非天の笑み

a suraのえみ
  

SAYURA百人一首  五十

2012年04月30日 | 百人一首


ずいぶんとご無沙汰していましたが、やはり百までは選びたい・・・。

このところ、歌を忘れたカナリアになっていますが(綺麗に言えば)
元来、歌は、詠むことよりも、読んで鑑賞文を書く、ほうが好みにあっているように思います。

同年配の歌友に、自分の怠慢は棚に上げて、歌え歌え、とせっつくのも、その性分がなせるわざ。
思いもかけない言葉と感性の新鮮さに出会う瞬間は、読む側の醍醐味です。

といいつつ、その『読む』ことにすらも遠ざかっているので、最近ではどんな新しい歌人が活躍しているかも、知らない蚊帳の外。

以下の一首も、三年も前の題詠マラソンで出会ったものです。けれど、忘れがたく、そのまま、転記しました。





生前に母はノートに記したり「香典返しは敷布にすること」    梅田啓子





                    



    


歌のテクではなく、内容に、感情がじーんとやられることがあります。(それを端的に他に伝えうるのは、やはり歌作りの才能なのだとは思いますが)



「敷布」というのは、なんと懐かしい言葉。

この一語に、年老いた母、その生きた年代、生涯までも彷彿とします。

そして・・・病床にありながら、自分の死後のことにまで、家計簿でもつけるようにノートにメモをとる律儀で気丈な母。



お葬式も終え、哀しみをもようやく鎮め初めたころ、娘はノートを見つけます。



「敷布」・・・香典返しに、あれこれと品物を考えても、病床にいる自分の目に入って来るものといえば・・・、それしか思いつかないし、
「敷布はいくらあっても無駄にならないものね・・・」などと。お母さんはひとりごちたかもしれない。

病に伏している人の発想と思えば、胸を打ちます。

自分の死を日常的冷静さで眺めて逝った母の遺志を受け継ぐかのように、このお歌も、感情語を一句もはさまず、飾りない冷静さで終始させているところに、静かな感動を受けました。

ただ・・・そのようなお歌は、かえって、読者に、想像の広がりと作者さんの心への浸透を深めるものです。


はたしてきちんと整理して書かれた日記のなかの一行だったろうか。
几帳面な文字だったろうか。。



もしかしたら、筆圧薄い、走り書きのような一行のみで、薄いノートにはそれ以外何も書かれていなかったのかもしれない。

でも、手にしている娘にとってのノートの重みはどんなものでしょうか。




お母さんは、やはり怖かった、寂しかった、のではないか。
日常行為に紛らせることで、「自分の死後」を振り払いたかったのかもしれない。「快気祝いは・・」と書ければいいけど・・とひそかに願いつつメモしたのかもしれない。

今となっては、そうした母の気持ちは娘にさえももう確かめようもない・・

そんな深い゜沈黙゛のお歌です。











この鑑賞文を書いたとき、作者の方からいただいたコメントも忘じがたく、それもここに転記しておきます。


私の歌を取り上げてくださり、また深く鑑賞してくださって
ありがとうございます。
読みながら涙が止まらなくなりました。

迦里迦さんと私は、そして私の母とはもちろん、面識がないのに、
なんでこんなにわかってくださるのだろうと、胸が熱くなりました。

母は長患いのせいもあり、気丈でした。
そして迦里迦さんがお書きのように、律儀でした。
母は62歳で亡くなりましたが、その齢に私がだんだん近づくにつれ、
母の寂しさ、辛さ、怖さなどが少しずつわかるようになりました。

私は母のように気丈にはなれません。
今も涙が止まりません。
迦里迦さんのお陰で、歌の力を知りました。
短歌をやっていて本当によかったと思います。

母も喜んでいると思います。
(迦里迦はsayuraの雅号です)



