☆ 今回は食い物そのものでなく、稀に見る中華屋の話 ―世界中いろんな食い物屋を見てきたが、あの店は忘れろといわれても忘れられない
今はもうないだろが、(あるとして、もし昔と同じ経営方針で経営されているとしたら驚愕以外の何ものでもない、シーラカンス以上の存在価値がある)ロンドン中華街に 『麺』と一字の看板が掛かった中華料理屋があった。ロンドンの中華街では平均的な大きさの店で、地下、1階、2階の構成で小さな店ではなかった。結局最期まで、本当の名前は分からなかったし、分かろうともしなかった。あの店と言うと知ってる人はみな知っていた。(当たり前か、ははは)店の名などは問題にならないほど、話題に事欠かない店だった。本当に信じられないような、戦慄の中華料理屋だった。あんなのは世界中探してもないだろう。 めずらしく前置きが長くなった、これもあの中華料理屋の存在感のなせる業だ。毎日、客が中国人の若い店員に怒鳴り散らされていた。みんな小さくなって、言われた席に座り、箸の上げ下げまで何かいわれはしないかと案じながら、神妙に食べていた。
そんな店が、長続きするわけがないだろうって、ところが、昼時は超満員。トラファルガー近くの私のオフィスから飛び出すのが5分遅れると、もう席につけないといった具合だった。ロンドナーは皆、怒鳴られたり、なじられたりするのが好きで、マゾなのかと言うとそれも当たっていない。大繁盛の理由は、美味しい上に、値段が他の店の半分から、高くても6から7掛けだった。だからこそ、『嫌なら来るな』方式の経営が成り立っていた。それだけではない、一人に一個、飲みきれないくらいの、高級茶のポットと湯飲みがついてくる。同じものがおいしい上に、値段が半分だったら、多少店員の態度が悪くても我慢してし食べようという人が居ても不思議ではない。そういう人が大勢いたわけだ。店員はみな若い男で、仲間内では広東語で話していた。--- 大きなJohn Bullが、小さくなって神妙に食べていた、世界中に一つしかない店だった。思い出しただけで、可笑しさがこみ上げてくる。
エピソードをいくつか書いてみよう
ある時、私の席の近くの客の『あんかけご飯』のような料理に、何か入っていたらしく、その客が店員を呼んで抗議した。店員は抗議に答えて『なんだ、そんなもん、ちょっだけじゃないか、そこだけよけて食え!』そういわれた客は、言われたとおりに、そこだけ避けて食べていた。皆さんはこの店員の対応をどう思うだろうか? 常連客は、多分あなたの考えとはだいぶ違う。常連客はみなこう思っていたはずだ。『何だ、新入りだな、店員に言われて避けて食べるぐらいなら、最初から黙って、避けて食えばいいのに、。。。。』そう思っていても、常連客は、表情を変えずに、ただ黙々と食べ続ける。ニヤニヤしたりして、『おい、なににゃにゃしてる?!』などと店員と悶着を起こすのがいやだからだ。
ある時、マレーシヤの紳士が2,3人で入ってきた。私にはマレーシア人であることがすぐに分かった。店員はいつもの調子で、客が入ってくるなり、『そこのお前ら、そっちに行くな、こっちのここに座れ!』とたたみ掛けた。彼らは事情を知らずに普通の大衆中華料理屋と思って入ってきたのだろう。まあ、事情を知らなければ、客に対して、何たる言い草!と怒って当然。客は、『なんと言う店だ!礼儀も何もないのか?!』と起こって帰っていった。店員は仲間と広東語で、何かわめいていた。一見の客とのこの種なトラブルは、日常茶飯事、結構あった。常連客は、またかと思っても、平静をよそっていた。
客が立て込み、忙しくなると、店員が『シェャーティ!シェャーティ!』と怒鳴り始める。新参者だった頃の私は、これが分からなかった。解説すると、忙しくなると、さすがにお茶のサービスまで手が回らなくなる。原則、一人に一個のポットが来るのだが、『忙しくて、お茶のポットを客全員に配る余裕がないので、隣の客とお茶のポットを共用して飲んでください!』という意味なのである。常連客はなれているので、隣の客が知らない人でも、言葉も交わさず、黙って、ポットを共用して、お茶を飲んでいた。感心したのは、中国流にポットが空になった、の合図に蓋をずらして、テーブルの端に置いておくと、大きなやかんでお湯を補給して廻っていた。これは、混んでいても、律儀に行われていた。
