京都詩人会 ワークショップ 共同作品

京都詩人会のワークショップ・共同作品の記録 

第12回 京都詩人会 ワークショップ 共同作品

2016-03-18 17:58:46 | 京都詩人会・会合・ワークショップ
参加者:大谷良太・田中宏輔

時間:2016年1月11日12時~17時

場所:四条烏丸上がる東側にある喫茶『ベローチェ』の2階






くっちゃべってた。

第11回 京都詩人会 ワークショップ 共同作品

2015-11-29 21:52:27 | 京都詩人会・会合・ワークショップ

参加者:大谷良太・とよよん・田中宏輔

時間:2015年11月23日12時~17時

場所:四条烏丸上がる東側にある喫茶『ベローチェ』の2階




合評会



大谷良太作品




大谷良太作品


試作(シジャク)


細密画のような歌があり、
小新(シャオシン)の告げる朝がある。
きみの胸を流れる水の一縷、
機械のように飛び起きる私。
明けたことを、
更に開けて行く。
開いた扉を、
更に開かれて行く。
GODDESSONTHEDOORWAY.
私は軋む蝶番を
レンチでぎりぎり治しながら。
古びた檸檬に生えたカビが
いま陽光に輝き出したから、
クリスタルガイザーの空きボトルに
再びは読者(きみ)達を注いで…。





とよよん作品


竜宮城


ちょっとそこまで
海の底まで
亀のタクシーで

ちょっとそこまで
竜宮城まで
亀のタクシーに

深夜乗り込み
くらいくらい

地球に引かれ
沈んでゆく

水面では
ひかるひかる

月の力に
ゆれるゆれる

そよぐそよぐ
新緑のわかめ
古株のいそぎんちゃく

ふえるふえる
飴でできている珊瑚
闇でできている海星(ヒトデ)

乙姫をゆり起こし
髪に飾りつけ
満足し
さっさと眠りにつく

きえるきえる
意識
海藻の草はらに
眠る魚

そよぐそよぐ
海の表に満面の笑み
まぶたを閉じて
月の
罪の
君の



(Linn Mori「Ryugu-jo」にあわせて朗読するために作った詩)





田中宏輔作品


13の過去(仮題)


2015年11月14日

 いまはもうなくなった、出入口。阪急電車の。高島屋の向かい側。西北角。コンクリートの階段。そこに、ぼくは、ケイちゃんとぼくを坐らせる。ケイちゃんは23才で、ぼくは21才だった。そこに、夕方の河原町の喧騒をもってくる。たくさんの忙しい足が、ケイちゃんとぼくの目のまえを通り過ぎていく。ふたりの肩を触れさせる。ふたりの肩を離す。ふたりの肩を触れさせる。ふたりの肩を離す。繰り返させる。ケイちゃんに訊かせる。「きょう、おれんち、泊まる?」「泊まれない。」ぼくに答えさせる。ふたりの目は通り過ぎていく足を見ている。目はどこにもとまらない。大学生になっても親がうるさくて、外泊がむずかしかった。ふたりの肩を触れさせる。ふたりの肩を離す。ふたりの肩を触れさせる。ふたりの肩を離す。繰り返させる。このときのぼくのなかに、この会話のほかの会話の記憶がない。ただただたくさん、足が通り過ぎていったのだった。数十分、ぼくは、ケイちゃんと、ぼくを坐らせたあと、ふたりの姿を、いまはもうなくなった、出入口。阪急電車の。高島屋の向かい側。西北角。コンクリートの階段。そこから除く。ふたりの姿のない、たくさんの足が通り過ぎていく風景を、もうしばらく置く。足元をクローズアップしていく。足音が大きくなっていく。プツンッと音がして、画面が変わる。ふたりの姿があったところにタバコの吸い殻が捨てられ、革靴の爪先で火が揉み消される。数時間後の風景を添えてみたのだ。架空のものの。(『13の過去(仮題)』の素材)

あちゃー、現実だけをチョイスするんだった。タバコの吸い殻のシーンは除去しよう。読書に戻る。

 記憶とはなんとおもしろいものなのか。無意識の働きとはなんとおもしろいものなのか。ケイちゃんの名字も山田だった。ヤンキーの不良デブのバイの子も山田くんだった。彼が高校3年のときにはじめて出合ってそれから数年後から10年ほどのあいだ付き合ってたのだ。怪獣ブースカみたいなヤンキーデブ。ケイちゃんの記憶が3つある。ヤンキーデブの山田くんの記憶はたくさんある。ほとんどセックスに関する記憶だ。不良だったが人間らしいところもあった。


2015年11月21日

 いま帰ってきた。学校の帰りに、大谷良太くんちに寄った。ドーナッツとコーヒーで、ひとときを過ごした。左半身の血流が悪くて、とくに左手が冷たい。父親がリュウマチだったので、その心配もあるが、叔母が筋ジスだったので、その心配もある。まあ、なるようになるしかない。それが人生かなって思う。西院駅からの帰り道、セブイレで、サラダとおにぎりを買ってきた。これが晩ご飯だけど、お茶といっしょに買ったら、600円くらいした。こんなもんなんだ、ぼくの生活は。と思った。あしたは、イーオンでフランスパンを買おう。そう決心したのだった。きょうは、ペソアの『不安の書』のつづきを読む。

 あさって京都詩人会に持っていく新しい詩というのがなくて、このあいだツイートした『13の過去(仮題)』の素材をつかって書こうかなと思っているのだが、いま、ふと、過去の記憶を素材にしたあの場面の記憶というのが、ぼくを外側から見たぼくの記憶であったことに気がついた。ぼくの内部を、ぼくは見たこともないので、わからないが、そう単純に、ぼくを内部と外部に分けられないとも思うのだけれども、ぼくの記憶の視線が構成する情景は、ぼくが目で見た光景に、ぼくと、ぼくといっしょにいたケイちゃんを、そこに置くというものであったのだった。そう思い返してみると、ぼくの記憶とは、そういうふうに、ぼくが見た光景のなかに、その光景を目にしたぼくを置く、というものであるのだということに、いま気がついたのであった。ぼくの場合は、だけれども、ぼくの記憶とは、そういうものであるらしい。54年も生きてきて、いま、そんなことに気がつくなんて、自分でも驚くけれども、そう気がつかないで生きつづけていた可能性もあったわけで、記憶の在り方を、振り返る機会が持ててよかったと思う。嗅覚の記憶もあるが、視覚の記憶が圧倒的に多くて、その記憶の在り方について、ごくささいな考察であるが、できてよかった。とはいっても、これはまだ入り口であるようにも思う。自分が見た光景のなかに自分の姿を置くという「映像」がなぜ記憶として残っているのか、あるいは、記憶として再構成されるのか、そして、そもそものところ、自分が見た光景に自分の姿を置くということが、頭のなかではあるが、なぜなされるのか、といったことを考えると、かなり、思考について考えることができるように思われるからだ。ぼくが詩を書く目的のひとつである、「思考とは何か」について、『13の過去(仮題)』は考えさせてくれるだろう。ぼくの記憶は、ぼくが見た光景のなかに、その光景を目にしたときのぼくの姿を置くということで記憶に残されている、あるいは、再構成されるということがわかった。他者にとってはささいな発見であろうが、ぼくの思考や詩論にとっては、大いに意義のある発見であった。その意義のひとつになると思うのだが、自分の姿というものを見るというのは、現実の視線が捉えた映像ではないはずである。そのときの自分の姿を想像しての自分の姿である。したがって、記憶というものの成り立ちのさいしょから、非現実というか、想像というものが関与していたということである。記憶。それは、そもそものはじめから、想像というものが関与していたものであったということである。偽の記憶がときどき紛れ込むことがあるが、偽の記憶というと、本物の記憶があるという前提でのものであるが、そもそものところ、本物の記憶というもののなかに、非現実の、架空の要素が潜んでいたのだった。というか、それは潜んでいたのではなかったかもしれない。というのも、記憶の少なくない部分が、現実の視覚が捉えた映像によるものではない可能性だってあるのだから。スタンダールの『恋愛論』のなかにある、「記憶の結晶作用」のことが、ふと、頭に思い浮かんだのであるが、自分がそうであった姿を想像して、自分の姿を、自分が見た光景のなかに置くのではなく、自分を、また、いっしょにいた相手を美化して、あるいは、反対に、貶めて記憶している可能性があるのである。というか、自分がそうであった姿を、そのままに見ることなど、はなからできないことなのかもしれない。そのような視線をもつことができる人間がいるとしても、ぼくは、そのような視線をもっていると言える自信がまったくないし、まわりにいる友だちたちを見回しても、そのような能力を有している友人は見当たらない。いくら冷静な人間でも、つねに冷静であるというようなことはあり得ない。まして、自分自身のことを、美化もせず、貶めもせずに、つねに冷静に見ることなど、できるものではないだろう。「偽の記憶」について、こんど思潮社オンデマンドから出る『全行引用詩・五部作・下巻』のなかのひとつの作品で詳しく書いたけれども、引用で詩論を展開したのだが、そもそものところ、記憶というものは偽物だったのである。記憶というもの自身、偽物だったのである。現実をありのままに留めている記憶などというものは、どこにもないのであった。たとえ、写真が存在して、それを目のまえにしても、それを見る記憶は脳が保存している、あるいは、再構成するものであるのだから、そこには、想像の目がつくる偽の視線が生じるのであった。齢をとって、身体はガタがきて、ボロボロになり、しじゅう、頭や関節や筋肉や皮膚に痛みがあるけれども、この痛みが、ぼくのこころの目を澄ませているのかもしれない。齢をとって、こころがより繊細になったような気がするのだ。より神経質に、かもしれないけれども。睡眠導入剤と精神安定剤をのんで、ゴミを出しに部屋を出たとき、マンションの玄関の扉を開けたときに、その冷たい玄関の重いドアノブに手をかけて押し開いたときに、ふと、そういう思いが去来したのであった。痛み、痛み、痛み。これは苦痛だけれども、恩寵でもある。