結局、『読む』ことは、歌を通じて、作者さんと、心を重ね合わせることであり、

いつも人恋しい私の慰めであるのです。





SAYURA百人一首 四十九

2010年11月16日 | 百人一首
愛執もこの世のことにて侍ればと義経主従が菊を着ている     久々湊 盈子




                                  
                        


  

秋には○●パークの「菊人形展」 出かけたのはずいぶん昔のことです。

今でもやってるのかなあ、と調べたら、ありました

龍馬さんが菊を着てました。



義経か弁慶かが主役の大河ドラマは いつのことだったか。



菊人形は、技術としてはお見事と感心するけれど、じっと見つめていると
はばかりながら、少し不気味。

人の身体を菊で埋め尽くす、というのが、やはり葬いを連想するからかもしれないけど

人形の視線もまた、どこか虚空を眺めていたり、悄然とうつむいているようで。



よって、

あの世の魂が菊人形に降りてきてつぶやく・・という感覚は、すごくよくわかる。


人形の無表情も

「・・・愛執もこの世のことにて」という、死者の言葉をあてはめると、


「無念 非業」の業苦から解き放たれた静謐の境地に見えなくもないかも。



菊の香には甘さがなく、どこまでも強くせつない。


菊を着ているのはやはりあの「義経主従」だからよいのだろう。






SAYURA百人一首 四十八

2010年10月12日 | 百人一首
 いもうとの小さき歩みいそがせて千代紙かひに行く月夜かな
                                     木下 利玄



 

                          


明治生まれ。 大正に活躍した歌人です。


平易な言葉。童謡のようなリズム性。

情や自意識に流れない端然とした節度。


旧藩主の養嗣子 子爵 側室の子

利玄には実の兄弟はいず、年のかなり離れた異母妹がいたらしい。

・・・というような生い立ちを知らないままにこの歌を読みましたが・・・。



幼い兄妹ではなく、ずいぶんと年の離れた「いもうと」だろうということは想像に難くないのです。


夜道を連れていってるわけですし、急がせるということは歩幅が違うということで。



私が想像したのは、上流階級ではなく

旧制中学か高等小学校くらいの坊主頭の兄。
肩揚げの絣を来たおかっぱの妹。


こんな夜道を急がせてまで二人で千代紙などを買いに行くのはなぜ。


この世に二人きりの肉親を月が見下ろしている・・なんとなく貧しい世帯。そう考えたくなる。

いや、もしかしたら家で待っている弟妹が幾たりかいるかもしれない。


けれど、親はいない。少なくとも父親はいない。



昔の「兄」というのはことにも「長兄」というのは年齢がいかなくても
その責任感において、自己犠牲において 立派だった。


弟妹というのは、ともに育つ喧嘩相手ではなく、親に代わって、あるいは倣って、めんどうを見てやるべき者たちだった。



もう日は暮れたのに、千代紙がほしいと駄々をこねはじめた幼い妹。
父親なら「明日にしなさい」の一喝ですんだだろう。母親ならうまくすかしたりなだめたりしただろう。

父母の居ぬ家で 兄は・・妹を叱りつけるのも不憫。なだめるにも不器用。

自分の勉強の筆をおいて、妹の小さなわがままにつきあってやる。

一人で買いに走らないのは、たかが「千代紙」とはいえ、自分には妹の欲しい柄がわからないから。



「小さき歩みいそがせて」

はただの歩幅の違いなどではない。 

「小さき」には、肉親というより、小さいものへのいたわりの情がみえる。


けれど一番気になる言葉は

「いそがせて」である。


どうせなら月夜をのんびり 妹の手をつないで童謡でも歌いつつ行ってもいいわけで。



しかしやはりこの兄は「自分」が気になるのだ。親ではないのだから。
片づけなければならない宿題が残っている。読みかけの本を早く読みたい。

で、ついつい「早く」と急かしては、ふと妹の歩みの幼いたどたどしさに気づき立ち止る。


こんな苦労性の若い兄・・が私は好きだ。


ただし、この作者は、歌に自分を描かない。
自分の感情もぶつけない。(「銀」に収録されている子への挽歌は別として)


