あったかい仔犬

幸せとはあたたかい仔犬-こいぬのぬくもりで心があったかです

備忘録として・・・

2012-02-22 22:40:49 | Weblog

一人の人間が司法を動かした画期的な出来事として・・・

13年後の審判 「ドラえもん」の衝撃 刑事弁護のあり方問う - http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120221/trl12022122420011-n1.htm

 「押し入れに、ドラえもんがいると信じていた。4次元ポケットで何とか(再生)してくれると思った」

 平成19年6月27日、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審。本村弥生=当時(23)=と、生後11カ月だった長女の夕夏(ゆうか)を殺害した罪に問われた大月(旧姓・福田)孝行(30)は、夕夏の遺体を天袋に押し込んだ理由を、そう言い放った。

 事件から8年が経過し、26歳となっていた大月が初めて明らかにした“真実”に、傍聴人は唖然とし、弥生の母はうなだれた。

 予兆はあった。《無期はほぼキマリで、7年そこそこで地上にひょっこり芽を出す》《犬がある日かわいい犬と出合った。そのままやっちゃった。これは罪でしょうか》…。12年9月に始まった最初の控訴審で、検察は大月が知人にあてた手紙の内容を明らかにした。しかし「ドラえもん」の衝撃はそれを上回った。

 弁護団は19年5月の差し戻し控訴審の初公判で、弥生への乱暴を「死者を復活させる儀式だった」などと主張。現大阪市長で弁護士、橋下徹(42)はテレビ番組で、主任弁護人の安田好弘(64)らが最初の最高裁の弁論(18年3月)に欠席したことにも触れ、「弁護団を許せないと思うなら、弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」と呼びかけた。

「ドラえもん」でバッシングは頂点に達した。懲戒請求は8千件を超え、弁護人の一部が「業務を妨害された」と橋下を提訴する事態に。当時の弁護団の一人は「『殺す』という脅迫を含む嫌がらせの手紙が毎日のように届き、無言電話が鳴り続けた」と振り返る。

 「新供述」で殺意を否定し死刑回避を図る弁護方針に、弁護団内で葛藤がなかったわけではない。「社会の反感が強まり、結局、福田君の命が危険にさらされる」。会議は熱を帯び罵声も飛び交ったという。

 それでも、弁護団は反省の態度を示すより「真実の追究」を重視する戦術にかじを切る。当時の弁護団にいた今枝仁(41)は「『ドラえもん』なんて、身体で言えば盲腸のようなもの。言及する必要があったわけではない」とした上で、「ありのままに話をさせなければ、弁護団が彼の信頼を得られないと考えた」と話した。

 広島拘置所で面会を続けたジャーナリストらも、大月が新供述を「『弁護団が作り上げたものではなく、僕から伝えた真実だ』と話した」と口をそろえる。

 「報酬を度外視して働く姿に敬意を払わなければ、凶悪事件を担当する人間は誰もいなくなる」。弁護団を擁護する声も上がっていた。しかし、結果は遺族の処罰感情をさらに峻烈(しゅんれつ)なものにした。差し戻し控訴審の意見陳述で、弥生の夫、本村洋(35)は「これまで起訴事実を大筋で認めていたが、うそだと思っていいのですか」と問いかけ「君の犯した罪は、万死に値する」と言い切った。

 20年4月の差し戻し控訴審判決は、新供述を「死刑回避のための虚偽の弁解」と断罪。今月20日の差し戻し上告審判決も「真摯な反省の情をうかがえない」と指摘し、弁護方針が完全に裏目に出たことを示した。

 量刑の減刑、真相解明、被害者側への配慮…。事件は、刑事弁護に何が求められるのか問い続けた。今枝は「『被告人の利益』が第一に考えられなければならない」と断言する一方で、自問する。「被告にとっての一番の利益とは、懲役期間が1年短くなることではなく、再びかかわっていく社会との『和解』にある。弁護団はそれを目指していたといえるだろうか」(敬称・呼称略)

「天は悪い人に必ず罰を与える」刑事の言葉が支えに - http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022022530018-n1.htm

――(犯罪被害者のための)活動は今後も続けていくのか。今後の人生はどう生きていくのか

 「事件から9年すぎたとき、犯罪被害者に関する講演活動などを一切やめた。仕事に傾注するようになった。今も犯罪被害者の環境のすべてが改善されていないが、自分の才能、気力、体力がないので、まずは自分の生活を見つめ、立て直すことを一生懸命やりたい」