あそこで一人前の顔をして、対等に、店員の、つっけんどんな注文伺いに、過不足なく対応できるようになるには、それ相当な時間が要ったように思う。注文伺いに即答できないと、何も言わずに去ってしまう、後は5分くらい待たないと戻ってこない、とにかく忙しい、『おい、何に食うか決めたか?!』と言われているうちは、相撲で言えばまだ序の口で、なれない頃は、一発勝負の注文伺に、ある種の緊張感があった。この辺の呼吸が飲み込め、回数を重ね、常連になると、なんとなく店員の態度が和らぐ、それどころか、焼き豚が一切れ多くなったり、少々盛が大きくなったような気がした。ははは。隣の家の、良く吼える犬に、長期間悩まされた後に、いろいろ試みた末に、苦労のかいあって、一目置かれ、尻尾まで振られるようになったというような、妙な居心地が成立する。その境地になって、周りを見渡すと、そこには、同じような、耐え難い、険しい道のりと困難耐に絶え、ある種の境地に達した常連客の、人生の達人の、顔があった。ははは。
新宿の思いで横丁の、焼き鳥屋の話を思い出す。15人も肩を寄せ合って座ればいっぱいになってしまうカウンターだけの店。出入りの際は、隣の客、先客に挨拶して、後ろを体を小さくして通してもらう。営業中はいわゆる、オープンエアーなので、冬など、着膨れしていると至難の業だろう。酒飲みは、その店で飲むことに決めると、やはり常連になり、マスターというか、店のご主人の顔見知りにならないと、おいしく、お酒は飲めないらしい。10年来の常連客がいかにして、マスターに認められ、声をかけてもらえるようになったかという涙抜きでは語れない、涙なくして聞けない話を、冗談交じりで話していた。ははは。マスターの知らん顔に6ヶ月くらい耐え、それでも通い続けないと、声をかけてもらえないのだといっていた。最初に『いつものやつね?』と一言、言われたときの感激を鮮明に覚えているそうだ。その試練に耐えてこそ、常連客として認められたという自負と自分の居場所を確保した感慨にふけることができるのだろう。私は酒を嗜まないので、なるほど、酒飲みにはそういう苦労というか、喜びもあるのかと感心した。
思いで横丁の焼き鳥屋さんに負けないくらい、『麺』の中華料理屋もかなり特殊で、強烈な空気が満ち溢れていた。困難の末にたどり着くある心境、その心境になってはじめて分かる常連客という同志の存在。英国風に言うと、その心境になって、初めて『クラブの一員』という自負が生まれたように思う。名前も知らない隣客と、『シェャーティ!シェャーティ!』と怒鳴られて、お茶を一つのポットから飲み合った同士と、まったく別な、思わぬ場所で会ったりすると、黙って会釈しあったものだ。互いに、奥さんにあれは誰だ?どういう知り合いだ?などと聞かれると、説明が長く、難しくなるだろう。--- 『秘せれば花』である。ふふふ。
今はもうないだろが、(あるとして、もし昔と同じ経営方針で経営されているとしたら驚愕以外の何ものでもない、シーラカンス以上の存在価値がある)ロンドン中華街に 『麺』と一字の看板が掛かった中華料理屋があった。ロンドンの中華街では平均的な大きさの店で、地下、1階、2階の構成で小さな店ではなかった。結局最期まで、本当の名前は分からなかったし、分かろうともしなかった。あの店と言うと知ってる人はみな知っていた。(当たり前か、ははは)店の名などは問題にならないほど、話題に事欠かない店だった。本当に信じられないような、戦慄の中華料理屋だった。あんなのは世界中探してもないだろう。 めずらしく前置きが長くなった、これもあの中華料理屋の存在感のなせる業だ。毎日、客が中国人の若い店員に怒鳴り散らされていた。みんな小さくなって、言われた席に座り、箸の上げ下げまで何かいわれはしないかと案じながら、神妙に食べていた。
そんな店が、長続きするわけがないだろうって、ところが、昼時は超満員。トラファルガー近くの私のオフィスから飛び出すのが5分遅れると、もう席につけないといった具合だった。ロンドナーは皆、怒鳴られたり、なじられたりするのが好きで、マゾなのかと言うとそれも当たっていない。大繁盛の理由は、美味しい上に、値段が他の店の半分から、高くても6から7掛けだった。だからこそ、『嫌なら来るな』方式の経営が成り立っていた。それだけではない、一人に一個、飲みきれないくらいの、高級茶のポットと湯飲みがついてくる。同じものがおいしい上に、値段が半分だったら、多少店員の態度が悪くても我慢してし食べようという人が居ても不思議ではない。そういう人が大勢いたわけだ。店員はみな若い男で、仲間内では広東語で話していた。--- 大きなJohn Bullが、小さくなって神妙に食べていた、世界中に一つしかない店だった。思い出しただけで、可笑しさがこみ上げてくる。
エピソードをいくつか書いてみよう