「千代紙」というのもキーワードかと。

「色紙」ではだめ。

「ちひさき」「ちよがみ」「つきよ」という子音のかさねかたが
童謡気分をもたらし、一気にセピアの童画の中の兄妹を俯瞰させてくれる。



類似の音韻効果。

おくれては母のあと追ふをさな兒のおさげの髪に春の風吹く

うす雪は小雨にとけてうぐひすのささなきさむき藪かげの道

日がな日ねもすたぎつ渓河(たにがは)夕さればいよいよたかくとどろけるかも

鎌倉の山あひ日だまり冬ぬくみ摘むにゆたけき七草なづな


この作者の「私」はどこにあるのだろう。


「私」の見えぬ歌


最近はそんな好みが出てきて、これも年齢のなせるわざか・・と思ったりする。







































SAYURA百人一首 四十七

2010年04月19日 | 百人一首
シナモンの香りの古い本ひらく草かんむりの訪問者たち      東 直子




               


「歌壇」新人賞を受賞された時の表題作だと記憶してます。


メルヘンだなあ・・・と同調して印象に残ったお歌ですが、

選評会の談で

「草かんむりの訪問者とは、どういう意味だろう?」

「この本は植物図鑑か、何か?」

というような理系、現実主義選者さんたちのやりとりに、ぐらぐらと自分の描いたイメージが溶けかかったのも覚えてます。


作者さんの意図はいかなるものか、わかりませんが・・

一読して滑り込んできたのは

古い本は、ある香辛料の匂いがする・・・という遠い記憶。


四、五歳の頃、家にあった古い本たち、私はそれらを「胡椒」の匂いがする・・と言い言いしてました。(母は、首をかしげてたけれど)

その頃、香辛料は胡椒しか知らなかったからそういったのかもしれないです。

古くなった紙の匂いにほかならないだけだろうけれど、なにか、鼻の奥胸の奥を刺すような、けれども、懐かしい、ゆかしい香り。

本の中の世界と関連してか、その香りは、現実と空想の境を曖昧にする作用があるように感じていました。

本を読まなくても、その香りをかいでいるだけで、ほのかな幸福感を味わったり。


あらら、東さんは、「コショー」じゃなくて「シナモン」だったんだ・・同じ感覚を持ってる人がいたんだ、と

なんの違和感もなく、納得してこの歌を読みました。



「草かんむりの訪問者」

これも、なるほどなあ。。あの、子供の頃の、本を開いた時の期待感、言い得てるなあ、と
感覚的に、これも納得してしまったのです。


たぶん、何を見ても楽しかった子供時代への回帰 それがこのお歌の心情だろうと。


「草かんむり」は・・もちろん「漢字」のくさかんむりの意味がまずありましょう。


大人になって、文字を伝達の方便に使い馴らしてしまったら、なかなか、偏やつくりの
形としての楽しさ、または、ネーミングの面白さ・・などには気がいかなくなります。

けれど、たとえば「くさかんむり」というような言葉や、「花 草 茶 夢 」くさかんむりの付く字を覚えたばかりの子供にとっては、ご本の中は、お話だけでなく、面白い言葉や文字の宝庫です。ページを開いた時の、どっと押し寄せるわくわく感。


それらを「訪問者たち」という、心躍る言葉に譬えたのだと思いました。


草かんむり・・でもうひとつ思いつくのが、あの、れんげ草 シロツメクサ で女の子が春には必ず編んで遊んだ冠。


そのかんむりをかぶった小さな子たちが手をつないでおとぎ話の扉をたたく・・そういう画がパッとまず浮かんだのでした。

本の扉を挟んで、読まれる文字や絵と、読んでいる子供の自分と、どちらがはたして訪問者?

