アトリエ 籠れ美

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平成27(2015)年5月4日より

「時 静物画」 長谷川潔

2017-04-12 05:41:11 | 画材、技法、芸術論
 いつもは私が一目惚れしてしまった作品を紹介しているんですが、またそうした作品のみを取り上げるカテゴリーなんですが、今回は例外をひとつ。

 私は銅版画を制作しているわけではないので、最初見たときはこの作品の凄味はわかりませんでした。またぴんときたわけではないので、さほど気に入ったわけでもありませんでした。ところが、この作品を見てしまってから、私はたまたまこの「時 静物画」が初めて見る長谷川潔の作品だったのですが、他の長谷川潔の銅版画を見ると、全て質が落ちるというか、がっかりするというか、とにかく物足りない。

 一言で言ってしまえば、この「時 静物画」が長谷川潔の最高傑作ということになるんですが、それにしても異様に突出して出来がいいということになる。普通はこんなことにはならない。どの巨匠も最高傑作と言われる作品がありますが、他と比べて圧倒的にいい、なんてことはそうはないものですが、いったい長谷川潔に何が起きたのかと考えざるを得ない。

 極めた、という意味では、速水御舟の「墨牡丹」に近いのかもしれませんが、では速水御舟の最高傑作が「墨牡丹」かと言えば、それはちょっと違うと思うし、何とも不思議な作品だ、この「時 静物画」は。

 そんなことを考えながら、この作品をじっと見ていると、画面中央やや左にいる小鳥の目が不気味に見えてきてならない。小鳥は長谷川潔の自画像だというのだが、こっちを見ているようで見ていないというか、見ていないようでこちらを見ているというか、何だかこちらを見透かしているような、全てはお見通しというか、全部見られているような気さえしてくる。

 もちろん黒の諧調が特に美しいのがこの「時 静物画」という作品なのだが、そしてそれがこの作品を特別なものにしているのだが、果たして本当にそれだけなのか、そういった技術的なことで片づけてしまっていいのか、他に何か秘密があるのではないのか、と考え込まされてしまう。

 そういうわけで、私にとってこの作品は、何やらただ事でない雰囲気を醸し出している、異様な問題作なのです。