足に髭のあるひと。

髭に足のあるひと。

なぜか、こころが無性につらいので、シャーリイ・ジャクスンの短篇集『なんでもない一日』のつづきを読んで寝る。朝、目覚めずに死んでいたい。


2015年11月22日

 目覚めた。生きている。夢を見たが忘れた。上半身左、とくに肘関節と肩から肘にかけての筋肉の痛みが半端ではない。そうだ。夢のなかで、細くなった自分の足首を見てた。いま足首を見たが、いま見てる足首よりも細かった。なにを意味しているのだろう。あるいは、なにを意味していないのだろうか。

きょうやる予定の数学のお仕事が終わったので、あした京都詩人会の会合に持って行く『13の過去(仮題)』の素材データをつくろう。夕方から、日知庵で皿洗いのバイト。





合評


大谷良太「試作(しじゃく)」


とよ:タイトルと、小新の読みは何語か。
大谷:シジャクは韓国語、シャオシンは中国語。これは構想中の詩集の一部。民族性を強調したかった。マイノリティーの強調により、日本文学を再構築していきたい。読者と共に作り上げたい。翻訳詩の作業や意味に似ている。「試作」には、「始作(シジャク)」「詩作(しさく)」の意味も込めている。
田中:読者が置いてきぼりを食らうので、注が必要なのではないか。
大谷:注をつけると読み方が統一されてしまうので、読者の解釈に任せたい。
とよ:最後、「再びは」とあるが。
大谷:「ふたたび」を副詞ではなく、語源の「二度」として名詞に「は」をつけ、行為を強調した。一度注いだ過去があり、注がなくなった期間があり、今やっと注がれたというような意味。
田中:差異を強調することにより、自分の「生」を特化していると思う。
大谷:イメージは、「夜が明けた」→「自分が扉を開ける」→「彼女によって開かれて行く」。自己の描写の切り取りを重ねていくことと、フィクションを織り交ぜた作品を作っている途中で、その中の一部となる予定。


とよよん「竜宮城」


田中:ちょっとそこまでの「そこ」が海の「底」。
大谷:音楽に合わせて書いているというが、詩の目的や必然性が感じられない。詩に対する目的が違うのかもしれない。
田中:気分で書いたのではないか。最後、顔を上に向けるというのは、恍惚とした、かなり良い気分なのではないか。
大谷:「罪」が出てくるのが分からない。
田中:「罪」は音合わせではないか。音の心地よさがある。
田中:主人公は男か女か。
とよ:モチーフが浦島太郎だから男だと思うけれど、意識せずに書いた。
田中:「眠る魚」のところで主体が定まっておらず、揺れている。「ともに眠る魚」とすると、乙姫も太郎も一緒に眠る構図となり良いのではないか。
大谷:月、光、暗、闇が多すぎる気がする。
田中:「地球に引かれ」「月の力」で知識に引っぱられてしまい、気分的な情緒的な作品の中で浮いていて気になる。自分が普段、意識していることでないので気になるのかもしれない。
とよ:自分が女性なので、男性主体で表現することについて考えるときがある。
田中:きわめて知的に多角的に書くと、偏見がなくなっていくのではないか。具体性を重ねるとビジョンが強くなるが、それが普遍的とは限らず、読み手の感性に依存しているところに注意が必要。


田中宏輔「13の過去(仮題)」


とよ:「詩の日めくり」に形が似ている。「13の過去」はどういう形式になるのか。
田中:未定であるが、「13の過去」は「詩の日めくり」に吸収される可能性もある。
大谷:記憶についての考え方が、見えるものしか存在しないという考えに似ている。保存、想起のどのタイミングで記憶というのか、記憶が写真のイメージで再構築されたものということもある。たとえば原子は見えないけれどある。記憶は頭の中にあるものだと思う。
田中:それは潜在的なものであり、顕在化できない。
田中:自分を他人のように思うことがある。自分が世界になったような感覚を味わったこともある。ナルシシズムと言うより、書きやすいから自分を素材に書いている。
とよ:第一連は、記憶そのものというより、詩として脚色したものではないのか。
田中:詩と記憶が一緒になっているかもしれない。


(大谷…大谷良太、とよ…とよよん、田中…田中宏輔)





第10回 京都詩人会 ワークショップ 共同作品

2015-11-29 21:48:40 | 京都詩人会・会合・ワークショップ

参加者:大谷良太・竹上 泉・田中宏輔

時間:2015年9月21日12時~17時

場所:四条烏丸上がる東側にある喫茶『ベローチェ』の2階





ただただ、3人で、だべっていた。


第9回・京都詩人会・ワークショップ・共同作品

2015-09-22 15:26:53 | 京都詩人会・会合・ワークショップ


参加者:大谷良太・田中宏輔・矢板 進

時間:2015年9月21日12時~17時

場所:四条烏丸上がる東側にある喫茶『ベローチェ』の2階




合評会



大谷良太作品


旻宙命――逆流のプロセス


 私は意志によって、これを遂げるだろう。
柱に刻み込む。――ミンジュ命。
      何故なら、やはり確信だから。
「愛」の名の下に沢山の死が要ったように、
     (他に、どんな言葉があろう?)
 また、為されようとしている。――今、
愛だけを装塡して、私は打ち続ける。
 具体的には、このペンと紙を捧げる。ほら、
     きみに向けて撃つよ、私の青空。
ミンジュ、君が命。君こそが魂。



合評

田中:具体性に乏しい。
矢板:「青空」が引っ掛かる。
大谷:(撃ったのは、)当たりました。




田中宏輔作品


詩の日めくり 二〇一四年十三月一日─三十一日

二〇一四年十三月九日 「ポスト」 



彼女は
その手紙を書いたあと
投函するために外に出た
(これは、あくまでも文末の印象の効果のために
あとで付け加えられたものである
削除してもよい)
ポストのあるところまで
すこし距離があったので
彼女は顔の化粧を整えた
彼女は
その手紙に似ていなかった
彼女は
その手紙の文字にぜんぜん似ていなかった
その手紙に書かれたいかなる文字にも似ていなかった
点や丸といったものにも
数字にも
彼女がその手紙に書いたいかなるものにも
彼女は似ていなかった
しかし
似ていないことにかけては
ポストも負けてはいなかった
ポストは
彼女に似ていなかった
彼女に似ていないばかりではなく
彼女の妹にも似ていなかった
しかも
4日前に死んだ彼女の祖母にも似ていなかったし
いま彼女に追いつこうとして
スカートも履かずに玄関を走り出てきた
彼女の母親にもまったく似ていなかった
もしかしたら
スカートを履くのを忘れてなければ
少しは似ていたのかもしれないのだけれど
それはだれにもわからないことだった
彼女の母親は
けっしてスカートを履かない植木鉢だったからである
植木鉢は
元来スカートを履かないものだからである
母親の剥き出しの下半身が
ポストのボディに色を添えた
彼女はポストから手を出すと
家に戻るために
外に出た



合評

大谷:特に感動はなかった。
矢板:もっとわかりやすくできたのではないか。
田中:手紙のどこにも似ていない彼女が最後に手紙になってるってとこが読み取りにくいかもしれない。改稿の余地あり。




矢板 進作品


DOOR                       


夢のなかでドアを閉じると夢のむこう側のあなたの声で眼が醒めた。
概ね四角でできている装飾の凝った建物であった。どうせ結婚なんか
してもぼくたちは幸福になんかなれやしない。水平線のように救いよ
うのない平凡が待っているだけだ。ドアを閉める前、建物のなかでは
音楽が鳴っていた。ぼくはひとに呼ばれて、がしゃりとドアを閉める
おとで音楽を遮断したのだ。


そしてここはとても寝苦しい。
毛布が身体にまきついている。

ぼくの視野の草が伸びきっている。
そろそろ刈らないと虫が住みはじめるだろう。

音楽が長椅子のうえをつるんとすべった。


たとえば、幸福と平凡の違いはどこにあるのか、
ドアの横のベルを鳴らしてみる。


もう一歩
踏みこんだ夢をみよう!


長椅子のうえを音楽がすべって
ぼくたちもころんだ
そしてふたたび深い眠りにおちる。


きっともっと悪い夢。



合評

田中:多重夢が解らなかった。
   1行目で「眼が醒めた」とあるので、整合性がない。

大谷:夢にしても並列のリアリティで、夢のリアリティがない。
   夢ってある一部分だけリアルだったり、リアリティが並列でない。




蜜蜂について


一、<the exterior>


どうやら美術館に迷いこんだらしい
どかどかとお空が折りたたまれていく
春がくるまで
頭のなかは鮮明なまんま
あの飛行機雲を記憶している
だって、
外、寒いやん。
愛するひとは
スズメ蜂に刺されてねむっているので
今日は休館日のように静かです。



二、<the interior>


六角形の部屋は鏡でできていて
どっちを向いてもふたりしか写っていなかった
毛穴や角質までもうつしていた
ここではどんなひかりも痛みでしかなかった

あなたのなかで兇器があまさで汚れてるよ。

気をつけて!