ある時、私の席の近くの客の『あんかけご飯』のような料理に、何か入っていたらしく、その客が店員を呼んで抗議した。店員は抗議に答えて『なんだ、そんなもん、ちょっだけじゃないか、そこだけよけて食え!』そういわれた客は、言われたとおりに、そこだけ避けて食べていた。皆さんはこの店員の対応をどう思うだろうか? 常連客は、多分あなたの考えとはだいぶ違う。常連客はみなこう思っていたはずだ。『何だ、新入りだな、店員に言われて避けて食べるぐらいなら、最初から黙って、避けて食えばいいのに、。。。。』そう思っていても、常連客は、表情を変えずに、ただ黙々と食べ続ける。ニヤニヤしたりして、『おい、なににゃにゃしてる?!』などと店員と悶着を起こすのがいやだからだ。
ある時、マレーシヤの紳士が2,3人で入ってきた。私にはマレーシア人であることがすぐに分かった。店員はいつもの調子で、客が入ってくるなり、『そこのお前ら、そっちに行くな、こっちのここに座れ!』とたたみ掛けた。彼らは事情を知らずに普通の大衆中華料理屋と思って入ってきたのだろう。まあ、事情を知らなければ、客に対して、何たる言い草!と怒って当然。客は、『なんと言う店だ!礼儀も何もないのか?!』と起こって帰っていった。店員は仲間と広東語で、何かわめいていた。一見の客とのこの種なトラブルは、日常茶飯事、結構あった。常連客は、またかと思っても、平静をよそっていた。
客が立て込み、忙しくなると、店員が『シェャーティ!シェャーティ!』と怒鳴り始める。新参者だった頃の私は、これが分からなかった。解説すると、忙しくなると、さすがにお茶のサービスまで手が回らなくなる。原則、一人に一個のポットが来るのだが、『忙しくて、お茶のポットを客全員に配る余裕がないので、隣の客とお茶のポットを共用して飲んでください!』という意味なのである。常連客はなれているので、隣の客が知らない人でも、言葉も交わさず、黙って、ポットを共用して、お茶を飲んでいた。感心したのは、中国流にポットが空になった、の合図に蓋をずらして、テーブルの端に置いておくと、大きなやかんでお湯を補給して廻っていた。これは、混んでいても、律儀に行われていた。
あそこで一人前の顔をして、対等に、店員の、つっけんどんな注文伺いに、過不足なく対応できるようになるには、それ相当な時間が要ったように思う。注文伺いに即答できないと、何も言わずに去ってしまう、後は5分くらい待たないと戻ってこない、とにかく忙しい、『おい、何に食うか決めたか?!』と言われているうちは、相撲で言えばまだ序の口で、なれない頃は、一発勝負の注文伺に、ある種の緊張感があった。この辺の呼吸が飲み込め、回数を重ね、常連になると、なんとなく店員の態度が和らぐ、それどころか、焼き豚が一切れ多くなったり、少々盛が大きくなったような気がした。ははは。隣の家の、良く吼える犬に、長期間悩まされた後に、いろいろ試みた末に、苦労のかいあって、一目置かれ、尻尾まで振られるようになったというような、妙な居心地が成立する。その境地になって、周りを見渡すと、そこには、同じような、耐え難い、険しい道のりと困難耐に絶え、ある種の境地に達した常連客の、人生の達人の、顔があった。ははは。
新宿の思いで横丁の、焼き鳥屋の話を思い出す。15人も肩を寄せ合って座ればいっぱいになってしまうカウンターだけの店。出入りの際は、隣の客、先客に挨拶して、後ろを体を小さくして通してもらう。営業中はいわゆる、オープンエアーなので、冬など、着膨れしていると至難の業だろう。酒飲みは、その店で飲むことに決めると、やはり常連になり、マスターというか、店のご主人の顔見知りにならないと、おいしく、お酒は飲めないらしい。10年来の常連客がいかにして、マスターに認められ、声をかけてもらえるようになったかという涙抜きでは語れない、涙なくして聞けない話を、冗談交じりで話していた。ははは。マスターの知らん顔に6ヶ月くらい耐え、それでも通い続けないと、声をかけてもらえないのだといっていた。最初に『いつものやつね?』と一言、言われたときの感激を鮮明に覚えているそうだ。その試練に耐えてこそ、常連客として認められたという自負と自分の居場所を確保した感慨にふけることができるのだろう。私は酒を嗜まないので、なるほど、酒飲みにはそういう苦労というか、喜びもあるのかと感心した。
思いで横丁の焼き鳥屋さんに負けないくらい、『麺』の中華料理屋もかなり特殊で、強烈な空気が満ち溢れていた。困難の末にたどり着くある心境、その心境になってはじめて分かる常連客という同志の存在。英国風に言うと、その心境になって、初めて『クラブの一員』という自負が生まれたように思う。名前も知らない隣客と、『シェャーティ!シェャーティ!』と怒鳴られて、お茶を一つのポットから飲み合った同士と、まったく別な、思わぬ場所で会ったりすると、黙って会釈しあったものだ。互いに、奥さんにあれは誰だ?どういう知り合いだ?などと聞かれると、説明が長く、難しくなるだろう。--- 『秘せれば花』である。ふふふ。









