smickeyの徒然

徒然なるままに日暮、電子の箱に向かいて心にあるよしなしことを、打ち綴っていけば、どうかよろしくお願いします。

また行きたい(嫁様)

2012年05月27日 | 日記
先日、松屋と全日本空輸から株主優待が届いた。
もうそういう時期なのねえと思ってしまう。
松屋は24日に株主総会があったようで報告書(株主通信)が入っていた。華やかに見える銀座の一等地の有名百貨店だが売上等は厳しいようだ。だが震災後の持ち直し等もあるため松屋らしさを強調していくとのこと。頑張ってほしいものです。

さて、今日のお題。
それは松屋と来ればうちの嫁様、もう既に「また行ってみたい」と呪文のようにブツブツ唱えております。先だって行ってきたばかりなのに〜。最近の嫁様のブームは松屋。何せ銀座のほぼ1店(浅草店もあるにあるが・・・)しかないのでやはり憧れるよう。
そういえば、株主通信をくまなく見ていると「松美会」なるイベントのことがのっている。松屋の上得意様招待会のようなもので、昨年秋(9月)の「松美会」(※リンクは他の方のブログです)はIKKOさんのトークショーがあったり、また女優さんや俳優さんたちが顧客としていたりするなど時折芸能ニュースでも取り上げられる銀座の有名イベント。

そんな「松美会」、実はしがない株主でも参加できるんだそうで、株主通信によれば総務部株主担当に連絡すれば招待状を送ってくれるんだとか。へえ〜。
私は行っても仕方ないので、今年9月の「松美会」は嫁様に参加してもらおうかなと思っています。しかしなんて嬉しい株主優待なのでしょう。中々覗けない世界を垣間見れると言うのは経験としても非常に有益であると思っています。ましてや嫁様は今後育っていく我が子の女性像にもっとも影響を与える存在。そんな嫁様が光らないのでは、子供も未来をも消しかねない私はそう思っています。

非日常ではありますが、違う世界を見てまた感じていただけることがあり、生活の糧としてもらえればいいなあと感じています。お嫁様は「おしゃれしていかないと」と言っていましたがそれでいい。子供に素敵な母親と思ってもらえれば、きっと子供もそれにふさわしい人となると信じています。
それができるふさわしい人なのに力の向ける方向が違う方もおられるようですが、時間だけは経っていくのだけはお忘れになりませんように。

私も松屋に電話するの忘れないようにしようっと^^;
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タマネギスープ

2012年05月26日 | 日記
最近これにはまっている。
5/6白子町のタマネギ祭りの会場で買ったもの。大ぶりのカップ1杯に標準の4割ほどのスープの素を入れてお湯をそそぐ。そしてこれに長ネギを細かく刻んで入れれば風味良く非常においしい。最近のマイブーム。

もともとタマネギは大好き。母が倒れてから結婚するまでの約2年、父が仕事でいない時は自炊を余儀なくされていた私は作るのに困るとタマネギを取り出してはいろいろアレンジしていた。そんなことも思い出した。

スープの素は結構ある。しばらく楽しめそうだ。
ちなみにその時買った「タマネギワイン」は嫁様が料理酒みたいに隠し味に使用していましたが、私は気がつかなかった・・・。
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金環日食

2012年05月25日 | 日記
先日、主に太平洋側で金環日食が朝方見られると言うので一大ニュースとなっていた。
特に都内は太陽の進む方向の直下に位置するので、一番長く観察できるとのことでホテルなどでは鑑賞プランなども売り出しているほどだった。
結果的に天気は曇り。我が家ではまったく見られなかった><

日食や月食は短時間だが、原始的な人間社会では信仰の対象となる太陽や月が隠れてしまうと言うのは今でこそ原理も分かっているのでなんともないが、畏れの対象だった。光が失われる単純だが滅多に起きない現象に人々は神の存在を重ねた。そう、それは理由が説明できないことだったからだ。
天空の移ろいを知るものは、絶大な権力を握った。原始社会で階級社会の頂点に立つほとんどが神官だったのは正にそこだった。

今回の金環日食、かつては源平合戦で負け続きの平家が水島合戦で木曾義仲を負かしたりするなど歴史にも影響を及ぼした。その木曾義仲はこの敗北で多数の将兵を失い、その後宇治川の戦いで源義経・範頼率いる源氏軍に滅ぼされる。
武士同士を争わせることで結果として武士の台頭を抑えようとする後白河法皇の策略に、この場面では見事はまってしまった。あのまま木曾義仲が勝っていれば歴史はまた変わっていたろう。伝記で子供のころ読んだが、あのコロンブスも発見した西インド諸島で原住民を従わせるのに月食を利用した。自分が神の代理人で(原住民が)自分をないがしろにすると怒って月を隠してしまうのだと。月食の原理も何も知らなかった原住民は月食を目の前にしてひれ伏したんだそう・・・。

ただ考えてみると、まだコンピュータも何もなかった時代に、月や太陽の角度などだけで日食や月食が起こることを予測できたのだから、やはり驚異的だったことだろう。誰が計算したかは知らないけど間違いなくエリートだ。
そういう意味ではやはり天空の移ろいを知る者が権力を握ったのは当然のように気もする。しかし見てみたかったなあ・・・。次いつ起こるか知らないけど・・・。
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福岡市の禁酒令と財政再建

2012年05月23日 | 日記
福岡市役所にお勤めの方も災難だ。
酒にかかわる相次ぐ不祥事に業を煮やした福岡市は職員に向こう1か月、外部での全ての飲酒を控えるように市長名で要請を出した。憲法に触れるだとか、子供じみてるだとか、果てさて周辺経済に悪影響を及ぼすだとか、様々な問題が取りざたされているのは脇においておき、この問題の本質は何なのか?