三、<from your window>


窓をひらいて
あなたが外をながめると
あなたの顔がひらべったくみえた
異様にひらべったい絵本を読み聞かせるとき
くちびるは渇いてささくれている
ことばもささくれてもはや意味をなさない
それはまるで蜜蜂のおしりに針がある不思議に似ている
声だけがひびいて玄関のドアの輪郭をなぞった



合評

田中:1連目はこれも整合性がない。
   しないならしないで、しない理由をはっきりして徹底しないと。
   自分の居場所、立場をはっきりしないと読者が着いてこない。

大谷:2連目以降は要はふたりの睦みごとなわけで、また決め台詞にもたれすぎ。
   ポップスになってしまう。
   文学なのでやはり個?孤?というところから発しないと。







憎悪はしろい絹糸のようだった
針とつながれば何処にでも紛れていくのだった
それは恐怖でしかなかった
縒りを反対方向にひねる
ほどく
先端は焔
あるいはまた、チューリップのあかるさにあこがれて。

強風を受けとめる

         *


(鶴の恩返し)は一般に「翁が罠にかかった鶴を助け、その鶴が人間の女性に姿を変えて翁とその妻に恩を返す」という筋立てが知られているが、類似する話は日本全国で報告されており、文献・伝承によって細部で差違が見られる。鶴を助けた人物が若者であり、共に世帯をもつという説。老夫婦ではなく、老爺であったという説。鶴は買ってきた糸でなく、自分の羽毛で機を織り、そのせいで日に日に痩せ細る娘を見かね、怪訝に思った翁が、機織りの部屋を覗くという説。(wikipediaより参照)


        *

ふすまをのぞくと
向こう側の襖や障子や
床の間には幻想的な映像が拡がっていた
ツルが見てきたもののすべてが脈絡もなく放映されている
たくさんの説のなかでぼくは雪山に埋もれている

おつう! おつう! おつう! おつう! おつう! おつう!

その痛覚を刺激する
確かなひびき。



合評

大谷:註は要らないと思う。「鶴の恩返し」をモチーフとして
   註を必要としない世界をつくらないと。
   1連目はいい。1連目だけでいい。

田中:1連目だけにするとしても最後の「強風を受けとめる」は要らない。
   ツェランっぽいと思った。




第8回・京都詩人会・ワークショップ・共同作品

2015-07-25 16:50:23 | 京都詩人会・会合・ワークショップ


参加者:大谷良太・絹更ミハル・田中宏輔

時間:2015年7月20日12時~17時

場所:四条烏丸上がる東側にある喫茶『ベローチェ』の2階




合評会



大谷良太作品


九月に


暑さがひいてきて、私は散歩をすることが多くなった
仕事から帰って夕食を作り、夕食は食べないままに外てに出た
普段何も考えていないような私は歩いている間もやはり何も考えていないようだった
少し歩いた町はずれに川があり、土手を歩いた
水面が空を映していて
それがゆったりと暮れていくのだった
ビルが遠くに見え、赤い灯がちかちかと光った

伏見の
この東高瀬川沿いに
私は十代の半年を過ごしたことがあり、だからか、
空気も似合った
あの頃はノートに向かって
数式や英単語ばかり書き込んでいた、この頃はノートにもあまり向かわない

(何も考えていないようでいて、何かは考えているから
(私もそれなりに年を取りつつあり思い出すことがあるのか、

九月に
私は擦れ違う人や犬を見ず、
たぶん水や空や草もぼんやりとしか見ていず、

乾涸びている何かの死骸を
つっつっ、と突っ突いて部屋に帰った





絹更ミハル作品


キャラメルポップコーンの冒険


人気のキャラメルポップコーンは
不自由だ
冒険したくはないのかな

百貨店の特設コーナーに 閉じこめられたり
駅のコンコースで 長い長い列を作られる
待ち伏せされ囲われて

私の作るポップコーンは 特別に
自由だ
冒険している

特に人気というわけでもなく
今日も大きなお鍋で パンパン派手にはじけている

どんなにおおげさでも
誰も気にしないし
私も気にしなくていい

べつにキャラメルでなくてもいいし
チョコでもいい
カレーでもいいし
和風しょうゆでもいい
もちろんキャラメルでもいいし
自由でいい

茶色い砂糖をたっぷりと 塩とバターを少々入れて
かりかりにさせるのが好みだ
実はそれほど
冒険できていなかったりもするのだ

目をそむけるのも
あなたが好きになってくれるのも 壮絶に
自由だ

砂糖の衣は重いから シーズニングで
キャラメルよりも軽やかに
ふわふわ遠くまで飛ぼうよ



(即興ゴルコンタ(仮)への2015.5.2投稿作を改稿したものです)




田中宏輔作品


マールボロ。


彼には、入れ墨があった。
革ジャンの下に無地の白いTシャツ。
ぼくを見るな。
ぼくじゃだめだと思った。
若いコなら、ほかにもいる。
ぼくはブサイクだから。
でも、彼は、ぼくを選んだ。
コーヒーでも飲みに行こうか?
彼は、ミルクを入れなかった。
じゃ、オレと同い年なんだ。
彼のタバコを喫う。
たった一週間の禁煙。
ラブホテルの名前は
『グァバの木の下で』だった。
靴下に雨がしみてる。
はやく靴を買い替えればよかった。
いっしょにシャワーを浴びた。
白くて、きれいな、ちんちんだった。
何で、こんなことを詩に書きつけてるんだろう?
一回でおしまい。
一回だけだからいいんだと、だれかが言ってた。
すぐには帰ろうとしなかった。
ふたりとも。
いつまでもぐずぐずしてた。
東京には、七年いた。
ちんちんが降ってきた。
たくさん降ってきた。
人間にも天敵がいればいいね。
東京には、何もなかった。
何もなかったような顔をして
ここにいる。
きれいだったな。
背中を向けて、テーブルの上に置いた
 飲みさしの
缶コーラ。






合評


「キャラメルポップコーンの冒険」絹更ミハル


大谷:タイトルはキャラメルポップコーンの冒険となっているが、作中の私が作っているのはキャラメルポップコーンではないかもしれないから、タイトルはおかしいのでは。

田中:作り手とポップコーンとの関係性となったとき、キャラメルポップコーンはキャラメル味になる運命であり不自由。しかし作り手は自由に作れるから不自由ではない。

大谷:作り手に不自由さがない。ポップコーンに自己が投影されていると見た。

田中:最後から2連を見ると恋愛のアレゴリー(寓意)になっている。「あなた」がキャラメルポップコーンから乖離している。「あなた」は何か。

大谷:恋愛とすると「あなた」は恋愛の相手、キャラメルポップコーンは自分となる。

田中:ポップコーンの自由が、あなたの自由になるのかと考えると矛盾が生じる。

大谷:何をもって自由かというと、味付けやはじけている様子だと読めるが、不自由と自由の違いは何か。

田中:簡単に分けているが、自由が矛盾している。自由、不自由の徹底がなくて不自由さが不自然になっている。

大谷:矛盾というか、ずれが生じている。自分を見ている相手の目を男性からの視点として自由と不自由があるのか。

田中:「あなた」と自分の線引きがわからない。キャラメルポップコーンに自己仮託しているのかどうか。観念があるだけで、ポップコーンの具体性がない。キャラメルポップコーンというのは化粧や服装を整えなければならないことと考えると、自分が不自由ということになる。自由になれない自分の不自由さ。

絹更:実は作り手は私、それほど人気ではない詩人、「あなた」は読者、キャラメルポップコーンは人気の詩人を想定して書いた。

田中:だとすると、最後の方に急に「あなた」が出てくるので混乱する。最初の方から使われている自由、不自由という言葉は、最後から二連目に出てくる自由と同じだと読者は思う。最初の方から「あなた」を出しておくとか、工夫した方がよい。このように混乱させる論理矛盾は良くない。おもしろくさせる論理矛盾は良いが、これはそうは言えない。自由の視座、アスペクトというべきものが、フェイズで層がずれてしまっている。

大谷:しっかり推敲すればこういう種類の矛盾は見つかっているはず。関係性を図にしてみるなどおすすめだ。

大谷:2連目の「長い長い」という繰り返しは意味がないのでやめた方がよい。最後から3連目の最終行の語尾「のだ」も違和感を感じる。一方、最後から2連目の「壮絶に」は自由にかかる言葉として普段使わないから新鮮だと思った。

大谷:たとえば優秀なサラリーマンの詩と読んでみる。その自由さ不自由さと言うことを考えると面白い詩になると思う。また、冒険や自由を肯定しているのかどうかも気になるポイントである。

大谷:この作品は「自由」という言葉で読者が混乱してしまうという点で失敗している。最後の二連がなければ意味がずれない。自分の頭の中で分かっていることについて、何が読み手に伝わって何が伝わっていないかを見極めることが重要。内容が具体的になっていないので分かりづらい。今の作品と、最後の2連抜きで読んだものと比較してみるとずれが分かるので、推敲ができる。

田中:最後の2連はなくていいと思う。すべてを説明し尽くす必要はないと思う。かえって余計になることが多い。

大谷:違う意味のものに同じ言葉を使うと、読み手は同じ意味でとってしまう。自分も、読み手も同じ意味にとれるように注意を払うことが重要。関係を図にすることで、矛盾が起きにくくなる。




