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室生犀星-その「星の時間」 その4

2013年05月25日 | 室生犀星

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 さて、室生犀星の「生母の問題」は、生母が居れば真の父も存在するわけですが、順を追って書き進めましょう。
 まず、先に述べた森鷗外の場合と犀星の場合を、比較したり重ね合わせたりして、この文章の動輪を進めます。
 まず、この両方とも、「当事者は、その本人である」ことです。本人は、すべて分かっています。しかし他者には話したくないし、話せません。
 鷗外も犀星も、著名な文学者として日本文学史に特筆される存在です。そして、この、それぞれの当事者をめぐって血縁者、一族の人々、そして「遺族」が存在します。
 鷗外の「エリーゼ問題」の真相は、全く思いがけない六草いちかさん(女性)の出現で、日本本国ではなく、アウェイのドイツ・ベルリンにおいて生誕「百五十年」という記念の、その節目に解明されました。
 そこで、室生犀星の、いわゆる「見失われた母」に移りますと、これは犀星が、都合悪くて、一切書かずに終えて世を去った多くのことでも、その一つに、再晩年に複数の女性と交際、いや関係を持ちながらも、同じ屋根の下に住んでいる実の娘朝子にも全く覚らせなかった「完全犯罪としての女性問題」(朝子及び犀星担当の編集者たちの言)を仕遂げたことがあります。
 しかし、この犀星の「完全犯罪者」の生涯の営為は、その一つ、ワン・ノブ・ゼンだけを見ていては分かりません。私は、既に、動物にたとえればセンザンコウのウロコの一枚一枚が集まり、連なって一頭になっていること。あるいはジグソー・パズルのピースの一つ一つは、集まって全体像を成す、見えてくる、といった譬えで、犀星の人と作品は、「単品」を吟味しているだけでは不足で、「犀星という全体像」をよくよく見極めた上でなければ「十全な評価」は出来ない(注6)と書きました。もっとも、犀星の作品すべてを読むことは、信じられぬほどの量の作品の数々を遺した犀星のことですから(たとえば「うじちょう」とは、名山案内人の一人の固有名です。犀星の「冠松次郎」という実在の登山者を描いた作品に登場するのですが、私は、それを「不明」として書いてしまったことがあり、後で研究家の一人からたしなめられたことがあります。)こういう私自身、自縄自縛になることがあります。
 とはいえ、この伝で、犀星の、「隠したこと」「都合の悪くて、ついにあの世に持ち去ったこと」を追ってみるのもいいでしょう。また、そうしないとなりません。

注6:前出「長帽子 73号」で記述。


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