どちらもが溶け合って、大人になった「私」の脳裏には、ひとつの童話ができあがってしまってるのではないかしらん。




















SAYURA百人一首 四十六

2010年03月31日 | 百人一首
しんかんと明るき空のわたなかに
わが吉凶の
櫻は咲けり         

            辺見 じゅん



                      


今年はまだ桜をみていません。


もともとその通俗性があまりすきでなくて
桜に目がいくようになったのは、ここ数年のことですが、そのわずか数年の間の桜を見る思いにも、わが吉凶、というべきアップダウンがありました。


吉凶の櫻・・・・・

なるほどなあ。


新入生を手放しで寿ぐばかりの校門の満開桜。


おおっびらな春の陽射しのもとでの、浮かれ花見。



「・・・春の名残をいかにとやせん」の血と無念の桜


「貴様と俺とは同期の桜・・・・咲いた花なら散るのが・・」の切なくもむごい桜



日本人の桜のイメージはいったい吉凶いずれ。



辺見じゅん氏の著書から考えると、やはり「吉凶の櫻」には、戦没兵士を重ね合わせたものだと思われます。



ここの「空」も「わたなか」も、この世のものではないような、澄んだ深くおそろしい碧色がおおいかぶさるようです。

歌のみで解釈すれば、戦争だけに限りません。ひとおのがじし生きて来た年年歳歳の悲喜こもごも・・ともいえます。

毎年同じように咲き、散り、永遠に続く春の象徴のようでいて実は、これはカウントダウンの節目。


年老いた親をお花見に誘おうとして、ふと、親は、「あと何回この開花に会えるのか・・」という思いがよぎりました。

「自分は来年の桜を見ることができるのだろうか」と思わせてしまうのではないか・・



一年に一度きりのことは、お正月や節句も同じなのだけれど、
桜にはなぜか、そんなセンチメンタリズムを誘い、さらに、それをまた払拭 麻痺させようと浮足立たせる、不思議な作用があるように思えます。
















SAYURA百人一首 四十五

2010年01月27日 | 百人一首
どの道もおまへと歩みし今日空は青とぎすましまつすぐ垂るる   足立晶子



愛犬の死を詠んだ連作のひとつです。


この一首だけでも、そうとわかるのでしょうか。

もはや、何年も心の中で復唱しすぎて、わからなくなっています。


わが家の愛犬だいきち・・・
まだいたずら盛りにふりまわされていた仔犬のころはともかく、
オトナになって落ち着いてくると、常々ふとよぎるのは・・・

「人間の齢と、ドッグイアーの差」

あれよあれよというまに、この子は年をとり、必ず「別れ」がくるのだという事実。



この歌を知った時は、まだだいきちは家に来ていませんでしたが、愛犬の死をさびしむ心はよおくわかっているつもりでした。


けれど、けれど・・・。


現に今、
日々わたしに、とびつき、横にまるまり、ともに歩き、私を待って暮らしている唯一の者との先行きを思うとき、いつか来るこの者との別れは、相当な覚悟がいるぞ、と、自分に言い聞かせずにはいられないのです。


所詮、犬・・・

けれど、私には、唯一の同居家族。


何よりも、私が一番苦しい時、心配そうに顔を舐め、自分のおもちゃをそばに運んできたりして精いっぱい慰めようとしてくれたのは 思えば・・・この子だけだった、という忘れえない事実。