「九月に」大谷良太


大谷:一連目の最後、ビルの赤い灯は、本当はちかちかと点滅はしないらしい。

田中:何事もないことをこれだけ書ければ十分だ。ゆったりとした時間が感じられる。欠点はない。

大谷:何も起きない。

絹更:ラスト、「つっつっ、と突っ突いて」という表現と音が良い。

大谷:乾涸びている死骸は何だと思うか。

絹更:蛇か何かだと思う。

大谷:そうかもしれない。実際に見たわけではなく空想で書いた。当時は本当にノートにあまり向かわず、精神的に低迷していた時期だった。子供の夕食を作って、自分は食べる気がしなくて、外を散歩したりした。

大谷:叙事詩を書いていると、作中の主体イコール悲しみとなってしまい、距離がなくなる。あるいは距離をとりすぎてしまう。ちょうど良い距離が難しい。

絹更:「伏見の」や「九月に」が印象的。

田中:「九月に」は余分だと思う。

大谷:「伏見の」は次と続けてしまうとありふれたイメージになってしまい、どうしても改行するしかなかった。




「マールボロ。」田中宏輔


田中:これはゲイの発展場のポルノ映画館で出会った、東京から来た彼の経験を書き出してもらって、彼の経験を自分がしたかのような錯覚のなかで作った詩だ。

絹更:最後から6行目「何もなかったような顔をして」以降がそのときの情景で、その前は全部彼の経験とは思えない。まるで作者の経験のように見える。

大谷:田中さんは削って捨てることによって、文学性を出す作り方をする。この作品もそういう感じがする。イメージが飛ぶところは、削った跡だと分かる。たとえば、9行目「彼は、ミルクを入れなかった。」と10行目「じゃ、オレと同じ年なんだ。」の間には元々詩文が存在したと思う。

田中:この作品については「The Wasteless Land.II」に作品解説したことがある。

大谷:最後から2行目の「飲みさしの」はなぜ一字下がっているのか。

田中:ベッドに寝そべって見上げている感じの表現。ふと見上げたとき、コーラの向こうに彼の入れ墨が重なって見えた。それを表そうと思った。

田中:この作品は先駆形の感覚で、コラージュ風に仕上げたものだ。記憶障害などが起こっていた、精神的に極度に不安定な時期だった。

大谷:詩はエッセンスということがよく分かる作品。説明の必要がない。イメージと語の選択がよい。

田中:自分のことを「ブサイク」と言ったり、雨がしみた靴下は、羞恥心を表している。彼の体験を自分がそのまま見たような気がした。




第7回・京都詩人会・ワークショップ・共同作品

2015-06-15 20:26:30 | 京都詩人会・会合・ワークショップ


参加者:絹更ミハル・こひもともひこ・田中宏輔

時間:2015年6月14日12時~17時

場所:東山生き生き市民活動センター(http://higashiyamacds.main.jp/)




詩作方法の概容と詩作後の講評について

1.一人、5つずつ思い出を書く。
2.それを参加者の人数分コピーして、各自がそれをもとにコラージュ詩をつくる。
3.終了1時間まえに作業をやめ、できたものを発表し、互いに講評し合った。





思い出・5つ



絹更ミハルの思い出



板前だった祖父はいつも怖い顔、眉間にシワ、ドスのきいた低音。

父方の祖母は自分の連れ子の孫にはおいしいものを出すと言って、母が泣いていた。

父方の祖父と母方の祖母は身近な材料で、市販品や外食メニューを料理してしまうタイプだった。

私は祖母に、計量カップいらずの小豆の煮方を習った。

母から聞いた祖父のカレーやハンバーグの作り方を頼りに、私が編み出した小麦粉からルウやソースを作る方法は、オリジナルか否か。




こひもともひこの思い出



兄弟喧嘩がうるさくなりすぎると、母は、兄と私の二人共に家から閉め出す。閉め出された二人は、「どうする? ばーちゃん家に行く?」と、相談をはじめるが、十分くらいすると、母は鍵を開けてくれた。

留守番を兄に任せて、父・母・私の三人で出かけて帰ってみると、鍵が掛かったまま兄が眠ってしまい、大声で呼んでも、電話を鳴らしても起きず、二階の窓から父が入って鍵を開けなければならなかった。

鍵の置き場所は、洗濯機の中だった。

一リットルサイズのバニラアイスがある時は、上からそーっと掬ってばれないように食べようとするのだけれど、兄はすぐに気づくし、私も気づくし、母も気づいた。

母が出掛けて鍵のなかったときは、塀に登って二階の窓から部屋に入れたのだが、窓枠を掴んで身体を持ち上げる腕力が必要で、初めて出来た時の達成感はすばらしかった。




田中宏輔の思い出



ラブホでシックスナインしているさいちゅうに、いっしょに行こうって言われて、えっ、どこにと返事したとき、ケイちゃんの笑顔がちょっと曇った、23才のときのことが、いまだに思い出される。

夏になると、高野のプールに行って、まっ黒に日焼けしてた、30才になって、肩にしみができるまでは。

中学校のときに好きだった同級生はジミー大西にそっくりだった。

小学校低学年のとき、授業中におしっこに行きたいと先生に言えなくて、座席に坐ったままおしっこをもらしたことがある。

小学校6年のときに好きな女の子にキッスしたら、その女の子の父親に家に呼ばれて思い切りしばかれた。




作品



絹更ミハルの作品



夏になると
洗濯機の鍵を開けてくれた
母は
身近な材料で ハンバーグを作って
二階の窓から 笑顔をもらして
泣いていた


兄弟喧嘩がうるさくなりすぎると、母は、兄と私を洗濯機から閉め出す。閉め出された二人は、「どうする?高野のプール行く?一リットルサイズのバニラアイスいく?」と相談をはじめるが、十分くらいすると、眠ってしまった。


留守番をケイちゃんに任せて、電話を鳴らして、まっ黒に日焼けした、小学校低学年のとき。


一リットルサイズのカレーの置き場所は、洗濯機の中だった。


一リットルサイズのバニラアイス、上からそーっとばれないようにキッスしたら、いっしょに行こうって言われて、えっ、どこにと返事した。


中学生のときに好きだったバニラアイスは、ジミー大西にそっくりだった。


肩に窓枠ができた
30才のとき
ちょっと曇った 笑顔
23才のとき
先生に言えなくて
小豆を煮て
眉間にシミができた




こひもともひこの作品



小学校6年のときに好きな計量カップにキッスしたら、計量カップいらずの洗濯機に呼ばれて、カレーやハンバーグの作り方を習っているさいちゅうに、「どうする? いっしょに行こう」って言われて、えっ、どこに、と窓枠を掴んで身体を持ち上げる腕力を私が編み出した。


洗濯機の中に坐ったままおしっこをもらしたことがある。


板前だった祖父の一リットルサイズの眉間のシワがちょっと曇った。


一リットルを頼りに、計量カップいらずのおしっこを市販品で作る方法はオリジナルか否か。


夏になるといまだに思い出される。
母は、兄と私を家から閉め出す。
閉め出された二人は共に泣いていた。
母から聞いたカレーやハンバーグや小豆の煮方はオリジナルか否か?
二人の好きだったカレーはジミー大西にそっくりだった。
二人の好きだったハンバーグは真っ黒に日焼けしてた。
二人の好きだった小豆の煮方は窓枠を掴んで身体を持ち上げる腕力が必要だった。
母が泣いていた。
夏になるといまだに思い出される。
30才になって、母は鍵を開けてくれた。




田中宏輔の作品



父方の祖父と母方の祖母は身近な材料でまっ黒に日焼けしてた。

私が編み出した小麦粉からルウやソースを作る方法は洗濯機の中だった。

父方の祖母は笑顔がちょっといつも怖い顔だった。

一リットルサイズの市販品の母はドスのきいた低音だった。

父方の祖母にいっしょに行こうって言われて、母が泣いていた。

ジミー大西にそっくりな母が出掛けた。

父はバニラアイスがある時は窓枠を掴んでしまうタイプだった。

おしっこに行きたいと言うと、母は鍵を開けてくれた。







第6回・京都詩人会・ワークショップ・共同作品

2015-05-11 12:34:32 | 京都詩人会・会合・ワークショップ


参加者:内野里美・大谷良太・絹更ミハル・こひもともひこ・田中宏輔・森 悠紀

時間:2015年5月10日12時~17時

場所:東山生き生き市民活動センター(http://higashiyamacds.main.jp/)




詩作方法の概容と詩作後の講評について

1.一人、5行ずつ、家族や友人や恋人についての思い出を書く。
2.それを参加者の人数分コピーして、各自がそれをもとにコラージュ詩をつくる。
3.終了20分まえに作業をやめ、できたものを発表し、互いに講評し合った。