 ――13年間を支えたものは何か

 「たくさんの方に支えていただき、これ一つということはとても言えないが、ずっと私を支えてきた言葉がある。事件発生当初から私の取り調べをして、その後も支えてくれた刑事さんが言ってくれた言葉で『天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして漏らさず』。『いくら裁判で君の望む判決がでなくても、天はきちっと見ていて、悪い人をその網からもらさず、必ず罰をあてる』という言葉を与えてくれた。その言葉を胸に抱いて、これまできた」

 「今日も最後、裁判が終わったとき、あの言葉は本当だったなと改めて思った。その刑事さんだけでなく、多くの人に支えられた。また多くの人に迷惑をかけた。感謝の念を忘れずに、生きていきたい」

 ――死刑の確定に進んでいくが、人生を立て直すきっかけになるのか

 「裁判が終わっても、ずっと事件のことは考えていくと思っている。死刑判決が下ったからといっても、ふとした瞬間に思い出して、考えながら生きていく。多くの犯罪被害者の遺族は(犯人の判決が)無期懲役、懲役が当たり前で、気づけば犯人が社会復帰していることに比べれば、穏やかな生活ができる。その点は感謝している」

 ――日本では量刑で「若さ」が要素になっている。司法や立法への要望は

 「とても難しい問題。肉体的な年齢で線を引いて『ここからは死刑』と決めていいものなのかは、とても悩むところ。被告が拘置所から出した手紙で『自分は18歳と少しだから死刑にならない』とか(書かれていた)。そういった打算をして犯行に及んだら、年齢で線を引くことは悪い例になるかもしれない」

 「ただ今回の事件については年齢よりも、反省の情(があるか)を13年間、裁判所は見てきた。反省して社会復帰できると裁判官が認めれば、死刑は回避できたはず。年齢だけではなく、情状面をしっかり見ることが大事だと思う」

 ――以前「もし自分が殺された立場だったら残された家族には事件にとらわれて生きてほしくない」と話していた。差し戻し控訴審から、生活の中で変わったことはあるか

 「自分の生活の立て直しに懸命になっている。事件のことを考えずに生きるのは無理だが、しっかりと家庭を持って維持して、社会に資する人間になろうと思い、これからがんばっていきたい」

 ――判決が少年事件にどのような影響を与えると思うか

 「日本はずっと判例主義で判決が決まってきた。今回の判例は18歳の少年が2人を殺害したら死刑になるという実績をつくったことになる。この事件以降、少年への厳罰化がもし進むのであれば、それは私がマスコミの前で発言してきたことの影響が多々あると思うので、私自身も責任を感じなければいけない」

 「ただ裁判の判決は私が出したものではなく、社会の情勢、世論をしっかりと裁判所が見つめ、いまこの時点での価値規範を社会に示したものだと思っている。今回の事件を受け、刑が厳しくならない方向に行くかもしれないし、厳しくなる方向に行くかもしれない。それは分からないと思う」

 「常に法は未完であり、完璧な判決はないと思っている。諸行無常の中で、世論の動きを敏感に感じて、そのときの価値観に合ったもの(判決)を出していくことがあっていいと思う」

 ――事件から13年で、娘さんがもしも生きておられたなら中学生になっている。日々の生活の中でそういったことを感じることはあるか

 「事件当初はそういった気持ちを持つことがたくさんあったが、今はそういうことはない。まして自分の子供が13歳になっていたなんて、そういうことすら考えなくて、いつまでたっても妻は23歳、娘は11カ月のままですから、そういった気持ちにはならない」

 「ただ自分が生きていく中で、時々、厭世(えんせい)的な気持ちになったり、仕事のやる気をなくしたりすることは今でもある。そういったときは周りの人に支えてもらい、生かしてもらっている」

 ――以前、「判決は被告だけのものではない」と言っていた。その気持ちに変わりはないか

 「その気持ちに変わりはない。判決は被告のものだけでなく、被害者遺族、何よりも社会に対して裁判所が言っていること。少年であっても身勝手な理由で人を殺害したら死刑を科すという強い価値規範を社会に示したことを社会全体で受け止めてもらいたい。私も極刑を求めてきたものとして厳粛に受け止める」

