gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

古墳

2017-03-24 14:01:45 | 教育
高松塚古墳が発掘された時、その埋葬の様子が問題になりました。

石室は狭いのですが、壁画があり、それが大きな話題となったので、その為に他の事実が目立たなくなってしまいましたが、当時、被葬者は「何か罰を受けるような、事件に巻き込まれた人」であるとされていました。

わたしの記憶が確かであれば、遺体の様相が問題だったと思います。頭蓋骨がなかった…首の骨は有ったので斬首ではないと。この話題はいつの間にか消えたようですが、問題が解決されたのではありません。

埋葬当時から頭蓋骨が抜き取られていた(小さな骨、甲状軟骨・舌骨などは残る)のでしょうか? それとも、埋葬後何らかの事情で陵墓に手が入ったのでしょうか、長屋王事件の後とかに。被葬者は筋骨の発育のいい壮年男性で、7世紀末に死亡。

梅原氏は「人骨に頭蓋骨がない・鞘のみで、大刀の刀身が抜かれている・日月像と玄武の顔が削られていた」これは、呪いの封印で、被葬者のヨミガエリを阻止したのだという。 ですから、軽皇子(文武帝)の立太子に異議を申し立てた弓削皇子が被葬者と、梅原氏は主張されました。高市皇子だと言ったのは原田大六氏だけです。

わたしは、ずっと草壁皇子だと思っていました。それは、治田神社(岡宮跡・草壁皇子が育った)と、高松塚石室と、岡宮天皇陵が直線で結ばれるからでした。所縁の宮と改葬前の墓とを結び、尚かつ耳成山の真南に位置するのは、草壁皇子の墓以外には考えられないと思っていました。数年前に、ブログにもそう書きました。

(治田神社と岡宮天皇陵を結ぶラインは、高松塚古墳の石室の上を通ります)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