各人の思い出・5行



内野里美の思い出


ある日の朝、母は妹のお気に入りのボロボロになった毛布を黒いゴミ袋に入れて、私と妹とゴミ袋を車にのせた。妹はすぐに気付き、「捨てないで!」と大泣きした。

ケガをしたインコを拾ってきた母はある日、インコに日光浴をさせようと鳥カゴを開けると、インコは空へ飛び立って行った。

幼少期、夜中「ゴギブリが出た!恐い。」と隣に寝ていた父母を起こした。押し入れの壁に穴が開いていて、それはネズミであることが判明した。

小学生の頃、一輪車で隣町の友だちの家まで遊びに行った。

小学生の頃、友だちと市販のクリームをいろいろ混ぜて「新製品のクリーム」を作った。



大谷良太の思い出


パチンコ・ラスベガスは南区、京都みなみ会館にあった。

毛深い男と一緒に、喫茶店に入って来た、――それが彼女と出会った初めだった。

僕の子供は五歳になる。

父は偉大なる酒飲みなり。

別れた後、別の女友達と、三階に在る変なカフェバーに昇って行く木屋町深夜。



絹更ミハルの思い出


父と弟と神社に遊びに行き、捨て犬を拾って帰ってよく見たら、汚れと思ったものがノミの塊で、母に捨ててきなさいと言われた。

十代の頃、お店にいたら、「お母さんのお手伝い偉いね」と言われ、今は従業員として働いているが未だに、「お母さんのお手伝い偉いね」とほめられる。

「好き」と伝えると「知ってる」といつも返してくる恋人と会うときは、たいてい雨だった。

目分量で何でも料理する祖母から、「料理はとにかく味見。おいしいものはどの段階で食べてもおいしい」と教えられた。

汽水域の砂地の浅瀬に従兄弟とべたりと座り込み、手元を見ないで両手で掘り、アサリがでたら当たり、ハマグリが出たら大当たり。



こひもともひこの思い出


ガビョウを踏んでも気づかない父の足の裏は分厚かった。

タバコを吸っていた父は、周りに灰皿が見あたらないと、手のひらにツバを吐いて火を消した。

メールの返信をする時、「ガギグゲゴ」と声を出しながら打ち込む父。

船乗りだった父は、家に帰って深酒すると、アザラシの鳴き声のような大きなイビキをかく。

父の機嫌が悪いときは、部屋に入った瞬間に判った。




田中宏輔の思い出


父が生きているときには弟はけっして背中の入れ墨を見せようとはしなかった。

消防署から電話があって、弟さんがアパートで部屋に灯油をまかれましたと言ってきた。

毎朝、実母から電話があって、それはきついし、嫌なことの一つである。

元彼のところによく飲みに行くのだけど、ちょっと嫌がられているような気がする。

自分の写真はぜんぶ捨てたのに元彼の写真はいまだにぜんぶ持っている。



森 悠紀の思い出


ピザ屋で、スパゲティが出てくるのが遅すぎると父親が腹を立て、食事の途中で全員帰ることになった。

父方の祖父は、縁側から雀にパンくずをやり、教育テレビを見るのが日課だった。

妹と留守番中に、冷蔵庫の前に妖怪がいると言って怖がらせたことがある。

家族旅行の行先を決める際、母と妹はアジアを嫌がり、自分と父はヨーロッパを嫌がったので、中間をとってトルコヘ行った。

毎日母のきれいにする家の中では、父はごろごろ寝ころがってテレビを見てばかりいる。





作品



内野里美作品


見あたらないと
父は偉大な捨て犬を拾ってインコを拾って
手のひらに「好き」と伝えると
「知ってる」と市販のクリームを持っている
ガビョウを踏んでも気付かない
ちょっと嫌がられているような
見せよう ぜんぶ まかれたことを
きれいにするばかりの途中で
縁側から出てくる日課だった


  *


深夜、
入れ墨を見せよう
電話があって
生きているときには
アザラシの鳴き声のような
ごろごろ寝ころがっている妖怪の
大泣きする「ガキグゲゴ」
押し入れの壁に穴が開いていて
弟は目分量の砂地の神社に遊びに昇って行く



大谷良太作品


ケガをしたイコンをゴミ袋に入れて、メールの返信をする時、
イコンは空へ飛び立って行った。

「好き」、「知ってる」――雨が怖く、
テレビを見ている。教育テレビを。
五歳になる母。ぜんぶ持っている、汽水域の弟さん。
毎朝電話があって、
それはきついし、嫌なことである。
深夜、毛深い男と
パチンコ・ラスベガスと
捨てない捨て犬、
「捨ててきなさい!」
「料理はとにかく味見。」
木屋町から電話があって、
自分の写真はぜんぶ捨てたのに
南区、みなみ会館にあった
お気に入りのイコン。
冷蔵庫の前で



彼女と初めて
いろいろ混ぜる
だ、ら、う
「クリーム、偉いね」
偉大な別れ。
昇って行く壁に
ボロボロになった穴が開いて
僕の子供は
たいてい偉い。



絹更ミハル作品




雨の日、パチンコ・ラスベガス南の喫茶店で彼女と別れた後、京都みなみ会館三階に在る変なカフェバーに僕の子供が遊びに行った。

インコ ゴキブリ ネズミ アザラシ 元彼 捨て犬 ハマグリ アサリ

いろいろ混ぜて
メールの返信をすると
火を吐いて
母を消した


**


電話 る る 知ってる 知ってる 在る 在る
生きている 捨てる 持っている ほめられる メール
テレビを見てばかりいる


***


小学校の頃、毎日実母のきれいにする冷蔵庫の前には妖怪がいた。

「新製品のクリーム」と私と妹とパンくずを一緒に、黒いゴミ袋に入れた。


****


アサリとハマグリ
ごろごろ スパゲティ
寝ころがっている毛布

日光浴
テレビの瞬間

恋人は
一輪車で 隣町に
ちょっと 嫌がられているような気がする


*****


毛深い酒飲みはガビョウを踏んで大泣きした
「ガギグゲゴ」とツバを吐いていた木屋町深夜

南区のピザ屋で五歳になるネズミが
偉大なゴキブリと三階に昇って行く

機嫌が悪い彼女から部屋にあった電話は
アザラシの鳴き声なり

汚れと思った灯油はぜんぶ捨てたのに
押し入れの壁の穴からインコが飛び立って行った



こひもともひこ作品


「ゴキブリが出た!」と伝えると「知ってる」と返してくる恋人に灯油をまかれました。

毎朝、毛深い男から電話があって、それは偉大なる嫌なことの一つである。

父が生きているときには弟はけっして私と妹とゴミ袋を見せようとはしなかった。

市販のクリームはぜんぶ捨てたのに新製品のクリームはいまだにぜんぶ持っている。

ピザ屋で捨て犬を拾ってよく見たら、汚れと思ったものがノミの塊で、出てくるのが遅すぎると父親が腹を立てた。

捨て犬のところによくノミを見に行くのだけど、ちょっと嫌がられているような気がする。

ハマグリに日光浴をさせようと車にのせた。ハマグリはすぐに気付き「どの段階で食べてもおいしい」と教えられた。

周りに灰皿が見あたらないと、たいてい雨だ。

アジア、ヨーロッパ、トルコ、ラスベガスは、京都みなみ会館にあった。

隣町の友だちは、冷蔵庫の前にパンくずをやり、ごろごろ寝ころがっている。

偉大なるインコを拾ってきた母はある日、空へ飛び立っていった。

十代の頃、「お母さんのお手伝い偉いね」と入れ墨を入れて捨て犬を拾って帰ってべたりと座り込み、「お母さんのお手」と伝えると「捨てないで!」と大泣きした犬。



田中宏輔作品


父は偉大な「ガギグゲゴ」だった。

父が生きているときはゴキブリが出た。

母は穴が開いていて分厚かった。

押入れの壁に穴が開いていて、スパゲティが出てくる。

船乗りだった父は市販のクリームをいろいろ混ぜて飛び立って行った。

消防署から電話があって、「好き」と伝えると「知ってる」といつも返してくる。

ガビョウを踏んでも、それはきついし、ちょっと嫌がられているような気がする。

母はある日、妖怪がいると言われ、友だちの家まで遊びに行った。

ボロボロになったインコを拾ってきた母は自分量で何でも料理する。



森 悠紀作品


アザラシの腹にインコたちをつめ込んで
ごろごろころがすとクリームの塊になる
パンくずとハマグリの中間をとおって
縁側まで飛ぶ油をまいて
おいしい捨てみで手元を見ない
教育料理が一輪車の母をまっている
冷蔵庫の穴をうめるクリームは
アジアや ヨーロッパの夜を吹かせて
日光浴が必要な背中のいろを
汽水域の浅瀬にしずめ
空に袋が泣く日をつつム
市販の妹はもどらない
砂のなかを手がはしるから
たいていの夜は
ネズミの毛にまみれて
押し入れの壁を食べ
朝にはつめたくなっている







第5回・京都詩人会・ワークショップ・共同作品

2015-04-13 15:19:14 | 京都詩人会・会合・ワークショップ


参加者:大谷良太・北畠彩子・田中宏輔

時間:2015年4月12日12時~17時

場所:東山生き生き市民活動センター(http://higashiyamacds.main.jp/)


活動

前半は、天気がよいこともあって、またセンター前の公園の桜の花がまだ散っていないこともあって、花見をしました。
 大谷くん、北畠さん、田中の3人と幼児2人の、合計5人で。

後半は、センターに戻って、連詩をつくりました。以下に連詩を掲載します。




共同作品・連詩


2/19 
白い四角い箱の中
反射光に目が眩む
日本の家庭崩壊
ウ冠も庭もない     北畠


ベローチェで書いているときは心配だった
子どもたちが階段でつまずかないかなって
東山生き生き市民活動センターで部屋を借りて
子どもたちが階段でつまずく心配がなくなった
1つの心配がなくなったのだった           田中


そして桜、やはり明るい陽──
ツヅミとミサゴ、──私は思い出している、一匹の幼獣
ミサゴの洟は垂れ、じゅうたんでこけた。田中さんが笑った。    大谷


幼獣の父はキノコだった
菌糸は樹状に伸び
庭土に蔓延る
苔もむす           北畠


怪獣映画が大好きだった
真夜中に映画館の前で
朝に開場になるのを待って
警察に補導されたことがある
小学校6年生のときのことだった
吸血鬼ゴケミドロとか
キノコの怪獣マタンゴとか好きだった
50才になって、W・H・ホジスンの短篇集『夜の声』を読んだ
マタンゴの原作が入っていた
再会する喜びにひたったのであった                  田中
                                

