我が子ソダテラレタライツシンデモイイ

ムツカシイ子供と母親の記録デス

楽しい予定を先に告げると…

2015年08月23日 04時34分38秒 | Weblog
一日の過ごし方として、
楽しい予定があるとする。
それを知ったらもういてもたってもいられなくて、
やらないといけない事がまともにできなくなる。
待てない。
とにかく、待てない。
1年生なのに、3歳くらいの子供みたいだ。
だけど内容はもう一年生なので、親としてはイライラする。
顔をひっぱたいてやった。
世界が終わりのように泣く。
何度言っても何度教えても、先にやるべきことを終えてから!!!
…の意味がわからないのか待ちきれないのか。

どうしたらこの子は落ち着くのだ。
予定を言わずに一日を過ごすのは難しい。
毎日
毎日

夜は9時に寝ましょう。
「ご飯の時間です」と言えばご飯を食べましょう。
ご飯は30分で食べましょう。
1時間も2時間もかかって食べないのです。
宿題をしましょう。
夜から遊ぶことはしません。
夜は寝るのです。
朝は起きるのです。
遊びは明るいうちにしましょう。

……

延々と一日の過ごし方を、当たり前のことを子供らに告げてそれを行動に移させないといけない。
そうでなければ、深夜でも起きているし、限りなく食べつくし、おもちゃは散々、しやるべきことは一切しない。余計なことはたくさんする。

生活ができないのだ。
自分でそれに気づくなど、ありえない。

なんのために子供が生まれてきたのか、きれいごとでなく、意味不明。
疲れた。
毎日毎日毎日毎日同じことを何度も何度もいい聞かせても、全然わかってくれない。
だから毎日毎日keiはイライラし、怒り、罵声を子供たちに浴びせてしまうのだ。
罵声をあびせるから、子どもが大事でないのとは違う。
親も人間なのだ。
辛いときが山ほどある。
子どもは理解できないのなら本当にかわいそうなことをしてると思うが、
好きなことはできるので、嘘にしか思えないときもある。

真実なんてこの世にないのだ。
あるのは事実だけ。


イヤなことがあるとトイレにいく

2015年08月22日 04時29分40秒 | Weblog
Souは、やらないといけない事があるとすぐにトイレにいく。
気が進まないときはご飯を食べ続ける。
Utaはもともとそういう事はなかったのに、兄の真似をしてすぐにトイレに行ったりする。
言葉も兄弟で真似をする。

腹が立って仕方がない。

親の期待?

2015年08月21日 04時35分20秒 | Weblog
子どもが少しでも困らないようにと
いろんなことを、定型の子供以上に厳しく教えることは
我が子にとっては苦痛や劣等感や自己否定につながる材料になっているのであろうか。

多分、絶対、なっている。
ある発達障害のブログにもそう書いてあった。


だけど、
発達障害でもほぼほぼグレーに近く、知的障害もないとなると、
keiは
発達障害とか障害がないとか、そういうことは関係なく、
いいと思うこと、ダメなこと、そして親のものさしで子供らにかかわるすべての選択をしている。

親がいいと思うこと、
こういう風に子供を育てようとか、
これだけはできるようにしてあげたいとか、
ここはそんなに頑張らなくてもいいんじゃないか、

など…

それは、親の期待の押し付けなのか?

keiは情報がありすぎて、自分の子育てに自信がない。
反面、人の指示を素直に聞いて実行するような人間でもないので、
自分の思ったやり方で子育てをする。

親の期待ってなんだ?

親は子供には期待もするだろうに。
その期待というものは、決してそうであれというものではないのに、
なぜか違う意味を持たせられている。

発達障害の子供の参考書は、絶対必要だけれども、
参考書の通りにならないほとんどの発達障害の子供に
参考書の中でしか生きられないかもしれないという先入観を持ちたくない。

親は、その子を認めながらも、定型の人中心のこの世の中で生きる我が子を想像したとき、
やはり、一つでもできないことをできるようにしてあげたいと頑張ってしまう。

それは
親が理解不足というよりも、どんなに伝わらなくても、
子どもには、それが親の愛と、教えていきたい。



ワーキングメモリ

2015年08月17日 02時09分16秒 | Weblog
今言われたことができない。
今しゃべった内容を忘れてしまう。
目的地にまっすぐたどりつけない。

短期記憶というものをもともと持ち合わせていない子どもSou。

ダメだと言われても突発的にとびついてしまう。
吃音が激しくチックのかたまり。
物をみれば分解破壊。

衝動を抑えきれないという子どもUta。


わかってはいるけど、毎日怒鳴りつけてしまう母Kei。

みえない障害だから理解しにくい。
知恵もつくから余計ややこしい。

ワーキングメモリに障害があるというだけで、
果てしない苦労を親はする。
本人も辛いだろう。

発達障害をもたない子供さんでも
子育ては千差万別なのはわかっているが、
そのセンサバンベツの中の発達障害の子供が二人いるkeiの生活は、
毎日がただただ戦争だ。

今日もそれで一日が終わる。
そして明日もまた同じ一日が始まる。

その日々に、
少しでも希望を持ちながら生活し、
やっぱりダメだと錯乱し、
虐待ともいえる言葉で家族もろとも自虐もし、
だけど
かわいいわが子の為にだけ生きている。

だから、この二人の兄弟を、
なんとかこの社会で生きていけることができたなら、
keiはもういつ死んでもいいのだ。
逆に言うと、
この子たちの自分で生きる姿を見るまでは死ねない。

誰のためでもなく、
自分の気持ちの為に
ここに記録をしていく。