――命日はどうされるか

 「命日はいつもお墓参りをしている。毎年と変わらず、お墓に行って、手を合わせたい。私が生きている限り、命日には墓前に足を運びたい」

 ――どのような方々が支えてくれたのか

 「会社の上司だったり、部下だったり。あとは一生懸命、仕事をしている人の姿を見ると、自分もがんばらないといけないと思う。最近では大震災があって、がれきのなかで一生懸命、復興しようとされている人の姿を見ると、自分もがんばらないといけないと思う」

 ――事件の現場となったアパートは老朽化しており、ずっとそのまま置いておくというのは難しいという話があるが、現場はどうあってほしいと思うか

 「私の持ち物ではないので、時代とともにアパートがなくなることは仕方ない。今でもときどき、私は気持ちが萎えたとき、元気がなくなったとき、夜中にこっそり行って手を合わせることがある。そういった場がなくなるのは悲しいが、時代の流れだと思う。形あるものはいつかなくなる。それは受け入れるしかない」

この判決に勝者はいない。犯罪が起きた時点でみんな敗者だ - http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120221/trl12022100440000-n1.htm

――判決前の心境は

 「非常に精神的に落ち着かない状況だった。努めて特別なことをせず、いつも通りの日常を直前まで続けた。たくさんの取材依頼があったが、お応えできずに迷惑をかけた。明日は判決内容をしっかり墓前で伝えたいと思う」

 ――弁護団への思いは

 「殺意の否認は非常に残念だが、逆風の中で熱心に弁護されたことは立派なことだと思う。被告にとっても、最後まで自分の命を助けようと足を運ぶ弁護士と接することで感謝の気持ちが芽生え、反省の一歩になる。弁護のテクニックなどでいかがかと思うことはあったが、弁護士の役割を果たされたと思う」

 ――被告に言いたいことは

 「彼のしたことは許されない。きっちりと罪を償わないといけない。判決をしっかり受け止め、罪を見つめ、反省した状態で刑を堂々と受け入れ、全うしてもらいたい。これが私の伝えたいことです」

 ――この裁判が13年間注目されたのは、本村さんが素直な思いを話してきたことを世論が重く受け止めたからだと思うが、今後、社会に向けてどのような活動したいか

 「私が色々な方と手を携えてやった活動が正しかったか、正しくなかったかは私が言うことではなく、歴史が判断することだと思うが、何もしなければ始まらない。小さな一歩でも始めれば、社会が変ると実感できた。司法制度を変えることができたのは良かったと思う。今後は、市井の会社員なのできちんと仕事をして、納税をして、一市民として社会の役に立てるようにしたい。特に社会に出て、活動することは考えていない」

 ――判決後、家族とどのようなやり取りをしたのか

 「判決が述べられた後、(死亡した妻の弥生さんの)お母さんに『長い間お疲れさまでした』と声をかけ、お母さんから『ありがとうございました』と言われた。自分の父親からは『よくがんばった』と背中をたたかれた。また裁判が始まる前、(弥生さんの)お父さんから手紙をもらった。普段あまりしゃべらない方だが、『今まで何も言わなかったけど、よくがんばってきたね』という直筆の手紙をいただき、それがすごくうれしかった。いつも会見の場に私しかでないが、後ろから親族、家族に支えられていたということを改めて痛感した」

 ――未執行の死刑囚が増えている。執行の現状についてはどのように思われているか

 「わたしごときが言っていいのか分からないが、法律を読めば死刑確定から半年以内に執行することが法務大臣の責務。法務大臣の思想信条で死刑執行しないことが決まるのは法律違反をしていることになり、おかしなことだと思う。日本は死刑がある。その国の法務大臣は死刑執行の書類にサインすることが最大の役目だと思う。それを放棄したり、責任から逃げる人は法務大臣には適していないと思っている。確かに冤罪(えんざい)の可能性がある事件や、再審請求されている事件は慎重に考えるべきだが、法務大臣の思想信条によって死刑執行が円滑に進まないという事態は避けなければいけないと思う」

 ――13年間、どうして公の場で強くいられることができたのか

 「私はそんなに強い人間ではない。本当に強い人は、自分の弱さを明るみに出せる。私は弱い人間だから、堅苦しく話してしまう。決して強い人間ではないし、聖人君子ではない。話しながらも悩み、どきどきしながら発言している」

 ――奥様の結婚指輪をネックレスにしたという話をしていたが、そのネックレスは?