WXO──
何でもないことを書いています。
五月になったら、と考える。四月もまだ半ばです。     大谷


oh! ママあ──
明日は道理が通るの?
oh! パパあ──
希望はいつも明日なの?
何でもないことって何?     北畠


人それぞれゆずれないことがあると思うけど
ぼくの場合はなんだろう?
思いついたことはすべて書きつくすということだろうか。     田中


マタンゴ。再びの──
『パパ』は仕事中だ。
こけたミサゴの、今は腹を出し、じゅうたんに寝そべっている。
ツヅミは小さな目ん玉、──みんないなくなった。           大谷


ゆずれないことなど。
すべては偶然的必然だと。
キノコはしないほうがいいと。
粘土は歯茎みたいな色になり
なめらかに混ざり合う。        北畠


鳩が黒くて
鴉が白かったら
鳩が悪い印象をもって
鴉が良い印象をもったのだろうか?      田中


それならば一点、
歯茎みたいな粘土と
粘土みたいな歯茎と─。
私もまた、印象なのか。      大谷


八咫の烏は神の遣いで
ドバトは害鳥で
印象の良し悪しは
鳥籠のように「私」を閉じこめる      北畠


花に閉じ込められたものが実で
実に閉じ込められたものが種なら
種に閉じ込められたものは何?     田中


また、別の日、お前が埋めた種を
芽吹かせる陽、
また別の名前で、器官を
呼ぶとしても…。             大谷
   





第4回・京都詩人会・ワークショップ 共同作品

2015-04-13 15:14:29 | 京都詩人会・会合・ワークショップ

参加者:田中宏輔


時間:2015年3月8日12時~15時

場所:東山生き生き市民活動センター(http://higashiyamacds.main.jp/)


だれもこなかったので、田中は3時間ほど読書して、帰りました。




第3回・京都詩人会・ワークショップ 共同作品

2015-02-09 13:11:55 | 京都詩人会・会合・ワークショップ


参加者:内野里美・大谷良太・北畠彩子・田中宏輔・森 悠紀


時間:2015年2月8日14時~20時

場所:四条烏丸上がる東側にある喫茶『ベローチェ』の2階


詩作方法の概要とその結果

①各人が数冊の本を持ち寄り、その中から自分の持ってきたものではない本を1冊選び、その本の中から、5つの名詞を選び出した。
②その5つの名詞を紙片に書き取り、合わせて25個の名詞を書き込んだ紙片を外からは見えない不透明のビニール袋に入れ、その袋から、各人、一つずつ名詞が書かれた言葉を順々に取り出した。各人が、5回、繰り返し取り出したので、一人につき、5個の名詞が取り出されたことになった。
③まず、各自、その5つの名詞を5枚の紙片にメモし、1枚を自分用にとっておき、残りの4枚を他の詩人ひとりひとりに渡した。これで、各人がくじ引きで引き当てた5つの名詞のセットが5種類できたわけである。
④参加者が5人であったので、自分が引き当てた名詞5個を使った1作+他のメンバーが引き当てた名詞5個を使った詩作品4作の計5作が、1人の詩人によって作成された詩となった。よって、今回のワークショップで制作された詩作品は、ぜんぶで25作品となった。



Ⅰ 各人が選び出した名詞5個 

内野里美 名詞5個:大異変 すれっからし 水中呼吸 他郷(よそ)者 しのび音(ね)
     出典:イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』米川良夫訳 早川文庫
大谷良太 名詞5個:ようたし あわもち たぬき あたり ひといろ
     出典:『かちかちやま』おざわとしお 再話 赤羽末吉 絵 福音館書店
北畠彩子 名詞5個:ゴンズイ 修道女 路面電車 菱形模様 顔筋断裂
     出典:岸本佐知子『ねにもつタイプ』ちくま文庫
田中宏輔 名詞5個:呼びかけ 人間 蒸発 交換 非‐わたし
     出典:鷲田清一『じぶん・この不思議な存在』 講談社現代新書
森 悠紀  名詞5個:文盲 竹(たけ)篩(ふるい) 落馬 一碗 放逸
     出典:貝原益軒『養生訓・和俗童子訓』 岩波文庫



Ⅱ 各人がくじ引きで引き当てた名詞5個
 

内野里美:あたり あわもち しのび音(ね) 顔筋断裂 路面電車
大谷良太:人間 非‐わたし 放逸 蒸発 呼びかけ
北畠彩子:水中呼吸 交換 ようたし 菱形模様 修道女
田中宏輔:ひといろ ゴンズイ 文盲 竹(たけ)篩(ふるい) 他郷(よそ)者
森 悠紀 :大異変 すれっからし 落馬 一碗 たぬき



作品



内野くじ引き順 内野里美作品 

路面電車の上を吹く
しのび音(ね)からは
顔面断裂しているあたり
路面電車の下の枕木を
通過する度ごとに
つぶされていくあわもち
のことを知る由もなし



内野くじ引き順 大谷良太作品

あたりには夜の静けさがあった。路面電車の先頭部分には、きっと機関車トーマスを真似たのだろう、大きな丸い顔が掲げられていたが、何処かに(否、何かが──あわもち(、、、、)が?)ぶつかりでもしたのか、一本、ひどい罅(ひび)が入っていた。(これでは顔筋断裂だ…。)この光景を、しのび音(ね)もなく、外灯があかあかと照らしている。



内野くじ引き順 北畠彩子作品

ふいに点灯する路面電車を
顔筋断裂のア・シンメトリーな
想いで見送ってわき上がる郷愁
見たこともないあわもちの味を懐かしむ
あたりを領するしのび音は
永い永いデクレッシェンドを続けている
未だに



内野くじ引き順 田中宏輔作品

あわもちが好物だったぼくのおじいちゃん。
晩年は寝たきりだった。
たった一段の土間への踏み足しそこないで
腰の骨と足の骨を折って
その骨がくっつかないまま
寝たきりになってしまったのだった。
それでもぼくはおじいちゃんと遊びたくて
そっと静かにふすまを開けて
おじいちゃんの部屋に入ったら
しのび音で歩いて、そばに寄った。
そして額のあたりを指で押した。
するとブルブル、ブルブルと
正断層、逆断層、褶曲、隆起、沈降、
顔筋断裂が起こって
まるでひっくり返った路面電車のようだった。



内野くじ引き順  森 悠紀作品

顔筋断裂したマイケルが
しのび音でムーンウォークする
ぜんまい仕掛けの
スペクタクル
あたりが出ると
もうひとつもらえる
マイケルのフィギュアを
路面電車に乗せて
ひとつ ひとつ
曲がり角を過ぎながら
あわもちの粒々のなかでふくらむ
月を見つめる
羽衣が とおい警笛を連れ
はち切れそうに (ポゥ!)
かぐや姫のルートを
辷り落ちてくる



大谷くじ引き順 大谷良太作品

非‐わたしは、人間として呼びかけます。蒸発しないでください。放逸もいけません。



大谷くじ引き順 内野里美作品

(作品未提出)



大谷くじ引き順 北畠彩子作品

蒸発した人間より放逸なのはすっかり個性を取り払った非‐わたし どんな呼びかけも石ころ同然に受け止めて過去も未来もわきまえない



大谷くじ引き順 田中宏輔作品

人間と事物の境界面で
蒸発する非‐わたし
人間の呼びかけに呼応する事物の放逸
事物の呼びかけに呼応する人間の放逸



大谷くじ引き順  森 悠紀作品

むつ市 まさかりプラザ
蒸発するように消えた
死者の無言に向かって呼びかける
底なしの
非―わたしの身体として
われわれはイタコを求めたが
タッチの差で貸し切られてしまったイタコに
もう会うすべはなかった
あいつは放逸で
ルールを守れない人間だったけど
ルールを守れない人間はこの世に居てはいけないという
ルールを最もよく遵守した人間だったのではないか…
云々、飲み屋での終わらないループに
われわれの忘れた
身体の天使はいつまでも降りてこないままだった



北畠くじ引き順 北畠彩子作品

ようたしに行ったまま
帰らない修道女
あまりに均等な菱形模様に
耐えられなかったとか
神への愛と交換に
水中呼吸ができるようになったとか



北畠くじ引き順 内野里美作品

(作品未提出)



北畠くじ引き順 大谷良太作品

(水中呼吸って何だろう?)若い修道女たまは考える。そして嘆息してみる。ようたしの最中に、(あの方(、、、)もこんなことをなさったのかしら?)──考えてしまう。一歩扉の外では、やはり尼僧職のサタケが、長い白髪の根元を汗でべっとりさせながら、鶏の首を刎ねていた。(そろそろ、シーツ交換の時刻かしら?)
菱形模様の、四つ連なったというの、分かたれたというの。──あれは何というのだろう。彼女は、武田菱についても夢想してみる。



北畠くじ引き順 田中宏輔作品

川にようたしに出かけた修道女が
一本糞をボトンと落とす。
川は一本糞の円柱形と
魚たちが彩なす菱形模様を交換する。
一本糞の形の魚たちが
川の中で水中呼吸する。
菱形模様の修道女が
修道院に駆け戻る。



北畠くじ引き順 森 悠紀作品

菱形模様の
ダイヤグラムを駆使して
ようたしに行く
修道女の愛が
水中呼吸の気息を
産声に変える
鋏で
交換される
顔の地形と
なだらかな丘の
すれ違いの火花で
隣人が燃え上がる