専門家によれば、不祥事の厳罰化や職員研修の強化などで対応すべきと言われているが、それは当然の措置だが根本的な解決策ではない。職員は当然成人なのだから、研修以前に飲酒での不祥事はいけないとみんな分かってる。まして公務員なんだから、でも分かってても起きてしまう。つまり職員研修なんかは単なる啓発に過ぎない。それこそ子供じみてる。厳罰化にしても起きてしまった後の措置だ。ある程度抑止力にはなるのだが。

そうなると、究極は「酒を飲ませないこと」に尽きる。
酒を飲まなきゃ飲酒にまつわる不祥事は起こりようもない。結局そこに行きついたのだと思う。逆に事態を打開するにはその位やるしか方法がなかったという福岡市の苦悩を現わしている。極端という指摘は仕方ないと思っている。これ以上の方法を持ち合わせている人がいるなら聞いてみたい。
ここで福岡市が禁酒令を恒久化して、その分(飲酒にかかる経費分)の給料削減まで踏み込めば新たな取り組みとして良かったと思うのだが、そこまではやり過ぎだとは思う。だが財政再建という課題も踏まえると絵空事とは言えない。

国会で消費税増税や社会保障制度改革の関連法案の審議が始まっている。
特に消費税増税には様々な意見がある。だが今の日本の財政再建を行うには究極のところ2手しかない。それは「支出を減らす」「収入を増やす」ということだ。「収入を増やす」のは消費税増税や関連の税制改革が担う。ここで問題なのは「支出を減らす」ことだ。いろいろ削減する部分はあろうが、社会保障費をそんなに減らせないのであれば、最後は人件費しかない。人件費を減らすには給料レベルを一斉に下げるか、人自体を減らすしかない。だが福岡の飲酒禁止令で飲食業界がお客が減ると困っていたように公務員、ある意味日本最大の職業集団の人件費削減は与える影響はでかい。

だが、そういうことを言っていられない位事態は悪化している。
日本の財政が破たんしたら影響は今のギリシャなど南欧諸国の比ではない。ギリシャは止むなく超緊縮に走っている。だがその緊縮も国家の疲弊を更に悪化させるのは現状でも明らかだ。しかも解決策にはなっていない。だから日本もそうなる前に手を打つ必要がある。影響がでかくても一気に踏み込むしかないのではと思う。政権与党が公務員の人件費2割削減を唱えていたが明日からでも本来はやるべきだ。同時に社会保障費の削減にも取り組むしかない。

実はこういうものを放置しておくと最後はポピュリズムが跋扈する。
社会が行き詰まった時、停滞する社会を打開する強大なエネルギーを民衆は求める。だがその強大なエネルギーは当然跳ね返りも強い。第1次大戦に敗北したドイツやパーレビ革命のイランがそうだった。昭和の大恐慌後に軍部が台頭したわが国もそうだった。その後どういう道を辿ったかは歴史を振り返れば自明だろう。そういう反省に立ち民主主義が培われてきた。今こそその原点に戻るべきだ。
福岡の禁酒令はやむを得ないこととしても現代社会にとってはいい傾向ではない。そうなる前にみんなの叡智を結集しないと取り返しがつかなくなってしまう。何かの歌であったが「この道はいつか来たみ〜ち♪」では人間も学習できていない。
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「ほめる」について

2012年05月20日 | 日記
実は私はあまり人はほめない。職場では尚更だ。
さるお方に以前そこを突っ込まれたことがあるが、今でもあんまり変わらない。

実はほめることがいいことというのは教育学「も」学んだ私は充分知っている。心理学的に良い影響を与えるオペラント条件付けの分化強化だ、つまりそれが継続して行われること(継時的接近)により動機付けになるのはその方に指摘されるまでもなく重々承知している。
だがほめるということは、その動機付けになるが故に危ういこともある。特に子供なんかではそうだ。動機付けということは、それを「またしたい」と思わせることだ。
究極のところほめられることは、当事者つまりされた方は「快感」だ。その「快感」やそれに伴う「達成感」を得るためにまた頑張るのだ。

例えば勉強や運動なんかで、いい方向に導くために結果を出した場合は「ほめる」ことも必要だろう。ところがその「ほめる」対象が少し違った方向に導くために行われたとしたらどうなるだろうか?
その一例が某アジアの独裁国家。指導者やいいことをしたいわゆる「英雄」に大衆が大げさともとれる拍手を送るシーン。ああなるのだ。たぶんあの場にいる人々、拍手を受けた方は「自分はすごいんだ」とか感激に浸るだろう。だがそれが本当に世や人にとって正しいかは検証されないままだ。「ほめる」ということは相手をその価値観に埋没させる効果もある。「ほめ殺し」という言葉もあるが言い得て妙だ。

だから私は、ほめなくても当事者の「やる気」を折らない方法を模索している。
それは見守ると言うこと、常に相手から陰に陽に少し距離を離しておいて、ねぎらう時は気持ちを込めて、そして相手が困ったら即座に救援。相手を良く見ていなければいけないので万事うまくいく訳ではないがそう心がけている。
我が子に対しても同じだ。常に親が見守っていると言うメッセージを行動で送り続けてきた。そのせいか今は全く人見知りもせず、ものおじもしない。ある意味少し怖い部分もあるが、我が子が親が必ず自分を見てくれているんだという安心感を持っているからと思いたい。

教育学で子供の成長に最も大事なのは、親に受容されていることと習う。その受容を示す一つの手段として称賛、つまり「ほめる」があるのだと考える。三つ子の魂100までと言われるが、今が一番の正念場だと考えている。またこれは恐らく職場などでも同じことだろう。
子供にしろ職場の部下にしろ可能性を伸ばすのが親や上に立つ者の役目なのだと思う。
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