ずいぶんとご無沙汰していましたが、やはり百までは選びたい・・・。
このところ、歌を忘れたカナリアになっていますが(綺麗に言えば)
元来、歌は、詠むことよりも、読んで鑑賞文を書く、ほうが好みにあっているように思います。
同年配の歌友に、自分の怠慢は棚に上げて、歌え歌え、とせっつくのも、その性分がなせるわざ。
思いもかけない言葉と感性の新鮮さに出会う瞬間は、読む側の醍醐味です。
といいつつ、その『読む』ことにすらも遠ざかっているので、最近ではどんな新しい歌人が活躍しているかも、知らない蚊帳の外。
以下の一首も、三年も前の題詠マラソンで出会ったものです。けれど、忘れがたく、そのまま、転記しました。
生前に母はノートに記したり「香典返しは敷布にすること」 梅田啓子
歌のテクではなく、内容に、感情がじーんとやられることがあります。(それを端的に他に伝えうるのは、やはり歌作りの才能なのだとは思いますが)
「敷布」というのは、なんと懐かしい言葉。
この一語に、年老いた母、その生きた年代、生涯までも彷彿とします。
そして・・・病床にありながら、自分の死後のことにまで、家計簿でもつけるようにノートにメモをとる律儀で気丈な母。
お葬式も終え、哀しみをもようやく鎮め初めたころ、娘はノートを見つけます。
「敷布」・・・香典返しに、あれこれと品物を考えても、病床にいる自分の目に入って来るものといえば・・・、それしか思いつかないし、
「敷布はいくらあっても無駄にならないものね・・・」などと。お母さんはひとりごちたかもしれない。
病に伏している人の発想と思えば、胸を打ちます。
自分の死を日常的冷静さで眺めて逝った母の遺志を受け継ぐかのように、このお歌も、感情語を一句もはさまず、飾りない冷静さで終始させているところに、静かな感動を受けました。
ただ・・・そのようなお歌は、かえって、読者に、想像の広がりと作者さんの心への浸透を深めるものです。
はたしてきちんと整理して書かれた日記のなかの一行だったろうか。
几帳面な文字だったろうか。。
もしかしたら、筆圧薄い、走り書きのような一行のみで、薄いノートにはそれ以外何も書かれていなかったのかもしれない。
でも、手にしている娘にとってのノートの重みはどんなものでしょうか。
お母さんは、やはり怖かった、寂しかった、のではないか。
日常行為に紛らせることで、「自分の死後」を振り払いたかったのかもしれない。「快気祝いは・・」と書ければいいけど・・とひそかに願いつつメモしたのかもしれない。
今となっては、そうした母の気持ちは娘にさえももう確かめようもない・・
そんな深い゜沈黙゛のお歌です。
この鑑賞文を書いたとき、作者の方からいただいたコメントも忘じがたく、それもここに転記しておきます。
私の歌を取り上げてくださり、また深く鑑賞してくださって
ありがとうございます。
読みながら涙が止まらなくなりました。
迦里迦さんと私は、そして私の母とはもちろん、面識がないのに、
なんでこんなにわかってくださるのだろうと、胸が熱くなりました。
母は長患いのせいもあり、気丈でした。
そして迦里迦さんがお書きのように、律儀でした。
母は62歳で亡くなりましたが、その齢に私がだんだん近づくにつれ、
母の寂しさ、辛さ、怖さなどが少しずつわかるようになりました。
私は母のように気丈にはなれません。
今も涙が止まりません。
迦里迦さんのお陰で、歌の力を知りました。
短歌をやっていて本当によかったと思います。
母も喜んでいると思います。
(迦里迦はsayuraの雅号です)
結局、『読む』ことは、歌を通じて、作者さんと、心を重ね合わせることであり、
いつも人恋しい私の慰めであるのです。