田中くじ引き順 田中宏輔作品

自郷(じもと)者たちと他郷(よそ)者たちを竹(たけ)篩(ふるい)にかける
篩(ふるい)に落とされた ひといろの文盲のゴンズイたち
篩(ふるい)に残された ひといろの文盲のゴンズイたち



田中くじ引き順 内野里美作品

(作品未提出)



田中くじ引き順 大谷良太作品

ゴンズイは文盲だった。それに他郷(よそ)者だったので、ここいらには不案内だ。ひといろに言ってしまえば、笊か竹(たけ)篩(ふるい)にでもなったかのような心地がした。



田中くじ引き順 北畠彩子作品

時々エセ文盲になって歩く
何かしら拒絶的な立て札
妙にべたべたした看板
押しつけがましいポスター
剥き出しになる不潔な街

ひといろに塗ってはいけない
絶対的な他郷者として言い続ける
そう竹篩の上のゴンズイ



田中くじ引き順  森 悠紀作品

森の視力を持つ
他郷者でさえ
この竹篩を編むにつれ
縁を辿り
文盲になれる
と オバアが言うと
こぼれ落ちるひといろの
ゴンズイ玉が
目まぐるしく変化し続けるので
もう みえない色がない
指先になってしまった



森くじ引き順 森 悠紀作品

大異変
とすら呼べない
永い永い
じんるいの午後
すれっからしの
たぬきのような女の子と
温泉宿で
一碗のぜんざいを啜っている
わたし
とすら呼べない
渺茫
薄い空をわたる
ひとの想い出
毛氈のうらに立つ
湿った土と
草の匂い あれは
落馬した後
目を覚ましたときの
追いつかない状態
すごい風に吹かれて
ばたばた
のぼりがはためく
ばたばた
しがみつくように
ばたばた、



森くじ引き順 内野里美作品

たぬきが持ってきた一碗に
塗り込める気持ちが
何でも拾っていったから
いつでもすれっからしになれる
かもしれない大異変が
地面からとうとうと流れて来て
落馬を噛み締めていると
またたぬきが持ってくる



森くじ引き順 大谷良太作品

すれっからしにも、これが大異変であることが分かった。目の前で頼朝が落馬したのだ。すれっからしはそのとき、一碗のたぬきのことを考えていた。



森くじ引き順 北畠彩子作品

腹ぺこたぬきは まづ
一碗の薄茶を所望した
それを慌ただしく正しい作法を
なぞって飲み込むと
大異変について語り始めた
静かなんだ
誰も気付かないうちに始まって
恐ろしい速さで進んでる
一つの落馬も起きないくらい
静かなんだ
きっとこれから
自分が何に飢えてるのか
いや飢えてることさえ気付かない
すれっからしが増えるんだろうさ
などと要領を得ないことを
早口でまくし立て
腹ぺこたぬきはそそくさと
立ち去った
結局は腹ぺこなまま



森くじ引き順 田中宏輔作品

燃え上がる金魚たち、
一碗のたぬきらを一蹴する。
大異変、大異変と叫びながら
すれっからしの兵士たちがつぎつぎと落馬する。



作品制作後のディスカッション


名詞だけにして自由度が大きくなった分、面白く書けた者もいたが(大谷良太のように)、しかし前回の動詞があったほうが言葉の意外な組み合わせが可能であったみたいだ。前回は、動詞によって名詞が動かされていた感じがして、自分の意志では思いつかないような言葉の組合せができたような気がする。(発言:北畠彩子)

作業の自由度が上がった分、思考の抽象度が上がって、かなりバラつきのある言葉を意味の体系の中に収めようとしてより厳しい作業になった。(発言:森 悠紀)

くじで引いた言葉を書きつづった紙片を見ただけで、その並びの順にまで思考が影響を受けた。この順番で書かなくてもいいのに、書かなければならないような気がさせられた。さいしょに並べられた言葉のインパクトが強い。(発言:内野里美)

さいしょにくじ引きした言葉を紙片に書きつけた時点で、それ自体が詩のようなものに感じられた。(発言:田中宏輔)

そうは感じなかった。紙片に書かれた言葉をすぐに情景に変換できなかった。言葉にバラつきがあって、パッと見ただけでは、うまく情景として言葉を配置できなかった。パズルを解くような作業が必要であった。(発言:森 悠紀)

名詞だけだと、どう言葉をむすびつけたらよいかと、とめどもなく考えてしまい、さいごはやっつけ仕事になってしまった。(発言:北畠彩子)




第2回・京都詩人会・ワークショップ 共同作品

2015-01-19 22:03:05 | 京都詩人会・会合・ワークショップ


参加者:内野里美・大谷良太・田中宏輔・森 悠紀


時間:2015年1月11日14時~20時
場所:四条烏丸上がる東側にある喫茶『ベローチェ』の2階


詩作方法の概要とその結果

①1人につき 名詞5個 動詞5個 提出
②計 名詞20個 動詞20個から、それぞれ、5個以上を用いて詩をつくる。これ以外の言葉を用いてもよい。同じ言葉を何度用いてもよい。動詞は時制を変えてもよいし、語尾を変えてもよいし、複合動詞にしてもよい。
③まず、各自、うえの規則のもとで詩をつくる。つぎに、②のなかから自分が選んで使用した名詞と動詞を順番に抜き書きして、その順番を書いた紙を他のメンバーに渡す。全員、他のメンバーの作品を読まないで、その渡された紙に書かれた順番にしたがって、他のメンバーが使用した名詞と動詞を用いて作品をつくる。
④参加者が4人であったので、さいしょの自作1作+他のメンバーの使用した言葉の順番でつくった詩作品3作の計4作が、1人の詩人によって作成された詩となった。よって、今回のワークショップで制作された詩作品は、ぜんぶで16作品となった。


Ⅰ 各人が提出した 名詞5個 動詞5個

内野里美 名詞5個:蜜柑 酒粕 日めくりカレンダー(暦) 手技 坐禅
     動詞5個:効かす こぼれる 淹れる 慈しむ つまびく
大谷良太 名詞5個:煙草 川 魚 金銭 トレイ
     動詞5個:置く 投げる 捨てる 配置する 擦(こす)る
田中宏輔 名詞5個:証明 疑問 労働 居酒屋 人間
     動詞5個:動かない 戻る ずれる 考える つむる
森 悠紀  名詞5個:トーチカ 群れ 奥 水道 筋
     動詞5個:し損なう うろつく 組みつく 眇める 押し戻す


Ⅱ 各人が使用した 名詞と動詞の順番
 
内野里美:奥 つまびく 群れ こぼれる トレイ うろつく 金銭 擦る 人間 動かない 疑問 ずれる 川 証明 置く
大谷良太:人間 手技 慈(いつく)しむ 擦(こす)る 筋 つまびく 金銭 動かない 奥 組みつく
田中宏輔:居酒屋 奥 配置する トーチカ 群れ 坐禅 し損なう 魚 こぼれる 疑問 押し戻す 動かない 金銭 人間 考える
森 悠紀 :人間 証明 し損なう 煙草 投げる 捨てる 蜜柑 手技 筋 眇める 労働 動かない 人間 うろつく 暦 配置 押し戻す ずれる こぼれる 慈しむ 居酒屋 トレイ 置く 人間


作品



内野里美 オリジナル作品

奥から
つまびかれた群れたちがこぼれ
トレイにうろつくと
金銭を擦る人間の
ばらす当て所なさに
動かない疑問がずれて
川の証明を
置く



内野里美順 大谷良太作品

奥をつまびいて群れがこぼれ、
トレイのまわりをうろつく
金銭を擦る人間
動かないまま疑問がずれ、
川は証明を置く



内野里美順 田中宏輔作品

直線状の猿たちが脳奥でつまびかれる。
群れからこぼれ落ちた点状の猿たちをトレイに拾い集める。
うろつきまわる点状の猿たち。
金銭を擦りつづける人間の猿たち。
動きまくる円のなかで、人間は動かない半径となる。
点状の猿たちから疑問が呈される。
ずれゆく川の存在は、その証明の在り処をどこに置くのか、と。



内野里美順 森 悠紀作品

奥から
つまびかれるリュートが
人の群れの上にこぼれている
トレイを持ったままうろつき
繰り返される金銭のやり取りに
擦れた指先をした
ウェイトレスのパッセージが
夢見るように重なるのを
ざわめく人間たちの隙間にちらと見る
動かない月がある
中空に引っかかったような疑問が
ずれてゆく川の流れの
永いスパンで氷解するように
ひとしきり掻き回したグラスが
剃刀の証明として
ひとつの机の上に置かれる



大谷良太 オリジナル作品

人間の手技で
慈しみ擦る
筋をつまびく…
金銭で動かないなら
奥に組みつく



大谷良太順 内野里美作品

人間の手を抜いた手技を慈しむべく
擦る鉄筋コンクリートにつまびかれる金銭の倍音に
奉る絵馬から落ちた子どもの
喉奥に組みつく



大谷良太順 田中宏輔作品

人間は手技を慈しむ。
刻む、彫る、擦る、組む。
筋彫りの刺青。
中国人青年の腰を抱く。
ラブホでつまびかれるBGMの琴の音。
正月だ。
金銭のことはどうでもよい。
背中から抱きしめたまま動かない。
奥にあたる。
組みついた二つの背中。
人間は手技を慈しむ。



