア人は、ポルトガル人が「血統」を指して“カスタ”と呼んだことにならい、「カースト」と呼ばれる制度をインドに埋め込んだ。祭事を司るブラーミン、王侯・戦士クシャトリヤ、商民バイシャ、奴隷シュードラの4階層である。しかし、カースト制に含まれない階層がさらに存在していた。屍体と糞尿処理、ごみ集め、獣の皮剥ぎなどの職業を世襲化させられた「不可触民(後に指定カーストと呼ばれる)」である。ブラーミンは、インドは神に選ばれし高貴な民がカースト制の頂点に君臨するブラーミンであることを啓発するため、神話『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』で支配の論理を不可侵なものと「布教」した。紀元前3000年に遡る支配と従属の文化が、不可触民の基本的人権を承認しない狡猾な社会の根底にある。
全人口の85%に及ぶとされる不可触民層。圧倒的多数の民衆が「奴隷」として扱われてきた歴史の異常な冷酷さ。インド留学中に不可触民への非人間的処遇を目撃した著者が、自由経済体制で飛躍的発展を遂げつつあるインド社会に強烈な「違和感」を向ける。不可触民出身で、インド憲法制定に重要な役割を果たした初代法相ビームラーオ・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar)の反カースト運動と仏教復興運動。「古き良きカースト社会」を実現させようとしたモハンダス・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)の矛盾を鋭く衝いたアンベードカルの思想は、現在の不可触民にいかに受け継がれているのか――。
いったん日本に帰国した山際素男は、再度インドを訪れる。1975年に首相の座を追われたインデラ・ガンジー(Indira Priyadarshini Gandhi)の後、長期政権を保った国民会議派は、シュードラの支援を受けるジャナタ党に政権を明け渡した。しかし、ブラーミン階級が作り出した悪しき慣習は、容易に変質しなかったことをも知る。インド独立の父と崇められるガンディーさえ、カースト制を前提にした社会における「解放」を目指して指導するほかはなかった。アンベードカルの見抜いたカースト制の欺瞞は、ヒンドゥー教に駆逐された仏教の教義から「万民平等」思想をピックアップすることで、反カースト運動の要とした。
神格化されてしまったガンディー「像」は、会議派政権下で、公に彼を批判することを禁じるまでに肥大した。プロパガンダの偶像となったガンディーとは対照的に、アンベードカルの思想を受け継ぐ思想団体バムセム、さらに不可触民から生まれた人民大衆党の結成などが、当事者のインタビューからリアルに解る。それにしても、社会の大多数を支配することに成功し続けるマイノリティ、それを許容する社会の異質性は、いったい何に由来するものなのか。あらゆる集団においては、マジョリティの声を代表する「平均」が最大勢力となりうるものだ。それに反する社会が存在する法則とは、何だというのだろうか。
++++++++++++++++++++++++++++++
原題:不可触民と現代インド
著者:山際素男
ISBN: 4334032230
▽『不可触民と現代インド』山際素男
-- 光文社, 2003.11, 237p.
(C) 山際素男 2003
|