柴犬の平均寿命は15年という。

だいきちは五歳だから、あと十年、と臍をかためねばならない。


こちらが生きていれば・・のはなしだけど、そのころ私にもちょうどよい節目ではないか、と思う。


インド哲学でいえばおそらくそこから先は人生最後の「遊行期」。

お遍路さんになるわけではないから、いったいどこに心を遊ばせよう。

そう思うと、「空(そら)」しか今は思い浮かばない。


最初この歌をみつけたとき、上の句は痛いほどわかったけれど、下の句はなんとなく
漠然とした付け足しのようにしか感じてなかった。

が、今ならわかる。

この道も、この街角も、この公園も、と、寂しさに忍びなくなったとき、思わず目をやるのは空しかなかろう。

「まっすぐ垂るる」のは、その空から降りてきたように目からつたい落ちる涙なのだろう。

愛犬をもたない方々には、たかが犬・・かもしれないけれど、彼らは人間にまさるものを持っています。


茶色の塊は、まだ今健在なり。私も幸い、病も得ていない。
こころ静かに、ふたりで、自然の光と風を愛でて暮らす日々を「林住期」と心得て
一日一日、大事にしたいと思う昨今。


SAYURA百人一首 四十四

2010年01月10日 | 百人一首
みんなみの果ての波照間呼びてゐる南波照間(ばいばていろーま)波の寄る見ゆ  
                                            名嘉間 恵美子





                               



音を楽しませてくれるお歌。

楽しませて・・・というよりは、音によってせつなく心を揺さぶってくれる、といったほうがよいかも。

当然ながら、この作者さんは沖縄の方。


「波照間」という日本最南端の島は「ばいばてぃろーま」と発声することを知った。

音韻体系からいっても、やまとことばを遠く離れている。美しい琉球音。


文字は音訳だと思われるけれど、文字の意味から言っても、亜熱帯の強い光に照り輝く波濤に浮かぶ孤島をおもわせる、うまい当て字だと感心する。



このお歌が言っていることは、「島が私を呼び 波がまなうらに見える」ということだけ。



身体や、習慣が故郷を遠くはなれてしまっても、魂の琴線を引かれるように。


ことばの音に委ねて 意味のシンプルなところがよい。



ばいばていろーま ばいばていろーま・・・

やまと人の私には異土的と聞えて旅こごろをそそられる音も、作者さんにとっては、胸絞られるような懐かしさで迫る音(おん)なのであろう。












SAYURA百人一首 四十三

2009年12月07日 | 百人一首


冬薔薇(そうび)点して雪降る妻の庭かくもやさしき無念もあるを    田中あつ子







                            


なんの手入れもほどこさず、放りっぱなしの小さな庭のすみの薔薇の木に
何おもいけん、いまごろ薔薇の蕾がひとつ。


蕾とはいえ、初々しさもみずみずしさもなく、とても咲き開くとは思われない。葉っぱもいじいじと虫食いだし。


けれど、咲いている。なるべく日向の方に首を伸ばすように。



・・・なんだかなあ。



自己投影してしまうのです。

傍目に見て、とうていひらくとも思えないのに

希望にだけは萌えて、場違い・・とき違いな美しくもない蕾をつけようとするって・・・


これは、もしかしたら称賛ではなく、憐憫の的ではないのか。



しかし、傍目がどうみようとなんら意に介さずただ、ただ咲こうとする

それは意地ではなく、ただ無心。


この無心は薔薇の矜持にふさわしい。





・・・・それ以外に、生き方があろうか。




さて、挙げたお歌ですが。

この歌人さんの経歴と照らし合わせますと、意に染まぬ結婚生活を詠ったもののようです。


この冬薔薇は純白の雪に滴る血のようにみずみずと鮮やかです。

「無念」の一語がしたたかに。

あ、当然、離婚なさいまして、花のバツ一として、名を変え、私の好きなたくさんのお歌を詠まれました。













SAYURA百人一首 四十二

2009年10月14日 | 百人一首
十五夜の月は生絹(きぎぬ)の被衣(かつぎ)して男をみなの寝し国をゆく    
                                 若山牧水



                                                 


月にむら雲・・ならぬ 薄く白い雲がすーっと刷かれたようにかかっている図

絵でいえばその比喩なのでしょう。


けれども、すぐに擬人化して読んでしまう私は、月すなわち女装のオカマが脳裡に浮かびました。(女装といっても、室町時代あたりの装束を思い浮かべて下さい)