 「今もしている。棺おけに入るまでしていこうと思っている」

 ――亡くなった2人に言葉をかけるとしたら、どんな言葉をかけるか

 「私と家庭を持ってもらい、私の子として生まれてきてくれたことに感謝している。守ってあげられなかったことの自責の念が強いが、こうして社会の皆さんに関心をよせていただき、刑事司法制度に影響を与えることができたことなどを、数少ない罪滅ぼしの一つとして報告したい。そしてやはり、妻と娘のように、無残にも人生をたたれてしまうような犯罪の被害者が生まれなくなることを切に願う。一番いいことは犯罪がなくなることで、そのことを社会には知っていただくことができたと思っている」

 「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だと思う。社会から人が減るし、多くの人が悩むし、血税を使って裁判が行われる。結局得られるものはマイナスのものが多い。そういった中から、マイナスのものを社会から排除することが大事で、結果として、妻と娘の命が今後の役に立てればと思う。そのためにできることをやってきたということを(亡くなった2人に)伝えたい」

 ――今はどのような生活を送られているのか

 「私自身、2009(平成21)年にある女性と籍を入れて、細々と家庭を持っている。それには色々な理由があるが、私自身、1人で生きていくことがとてもつらくなり、精神的にまいっていた。そしてとてもすばらしい方と出会えたこともあった。いろいろ悩んだし、相手も考えたと思うが、私を支えてくれるということで、今、細々とだが、2人で生活している。その彼女は命日には一緒にお墓に行って、手を合わせてくれている。その人のおかげで、こういった場に立てる。感謝している」

「遺族の訴えが司法の世界を動かす異例の経過」「元少年も罪と向き合っている」ジャーナリスト・門田隆将さん - http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022018200011-n1.htm

■事件を長年取材してきたジャーナリストの門田隆将さんの話 

 「初公判以来、12年半をかけてたどり着いた結論に重さを感じている。官僚裁判官が相場主義に陥り、形骸(けいがい)化した刑事裁判が続く中で、遺族の本村洋さんが世間にその理不尽さを訴え続け、ついには司法の世界そのものを揺り動かすという極めて異例の経過をたどった裁判だった」

 「それまで無視され続けた犯罪被害者の哀しみや怒りを初めて世の中に認めさせた意義は大きい。一方で、私は広島拘置所で何度も元少年と面会しているが、事件当時18歳だった元少年も30歳となり、拘置所の中で真摯(しんし)に罪と向き合っているさまがうかがえる」

 「亡くなった弥生さんと夕夏ちゃんの無念を思うと同時に、殺人事件が、加害者にも無残な結果をもたらすというむなしさを改めて感じさせた歴史に残る裁判だったと思う」

判決骨子 - http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022017350009-n1.htm

一、甚だ悪質な犯行で、動機や経緯に酌量すべき点は全くない

 一、落ち度のない被害者の尊厳を踏みにじり、冷酷、残虐、非人間的で、結果も極めて重大だ

 一、遺族の被害感情は峻烈を極めている。不合理な弁解を述べ、真摯な反省の情はうかがえない

 一、犯行時少年だったことなどを十分考慮しても刑事責任はあまりに重大。死刑はやむを得ない

 一、「精神的成熟度の審理尽くせ」と裁判官1人が差し戻しの反対意見

さだまさしの償い - http://www.geocities.jp/torabane/tv29.htm

H264_償い「主文 被告人両名を懲役3年以上5年以下に処する。」 - http://www.youtube.com/watch?v=MzNeMZqNwL4&feature=related

東京地方裁判所の山室惠裁判官が、判決文よみあげた後、「さだまさしの償いの歌詞だけでもよみなさい」と被告をさとしたことから有名になったんだけど
判決翌日、被告の少年、少年の叔母が拘置中の東京拘置所あてに投かんしていた「償い」の歌詞を書き写した手紙を読んだ。
接見した母親が「人に許しを請うのは簡単な事ではない」と言うと、「そうだね」と答えたという。

償い - http://www.youtube.com/watch?v=Vl2XbBlNCzs&feature=related

この歌を聴くと死刑廃止論者の弁護士、菊田幸一の言葉が如何に浅­はかで薄っぺらいのかがよーく分かるわw

「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛な­­んて交通事故のように一瞬だ」 出典:『死刑廃止・日本の証言』 菊田幸一 著

一瞬だ?

お前交通事故の被害者ナメとんのかと

傷ついた心が癒えることはないが、直向さに出合えれば少しは和らぐ・・・

人間って哀しいね だってみんなやさしい
  それが傷つけあって かばいあって・・・ さだまさし”償い”より

 

     都会で3人が餓死!死刑より辛い事は世の中にいくらでも有る・・・
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