反日マスゴミ(朝・毎・中・沖)の魂胆見え見え
首相の靖国参拝や集団的自衛権などに対し、ワザワザ外国にまで行って意見を聞く反日マスゴミども。 その反応をすぐに記事にして首相批判をする反日新聞社たち。
行く国は、言わずと知れた支那朝鮮である。 親日国へは当然行かない。
親日国ウズベキスタンの話は2度目になりますが、何度聞いても涙が出てきます。
親日国ウズベキスタン
タシュケントにあるナヴォイ劇場 1947年完成のオペラ劇場
アリシェル・ナヴァーイーは、ウズベキスタンの伝説的な英雄
「劇場の収容観客数は1400人」
旧ソ連では3大オペラ劇場と呼ばれた有名な劇場
この劇場建設に約500人の日本人捕虜が携わっていた。
1945年 第二次世界大戦 終戦と同時に約60万人もの日本兵がシベリアに強制連行され捕虜となる。
当時ソ連だったウズベキスタンでも約2万5千人の日本人が強制労働を課せられた。
零下30°を下回る極寒の地での劣悪な労働環境、ノルマを果たさなければ食べ物すら与えられない。 月一回のシャワーは、すぐにお湯が無くなり。
長時間の労働に加え飢えとの戦い、隣で寝ている仲間が朝には死んでいる。
地獄のような日々。
そんな過酷な強制労働なのに、手を抜かず与えられた仕事以上のことを全うした約2万5千人の日本人。
現地人では建築不可能と思われた工場や運河など、施設を次々と建設していった。 このような真面目で実直な日本人を見て、現地人も次第に心を惹かれ、ある場所に食べ物を差し入れるようになる。 日本人捕虜もそのお礼に 精巧に作られた玩具を その場所にそっと置く。
ナヴォイ劇場 建設には永田行夫 元陸軍技術大尉率いる450人の日本人捕虜があたる(永田大尉は、当時25歳)、作業は過酷を極め79人もの日本人死者を出す。 機械など無い手作業での作業は3年はかかるだろうと言われていた。 しかしこれを2年弱で完成させた。
日本人の誇りを持って作ったこの建物に手抜きは一切なく、細部にまでこだわった繊細な作りの彫刻。
完成から20年後 1966年タシュケント大地震で78000棟が倒壊する大災害。 その中で日本人捕虜が建てた建物は殆ど倒壊する事は無かった。
無傷のナヴォイ劇場は 避難場所としてウズベキスタンの多くの命を救った。
1996年 カリモフ大統領は、ナヴォイ劇場にこの劇場建設に関わった日本人を讃えるプレートを設置
『1945年から1946年にかけ
極東から強制移送された
数百名の日本国民が
このアリシェル・ナヴォイ-劇場の
建設に参加し、その完成に貢献した。』
大統領はこのプレート作成時に、こう強く指示したそうです
彼らは恩人だ 間違っても 捕虜と書くんじゃない と
はじめは強制労働を課せられた捕虜、しかし決して日本人としての誇りを失わなかった先人たちは、捕虜と言う立場から恩人と言わしめるまでになっていった。
劇場の建設途中で命を落とされた日本人捕虜の方たちを含め813人の犠牲者は、ウズベキスタンの地で手厚く葬られています。
捕虜たちの合言葉であった、日本に必ず帰ってもう一度 桜 を見よう。
墓地の周りには、桜が植えられ春には満開の桜が咲くそうです。
反日新聞社の者たちよ、親日国へ行け!
リメイク版国旗の重み~ウズベキスタンのナヴォイ劇場~
https://www.youtube.com/watch?v=eGFyq04mn3M 9:40
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