下の句の「男をみな」からの無条件の連想もあると思います。


もちろん、ここの意味は「男と女」ととるのが妥当ですが。

男とをみな・・女をかな書きにしたことで、その寝姿までも浮かびます。

「男」はたとえ裸でも漢字書きの固さにふさわしく堂々と仰臥していそうだけれど
「をみな」のかな書きは、長襦袢の胸元もしどけなく、男になよと寄りかかって伏している・・そんな曲線的な姿態をあらわしていそうです。


むろん、寝静まる前の事の余韻をあえかに残した姿態でありましょう。


けれど、それは、天空からみれば、健気にも小さくほほえましい、虫の営みのようなもの。


やはりこの歌の主役は、擬人化された月。

口元には妖艶な薄笑いを浮かべつつ、幾組もの世俗の男と女のものがたりをよそめに見降ろしつつ、孤高の夜空に生絹(きぎぬ)の被衣(かつぎ)を翻して独り虚空を往く月。

麗人でなくてもいいから、ここの月はやはりモノセックスの存在であってほしい。


・・・と性を越えてしまったオバサンは、やはり性を越えた美に着目してしまうのであります。




余談ながら。

牧水の酒豪は有名ですが、かつて読んだこんなエピソードが。

あまりの酒の強さを妬んだ悪友たちが、一度彼を酔い潰させてやろう、と目論んだ。宿の女将にも言い含め、恐ろしいほどの酒を用意させて、自分たちも飲むがあくまで、酔わせるのが目的。一対複数。

深夜まで大騒ぎしていたが、さすがに未明には部屋が静かになった。

女将が、これは、さしもの先生も酔って寝てしまったか・・と覗いてみると・・・


酔漢たちがやくたいもなくねくたれてしまった大いびきの中

もはや白みかかろうとする時刻、牧水がもとの姿勢を崩すことなく、端坐して
ひとり手酌で静かに杯をかたむけている姿が目に入り、いやというほど酒豪を見てきている女将も、この世のものではないような、鳥肌立つものを牧水の背に感じたという。

もしも虚空をさまよう月が、ふとその視線をとどめて見入ることがあるとすれば、こんな男ではないかと・・思われたりする。


SAYURA百人一首 四十一

2009年09月22日 | 百人一首
「夕暮れのつづき有ります」古書店に三日月色の洋燈(ラムプ)揺れをり    まっちゃ



                      


今日は旧暦の八月三日。お月さまもまさに三日月です。


つぎの満月はお月見ですか・・。




これは若い若い人のお歌です。厳密にはある若い人のうんと若いときのお歌です。


物語か映画のワンシーンを詠う・・というよりは、現実の日常界隈がふっとメルヘンチックな時空間に塗り変えられ、作者独りがそこにいる、というのでなく、いつしか読み手もそこへ柔らかく誘われてしまっている。

というような技をもつ詠み手さんでした。


でした・・というのは、もうこの方は歌を詠まなくなったからです。

惜しいものです・・・。


「あれ、こんなとこに古本屋さん・・あったかな。

面白い看板だねえ・・」

夕闇の誰そ彼どきにはきっと吸い寄せられてしまい、
手にとって、はらはらめくった古書の小説の一冊。
そのなかの登場人物として閉じ込められ、出て来れないまま本人はそれに気づかず、そのまま生涯を終えましたとさ。

ということになりそう。


ホラーを詠んでもほのぼのホラー

優しい柔らかい光と懐かしく深い蔭 

若い時から、暗さ、光、どちらも一辺倒の歌はなく、光と蔭を詠む人でした。





悲しみに晒されゐたる秋空を胸に手巾のごとく掛けおく


ひかる紙にて舟を造らむ 眠りたるまま漕ぎ出だすいつかのために


しあはせは遙かなれどもまなかひに海棲む街の一日あかるし






こんな連作(一部抜粋)もありました。