アップル共同創業者、スティーブ・ジョブズ氏死去(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース
アップル共同創業者、スティーブ・ジョブズ氏死去
2011年10月6日(木)12:50
(フィナンシャル・タイムズ 2011年10月6日初出 翻訳gooニュース) サンフランシスコ=ジョーセフ・メン
現在のアメリカで最も重要なリーダーの一人とされるアップル社の共同創業者で前CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズ氏が5日、56歳で亡くなった。ジョブズ氏はかねてから膵臓がんを患い、闘病していた。
アップル社は5日深夜に、ジョブズ氏の死去を発表。同社取締役会は文書で次の声明を出している。
「スティーブの卓越した才能、情熱とエネルギーをもとに生み出された無数のイノベーションが、私たち全員の生活をより豊かで、より良いものにしました。スティーブのおかげで世界は遙かに良いところになりました」
「彼が一番愛していたのは、妻ローリーンと家族でした。私たちは彼の家族と、彼のたぐいまれなる才能に影響を受けた全ての人に、思いを寄せています」
アップルを時価総額でアメリカ最大の会社にしたシリコンバレーの「顔」は、8月にCEOを辞任して後任のティム・クック氏に会社を託している。
ジョブズ氏は膵臓がんの再発と戦い続け、療養のため3回にわたり休職している。1976年に長年の友人スティーブ・ウォズニアック氏と共同でアップル社を立ち上げたジョブズ氏には、ローリーン夫人と5人の子供がいる。
CEO辞任時に株主にあてた手紙でジョブズ氏は、「自分がアップルのCEOとして任務や期待に応えられない日がもし万が一来るようなことがあったら、自分から真っ先にお知らせしますと言い続けてきました。残念ながら、その日がやってきました」と書いた。
ジョブズ氏はウォルト・ディズニー社の最大個人株主でもあった。同社のボブ・アイガーCEOは「スティーブは実に独創的だった。徹底的にクリエイティブで想像力あふれる頭の持ち主で、ひとつの時代を創り上げた」と述べている。
その比類ないキャリアの中でジョブズ氏は、同世代のほかの誰にも増して、パーソナル・コンピューターやデジタル・エンターテインメントの感動を普通の人に提供してきた。
テクノロジーの未来を見通すビジョンの持ち主と称えられたジョブズ氏は、1970年に起きた新現象を代表する存在でもあった。つまり実業家がポップカルチャーのヒーローになり、映画スターと同じくらい有名で、カリスマティックな存在となったのだ。
アップル社の特許の多くにジョブズ氏の名前が記されているが、ジェットコースターのように乱高下した同社の命運を作り上げてきた一連の製品には、彼が借りたり買ったり一般化した多くのアイディアも使われていた。
アップル製品のベストヒットとしては、たとえばApple IIがある。初の実用的なパーソナルコンピューターで、100万台を売り上げた。Apple Macintoshは、マウスで操作するバーチャルデスクトップ上で作業内容を表す画像、つまり「アイコン」を初めて登場させた。そしてしばらくしてiMacが発売され、iPodやiPhoneが発表され、そして最近ではiPadがお目見えした。
ジョブズ氏の革新的な業績は、21世紀の生活のあらゆる側面に革命をもたらした。しかしその出発は地味なものだった。
スティーブン・ポール・ジョブズ氏は1955年、カリフォルニア州ロスアルトスで生まれた。父親はエジプト人の政治学教授、母親はアメリカ人のスピーチセラピスト。結婚関係にない両親の間に生まれた同氏は、つましい働き者のポールとクララ・ジョブズ夫妻に引き取られる。養親を深く愛する一方で、ジョブズ氏は常に、自分の産みの親に拒絶されたという困惑と怒りを抱え続けていた。
そうした影響からジョブズ氏はなかなか人間関係を長く続けられないという問題や、他人や状況や機械をとことんコントロールしたいという病的に近い衝動を抱えていた。全てをコントロールしたいというジョブズ氏の性格は、消費者にとってはありがたいものだった。どういうハードウェアやソフトウェアが消費者の手に届くのか、最後に決めるのは自分だと、ジョブズ氏はその点を譲らなかったからだ。
彼の旅路は高校時代に始まった。夏休みにコンピューター大手ヒューレット・パッカードで働いていた時、エンジニアのスティーブ・ウォズニアクと出会い、二人はやがてアップルを一緒に創設する。
ジョブズ氏は後にオレゴン州のリード・カレッジを中途退学し、1974年には精神的な悟りを求めてインドを訪れる。後にジョブズ氏はライバル社マイクロソフトのビル・ゲイツについて、彼も同じような経験をしていれば役に立ったはずだと話している。ジョブズ氏は60年代風のボヘミアンな精神を変わらず持ち続け、「芸術家」の制服ともいえる黒いタートルネックとジーンズをよく着ていた。
