山根敦・死の真実を求めて。

敦は1996/2中旬、人の命を軽んじてきたパロマと産業寄りの行政と、無知な修理工によってCO中毒になり殺されました。

2006年4月10日、このブログをはじめた時のトップの記事です

2017-04-19 09:28:00 | 
1974年4月19日9:28、山口県宇部市の大学病院で生まれました。
体重3590グラム身長55センチ。
妊娠五ヶ月の時に切迫流産になりましたが、無事に生まれてくれました。
私の実家で里帰り出産しました。
実家は四人姉妹でしたので、私の父の喜び方は尋常ではありませんでした。

生後三ヶ月まで実家に居て、丁度夏休みと重なり、当時高校生と小学生の妹を連れて千葉の船橋に戻りました。
当時夫は、仕事に忙殺されるような毎日を送っていました。
夫25歳、私21歳の時でした。
それでも夫は家に仕事を持ち帰り、初めての育児に疲れている私に代わって、敦を背負って仕事をしてくれたりしていました。

そんな中益々仕事が忙しくなり、私と敦は暫く実家に帰ることにしました。
敦が七ヶ月の頃です。

その間夫は、夫の故郷の島根県職員の上級職を目指して勉強していたらしいです。
翌年夫は無事に合格し、初勤務先の島根県の浜田に赴任して親子三人の生活が始まりました。
浜田には三年間居ました。敦は4歳になっていました。
それから松江の本庁勤務となり、家族も4人になりました。








***

この日は奇しくも、敦が大好きな宇部のおばあちゃん(私の母)の誕生日だったんですね。
今気づきました。

そして、敦の誕生月でもあったんですね。

敦の強い遺志を感じます。

本日敦は43歳になりました。

四十三迎えし吾子は 空高く 「年取ったね」とお返しさせてよ


1974年2月19日、義兄の結婚式から帰る汽車の中。
父と私とお腹の中の敦。

大事に と 身重気遣う温かさ 父と眺むる車窓の夕陽

その光景がありありと甦りました。
私の親友桃さんからいただきました。

桃さん、ありがとう!
    
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