大谷良太順 森 悠紀作品


よく人間の手技を慈しむ
ラクダは今宵一本のマッチを擦り
しみじみと月を見ている
ふむ、と読み筋に目を凝らし
たわむれにつまびく口琴は
金銭の埒外にあり
静けさそのものの如くラクダは動かない
やおら冷蔵庫を開け
煙と共にしゃがみ込み
それから急に思いついたように
奥の仕事に向かうため ありものの
食材に果敢に組みつくのである



田中宏輔 オリジナル作品

居酒屋の奥に配置されたトーチカの群れ。
坐禅をし損なった魚たちがこぼれる疑問を押し戻す。
動かない金銭は人間を考える。



田中宏輔順 内野里美作品

立ち寄った居酒屋の奥に配置する小粒の
トーチカの群れなす坐禅にし損ないの魚たちの
こぼれる鱗が肴
疑問がたまらず押し戻す動かなかった金銭に
人間から離れて考えるのは



田中宏輔順 大谷良太作品

居酒屋は奥に配置したトーチカ
群れて坐禅し損なう、魚はこぼれた
疑問を押し戻し、動かない金銭、
人間は考える



田中宏輔順 森 悠紀作品

居酒屋の奥で
つらいぬいぐるみのようになったぼくが
いつの間にか配置されたトーチカの群れから
降り注ぐ鉛弾に撃たれている
それで坐禅をし損ねるぼくの
魂はしかしすでに身体を離れているようで
ぬいぐるみのように丸まるぼくも見えるし
厨房で俎上の魚から笑みがこぼれるのも見える
ここでぼくとは誰か
という疑問がぼくを身体に押し戻す
トレイの上でいつまでも動かない金銭のように横たわる
つらいぬいぐるみのようになったぼくが
人間の笑み方について考えている
丸まってゆきながら考えている



森 悠紀 オリジナル作品

毎日、コンビニの棚を見つめて
人間を証明し損なう
君は煙草を投げ捨て
ふたたび蜜柑のつぶつぶのような
日々の長さをしがんでいる
鶏を捌く手技は
しぼられた首筋を
ひとつひとつ見眇めてゆく労働で
前線に沈む
地図のように動かない人間と
うろつく暦の配置を
押し戻すように測定する
どこかで視線がずれて
手袋からあぶくがこぼれている
それを慈しむように
居酒屋のトレイに置いて
人間は
雨の外に出て行く



森 悠紀順 内野里美作品

こわい人間の証明をし損なう時
煙草の煙と投げ捨てる蜜柑の
その手技から筋トレまで
目を眇めた労働者の手の内で動かない

こわい人間のうろつく辺りで
暦売りが配置されては押し戻されて
旧暦がずれていく
わずかにこぼれた慈しみに
居酒屋の主人はトレイに置いた
  縮んだこわい人間を



森 悠紀順 大谷良太作品

人間は証明し損ない、
煙草を投げ捨てるしかない。
蜜柑と手技、筋を眇め
労働は動かないで
人間をうろつく。暦を配置し、
押し戻し、ずれる。
こぼれ慈しみ、居酒屋にて
やはりトレイを置くは人間…



森 悠紀順 田中宏輔作品

人間だけが証明し損なうことができる。
外で男が煙草を投げ捨てた風景に遭遇する。
目の前で恋人が蜜柑を上手く剝く手技を披露する。
蜜柑の筋までもがきれいに剥がされていく。
画面では目を眇めた労働者たちが建物に立てこもって動かない。
これもまた人間の風景だ。
うろつきまわる暦の上で、日付は配置された場所を押し戻そうとする。
どこにか。
わからない。
しかし、そうして、どうにかずれようとする。
思わずこぼれた日付を慈しむ。
ふと思い出された
居酒屋のトレイに置かれた人間たちの風景。




作品制作後のディスカッション

「川+証明+置く」、「金銭+擦る」、「居酒屋+配置する+トーチカ」、「坐禅+し損なう+魚」、「うろつく+暦」などの言葉の組合せが重なった。いわゆる、類想、よくある言葉の組合せである。(発言:田中宏輔)

特定の単語が近くに並べられてあるとそうなるものと考えられる。(発言:森 悠紀)

ほかから持ち込まれた言葉がモチーフの中心になると、さいしょに提供された言葉が生き生きとし、詩自体が生き生きとしたものになるように感じられた。(発言:田中宏輔)

生き生きとしたイメージ、発想の斬新さが、人を感動させる。(ことが多い。)イメージ、発想の異質なものは、他から持ち込まれる言葉によって齎(もたら)される。(と言うより、「他から持ち込まれる」=「異質」。)(発言:大谷良太)





ワークショップ後に作品制作という立場で参加くださった北畠彩子さんの作品です。


北畠彩子 オリジナル作品

ずれた手技のし損ないに
首筋の奥のトーチカから
腐った人間の汁と
古代魚の群れがいっせいに
こぼれ落ちた

煙草を買いに来たコンビニで
金銭に身分証明を求められ
労働者は目を眇めた
動かない前脚に
ポーションがコーヒーを淹れてくれる

節気のない暦
川の畔に捨て置かれた
疑問を忘れた天使を
慈しむように静かに
目をつむる


内野里美順 北畠彩子作品

奥様はつまびかれる音の群れに襲われ
こぼれた紅茶をあわてて拭いた。
目の前の金縁トレイに視線をうろつかせる。
金銭のことなど考えたくない。
無意識に膝を擦る。

人間の動かないやさしさのせいで
疑問がずれていく。

川底の小石は証明など求めないのよ、
解はいつもすでに置かれているのだもの。


大谷良太順 北畠彩子作品

人間が手技を慈しむことを忘れ、
当て擦りに筋肉をつまびく。
金銭は動かないどころではない。
奥行きのない社会に組つくのは
もうやめた。


田中宏輔順 北畠彩子作品 

居酒屋の奥に配置されたトーチカに
ダンゴムシの群れが座禅している。

食い損なった魚から煮汁がこぼれる。
酔いは疑問を押し戻してくれない。

動かない脳ミソが金銭と人間を考えても
酒はまずくなるばかり。


森 悠紀順 北畠彩子作品 

悪い人間なんていないと証明し損なうことになった。

煙草のけむり
投げやりな捨て台詞
蜜柑の皮を羽の形に剥く手技
青筋が立ち

眇めた眼で労働を眺め
動かないことのできる未来の人間が
何気なく畳の上をうろついて

月の満ち欠けは暦に配置されなくなって
押し戻すことできない
うすみずいろのユートピアから
調子のずれるメロディーがごぼれて

慈しむ心を思い出せない
居酒屋に身を沈め
トレイに置かれた空いた皿に
まだ少し人間を残しているような
気がした




ワークショップ後に作品制作という立場で参加くださった上野誠二さんの作品です。


使用した言葉と順序:煙草 置く 証明 筋 ずれる ずれる 魚 こぼれる 坐禅 人間 捨てる 動かない


上野誠二 オリジナル作品

火がついたままの煙草を置いて
証明の筋がずれるのをずれたままに追いかける
魚が跳ねる、もしくはこぼれる
それがもし坐禅を組んだ人間だったら
聖とも愚か者とも見えるのだろうか
捨てたものが何度でも帰ってくるので
もう動かないことにした


内野里美順 上野誠二作品

騒々しいだけで奥行きのない
平板な空間に向けて
口琴をつまびく
誰も聴いちゃいない
群れからこぼれたのはいつのことだったか
トレイを持ったまま食べたいものが
一つもなくていつまでもうろついたあの時か
金銭を当て擦る台詞を吐いたあの時か
もう 人間には飽きた
と引きこもった部屋が
動かないものかどうかは疑問だし
骨のつながりもずれてゆくから
川音を聴きに行く
血の流れが共鳴して
何かの証明になりそうだが
今しなければいけないのは
自分の頭を真っ直ぐに置くことだ


大谷良太順 上野誠二作品

人間は手技と共に始まったのかもしれない
手は実に様々なものを慈しんだ
撫でる・拭う・擦る・磨くなどの言葉より
はるかに多くの使い分けを手は心得ていた
技は無数の筋に洗練され
時に深遠にある琴線をつまびいた
今の金銭(の情報)ばかり飛び回る世では
指はキーボードかタッチパネルの上でしか
動かない
人人は自分の内奥に何があるか知らず
組つく相手もなく
人を殺すかもしれないボタンを
なんとなく押していたりする


田中宏輔順 上野誠二作品

居酒屋は奥に配置して
トーチカを前列に並べる
酔いどれの群れの間で
坐禅し損なうのは当然だし
魚はこぼれていて
もはや何と戦っているのかさえも疑問だ
押し戻そうとしても動かない
誰のものだかわからない金銭
人間は意味のないことも考える


森 悠紀順  上野誠二作品

人間をやめるための証明
し損なったことを書き連ねた財産目録
染み付いた煙草の匂い
投げ捨てた蜜柑の皮は不吉な形をしていた
未熟な手技がつけた一筋の傷跡
眇めた目に映る労働は無数の仮定の上にあり
動かないでいると人間の概念がうろついてくる
暦に配置された記号が読み解けない
押し戻すことができないならずれればいい
刃のこぼれた包丁を慈しむような居酒屋で
差し出されたトレイの上に置いてあるのは
人間の概念






第1回 京都詩人会・会合

2015-01-19 21:57:41 | 京都詩人会・会合・ワークショップ

時間:2014年12月14日(日曜日) 14時~18時

場所:四条烏丸東側上がるにある喫茶『ベローチェ』2階 

メンバー:大谷良太、田中宏輔

内容:お互いの近況報告と、お互いの詩についてのおしゃべり。

   会合のあと、日知庵に飲みに行った。