アップル共同創業者、スティーブ・ジョブズ氏死去
2011年10月6日(木)12:50
(フィナンシャル・タイムズ 2011年10月6日初出 翻訳gooニュース) サンフランシスコ=ジョーセフ・メン
現在のアメリカで最も重要なリーダーの一人とされるアップル社の共同創業者で前CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズ氏が5日、56歳で亡くなった。ジョブズ氏はかねてから膵臓がんを患い、闘病していた。
アップル社は5日深夜に、ジョブズ氏の死去を発表。同社取締役会は文書で次の声明を出している。
「スティーブの卓越した才能、情熱とエネルギーをもとに生み出された無数のイノベーションが、私たち全員の生活をより豊かで、より良いものにしました。スティーブのおかげで世界は遙かに良いところになりました」
「彼が一番愛していたのは、妻ローリーンと家族でした。私たちは彼の家族と、彼のたぐいまれなる才能に影響を受けた全ての人に、思いを寄せています」
アップルを時価総額でアメリカ最大の会社にしたシリコンバレーの「顔」は、8月にCEOを辞任して後任のティム・クック氏に会社を託している。
ジョブズ氏は膵臓がんの再発と戦い続け、療養のため3回にわたり休職している。1976年に長年の友人スティーブ・ウォズニアック氏と共同でアップル社を立ち上げたジョブズ氏には、ローリーン夫人と5人の子供がいる。
CEO辞任時に株主にあてた手紙でジョブズ氏は、「自分がアップルのCEOとして任務や期待に応えられない日がもし万が一来るようなことがあったら、自分から真っ先にお知らせしますと言い続けてきました。残念ながら、その日がやってきました」と書いた。
ジョブズ氏はウォルト・ディズニー社の最大個人株主でもあった。同社のボブ・アイガーCEOは「スティーブは実に独創的だった。徹底的にクリエイティブで想像力あふれる頭の持ち主で、ひとつの時代を創り上げた」と述べている。
その比類ないキャリアの中でジョブズ氏は、同世代のほかの誰にも増して、パーソナル・コンピューターやデジタル・エンターテインメントの感動を普通の人に提供してきた。
テクノロジーの未来を見通すビジョンの持ち主と称えられたジョブズ氏は、1970年に起きた新現象を代表する存在でもあった。つまり実業家がポップカルチャーのヒーローになり、映画スターと同じくらい有名で、カリスマティックな存在となったのだ。
アップル社の特許の多くにジョブズ氏の名前が記されているが、ジェットコースターのように乱高下した同社の命運を作り上げてきた一連の製品には、彼が借りたり買ったり一般化した多くのアイディアも使われていた。
アップル製品のベストヒットとしては、たとえばApple IIがある。初の実用的なパーソナルコンピューターで、100万台を売り上げた。Apple Macintoshは、マウスで操作するバーチャルデスクトップ上で作業内容を表す画像、つまり「アイコン」を初めて登場させた。そしてしばらくしてiMacが発売され、iPodやiPhoneが発表され、そして最近ではiPadがお目見えした。
ジョブズ氏の革新的な業績は、21世紀の生活のあらゆる側面に革命をもたらした。しかしその出発は地味なものだった。
スティーブン・ポール・ジョブズ氏は1955年、カリフォルニア州ロスアルトスで生まれた。父親はエジプト人の政治学教授、母親はアメリカ人のスピーチセラピスト。結婚関係にない両親の間に生まれた同氏は、つましい働き者のポールとクララ・ジョブズ夫妻に引き取られる。養親を深く愛する一方で、ジョブズ氏は常に、自分の産みの親に拒絶されたという困惑と怒りを抱え続けていた。
そうした影響からジョブズ氏はなかなか人間関係を長く続けられないという問題や、他人や状況や機械をとことんコントロールしたいという病的に近い衝動を抱えていた。全てをコントロールしたいというジョブズ氏の性格は、消費者にとってはありがたいものだった。どういうハードウェアやソフトウェアが消費者の手に届くのか、最後に決めるのは自分だと、ジョブズ氏はその点を譲らなかったからだ。
彼の旅路は高校時代に始まった。夏休みにコンピューター大手ヒューレット・パッカードで働いていた時、エンジニアのスティーブ・ウォズニアクと出会い、二人はやがてアップルを一緒に創設する。
ジョブズ氏は後にオレゴン州のリード・カレッジを中途退学し、1974年には精神的な悟りを求めてインドを訪れる。後にジョブズ氏はライバル社マイクロソフトのビル・ゲイツについて、彼も同じような経験をしていれば役に立ったはずだと話している。ジョブズ氏は60年代風のボヘミアンな精神を変わらず持ち続け、「芸術家」の制服ともいえる黒いタートルネックとジーンズをよく着ていた。









